因縁、再び

 頭が痛い。


 ただいま、私アンナルチアはリリシアと愉快な仲間に囲まれている。しかも水浸しだ。ジョウロを抱えた可哀想な女生徒が青ざめて私の後ろに囲われ、同じように水浸しになっている。


 緑化当番だったのだろう、ジョウロを持って歩いていたところで、ばったり私と出会した。私は私で移動教室のタイミングだった。少しだけ会話をして、二人とも「それではごきげんよう」と声をかけ、にこやかにすれ違ったのだが、数十メートル歩いたところで悲鳴が聞こえ、振り返ると緑化当番だった女の子が誰かにぶつかりすっ転んだところだった。


 驚いて取って返し、その女の子に手を貸そうと腕を伸ばしたところで、ばっしゃんと水をかけられたというわけだ。


「なんてことをしてくれるのよ!おかげで制服が汚れちゃったじゃない!」


 厄介な人に絡まれた、と正直なところ回れ右をしてトンズラしたくなった。


 言わずと知れたリリアナだ。


「あ、あの、私、ご、ごめ」


 青ざめて水浸しになった女の子はガクブルで、言葉も紡げない。何しろ、転んだと思ったら横からバケツの水を浴びせられたのだ。びっくりして目を見開いたまま四つん這いになっている彼女を助け起こし、私の背中に隠した。いじめの対象になっていたのか、それとも元から私が目当てだったのか。彼女がうっかりにも謝ろうとするのを止め、私は被るように言葉を発した。


「私も彼女も水浸しですが、リリシアさんが汚れてしまった制服というのは?ああ、ほんの少し水がかかったのかしら。リリシアさんのお隣りにいらしゃる、そちらの御令嬢が持ってるバケツの水ですよね?」


 こちらにいちゃもんをつけるのは、言いがかりというものではないですかと遠回しに言ってみる。


「違うわよ。ただのバケツの水ごときでリリシアが怒るわけないじゃないの。そこのオリビアさんがリリシアにぶつかったから汚らわしいと言っているのよ」


 自身のことをリリシアと呼び、どうだと言わんばかりに豊かな胸を全面に張り出し、ふんすと鼻の穴を広げて見せた。令嬢としてその態度はどうなの、と内心思いつつ、ちらりとオリビアと呼ばれた生徒を見遣る。大きな眼鏡をかけた気弱そうな女の子だ。ソバカスが顔中にあって、おどおどした顔が小リスのようにも見える。もちろん同年代の生徒で、おそらくは男爵家の御令嬢。リリシア達と同じクラスなのかもしれない。


「私がみる限り、オリビアさんは汚らわしいようには見えませんけど?」


「はん、そんなびしょ濡れでどこが汚らわしくないというのかしら?」


「水をかけたのはそちらの方ですよ?転んだオリビアさんを助け起こそうとした際にリリシアさん側から水が降ってきたようですね?どんな嫌がらせかしら?」


「あ〜ら、汚らわしいからせめて綺麗にして差し上げようとしたまでですわ。少しはマシになったのではなくて?おほほほ」


「まあ!常にバケツに水を入れて歩いていらっしゃるのですね。それは良い筋力運動になりそうですわ。でも水は花壇に巻いていただきたいものですわ」


「そんなこと、生徒会がやればいいことじゃなくて、雑用係さん?」


 最近になって、こう言った嫌がらせが多くなって実はかなりイライラさせられている。陰でこそこそ言われる分には痛くも痒くもないが、水をかけられたり、教科書の本の間にガラスの破片を仕込まれたり、机の中に生ゴミを入れられたりするのは悪質極まりない。その中にこの三人が含まれているのももちろん知っている。クラスメイトが教えてくれるし、一緒に片付けてくれた生徒もいるくらいだ。何人かは誰がやったのかしっかり見て、先生にも報告してくれた。


「あなた方、こう言った悪質ないじめが校則第13条に反することをご存知かしら」


 怒りを堪えているせいか、声が一段低くなる。


「私を生徒会役員だと知っていて、校則に反する行動を取っていらっしゃるのですよね?校則を覚えているのかどうか、ということでしたら受けて立ちますわ。

 そもそも13歳にもなって、八歳児(うちの弟基準)でもやらないような低脳なイジメを行う貴族令嬢がいること自体、非常に嘆かわしいことではありますが、デビュタント前ですものね。貴族としてのあり方など、まだまだ学ばなければならない年齢でもありますわ。

 もっとも、高位貴族の御令嬢でしたら学園に入る前に既に、完全に、きっちりと、済ませておくべき躾だったと私の中では理解していましたけど、皆が皆同じ教育を受けて身につけてくることは強制されていませんし、学園の規則にもありませんものね。

 一般常識ではありますけれど。

 まあ、学園で覚える方も中にはいらっしゃるのでしょうね、そちらの非常識な方のように」


 私はにっこり微笑み、バケツを持った女生徒に一歩近づいた。


 ぱちくりと目を瞬いて何を言われたのかまだ理解されていない感じだ。ちょっと小首を傾げたその表情は可愛く見えるが、やってることは最低。ほんとに残念令嬢だ。


「ああ、思い出しましたわ。あなた方、ミネルヴァさんとアシュレイさんでしたわね?以前リリシアさんにくっついて訓練場に飛び込んできた…そうそう、あの後バークレー女史の授業はいかがでしたの?まさか本日も抜け出してきたわけではありませんよね?

 私の知るところあなた方には、すでに黒星が一つづつ付いていらっしゃると存じますけど?」


「なっ……なんでそれをっ」


 もちろんそんなことは知っているはずはない。ちょっと脅かして見せようとしただけなのだが、どうやら図星だったようだ。

 大体リリシアと行動を共にしているということは、いくつかのクラスをサボっているだろうとアタリをつけただけのこと。リリシアは不真面目だと聞いていたから、厳しいバークレー女史の授業はサボったのがバレれば黒星だとわかっていても、やはり足が遠のいているようだ。


 それなら彼女の授業を取らなければいいのにとも思うが、侯爵令嬢とそのお供となると、高位貴族のバークレー女史のダンスやマナーは外せないのだろう。貴族の常識だけでなく、人としての常識も女史から学んでもらいたい。


 腰が引き気味のミネルヴァさんとアシュレイさんを見て、リリシアが品悪くちっと舌を鳴らした。


「あなた方!そんな脅しに乗せられるんじゃないわよ!」


「脅し、ですか?現状、水をかけられて因縁をつけられたのはオリビアさんと私ですよね?アシュレイさんの持っているバケツが水に濡れていることも証拠になり」


「おい、そこにいるのはリリシアか?なんだ、お前。生徒会役員からいじめでも受けてるのか」


 私の言葉を遮る男の声に視線を向けてみれば、またしても頭を抱えたくなった。


 またお前か……。


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