嫉妬

 ヒュン、ヒュン、と規則的に風を切る音が訓練場に響く。すでに活動時間は終わり、数人の特別騎士科の生徒たちが自己訓練に励んでいる時間帯。


(ふざけた噂を流してくれる)


 ルークは苛立ちを抑えるため、素振りに徹していた。


 どこのどいつが好き好んでリリシアなんかと噂を立てられなければならないのか。アマリアの妹だからと時々は笑顔を見せたこともあったが、今まで一度だって会話らしい会話をしたことすらない。先日訓練場に飛び込んできて、言い返したのが一番長いくらいだろう。


 あの後すぐに解散した生徒会室で、アマリアは「あの子が何を企んでいるのか調べてみるわ」と言ってアレックスの影を呼び寄せていた。


「悪巧みだけは長けてるのよ、考えなしのくせに」


 とは、姉であるアマリアがよく使う言葉だ。子供の頃からリリシアは悪巧みや中傷を流すのがうまく、彼女自身かなり苦戦したらしい。姉のものをすぐ欲しがり、なんだかんだと言い訳をつけて姉を扱き下ろし、アレックスの婚約者の地位を何度かもぎ取ろうとしたらしいが、王家も小娘に騙されるほどバカではなく、登城禁止令が出たくらいだったとか。

 侯爵夫妻が彼女を修道院に入れて1から教育し直そうと考えた時、実行してくれたらよかったのにと今更ながら、思わないでもない。おかげで僕とアニーの関係にヒビが入りそうだからだ。ただでさえ、先輩後輩の域を抜けていないと言うのに、ますます気まずい存在になってしまう。


「くそっ」


 アニーに想いを告げて、婚約者の立場になればそんな噂なぞ糞食らえなんだが、いかんせん、僕の立場は表向きは伯爵家長男、実質公爵家の私生児だ。公爵夫人との約束で、真実を告げるわけにはいかない。かといって伯爵家の嫡男との婚約だと偽ってぬか喜びをさせて、アニーの両親の不興を買う事になるのもいやだ。

 この立場がはっきりしない事には、口約束すらできないのがもどかしい。


 それにどのみち、公爵家で認知されても僕は次男扱いで、やはり爵位はない。騎士爵をもらえるよう努力はしているし、第二王子の側近だからそれほど難しくはないとは思うが、やはり立場的には弱い。


 どうしたものか。


「あれ、ルークさんじゃないですか」


 何百回と素振りをしていると、後ろから声がかかった。振り向くとそこには例のアニーのクラスメイトがいた。コイツはアニーを狙っている恋敵ライバルだ。今まで陰にいたくせに、なんで今になって表に出てくるんだ。ずっと後ろで控えていればいいのに。


「えっと、ザック、君だったかな」


「はい。ずいぶん根を詰めているようですが、どうしました?」


「いや、別に……試験が近いから運動不足でね」


「ああ、なんだ。僕はまた例の噂に苛立っているのかと思いましたよ」


 ルークはピクリと眉を上げる。


(挑発してるつもりか)


「やっぱり、君も知ってるか」


「ええ、一年の中では有名ですからね」


「それで?君はそう言った噂を止めるために役目をいただいたんじゃなかったのか?」


 挑発に乗るつもりはないが、イラついて少し棘のある言い方になってしまう。


「噂は噂でしかないですからね。下手に騒げば真実味を帯びてしまうし、実害がない限り放っておくのが得策だと思いまして」


「そうか」


「……納得いかないって顔ですよね?」


「そりゃまあ、自身も絡んできてるからね、気分は良くないよ」


「ああ、あのリリシアさんと恋仲っていうやつ」


「まさか君まで信じてるわけではないよね?」


「あはは。まさか。生徒会役員ともあろう人があんな馬鹿を相手にするとしたら爵位欲しさでしかないでしょう?しかも次女ですからね。どうしたって侯爵家には入れない。どうしてみんなそこまで考えないのか、そっちの方が信じられませんよ」


「王太子に何かあって、第二王子が立太子されない限りはね」


「ああ、そうか。そうなるとアマリア嬢が王太子妃になるから、彼女が家に残ると」


「まあ、無理だけど」


「それだと、侯爵家としては有能な後継が欲しいところでしょうね。ルークさんならピッタリだ」


「やめてくれ。あんなのと結婚なんてごめんだよ」


 ザックは吹き出した。体を二つに折りながら、侯爵令嬢に向かってあんなのとは不敬罪で捕まりますよ、と言いつつ、でもわからないでもないと自身の意見も織り交ぜて。


「どんな女性もアニーと比べたら、無理ですよね」


 ルークは笑顔を貼り付けて、ザックの顔を見た。


「君ならお似合いの令嬢なんていくらでもいるんじゃないの?」


「ええ、それはそうですが。今のところ選べる立場にいるので」


「アニーは自分より頭の悪い男に用はないと言っていたなあ、そういえば」


 自信ありげな態度にムカついて、ちょっと嫌味を飛ばしてみる。ちらりと顔色を見れば、怯む様子もなく笑みを張り付けている。


「知ってますよ。僕、一度振られましたし」


「……へえ?」


「でもね、生活力と財力があって、自分の家族と仲良くできる人なら考えてもらえないかなって思うんです。

 僕、これでも一応子爵家の長男なんで。アトワール商会ほどではないにしろ、うちの商会も波に乗っているし財力はある。アニーさんは王宮で2年間は働かなければならないし、その間、僕はヴィトン家と懇意になることもできるでしょ?商会からヴィトン領の手助けをしてもいいし、弟君たちと仲良くなれるかもしれない。アニーさんが仕事を続けたいというのならそれを止めるつもりもないし、僕の家の商会でも働くことはできる」


「……」


「彼女は家族想いだから、家族から外堀を埋めていけば意外と攻略可能かなと」


「……アニーは渡さないよ?」


「ふ……ふふっ。それはルークさんが決める事じゃないですよね?彼女アニーの選択だ。そもそもあなたはまだ彼女に気持ちすら伝えていないし、くだらない噂の渦中の人だ」


 心臓が破裂しそうなくらい、嫉妬心が湧き出た。


 きっとザックにもそれがわかったに違いない。眉をわずかに上げて、面白そうに口角を上げた。その仕草すら腹立たしく、思わず剣を握る手に力が入った。それを見てザックは、更に追い討ちをかけて来た。


「僕はほとんどのクラスでアニーさんと同じ選択をしているし、同学年だからこれからまだ二年、一緒に学園生活も送ることができる。それまでに良い関係を結べれたらいいなと思って居るんです。あなたはもうすぐ卒業でしょ?時間には限りがありますよね?人の噂は七十五日って言いますけど、あなたにどれほどの時間が残されているのかな?」


 ザックはふふ、と笑い背を向けた。


「僕、卑怯な真似はしたくないので、一応宣戦布告しました。アニーさんが誰を選んでも恨みっこなしですからね」


 ルークは、何一つ言い返すことができず、ただ背を向けて去っていくザックを睨み付けていた。

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