誤解
「アニー、まずは座らないか?」
公爵夫人が連れていた侍女が「お茶をご用意いたします」と出ていき、アンナルチアとルークはサイモンの使っていた執務室に取り残された。
「はい。でも、あの。主のいない部屋に陣取っているというのも変な話ですね」
「ああ、その後任は公爵夫人がすでに手を回していると思う。心配しなくても仕事は滞らないよ。そもそもサイモンはほとんど仕事をせず、ここにはいい逃げ口上でいただけの様だし」
仕事もしていなかったのか。給料泥棒め。
「えっと…。エドモントン卿におかれましては」
「今更だよ、アニー。普通にルークと呼んで欲しいんだけど、ダメかな」
「ですが、私たちはもう学生ではありませんし」
「じゃあ、命令ならいいのかな」
「命令、ですか」
「お願い、と言ったほうがいいか」
「ですが」
「頼むよ、アニー。君に畏まられると、怒られているみたいで背筋が凍りそうだ」
生徒会にいた頃、アンナルチアが一年生でルークは三年生だった。生徒会の中では同志だから口調を改めろ、崩せ、と散々言われてようやく友人口調になったのだ。その後、何かしらアンナルチアを怒らせると貴族令嬢の口調が出ると言われ、令嬢言葉を使うアンナルチアを見ると皆逃げ出した、というふざけた昔話を思い出した。
「ふふ。懐かしいですね。一緒に生徒会で仕事をしたのは、もう五年も前なんですもの」
「そうだね。僕が騎士科に通う頃には、君は実力で生徒会副会長まで上り詰めていた」
「ソルとリンダがいましたからね。本当は補佐が良かったんですけど。三年生では会長を押し付けられました」
「驚きもしないけど、側から見てもよくやっていたと思うよ」
「ルーク……あの。婚約が白紙になったと聞きましたが…」
「ああ……元々、婚約なんてしていない」
「えっ」
「本当に誤解なんだ。君に無視されて、辛かった」
「えっ?私無視なんて…!避けられていたのは私の方ですよ?」
「手紙で理由を伝えたよね?」
「手紙?」
「……届いていなかった、と?」
「ルークからの手紙は、一通もいただいていません」
「なんて事だ…。そこからだったのか」
「……お手紙をくださったの、ですか?」
「ああ。何通も出したが…。どこかで阻まれたか。考えが甘かったな」
どうやら、行き違いがあったらしい。アンナルチアはルークがリリシア嬢と婚約したと噂を聞き、その所為でルークから避けられているのだと思っていたが、ルークはその事自体が誤解で、手紙を何度も出したのだという。
「……その。今更ですが、手紙にはなんと?」
「『環境が落ち着くまで、待っていて欲しい』と。」
「環境が落ち着くまで?」
「あの当時、本当に色々あったんだ。僕が公爵の隠し子だと言うことが分かったのも、あの頃で。リリシア嬢にも絡まれて事態が複雑になってね。アマリアから、リリシア嬢がアニーに絡んでいると言うのを聞いて、手紙を出したんだ。事態が落ち着くまで、僕に関わらない方がいいと思って。でも、その前から僕には君しかいないと、何度も伝えたよね?手紙ではなく口頭でも、学園祭でも、卒業パーティの時も」
「……え、えと、はい。そう、ですね。ですが」
「そうしているうちに、アニーが僕を避け始めた。最初は僕の手紙を読んで納得してくれているものだと思ってたんだけど、事態が落ち着いても君はずっと僕を避けていた。手紙を出して会いたいと言っても、待ち合わせ場所にすら現れなかった」
「えっ、そんな」
「だから振られたんだと思ったよ。君が、他に想いを寄せる人がいるのなら諦めるつもりでいた。だけど学園を卒業して王宮で働き始めても、君が誰かと婚約をするそぶりもなかった。そして去年、騎士見習いとの噂が立った」
「はい?」
「喧嘩をふっかけてきた騎士がいたでしょ。君が打ち負かした奴」
「あ、エドワードのことですか!」
「そう。マークス伯爵家の次男だ。あいつと噂になっていたのは知らないの?」
「まさか、そんな!よりによってあんなのと…!あ、失礼しました」
眉を寄せて汚らわしそうに吐き出したアンナルチアを見て、疑惑を含んでいたルークの目が点になり、ぶっと吹き出した。
「噂でしかなかったのはわかってたけどね。面白くなかった。なんで僕ではダメで、あれはいいのか、と」
「エドワードは、自分が強いと思い込んで自分より家格が下の騎士たちに因縁をつけていたらしく、騎士見習いになった学園の後輩が相談に来て。それでそんなに強いのなら、私と勝負して。勝ったら言うことを聞くと言う条件で試合をしたんです」
「……負けたらどうするつもりだったのさ」
「騎士道に反する人に負けるつもりはなかったので。他の見習い騎士の方々も伯爵家に逆らえないからとわざと負けていたところもあった様ですし、見ていて隙だらけだったので」
「だけど、君は文官であって、騎士じゃないでしょう?君に相談する騎士も騎士だけど」
「騎士道については父に学びましたから」
「ああ。そうか、ヴィトン伯爵は昔、第一騎士団長だったね…。随分前の話だし、まさか娘に騎士道を教えるとは思っても見なかった」
「父は自身の驕りから怪我で第一線を退きました。詳しいことは教えてもらえませんでしたけど、その時に守れなかった命があった様です。以来、女性であっても自分の身はできる限り自分で守れと躾けられました。学園でも訓練しましたし、母も弟たちも同様に強いので」
「ふ、夫人もか。それで、エドに勝ってどうしたの?」
「騎士道精神を勉強し直せと言いました」
「ああ、それで。俺の妻はあいつしかいない、とエドは周囲にいいふれ回していたわけだ」
「な!あいつ、そんなことを…!」
今度あったらタダじゃおかないんだから、と憤慨するアンナルチアだったが、クスクス笑うルークを見て、すんと態度を改めた。
「大丈夫。あいつは既に騎士隊から外されたから」
「えっ」
「色々ほざいていたからね。品格を疑われて王宮出入り禁止になったんだ。それでマークス伯が怒って辺境に送り飛ばしたらしい」
「それは……ご愁傷様としか言えませんね」
「……本当に、アニーが変わってなくて嬉しいよ」
そう言うと、ルークはアンナルチアの手を取り跪いた。覗き込み、嘆願する様なルークの視線にアンナルチアの頬がかっと上気する。
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