偶像の叫び声6

「何だ。いったい何が起こってるんだ?」

「火事だ逃げないと」

「駄目だ。こっちに来るな。包丁を振り回してる奴がいる!」


 会社・自宅・商店・道路とそこら中で殺傷事件が起こり、地獄が日本全土に広がっていた。

 抑圧されて苦しんでいた人間の軛をナニカが解き放ったのだ。


 人間の心の中に秘めた苦悩を分かち合って増幅するような奇妙な囁き声が一部の人間達には聞こえていた。ボソボソと加害者の口からも言葉として放たれている。何で何で、と。

 全てが終わった後、この事件を引き起こしたナニカをオカルティストは『囁くもの』と命名した。

 都市伝説やサブカルチャーの一種に過ぎなかったオカルトを真剣に実在のものとして恐れる下地を『囁くもの』は形成するのだが、それはまだ後の話である。


 今は実際に危害を加えてくる人間をどうにかする必要性に迫られていた。


「警察は何してんだ」

「回線がパンクして繋がらない。東京だけじゃないぞ。ネットの掲示板に日本中が似たような事になってると書き込まれてる」


 ショッピングモールの店頭に置かれたテレビに映っていた放送局の生中継を見て通行人の一人が悲鳴を上げた。

 今、カメラの目の前でまた一人、人が殺されたのだ。加害者は犯罪現場を撮影されていても全く気にせずに犯行に及んだ。口からは絶えず「何で」と言葉が放たれ続けている。

 別件の取材をしていたレポーターの悲鳴を最後にテレビは急遽、CMに切り替えられたが、非常事態である事を強調する役目しか果たしはしなかった。

 それを見ていた通行人のとある三人組は顔色を青くしながら話し合う。


「ど、どうしよう。今からマンションに戻るか?」

「やっぱ泊めて貰えば良かったんだよ。わざわざホテルに行かないで」

「だって行方不明者の捜査で、てんてこ舞いなのに邪魔できないだろ。お前だってリラックス出来ないって賛成したくせに」

「そりゃ妖精が見れるつーから楽しみに向かってみれば、あんな事件が起こって次々と問題が発覚してって、少しは休憩タイムが欲しいじゃんか。俺らだってホテルまでの道中はスマホの写真片手に捜査の協力してんだから責められる謂れはないぞ」

「まあな。つーか何でこんな事に……」


 何で。そう連れ合いの言った言葉が加賀見一郎の脳内にこびり付いた。何で。

 どうしてこんな事態になったのか、原因も方法も分かりはしなかったが加賀見にとって問題なのはそこではなかった。


 何でお前は何もしないんだ? そう加賀見一郎の脳内で言葉が木霊する。


 加賀見一郎は普通のオタクだ。超常の力を偶然にも手にしたが、何かに生かすことも出来ずに結局はネットで駄弁っているような普通の人間である。

 或いは早期にアリス姫によって詳細な異能の情報が知れ渡らなければ誘惑に駆られて小さい犯罪行為を行ってしまっていたかもしれないが、死後の待遇を左右する閻魔大王的な人物の前で悪事を働けるような度胸はなかった。これまで通りにネトゲで遊んで、偶にシンクロ率を上げようと怖々とネトゲ内にダイブする小心者な青年に過ぎない。

 そう、とある黒い包帯を纏った男に出会う前は。


 面白がって読んでいたSCPというジョークサイトの世界の人物が現実のものとして目の前に現れた時、加賀見はフィクションの人物が目の前に現れたような奇妙な興奮で胸が一杯になり、気付けば自分から話し掛けていた。自分だけが事態を打開できる核心の情報を持っている。その事実が優越感と危機感と使命感を加賀見に抱かせた。説得があと一歩の所まで成功した時はまるで主人公になったようで心が昂ぶった。

 だが、現実は加賀見の妄想のように甘くはない。包帯男は言葉だけでは納得せず武力行使に移った。加賀見には包帯男がワンダーランドの人間を試していたようにも見えたが確信は持てなかった。本当に殺されたら、そう怖じ気づく加賀見はただ見ている事しか出来ず、本物の主人公のような人間の活躍を傍観する事になった。


 結局、自分はモブキャラに過ぎないんだな。そう加賀見は自嘲してのぼせ上がって調子に乗っていた自分を恥じた。

 役所としては敵キャラの解説をして、その脅威を読者に知らせるナレーターのようなものだ。何時も説明をしてくれる博士役の人間が不在だったが為にたまたま出番をふられただけのモブA。それ以降の回には登場しない一発キャラ。

 それが自分なのだろうと加賀見は思った。誰もが包帯男を撃退した穂村雫を見て、英雄の背中に憧憬の眼差しを送って加賀見を見なかった。

 だから、白髪青眼の少女が加賀見を見て微かに笑ったのが衝撃だったのだ。


『最期に君に情報を託せて良かったよ』


 白岩姫と呼ばれたバーチャルキャラクターは加賀見が居てくれて良かったと、笑顔を浮かべた。

 その後の穂村雫に対して行った非道は流石に加賀見でも擁護する事は出来ない。出来ないが加賀見が白岩姫を嫌う事もなかった。理屈じゃないのだ。

 ただ女の子が笑顔を浮かべて話し相手になってくれただけで舞い上がってしまう。男とはそういう生き物なのだ。


 だから加賀見はディストピアの未来に自分なりに抗おうと決意して、そして。

 一面に広がる血の海に気圧されていた。

 さっきまで普通に通り過ぎていたはずの通行人が淡々と人を刃物で襲い続けている。建物に火を放って笑い転げながら涙を流す人間がいる。

 テレビ越しのフィクションじゃない。歴とした現実のものとして惨劇が繰り広げられていた。


(何で?)


 そう加賀見へと囁く声がする。何でこんな事になったのか。どうして平気でそんな事を出来るのか。


(何で?)


 そして何で自分は何もしようとしないのか。惨劇を止めることも逃げる事もせずに立ったままなのか。疑問に思った加賀見は足を見て震えて立つことすらも出来ないでいる自分に気付いた。何時の間にか座り込んでいる。

 連れの二人も似たような状況で、四つん這いの這々の体で逃げるように後退っていた。


(何で未来を諦めるの?)


 その声に加賀見は、白岩姫の言葉を思い出した。


『そうやって直ぐに動揺する。覚悟が揺らぐ。ボクの一番嫌いなタイプだ』


 加賀見は叫んだ。


「リンクっ!」


 好きな子に蔑まれるのは加賀見にとって死ぬよりも辛い事だった。

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