佐藤江利香の箱庭事件その10

「穂村さん平気?」

「はい、私は大丈夫です」


 倒れたままの穂村さんに駆け寄ると意外と元気そうな声が返ってきた。でも、立ち上がろうとはしないから安静にしておいた方が良いのかもしれない。


「これ白岩姫の写真よ。バーチャルキャラクターは主がいる限り蘇るから破いたりしないでね。復活するわよ」

「そうですか。白岩姫を蘇らせたかったら写真を破ればいいんですね」

「正気なの? アイツはアンタを生き地獄に落とそうとしてたのよ」


 エリの差し出す写真を大事そうに受け取って穂村さんはポツリと言葉を零した。


「『泣いた赤鬼』です」

「え?」

「白岩姫は私の為に悪役として振る舞っていました。ディストピアに抗う為のヒントと称しながら私の事情を明かしていたのも、その一環ですね。私がワンダーランドに馴染めるよう配慮したんでしょう」


 そ、そうだったんだ。完全に素であの対応なんだと思ってた。


「じゃあ生き地獄に落とそうとしてたのもブラフだったの?」

「いえ、それは本気で実行しようとしてましたよ。途中で固有能力に抵抗しなくなったのは江利香さんの覚悟を認めたのと、5つのスロットを使い潰したら抗えないだろうと予測したからですかね。早めに負けてディストピアに対抗する戦力を減らさないようにと気を遣ってくれたんでしょう。あのまま私の殺害に成功して世界滅亡の危機を招く危険人物が減るのであれば、それはそれで良かったのでしょうね」

「えぇ……」


 分かったと思ってた白岩姫と穂村さんのことが、また一気に分からなくなって行くんだけど。何でそんなに平然としてるの。

 引きつった顔をしてる私とエリを見て穂村さんは笑う。


「そういう風にしか生きられないんです。凝り固まった価値観と歪な覚悟、たとえ内心ではどんなに嫌がっていても実行せずにはいられない。私は今でもアリスさんを殺すべきではないのかと悩んでいます」


 そういう女です。そう、穂村さんは笑う。泣いてるようにしか見えない笑顔で。

 何を言いたいのか、ちょっと分かった。友達にするのはお勧めしませんよと遠回しに告げているんだ。

 この人はもう。本当の本当に、不器用ね。


「馬鹿ねアナタ」

「そうよね、本当に」


 白岩姫に拒絶されたショックで立ち上がれないでいる穂村さんに私は手を伸ばした。

 私はワンダーランドに来たこともコティンと友達になったことも後悔なんてしてない。それで命の危機に陥ったのだとしても、それでも。

 だから、この選択も後悔なんてしない。そういう予感がある。


「私は佐藤江利香って言います。この子は私のバーチャルキャラクターの赤衣エリカ」

「はい、知っていますが?」

「アナタの名前を教えてください」

「? 穂村雫です」

「穂村さん。ううん、雫ちゃんが良いかな」


 雫ちゃんの手を握って私は言った。


「私と友達になってください」


 私の言葉に雫ちゃんは目を見開いて驚いた後、変わった人ですねと笑って。


「はい。これから、よろしくお願いします」


 そう答えてくれたのでした。





◇◆◇◆◇◆◇◆





 今度こそ平和裏に終わったのだと弛緩した空気が流れていた。

 次々と続く緊急事態に見学していただけだというのに全身が汗でビッショリと濡れているのが分かる。

 自分は民間人というわけではないのに、この様かと苦笑を隠せなかった。包帯男と実際に戦った佐藤浩介、SCP財団を半ば説得しきってみせた加賀見一郎(かがみいちろう)、戦力差をひっくり返して死傷者を出さなかった穂村雫、勇気と思いやりで友達を救った佐藤江利香。一人として勝てない。


「何か疲れたなマジで……」

「俺らって見学してただけなのにな」


 見学者の二人がぼやくのを聞いて、自分の立ち位置はそこなのだと悟る。

 偶然、居合わせただけの第三者。職務としてはその方が都合が良いだろう。だが、それで本当に良いのか、私は迷っている。


「ディストピアの未来。どうすりゃ回避できるんだ」

「お前、本気で真に受けてんだな。や、俺も信じてるけど、でも俺らに出来る事ってなくね?」

「いや加賀見を俺らと一緒にしちゃいけないだろ。包帯男にも白岩姫にも重要人物扱いされてたじゃんか」

「でもそれって、単にSCPを知ってたからじゃん。何の情報もないディストピアの未来を覆すとか一般人に出来るか?」


 ディストピアの未来。与太話にしか思っていなかった予言があまりにも重い事実として胸のつかえとなっている。

 この情報を公安警察に報告しても対応策が考えられることはないだろう。異能を本物と認めているワンダーランドでさえ眉唾物に見られていたのだ。


「そうかもしれないけど。俺、俺は白岩姫に情報を託されて。君がいて良かったって……」

「泣いてるじゃんか。まさかお前、白岩姫のこと好きに?」

「よくまあ、あんな女に好意を持てるな」


 白岩姫は一見、極悪非道のサイコ女に見えるが世界滅亡の阻止に成功した影のMVPだ。その行動は一貫して世界の為に捧げられている。

 私達にディストピアの未来を信じさせることに成功した事を考慮に入れれば、彼女こそがヒーローだったと言っても良い。己の身を顧(かえり)みない自己犠牲の精神も併せ持っている。なるほど、穂村雫にうりふたつだ。


 その在り方は公安警察として日本の為に働く私には否定できない輝きがある。

 彼女の献身を私は否定しない。この情報を腐らせてはならないんだ。


「皆さん、良いでしょうか!」


 全てが終わって、バーチャルトラベルで現実世界に帰ろうという時に私は声を張り上げた。

 今、ここで言うべきだ。何処に聞き耳があるか分からない現実ではなく、一種の隔離地帯となっているここならば情報を遮断できる。


「私、鈴原天音は公安警察のスパイです。今までずっと皆さんの行動を見張っていました!」


 思い掛けない告白にザワっと周囲が騒がしくなる。

 もう取り返しはつかない。もう引き返すつもりもない。


「公安警察はオカルトを懐疑的な目で見ており異能を本物だと認識はしていません。皆さんはカルト組織の構成員として危険視されています!」

「おい、マジか」

「俺らも? 単にネトゲのギルドに所属してるだけで?」

「そうです。秘密裏に隠しカメラや盗聴器で観察されている可能性があります!」


 怖じ気づくな。組織の庇護を期待するな。

 私が、ディストピアに抗うのだ。


「異能を本気で信じた公安警察は私とアリス姫の実家に潜り込んだスパイの二人だけでしょう! そして異能の情報を最も詳しく知っているのは私です!」

「何が言いたいのです?」


 穂村さんの誰何に深呼吸をして、私は答えた。


「私にはディストピアの未来に到る理由に心当たりがあります!」


 未来予知の情報がなかったのなら些細なことだと見逃していた情報が私の脳裏には浮かんでいた。


「皆さんには捜査に協力をっ。いえ、違いますね」


 そう。江利香さんに教わったのだ。ここで言う台詞はこうだ。


「私も皆さんの仲間に入れてくれませんか」

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