5話
二人して酷い二日酔いで翌日は仕事を休んだ。
一日中のんびり過ごして、その次の日はとうとう試験の日。
彰が来るのを待つ間、永久は水を飲んでいた。試験に集中するために、今日は朝から一度もお茶を飲んでいない。
「永久、大丈夫?」
「昨日はしっかり休んだし、もう二日酔いは治ったよ」
「そうじゃなくて……その、緊張とか、しないの?」
「緊張? よくわからないけど、僕はいつもと変わらないよ」
永久は普段通りだ。案外図太いのかもしれない。命の方が緊張してしまい、思わず拭く必要もないのに、コップを何度も拭いてしまう。
「それより……なんでいるの? 爺さん」
永久がじろりと睨んだ先には榊がいた。榊はニヤリと笑って見せる。
「試験とやら、なんだか面白いことになりそうでね。見物しにきたよ」
「見せ物じゃない」
「榊先生……あまりからかわないでください」
「狐の緊張をほぐしてやろうかと思ってねぇ」
「僕は緊張してないよ」
普段通りに二人が睨み合っているのを見ると、確かに永久の緊張を和らげる効果があるのかもしれない。
約束の時間の少し前に、彰はやってきた。
彰が店に入ってくると、真正面で永久が出迎える。その真っ直ぐな眼差しは挑戦的だった。
永久の顔を見て、彰はニヤリと笑う。
「ずいぶんやる気がある顔をしてるな」
「やる気があるのは当然じゃないかな?」
「肝が座ってるな。……そちらは?」
榊の存在に気づいた彰が少し戸惑ったようだが、「見学に来た」と告げると、不思議そうな顔をしながら彰は了承した。
「命、厨房を借りるぞ。すぐに茶を淹れる」
「は、はい」
彰が厨房の中に入り、永久がカウンター席に座った。榊は離れたテーブル席でカウンター席を眺めている。
命は永久の横に座って二人の顔を交互に見る。余計なことを言わないように黙って見守るしかない。
初めて入る厨房なのに、ささっと器具を確認すると、彰はすぐにお茶を淹れ始める。自分の店以外の場所でもお茶を淹れるのに慣れているからだろう。迷いのない手つきであっという間に三つの茶が入った。
ポットからカップに注いで、永久と命の前に並べる。
「私も飲んでいいの?」
「飲むだけで、口は挟むなよ」
命が頷いて、チラリと永久をみる。永久は三つの茶を真剣に見つめていた。色や香りから見定めようとしているのかもしれない。
永久が一番右のお茶を手に取ったので、命も同じ茶を口にする。色や香りからもわかりやすかったが、飲んだらすぐにわかった。これはダージリンのオータムナル・秋摘みだ。美味しいが高くはない。
永久は表情一つ変えずにカップを置いて、合間に水を飲んだ。口の中をリセットしたのだろう。
続いて二つ目に手を伸ばす。命はとても嫌な予感がしていた。残りはどちらも色が薄い。たぶんダージリンだろう。
これがファーストとセカンドなら、違いが分かりづらいものを選んだのかもしれない。
命は一口飲んで、思わず声に出しそうになって堪えた。
軽さ、清涼な香り、淡い色味、ファースト・春摘みっぽく感じるが、わずかに感じる深み。たぶんこれはセカンド・夏摘みだ。
三つ目を飲むと、嫌な予感が的中したことがわかった。こちらは逆に、夏摘みっぽく感じるが春摘みだ。違いが分かりにくいし、何より価格となると、どちらが高いのか、命にもわからない。
永久の様子を伺うが、真顔でどんな感情を抱いているのかわからない。
「どれが高いと思う」
「これかこれ。どっちかはわからない」
そう言って二つ目と三つ目のお茶を指差した。永久の答えは間違っていない。ただ高いお茶がどれか当てられていないということでもある。
命は試験失格なのかと目を瞑ると、彰の声が聞こえた。
「じゃあ、どれが一番好きだ?」
事前の約束にない質問に驚く命とは対照的に、永久は迷うことなく答える。
「それはこれ」
命が目を開けて永久の指先を辿ると、最初の一つ目オータムナル・秋摘みがあった。
チラリと彰の様子を伺うと面白そうに笑っていた。
「どうしてそれが好きなんだ?」
「だーじりんの香りは凄い良いと思う。みんなが好きだっていうのもわかる。でも僕は落ち着いたお茶が好きなんだ。これが一番ほっとする」
そう言った時、永久は柔らかく微笑んでいた。それからもう一度オータムナルを飲んで、ニコニコする。
その様子を見ていた彰は、豪快に笑ってパンっと手を打った。
「合格だ。良い店員に恵まれたな。命」
「やったー、合格だ!」
永久が嬉しそうにはしゃぐ隣で、命は困惑したような表情を浮かべる。榊が彰に問いかけた。
「どれが高い茶か、当ててないのに合格なのかい?」
「そう、それ!」
榊に同意するように命が頷くと、彰は堂々とした笑顔で答える。
「俺は『どれが一番高い紅茶か答えてもらう』とは言ったが、『当ててもらう』とは言ってないが? そもそも当てられるわけがないお茶を選んでる」
「それはそうよね……」
ダージリンを持ってくるという命の推測は正しかったが、飲んでみたら当てさせる気がないと思えた。
「命が三種類のダージリンの違いを教えるだろうし、だいたいの違いが把握できてれば上等。それよりも大事なのは、どれが好きなお茶かの方だ」
彰は苦笑しながら解説した。
世の中には他人の基準でしか測れない人もいる。
自分の好き嫌い、美味い美味くないがわからず、『値段が高いから美味い』、『人気があるから美味い』と他者の評価を鵜呑みにする。
「客で飲んでるだけならそれでもいいが、店の店員としてそれは失格だ」
「だったら最初からそう言ってくれればいいのに」
命が不満を漏らすと、彰は腕を組んで首を横に振った。
「最初から意図を知っていたら、いくらでも嘘をつけるだろう。高いお茶を当てようと一生懸命な中で、好きな茶に嘘はつけない」
「はー。なるほどねぇ。まあ、確かに美味しいって感覚は主観的だから、己の軸がなきゃぶれるってことかい。その三種類のお茶、あたしも飲み比べしてもいいかい?」
榊が感心したように唸った後にリクエストすると、彰は手早く淹れなおして榊の前に並べた。
榊は一つづつ味わって、感心したように頷いた。
「全然わからねぇな。狐、案外凄いじゃないか」
「案外は余計だよ」
永久が睨むと、榊が笑う。いつも通りの二人を眺めていたら、命の隣に彰が立った。穏やかな笑顔を浮かべて話しかけてくる。
「葛城さんも『自分の好きを大切にするんだ』って言ってただろ?」
「そうだったわね」
「あやかしにも人間と同じ味覚があるとはな」
穏やかに永久を見る彰の姿が、あの頃の父の姿と重なる。
茶の味がわかる。値段をつけられる。淹れ方が美味い。知識がある。それはどれも茶商に必要な能力だろう。
けれど命の記憶の中の父は、何よりお茶が好きだった。お茶が好きだから、語り出したら止まらない。誰よりもお茶を愛している。
「好きなお茶の軸があれば、知識も技術も後から身につけられる。迷わず即答できるあたり、良い舌を持ってるな」
彰に褒められた永久はにこりと笑った。
「合格したから、ご褒美が欲しいな」
「ご褒美……? いつものプリンなら冷蔵庫にあるけど」
「それは命さんからのご褒美でしょう? 僕はこの人からご褒美が欲しいんだ」
「俺から?」
彰が戸惑うように永久を見ると、金色の瞳で真っ直ぐに彰を見る。
「僕の質問に答えてほしい。……命さんのいないところで」
そう言って縁側席の方を指差した。永久の真剣さを受け止めたのか、彰は頷いた。
「一対一で話したいってことか? 俺は構わないが……」
命は嫌な予感がした。永久は彰に嫉妬してると言っていた。危害を加えないか心配だ。
「ちょっと待って! 永久……燃やしたりしない?」
「燃やす?」
物騒な言葉を聞いて、彰はギョッとした顔をする。永久は首を横に振る。
「命さんと約束したから、人は燃やさないよ」
「でも、私がいないところで何をするのか、心配ね……」
そう言いながら命は店内を見回し、榊に視線を向ける。榊に向かって両手を合わせて頭を下げた。
「榊先生。二人についててもらえませんか?」
「何でも押し付けて……まったく。まあ今回は面白がって見にきたあたしが悪いからいいけどねぇ。狐。それでいいかい?」
「うん。爺さんがついてくるのはいいよ」
永久と彰と榊が縁側席に向かう後ろ姿を、命は一人見守った。
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