奥多摩古民家茶カフェあかしや〜座敷狐とおもてなし〜
斉凛
一章 春に古民家カフェ始めました
プロローグ
「ほら。このグラスをお日様の光に当てるとだな……」
「うわ……色が違う」
平屋の日本家屋の縁側で、父と娘が並んで座っていた。父の持つ二つのガラスのコップを娘はじっと見る。
ルビーのように赤い液体と、オレンジ色の液体が入っていた。液体なのに、まるで宝石のようにきらきらと輝く。その美しさに幼い少女は魅了されていた。
少女の名は
「どうして色が違うの? どっちも紅茶でしょう?」
「これは取れた土地が違うんだ。赤いのがウヴァ。オレンジがキャンディ」
「キャンディ? 飴のように甘いの?」
「そのキャンディじゃないよ。地名なんだ。スリランカっていう国に、ウヴァとキャンディって街があってな」
「ふーん。街の名前なんだ。スリランカって、お父さんがこの前お仕事で行ってきた国だよね?」
命の父は紅茶を売る仕事をしている。茶葉の買い付けのために海外に行き、一週間くらい会えなくなるのが寂しいから、ちょっと紅茶にやきもちを焼いたこともある。
「飲んでごらん」
赤い紅茶を口にすると、すーっとミントのような香りがして、それがあまりに強烈で命は目をまん丸にしてしまった。
「……なに、これ。紅茶ってこんな匂いがするの? お茶以外にも、何か入ってる?」
「いいや。お茶の木から取った葉っぱだけで作ってるんだ。ウヴァの一番良い季節にしか取れないお茶さ」
「ふーん。そっちは違うの?」
あまりに強烈な香りにびっくりしてしまったが、好奇心がむくむくと湧き上がり、オレンジ色の紅茶を手に取った。
おそるおそる、ちびっと飲むと、紅茶らしい香りにほっと一安心する。
「普通の紅茶……の、もっともっと美味しいのって感じ? 私はこっちのほうがいいな」
「そうか、みこはキャンディの方が好きか。そういう自分の『好き』を大切にするんだぞ。人はみんな違う『好き』を持ってるんだ」
命を「みこ」と呼ぶのは父だけで、その優しい響きが命は大好きだった。
「そのウヴァが好きな人もいるの?」
「ああ。嫌いな人も多いが、好きな人はとことんはまる。そんなお茶さ」
紅茶について語る時、目をキラキラ輝かせる父の顔は何より楽しげで、命はそれを見るのが大好きだった。
紅茶について、スリランカについて、色々聞いているうちに、段々と日が落ちて夕暮れに近づいていく。
「……」
話の途中で急に父の顔がこわばり、庭の一点をじっと見つめる。命は父の視線の先を辿ってみるが、そこには何もない。
「お父さん。どうしたの?」
「……いや、……そうだな」
言葉を濁す父の姿に、命の心はざわざわとした。何かを隠している。そう感じることは何度もあった。
聞いてもいつもはぐらかされてしまう。今日こそはと、父の胸に抱きついて、その目をじっと見上げて聞いた。
「お父さんは、何を隠しているの?」
父の視線はさまよい、何度もためらい。そしてやっと口を開いた。
「まいっか。あのな、夕方のことを、黄昏時という。『
「たれそかれ……」
「黄昏時にはな、あやかしが出るんだ」
「……あやかし」
「ああ。お父さんはな。ちょっとだけ、そのあやかしが見えてしまうんだよ」
「へえ……私も見てみたいな」
「あやかしは怖いんだぞ、みこをさらってしまうかもしれない。マヨヒガという家に連れてかれて、帰ってこなくなるのを『神隠し』っていうんだ」
大好きな父のいうことだから、命はすぐに信じて、そして震えた。よく解らない化物にさらわれてしまう。考えただけで恐ろしくて、ぎゅっと父にしがみつく。
「お父さんは、あやかしが見えるなら……もし、私がさらわれたら、取り返してくれる?」
「ああ。もちろん。みこがどこにいても、必ず探しに行ってやるからな」
「本当に!? 約束だよ。ゆびきりげんまん……」
「うそついたらはりせんぼん……」
夕暮れに染まる縁側で、父と娘が指切りをする。そんな微笑ましい時間を過ごした翌日。
――命の父はこつぜんといなくなった。
失踪、蒸発、誘拐、事故。大人達が大騒ぎする声は命の耳には届かない。
どれだけ待っても帰ってこない父を想い、命はひとり震えながら考えた。
「お父さんは『神隠し』にあったんだ」
――あやかしが見えてしまったから。さらわれた。
ならば、いつの日か、自分が父を探しに行かなければ。そう幼心に誓って、けれどそれが叶うことはなかった。
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