第56話 殻付きの牡蠣


 「面白いね。大野君のお母さん」


 「よう喋るだけよ。じゃけんいらん事まで喋るんじゃ」


 「あはは、映画館で号泣した話とか?」


 「お陰でぶち恥ずい思いしたわ……」


 海のよく見える堤防の上に座り、大野君と私は休憩を取っている。

 大野君のお母さん、佳代さんは彼の言う通り、本当によく喋る人で、私と大野君の関係をしつこく聞いて来たり、聞いてもいないのに私に大野君の子供の頃の恥ずかしい昔話などをしてくれた。


 「でも、退屈はしないんじゃない?」


 「そりゃあ、そうじゃけど限度っちゅうもんがあるじゃろうに。あれを毎日じゃこっちは疲れるで」


 確かに、常時あのテンションで接せられたら、気疲れはするだろうが、何も喋らないよりかは全然良い。

 佳代さんに何度も何度も話しかけられたが、不思議と嫌悪感は無かった。

 言うなれば、由美ちゃんがそのまま大人になった感じ、と言えば良いだろうか?


 「お父さんの方はあんまり喋んなかったね?」


 「親父はあんま喋らんけえな。あんな全く逆の夫婦も珍しいわ」


 対して、大野君のお父さん。克也かつやさんはあまり喋る人では無く、ずっと下を向いて牡蠣を黙々と焼いていたので少し怖い印象もあった。

 だが、所々で『暑うない?』とか、私が初めての接客であたふたしている時も、『焦らんでええよ』とか、要所で安心できる言葉を掛けて貰った。

 そんな優しさは大野君に似ているところがあって、そういうところは、やっぱりこの2人は親子なんだなと思った。


 「でも、やっぱり大野君はこの人の子なんだなあって思ったよ」


 「……どう言う意味なん?それ」


 「褒め言葉ですー」


 2人とも優しかった。まだたった半日だけの付き合いで、大野君の両親の事は殆ど知らない。しかし、一つの確信が自分の中にあった。


 あの2人の間で育ったからこそ、私は大野蓮と言う男の子に惹かれたのだと。



 「はいお二人さん!牡蠣焼けたよー!!」



 すると、佳代さんが皿に乗った牡蠣を持って近づいて来た。どうやらまかないでくれるらしい。

 

 「良いんですか?ありがとうございます!」


 牡蠣は殻付きで、顔を近づけると独特の磯の香りがした。

 でも、この状態でどうやって食べるのだろうか?


 「はい、これヘラね。中の汁で火傷せんよう気い付けぇよ?」


 すると、もんじゃ焼き用の小さめのヘラを、佳代さんは渡して来た。

 これを使ってどうするんだろうか?

 私は牡蠣の殻の周りをよく観察してみるが、殻は歪な形をしていて、どこをどう言う風にすれば開くのか、全く検討も付かなかった。


 「分かっとるって。……おおう、当たりじゃ。身が大きい」


 ふと、大野君の方を見てみると、もう殻は開いていて、中には美味しそうな牡蠣が姿を現していた。

 ……しまった。よく開け方を観察しておくべきだった。


 「醤油ある?」


 「もちろん、アンタ醤油派じゃろうに」


 すると佳代さんは一緒に持って来た醤油瓶を大野君に渡し、殻が開いて露わになった牡蠣にそのまま醤油を掛ける。

 中の汁と醤油が混ざったそれは、牡蠣本来の磯の香りと醤油の香りが相乗効果を発揮して、どうしようもなく食欲をそそる。

 大野君は慣れた手つきでヘラを使って殻から身を出し、それを一口で食べた。


 「あふっ。……おおー、やっぱ美味いのう」


 ……本当に美味そうだ。殻付きの牡蠣なんて東京向こうでは食べたことが無い。カキフライは食べたこともあるが、こうやって殻付きの牡蠣を大野君が頬張っているのを見ると、どうしたって涎が出そうになってしまう。


 「東條さんも早よ食べんさい。冷めると味が落ちるで?」


 「え!?あ、う、うん!!」


 大野君にそう言われて、私は慌ててヘラを手に取る。

 仕方がない。ぶっつけ本番だ。適当に殻にヘラを刺しておけばその内開くだろう。

 しかし、そんな安易な発想で、この直後に大恥をかく事になろうとは、想像もしていなかった。


 「おりゃ!!」


 私は殻の真上から、剣を突き刺すかの様にヘラをブッ刺そうとしたのだ。


 「「……え?」」


 ヘラは殻に突き刺さる訳もなく、その光景を見ていた佳代さんと大野君に信じられないものを見る様な顔を向けられる。

 あれ?このやり方じゃ無かったのかな?


 「「……っぷ」」


 少しの沈黙で間が空いた後、吹き出す様な声を2人が同時に上げた。


 「あーっははははは!!!何しよんね!京香ちゃん!!」


 手を叩きながら大笑いしたのは佳代さんだった。

 え?私は今何か可笑しな事でもしたのだろうか?


 「と、東條さん、……っぶふっ、殻の開け方……っふ!分からんの?」


 対して大野君は震え声で、必死に笑いを堪えている様だった。

 ……正直そんな反応をされる方が心に来る。佳代さんみたいにゲラゲラ笑われる方が何倍もましだ。


 「んふふふっ!!……もー、しゃーないねえ。開け方教えちゃるけん、お皿こっち寄越しんさい」


 私は、無言でまだ殻の開いていない牡蠣の皿とヘラを大野君に渡す。

 羞恥心で顔は真っ赤になっているのが分かった。


 「あんなあ、ここら辺に層みたいんがあるじゃろ?そこにヘラの先っちょをねじ込む様に入れるんよ______」


 その後、大野君による牡蠣の殻の開け方の実演を見て、さらに顔が真っ赤に染まる私だった。


 

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