渡し船の上の恋

浅井誠

第一章

第1話 瀬戸内の渡し船

 

 僕こと、大野蓮おおのれんは島の人間だ。


 時期は6月。広島県は瀬戸内海。くれ市の南の方に倉橋島くらはしじまという島がある。


 何もかもが瀬戸内海の穏やかな気候にほだされた様なこの島には、まるでタイムスリップをしたかの様な古い建物が並んでいる。


 何でもここは古くからの街であるらしく、瓦の屋根に白塗りの土壁と言う、前時代的な建物が多い。

 その建物達は潮風にやられたのか、白い壁が所々剥がれて、茶色の土が剥き出しになっていたり、それを補修したであろうトタンの壁も錆び付いている様子だ。そんな建物達が海沿い通りに沿ってズラッと並んでいるので、何処か退廃的な感情も湧いてくる。


 海の方を見やると、波はいつも穏やかで、さあさあと静かに揺れている。

 高い波もあまり来ない為か、海岸のきわに沿って道路は敷かれており、海と道路を隔てる堤防も、腰の高さほどしか無い。

 その心許ない堤防の先には、名前が曖昧な島々が海上に幾つも点在している。


 貨物船や旅客船、漁船などの様々な船は、その名前も知らない島々へと進んでいるのが見える。


 僕が生きてきた17年間、ずっと変わらない、倉橋島この島特有の景色だ。


 気候は穏やかで、冬は暖かく、夏はうんざりするほど暑い。


 6月のこの時期は、ツツジの花が咲く名所があり、観光客もよく訪れる。


 そんな景色達は油断をしていると、2時間も3時間も勝手に時間が過ぎる。

 


 何もかもがゆったりと流れる時間。潮の香りと、静かな波の音と、代わり映えしない景色。


 そんな島に、僕は住んでいる。




 「おじさん!!遅刻しそうじゃ!!はよお出してくれ!!」


 そんな島に住む僕だが、今現在、かなり焦っている。理由は単純で、高校の授業に遅刻しそうだからだ。


 僕は島から本土の呉の市街地にある高校に通っている。

  倉橋島は島といっても本土から離れている訳ではなく、島と本土を繋ぐ"音戸大橋おんどおおはし"と言う橋を掛けられるほどには近い。


 本土へと渡るには、この音戸大橋を渡るか、渡し船を使うかの2択になり、僕は渡し船を毎日利用している。


 小型のエンジンを積んだ、数人乗れる程度の、小さな船だ。


 わざわざ船を利用するより橋を使えば良いのではないかと思うかもしれないが、この島側の音戸おんど町と本土側の警固屋けごや町は海峡が100メートル程の幅しかない。橋の方は歩道が設置されておらず、不便かつ危険なので、徒歩や自転車などで本土に用がある人は、この小さな古い渡し船を使うことが多いのだ。


 「あー、もー!!遅刻するって!!!」


 意味もなく自分の自転車のベルを鳴らして、早く渡し船を出してくれと、船頭さんを煽る。


 「他の船が通っとろうが、まだ出せんわ」


 しかし一蹴された。もう乗船して後は出発するだけなのだが、中々出してくれない。これが僕が遅刻しそうな理由だ。


 問題はここの地形にある。


 "音戸おんど瀬戸せと"と言われるここは、100メートル幅のこの狭い海峡に、呉や、広島市内などの内湾へと向かう大型船がひっきりなしに通るのだ。


 それを横切る様に通るこの渡し船は、タイミングが悪いとかなり待たされる。


 正に今の僕の様な状況だ。


 「おーし、出発するでー」


 「おっそいよ!!!」


 船に乗ってから5分くらい経っただろうか?のんびりとした声でそう言って、船頭さんは舵を取って船を出す。


 安っぽいエンジン音と共に、それはゆっくりと動き出した。


 赤く塗られた、本土と島に掛かる音戸大橋を右手に見ながら、船はトコトコと、ゆっくりゆっくりと、波を掻き分けながら進む。

 その光景は急いでいる筈なのに、何故だか僕の焦る心を鎮めてくれる。


 乗船時間、およそ3分。自転車を乗せた料金、片道150円。


 毎日使うこの小さな渡し船で、僕の恋が始まろうとしていた。




 

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