イロイロあるんです:「ストップ‼ ひばりくん!」。そして、パタリロ
(読む前に、「ストップ‼ ひばりくん!」の歌詞を確認していただけると、話の理解が進むと思います)
1983年に放映された「ストップ‼ ひばりくん!」。その同名の主題歌の歌詞を今読むと、強い「現代性」を感じる。いわゆる「男の娘」が、恋する男子に語りかけるラブソングである。
この歌を40年前の人たちはどのように受け止めたのだろうか。興味がある。
私は同性愛に対する偏見がないと自覚はしている。ただ、この手の話でありがちなように、たとえば、身内に同性愛者が現れた場合、冷静に対応できるかについては自信がない。なお、女装する男性に対する偏見はまったくない。好きにすればいいし、それくらいのことでごちゃごちゃ言うやつはおかしい。令和の時代にふさわしくない。
私は閉鎖的な田舎の生まれであり、ともすれば、同性愛に対して否定的になりがちな環境で育った。おそらく、私の祖父や父は、同性愛に対して否定的であろう。同級生もそうかもしれない。
私がそういうものから自由でありえた理由は大きくふたつある。
一つ目は、別の理由で私もマイノリティーとして幼年期、少年期を過ごさざるをえなかったからだ。
二つ目は、魔夜峰央さんのパタリロの影響が大きい。
私は小学生のころからパタリロが好きで、文庫本のコミックスを買い集めていた。
パタリロは同性愛がテーマのひとつの作品である。それが目当てで読んでいたわけではないが、私はすんなりと同性愛を受け入れた。その理由は不明だが、思春期が本番になる前から触れていたためだろうか。
同性愛に対する理解・無理解というのは、生まれ育った環境が大きく作用しているように思う。私の場合は、パタリロのおかげで同性愛に対する抵抗感が生まれる前に、それを受け入れる体勢が整っていたのだろう。
人はいろいろだ。それぞれだ。同性を愛するのもその人の自由である。
広く知られていることだが、江戸時代までの日本は、同性愛に寛容であった。しかし、その後の、同性愛が国力・国益を損なうという明治政府(当時の西洋文明)が育てた、歪んだ妄想はまだ生きている。
同性愛は国力の増減とも、少子化とも関係がない。
しかし、私は思うのだ。たとえ、それらに関係していたとしても、それで国が滅ぶのならば、それでよいではないかと。人の尊厳を踏みにじってまで、国家が存続する必要はない。
私は保守主義者だ。世の中はすこしづつしかよくならないと考えている。
同性愛に対する社会の動きも、すこしづつ改善していくしかないと思っている。急激な変革は大きな反動を生むだけ、というのが私の信念だ。また、そういう変革期に犠牲になる人の大半は、弱い立場の人たちである。
同性愛への理解はかならず、よい方向へ進んでいくと確信している。しかし、大きな軋轢を生みながらではなく、当事者からすればまだるっこしいだろうが、徐々に改善する道を歩むのがベターなように思う、私個人は。ほかの意見を否定はしないし、法律や慣例に反しない限り、好きに行動をすればよいとは思うが、急進的な動きに私が同調することはない。
歴史上、いろいろな出来事があった。その中で我々が得た真理と思えるもののひとつは、世の中は徐々にしかよくならない、ということだ。いままでも、これからも。
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