98α

 研究所と呼ばれる建物は、防衛省の中にひっそりと佇んでいた。大きくもなく、目立たない場所にあった。ところが、来訪を告げ通されたエレベーターに乗ったとき、たくさんの押しボタンに驚いた。建物は小さいが、地下には何十階もの階層があった。地下三十二階、エレベーターを降りると、そこは燦々と明かりが灯り、たくさんの人がいる巨大なスペースの部屋があった。


「どうぞ、こちらへ」と案内に通され、広い部屋を横切り、多くの部屋が並んだ小部屋に辿り着いた。

「こちらでお待ちください」そう言うと案内役の人物は、丁寧に頭を下げて部屋を出ていった。部屋の中には目立つ調度品はなく、ソファーとテーブル、そして小さなキャビネットが置かれていただけだった。ただ、一面の壁には似つかわしくない大きさの鏡が取り付けられていた。それが監視用のマジックミラーだとは誰でも気が付くだろう。


「おまたせしました。東野です」ほどなくしてやってきた人物は、丁寧に名乗ったが、研究者とは呼べなうような高級そうなスーツと身にまとっていた。

「君が浅田さんかな?」キャビネットの前に佇む浅田さんに、東野が尋ねた。

「はい」

「手紙をありがとう。そして、竹下さん一家ですね?」

「はい。家内と娘です」とパパは私たちを紹介した。

「どうぞみなさん、お座りください」と東野は落ち着きなく歩き回る私たちにソファーを勧めた。そして

「不安で一杯でしょうから、単刀直入に申し上げます」と真剣な顔で語った。

「お願いします」パパも真剣な顔で対峙した。

「皆さんの経験したことは、稀ですが他にも存在しています」

「というのは?」

「今回、村ごとと言うことで、更に珍しいのですが、次元を渡ってしまった例はいくつもあります」

「同じ経験をされている方がいるのですか?」

「はい、別世界を垣間見たり、渡ってしまった例はあるのです。大抵は数分、長くても数時間で元に戻るのですが、今回は違うようですね」

「はい、かれこれ半年近くになります」

「そうなると、意図的としか言えません」

「え?誰かの仕業だということですか?」

「そう言うことです」東野は淡々と答えた。私達が言葉に詰まっていると、

「これを見てください」と東野は数枚の用紙を差し出した。

「その三ページ目、98αと言うのが、あなたたちの住む世界です」

「なんだって?」事態を把握できずに、パパは叫んだ。

「現在分かっているだけで、約700の世界が確認されています。その中で、あなた方の住む世界は、この世界とも近いα系に分類され、98個目に発見された世界です。ちなみに、今居るこの世界は87αで、発見された時期も皆さんの世界とそれほど違いはありません」

「近いとはどういうことですか?」

「そうですね、分岐点が最近だと言えばお分かりいただけますか?」

「そういう意味の、近いってことですね」東野の説明を聞く限りでは、まだ、私が作り出した世界との可能性は捨て切れずにいた。

「ただ、分岐された時期が近いと言うだけで、どちらが先に出来た世界か、分岐した時はいつなのかということは、いまだに解明されていません。そして中でもこの、Σ系の世界は、最も昔に分離した世界で、ここや皆さんの住む世界とは全く違います」東野はそう言って開かれたページの一か所を指さした。

「全く違う?」

「例えば、人類の存在しない世界。と言えばわかりますか?」

「そんな世界が存在するんですか?」

「極端に言えば存在します。しかし逆に言えば、我々の想像をはるかに超えた文明を持つ世界も、このΣ系には含まれます」

「あなたたちは、これだけの世界をどうやって見つけたのですか?」

「もちろん、私たちの技術では無理ですが、こういった進んだ文明から情報は得ています」

「と言うことは、そういった文明と交流していると?」

「はい。この世界の文明を破壊しない程度の交流はしています」東野とパパの遣り取りを聞きながらも、東野の言うことは理解できた。

仮に、高度な文明を持つ世界から超高度な技術を得てしまったら、それこそ戦争の火種にさえなりうるのだ。それにしても、ここまで多くの世界があり、しっかりと分類されていることにも驚きを隠せなかった。


「先ほど、意図的だとおっしゃいましたが」

「ここまで長期的になると、完全に移行した可能性が高いのです。しかも、広範囲に及んでいるとなると、人為的な可能性も更に高まります。一般的な今までの例から考えますと、誰かが世界を跨いでしまっても、それを拒否するかのように自然と世界から弾き出されていました。それが今回は行われていない」東野の話は、異世界を垣間見た浅田さんの過去を思いださせた。

「何故ですか?」

「入れ替わりが起きていますよね?普通ではあり得ないことなのです」東野は、あちらの世界に行ってしまった、村やそこの住人の事を言っているのだ。

「では誰が?」

「それだけの技術を持つ文明は僅かですが、確かに存在します。私達にはわかりかねますが、何らかの理由があったのではないかと」

「それで、帰れるのですか?」

「そこはまだわかりません。今はまだ、元の世界と通信などは繋がっていますよね?」

「はい。村では元の世界の情報が得られます」私はすぐにその問いに答えた。

「となれば、元に戻れる可能性は高いと思われます。ただ、あくまでも可能性だとしか言えません」

「どういうこと?」私が尋ねると、

「それは、進んだ文明の態度次第と言うことです。しかも、意図的に行われているとしたら、当然のこと、元に戻る理由もなくてはならないからです」

「態度とはなんですか?」

「仮にあなた方を帰して、その世界に不自然な異変が起きてしまうと困るからです。それらは別次元を作り出す要因にもなりうるのです。彼らは、多すぎる別次元を少なくしたいと考えています。あなた方を帰したことで、新たな世界が発生するとなれば、なおのこと容認しないでしょう」

「では、私たちが帰っても、何も問題がないと分かれば、帰る方法を教えてくれると言うことですね」

「そうなることを願うばかりです。おそらく、遠くないうちに調査の人員が伺うと思いますが、後は、あなた方次第です」要は、騒ぎ立てるなと東野は言っているのだろう。どういった意思により意図的に起こしたとしても、何らかの理由はあるはずだ。だからそれまでは騒ぎ立てるなということらしい。

私達の世界は当然の事、この世界でも新しい世界の発生を起こしてはならないと言っているのだ。その証拠に東野の眼は、黙って聞いている浅田さんにも向けられていた。それ以上に、私は東野の言葉を聞きながら恐怖に凍り付いていた。


これだけの世界があると言うことは、これだけの自分が存在しているかも知れないと言うことだ。その全てが、あちらに渡った私のように、出来た人間とは限らない。

下手をすれば悪人や飢えた生活を送ってるかもしれない。不治の病に侵されてるかもしれない。東野が言ったように存在さえしていないかもしれない。その立場に立った時の自分の感情を考えると、心底恐ろしくなった。


「最後に、何故、こんなたくさんの世界が存在するんですか?」パパはゆっくりと尋ねた。

「それは、私達よりも、はるかに進んだ文明の人間に聞くべきでしょう」と東野は言ったが、その眼は悲しさを漂わせていた。彼ら東野達には、それらに関与する技術はない、或いは知識がないと言っているように見えた。この件に対しては。あくまでも情報を貰い受けるだけの第三者なのだろう。それ故に、勝手に私たちに危害を加えることもできなのだと推測された。

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