第3章 絆 17話 「黒虎スワルトゥル」
少しやり過ぎたかもしれない。
上体だけを起こしたマルガレーテは、呆然自失といった感じだ。
だが、初見で感じた剣呑さは消えている。
大して彼女のことを理解できているわけではないが、印象としては孤高の天才が歪な枠にはまってしまっているように感じていた。
ルイーズから聞いた人物像や背景、それにあの冷たい微笑。
彼女からは悪意を感じられなかった。だが、どこか上から物を見るような高慢な雰囲気は隠しきれていなかった。
才や権力のあるものが陥る傲慢さとでも言えば良いのか、人を信じきれず、自己の力のみに頼ってきた結果なのかもしれない。
「!?」
突如、大きな気配を感じた。
急に空気が重たくなる感覚。首筋の辺りがひりひりとして、まるで何かの到来を告げる警笛のようだった。
マルガレーテの背後にある空間がぶれる。
「貴様···我の大事なマルガレーテになんたる仕打ちを···簡単には殺さぬぞ!」
重い、のしかかるような低音が響いた。
異様な気配が突然マルガレーテの後方から押し迫り、やがて艶やかな黒に灰色の模様が入った巨獣が出現した。
圧倒的な存在感を放つそれは、体長7~8メートルはあろうかという黒い虎。
実在するもので言えば、ホワイトタイガーの色調を反転させたと言えばわかりやすいかもしれない。
しかし、猛獣と言うよりも、もっと神々しく、荒ぶる神と形容しても良いものがあった。
「四方の守護者の一角···黒虎のスワルトゥルか···。」
なぜ、それがこの場に出てきたのか。普通では考えられない事象である。
「貴様···我が目的か?」
低く唸るような声だ。威嚇されているような感覚に陥ってくる。
「まさか。こんなところに出てくるなんて、想定外すぎる。」
ギョロっと、こちらをにらんでくるスワルトゥル。
「加護を与えたマルガレーテの身を案じて出てきたのかも知れないが、過保護過ぎやしないか?」
さらに目に凄みが増していくが、こいつと闘う気などさらさらない。
いや、まともに闘って勝てるとは思えなかった。
「ずいぶんと達観しているものだ。何を企んでいる?」
対話を始めたスワルトゥルを見て、俺は内心でほっとしていた。
「四方の守護者の一角に、人間1人が何かを謀って成功するものなのか?」
相変わらず、睨むような視線を投げてくるスワルトゥルだったが、今の言葉にわずかに表情を動かした。
「貴様···何者だ?」
「詳しい話をする前に、一つ聞いておきたい。」
「···なんだ?」
スワルトゥルの態度が、慎重なものになったような気がした。
「浄化魔法は使えるのか?」
「···他愛もないことだ。」
「だったら、マルガレーテを浄化してやってくれないか?自らがやったこととは言え、もともと彼女を傷つける気はなかった。今の状態では、内面的なダメージが大きいかもしれない。」
チラッとマルガレーテを見たスワルトゥルには、ほんの少しの隙すら見当たらなかった。まあ、攻撃する気は、さらさらないのだが。
「良いだろう。だが、その後にきっちりと説明はしてもらう。」
「ああ、わかっている。」
どうやら、スワルトゥルと闘うという最悪の事態は回避できたようだ。
スワルトゥルがマルガレーテ達に浄化魔法を施してババの臭いと汚れを払拭した後に、俺は襟首を咥えられて平原のど真ん中に転移をさせられた。
服にヨダレをつけるなよと思いながらではあったが、ここで敵対したところで得るものは何もない。
むしろ、生命の危機と紙一重の状態にあった。
ヴィーヴルと過ごした短い期間で、四方の守護者の強大な力は身に染みている。
わざわざ、自らを危険に晒すような真似をする気はなかった。
「経緯はわかった。マルガレーテの性格ならば、その話は嘘とも言えまい。」
スワルトゥルは、思ったよりも冷静な判断力を持っているようだ。ここで難癖をつけられて、すべてを否定されなかったことで、まともな話し合いができる相手だと認識ができた。
「加護を与えたマルガレーテを寵愛するのは良いが、彼女は危ういように感じた。おそらくだが、他人を信用していないのではないだろうか。」
「初見だと言っていたが、なぜ貴様はマルガレーテのことを気にする。」
「貴様じゃなく、タイガだ。別に馴れ合いたい訳じゃないが、まともに話をするのであれば、一個人として扱ってもらいたいな。」
「貴様は馬鹿なのか?それとも、余程の胆力が備わっているのか?」
「どちらでも好きに思えば良い。数日間とは言え、ヴィーヴルと一緒に過ごしたからな。四方の守護者の力は、理解をしているつもりだ。」
「···ヴィーヴルだと!?馬鹿な、奴が同種の者以外と···。」
探るような目線。
俺が竜種の血族なのかを見極めているのかもしれない。
「残念ながら、俺は竜騎士でもないし、竜人の血を引いている訳でもないぞ。」
「···タイガと言ったな。貴様、魔力はどうした?」
ハッとした様子で、スワルトゥルの声音が緊張をはらんだ気がした。
「生まれつき魔力なんか持ってはいない。それに、俺はこの世界の人間じゃないからな。」
俺はスワルトゥルに、これまでのことを説明するのだった。
「···························。」
スワルトゥルには、俺の元の世界での職業から異世界に転移した理由、そしてここに来るまでの経緯を包み隠さずに話した。
表情をぴくりとも動かさずに話を聞いていたスワルトゥルは、じっと俺を凝視している。
「信じる信じないは好きにすれば良い。だが、俺にはやらなければならないことがある。今、あんたにどうこうされる訳にはいかない。」
ふっと息を吐いたスワルトゥル。
「···我にどうこうされるようなタマには思えぬがな。」
呆れるような物言いだった。
つまり、怒りは本格的なものにはならなかったということだ。
「そんなことはない。いつも微力ながら最善を尽くしている。自分を過大評価するほど愚かではないしな。生き残ってこれたのは、それに運が加勢してくれただけだ。」
「ふん···マルガレーテへのあの仕打ちも、貴様が言う最善というつもりか?」
「正直に言うが、マルガレーテは底が知れない。純粋な戦闘力で言うなら、彼女の方が圧倒的に強いだろう。だが、だからこそ、慢心や余計なプライドの高さが窺えた。」
「だから、あのような手を使って心を折ろうとしたというのか?」
「相手の命を奪わずに倒すということは、それなりの実力差があってはじめて為せることだからな。彼女の場合、策にはめて倒したところで、何も響かないと判断した。徹底的にやるなら、あのような手段しか思いつかなかった。俺の未熟さの結果ではある。」
「···マルガレーテの命を奪わなかったのはなぜだ?互いに知らね仲であろう。躊躇う理由はなかったはずだ。」
話を進めるうちに、スワルトゥルは面白がるような口調へと変わっていった。まるで見透かしたことを照合するかのような問いかけを繰り返してきていた。
「悪魔の存在だ。彼女はこの国、この大陸に必要な人材だと思っている。あと、俺には特殊なスキルが備わっているのだか、それが彼女を善意の人間であると教えてくれたからな。」
「ふむ···ならば共闘すれば良い。」
スワルトゥルが俺という人間を認めたと判断して良いのだろうか。先程までとは違い、優しい声音になっている。
「そういうこともあるかもしれないが、彼女しだいだろうな。それに、他に気になる存在がいる。」
「···なんだと?貴様、マルガレーテを汚しておいて、他に気になる存在がいるだと?」
なぜか、おかしな方向に話がぶれていきそうになったが、無理やり軌道修正を行った。
「この国には、竜人の血を引く一族がいるはずだ。」
「ミラの末裔か?」
「そうだ。かつて、ヴィーヴルがミラの力を引き出したように、その末裔達にも同じことができないだろうかと思っている。」
「それは···ヴィーヴルなら、できるやも知れぬ。」
「ヴィーヴルは自分の棲み家に帰ったからな。俺にも同じことができないか考えている。」
「ほう···。」
スワルトゥルの雰囲気がまた一変した。
「何か問題でも?」
「···それを貴様が可能にすると言うのか?」
「さあな。はっきり言って、わからない。だが、試してみる価値はあるだろう。」
「····························。」
スワルトゥルが、しばし黙考するような表情を見せた。
「言いたいことがあるのなら、はっきりと言ってくれないか?」
「···貴様···いや、タイガと言ったな。おまえは、グルルの後継なのか?」
ヴィーヴルには、それらしいことを言われた。
自身では大して意識はしていないが、四方の守護者にとっては重要なことなのかもしれない。
「それについては、何とも言えないな。ヴィーヴルからグルルのことを聞かされはしたが、もしそうだとしても現時点では身に余る。」
「そうか···。」
「これだけは言える。俺は元の世界では、信念というものを本当の意味で持つことはなかった。状況に流され、与えられた課題をこなすだけの存在だったと言っていい。」
「························。」
スワルトゥルの瞳に、興味深げな光が宿っていた。
俺は目をそらさずにそれを見返し、続きを発する。
「だが、今は違う。力が足りなければ、何でも利用する。グルルは偉大な存在かもしれないが···その力を得ることで、俺が思う大事な者達を守ることができるのなら、躊躇わずに利用してやる。」
「···おまえの言う大事な者達とは、誰のことを言っている?」
「友人と呼べる者、仲間、いつも挨拶をしてくれるオッサンやおばさん、美味い料理を作ってくれる料理屋···何でも良い。俺に関わった善者なら、可能な限り手助けをしたい。」
「理由は何だ?」
「自分のためだ。これまでの生き方に対する贖罪、自分がこれからものうのうと生きていくための大義名分、俺という存在を受け入れてもらうための理由づけ···偽善者の本懐というやつだ。」
「···ふっ、ふはははははははは!」
一瞬、絶句したスワルトゥルだったが、次の瞬間には大笑いを始めていた。
「青い、青いぞタイガよ!おまえは悪ぶっておるのかもしれぬが、その言葉のすべては善意ある者にしか口にできぬものだ。ふはははは、そうか、それが現世のグルルの言葉か。あまり、笑わせるでないわ。」
その後も、スワルトゥルの大笑いはしばらく続いた。
俺はと言うと、巨大な黒虎に笑われながら、赤面しそうになるのをぐっと堪えるしかなかった。
「ヴィーヴルとしばらく一緒に過ごしたということは、竜孔の力を使えるようになったということか?」
スワルトゥルはようやく大笑いをやめて、真面目な顔で問いかけてきた。
顔は虎なのに、なぜ感情が読み取れるのかが不思議だったが、後で確認をしてみると「四方の守護者とグルルは特殊な関係だからな」とだけ返された。
なんとなく、グルルに関しての既成事実ができあがっていく気もしたが、考えても仕方がないのでスルーしておくことにする。
「まだ修練中だがな。」
「ふむ、では我から授けられるものは制限されるか···ならば、神威術で使い勝手の良いものを教えてやろう。」
そう言ったスワルトゥルは、ゆっくりと顔を近づけてきた。
いや、めちゃくちゃ怖いのだが···。
額同士が軽く接触し、すぐに離される。
「···これは?」
脳内に何かが煌めいた気がした。
「刹那的なものだが、体の部位を硬化することができる。神力···おまえなら精神力を互換とするのだろうが、それを消耗することで行使できる。」
「なぜ俺に?」
「おまえのためではない。我の使命の一端と、マルガレーテのためだ。」
「···マルガレーテに、それほど肩入れをする理由が何かあるのか?」
「···おまえなら構わないだろう。マルガレーテは忌み子だったのだ。」
「彼女がか?」
「驚くのは無理もなかろう。公爵家という、人間にとってはそれなりの地位を持つ家に生まれたが、マルガレーテは幼き日に野に捨てられたのだ。」
「理由は?」
「力が強すぎたのだろうな。魔力にせよ、身体能力にせよ···普通の人間とは隔絶したものがあった。」
「普通なら、非凡な才能として喜ばれるような気もするが、そんな生易しいものではなかったということか?」
「そうだ。しかも、未成熟な精神ではコントロールできるようなものではない。無意識に、多くの被害をもたらせたのだろう。」
「それで、捨てられたのか···。」
「我がマルガレーテと出会ったのは、偶然と言うしかない。」
「そうか···なんとなく、理解した。」
「うむ···おまえも程度の差はあれ、常軌を逸した環境で生まれ育ったのであろう。可能ならば、マルガレーテのことを気にかけてやってくれると助かる。」
「ああ、彼女が望むのであればな。」
スワルトゥルとマルガレーテは、師弟や親子のような関係なのかもしれない。
そうであれば、修練場に逸早く駆けつけたスワルトゥルの行動にも納得がいく。
ヴィーヴルと同じく、四方の守護者は、慈愛に溢れた存在であると言える気がした。
神世界で派閥争いをしている奴らに、煎じた爪でも飲ませてやりたい心境だった。
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