第2章 亜人の国 59話 「魔王の鉄槌⑤」
むせかえるような血の臭いが充満していたが、その場で息のある者を探した。
推測に過ぎないが、投薬されたあのエルフは、俺を倒すためにここに連れて来られたのだろう。
しかし正気を失い、燻っていた憎悪と、薬の中の魔族の血中にある戦闘本能のようなものが結合してしまったのではないかと思う。
研究所の所長を尋問した時に知らされた薬の正体。
それは、人の体が魔族の血中にある種族特有の成分···前の世界で言えば、ウイルスのようなものに侵され、その抗体を構築する過程で強靭な肉体と魔力を得るというものだった。
科学で分析をされることのないこちらの世界では、細かな成分やその作用が実証されているわけではない。
ただ人体実験を繰り返し、その効果の程を検証してきた結果として、それがあるだけだ。
以前に対峙した魔人たちは、その特徴を所長が知らなかったため、この国の産物ではないと言える。
精度が高いと言って良いのかはわからないが、品質の良い試薬を誰かが持ち出した記録があった。シュテインあたりが被検体として見出だした者に投与をして、魔人を産み出したと考えるのが順当なのかもしれない。
何にしても、精神的に耐えられなかった者の一つの末路として、あのエルフは目につく人族を皆殺しにしたと考えるべきだろう。
しかし、ミリネの言葉に相違がないとすれば、正気を保った魔人も存在するはずだった。
今は、この国の首謀者である国王たちを消し、どこかにいるであろう魔人たちを抹殺しなければならない。
そう考えた時に、どこかで感じた事がある気配を察知した。
視線を走らせるが、この場にはまともに意識を保っている奴などいない。
神経を尖らせ、感じた気配を読む。
薄く漂うように流れていく気配。微かに白い靄のようなものが視認できた。
やがて、それは1ヶ所に集約されるが如く集まりだす。
ビクッ!
ビクッ!
先ほど倒したエルフの体が何かに反応している。
確実に心臓を貫いた感触はあった。
しかし···。
ビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクビクーっ!
え···いや、何?
死んだはずのエルフが、痙攣をし始めた···。
ホラー?
いや、オカルト!?
超怖いんですけど···。
うわっ、上体だけ起き上がったよ。
「Y···YOYOYOYOYOYOYOYO···。」
何?
ラップ!?
とりあえず、怖えーよっ!
俺はGLー01を取り出し、何かをつぶやいているエルフに向かって、すぐに引き金をしぼった。
榴弾が低弾道でエルフの所に放たれる。
ドーンっ!
爆風で倒れていた兵士達の体が四散し、血煙と共に周囲にボトボトとその一部が落ちた。
「AAAAAAAAAAA···。」
しかし、それがおさまった時には、奴は無傷で立ち上がっていた。
「···足の腱を切ったはずなんだけどな。」
「SOSOSOSOSOSO···。」
バシッ!
相変わらず、奇声かラップかよくわからない言葉を放つエルフが、突然自分の頬を平手打ちした。
「あ···ああ~···相変わらず容赦がないなぁ。」
白い靄を見た時から、嫌な予感がしていた。
しかし、奴は消滅したはずだと、その予感を打ち消していたのだが···。
俺はチリパウダーが詰まった炸裂球を奴の足下に転がし、距離をあけながら走り出した。
「ふん。君が卑怯なことしかできないことはわかっているよ!」
大きく跳躍した奴は、一気に間合いを詰めて俺に拳を振り下ろしてきた。
俺はSGー01を取り出して、腰だめですぐに引き金を絞る。
ドンっ!
命中するはずだった散弾は、奴の体に直撃したかに見えた瞬間、固い壁に弾かれたかのようにひしゃげた。
それを目の当たりにした時には、バックステップで間合いを取り、振り下ろされた拳を回避していた。
ギリギリ避けたつもりではあったが、拳圧のようなものが左の頬を掠める。
「···闘うのは後でも良いかと思うけど。それとも、すぐに死にたいのかな?」
十分な間合いをあけて、奴を観察した。
外見は先程までと何ら変わらない。
だが、その話し方と目つきや仕草が、消滅したはずの奴であることを物語っていた。
そう、稀代の英雄と崇められた人格破綻者、テトリアであった。
「何か話したいことがあるのか?」
とりあえず、対話をしてみることにした。
「そうだね。僕がどのような思いをして、君との再会に漕ぎ着けたかを聞いてもらおうかな。」
「···今のセリフ···気持ちが悪いから、やめてくれないか。」
まるで、恋人との再会で出るようなセリフだ。
「気持ち悪いって、僕をなんだと思っているんだ!?」
「ホモエルフ。」
「ち、違う!確かに、今の外観はエルフだけど、中身が違うことくらいはわかるだろ?」
「まあ、一応な···多重人格のホモストーカーだろ。」
「違う!相変わらず失礼な奴だね君は!!」
「ふむ···ああ、そうか。思い出したよ。"感度が良すぎて、すぐに漏れる奴"だったか?」
「ぐっ、余計なことだけ憶えているとは···。」
「それで?ソーロー君は、また俺の体を狙っているのか?」
「ソーローって言うなっ!?···ふ、ふん、当たり前じゃないか!君以上に僕と相性の良い体はないんだからなっ!!」
本当に···その誤解を招く言い回しはやめてくれないかな?
BLじゃないんだからなっ!
「それにしても、よく生き延びたものだな。」
「フッ、確かにあの時はアトレイクに淘汰されるところだったよ。でも、僕は不死身だからね。」
「ほう、すごいな。できれば、どうやって生き延びたのか、その素晴らしさを教えてくれないか?」
基本的にコイツは精神年齢がガキだ。感情が操作しやすい。
怒らせて隙を作ったり、煽てれば調子に乗っていろいろと吐いてくれるタイプだろう。
「ふふん、君も僕に憧れるのかい?良いだろう。教えてあげるよ。あの時、僕は思念体としてアトレイクに淘汰をされそうになった。でもね、そんなこともあろうかと、僕の思念体の一部を、近くの雑草に忍ばせていたのさ。」
顔面を殴りたい衝動にかられたが、とりあえず苛立ちを抑え込む。
「それは···たまたま雑草におまえの残滓がこびりついていただけじゃないのか?」
「ざんし···って何だい?」
「残りカスのことだ。」
「···ま、まあ、そういうことかな。···いやいや、ちょっと待てーいっ!誰が残りカスだっ!!」
「ん?おまえの子孫の間では有名な話だぞ。」
「え····有名って、どんなことでかな?」
「聞きたいのか?」
「え···ああ、まあ別に聞かなくても、ぼくを讃える話だとは思うけどね。」
「そうだな。そんな話だと良いな。」
「···それで!?」
「何がだ?」
「わかっているだろう!?僕は子孫達に、何と思われているんだ?」
「ただじゃ教えられないな。」
「···相変わらず、ムカつく奴だな。」
「おまえもな。それで、交換条件だが、情報が欲しい。」
「····何の情報だよ。」
「まず、この国の重鎮たちはどこに行った?」
「重鎮?」
本当に頭が悪いなコイツ。
「国王とか、宰相もしくは大臣とかのことだ。」
「ああ、だったらそう言えば良いのに···そいつらなら、だいたいその辺りにいると思うよ。もう生きていないだろうけど。」
奴が指をさしたのは、血の海の中にある無数の死体だった。
「他にはいないのか?」
「そう言えば、国王らしいのが奥に向かっていたから、通路で首をはねといたかな。」
「···わかった。それで、シュテインはどこにいる?」
「それは答えられないな。情報は一つで十分だろ?」
奴はこれ以上のことを聞いても何も答えないというように、首を左右に振った。
「わかった。おまえの子孫たちは、こう言っていたぞ。Scraps in the scrapsだと。」
「スク?え?今、何と言ったんだ?」
クズの中のクズ(Scraps in the scraps)。
「俺のいた世界では、最大限の誉め言葉だよ。」
「そうか···いやあ、さすがに僕の子孫たちはわかっているなぁ。ハッハッハッ。」
随分とご満悦のようだ。
完全に意識が別の所に行っている。
俺はその隙に、攻撃の準備を開始した。
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