第2章 亜人の国 57話 「魔王の鉄槌③」

湖に入り、配管に取りついて研究所の敷地内に潜入する。


途中で高さ5メートルほどの外周壁が行く手を阻むが、凹凸の激しい壁面に指先を引っ掻けて、さながらボルタリンクの要領でクリアをしていき、巡回の兵士がいないことを確認してから、敷地内に降りて物影へと体を潜ませた。


周囲の気配を確認。


少し距離があるが、2人の存在を感知する。


徐々にこちらに向かってくる足音に、タイミングを見計らった。


2分ほど経過した頃合いに目の前を通り過ぎる兵士を視認し、すぐにナックルナイフを両手にして、背後から2人の延髄を抉る。


倒れた兵士たちを物影に隠し、彼らが来た方角へと足を向けた。


巡回経路というものには、セオリーがある。


大分すれば、侵入者を寄せ付けたくない重要箇所。そして潜入のしやすい通路やポイントだと言えるだろう。


即ち、侵入者が入り込んだ場合に早期に発見し、大事に至る前に排除をしなければならないポイントと置き換えることができるのである。


そして、ルーティンとしての巡回にも関わらず、言葉も交わさずに一定の緊張感を保っていた2人の兵士を見る限り、巡回を開始してまだ短い時間しか経っていないとの推測が立つ。


別の見解から言えば、兵士の練度が高い場合、無言で緊張感を維持して巡回を全うする傾向にあるとも言えるのだが、この研究所の兵士がそのレベルであるとは到底思えなかった。


末端の兵士にそれほどの練度があるのであれば、侵入を容易とする配管周辺の内部に常時見張りを配置させたり、物影ごとにもっと警戒を強めていたはずだと言えるからだ。


何にしても、この辺りの考察は、エージェントとしての知識と経験が本領を発揮したと言える。


俺はそれほど離れていないであろう兵士の詰所に向けて、慎重に足を運んでいった。




複数の気配を、正面より右手の建物から感じた。


警戒をしていると言うよりも、弛緩した気配だ。


おそらく、巡回任務を外れたか、先ほどの2人と交代をした兵士達のものだと考えられた。


俺はその建物に足音と気配を消しながら近づき、前触れもなくドアを開けた。


兵士たちがこちらを見る前に、手前にいる者から喉元を切断していき、数秒後には4名を無力化させていた。


返り血を浴びるような緩慢な動きはしない。


やるからには、中途半端な情や躊躇いを持たず、徹底してマシーンと化す感覚が戻っていた。




自分は殺戮の道具にはならない。


人を殺めることに、慣れてはいけない。


命の対価など、どこにもない。


エージェントとして、個人的に心がけていたことがそれだ。


幼少期より、人の命を奪うことに特化した修練を積み、周りの者はすべて敵だと教えられて育った。


それは社会に出てからも同じで、任務でもことあるごとに、人の生き死にに関わることとなった。


戦場などの特異空間ではなく、人の日常空間での殺人。


そこには、複数のパターンが存在する。


殺し屋、エージェントなどは、職業的殺人者と呼ばれる。ここには感情は存在しない。ただ、目的を遂行するために、邪魔者(標的)を消去する。


それに対して、猟奇殺人や快楽殺人を繰り返す者はシリアルキラーと呼ばれ、精神的破綻者と認識される。


それ以外にも、感情の爆発による衝動的なものや、怨恨によるものなど、動機を持った殺人。


シリアルキラーや動機のある殺人については、民間人が起こすもので、当然刑罰の対象となり、裁判を経て償いが課せられる。


しかし、職業的殺人者については、公的組織に属している限り、ある種の合法的な権限を有している。


だからこそ、精神の均衡を保つのは容易ではなかった。


他人の命を自由にしても良いという狂った全能感を持ち、シリアルキラーに堕ちていく職業的殺人者も少なくはない。


これは正しく、置かれた環境に毒された精神疾患者だと言えた。


こういった者達は、大義名分のもとに他人の命を奪っているのだから、その行為については正当性があると主張する。


それ事態が誤りであるということを考えるのを止め、人間としての尊厳を失っていく。


しかし、多くの者たちは大義名分があれば、人の命を奪っても良心の呵責に苛まれないというものではない。


国家のため。


誰かの日常を守るため。


世界平和のため。


···理由はいくらでも見つけられる。


しかし、その大義名分が、必ずしも絶対的なものではないと、知っている者も多いのだ


客観的に捉えれば、いかなる理由があったとしても、ただの殺人者に違いはない。


そこで正当性が唱えられるのは、真の意味での正当防衛と、極悪人との対峙だけであろう。


だからこそ、俺は人の命を奪う時には、それを作業としてこなした。ただ、迅速かつ効率的に。


自身の精神が破綻しないように。


人間としての尊厳を捨てないように···。




詰所にいる兵士たちを殲滅した後も、同様のことを淡々とこなした。


武器を持つ者は、それを抜かせる前に排除し、隊長格とおぼしい人物は尋問する。


既に数十人を屠ったが、俺の意識は冷えきったままだ。


害虫駆除。


もしくは、障害を排除するだけの行い。


その程度にしか知覚しないようにして、先を進む。




武器を持たない白衣を来た人族の男を威嚇し、情報を搾り取る。


有益な情報がなければ屍を積み上げ、次のターゲットを探す。


いつしか、俺の両手は赤黒い汚れで染まっていた。


そして、研究所の最奥部にある部屋で、この施設の所長だという男の両足にナイフを突き刺した時に事実を知らされた。


実験体として連れてこられた者は、薬物投与により全員が致死。研究者として拘束されたエルフ達も、その後の実験体として選ばれて同じ末路をたどったと言う。


空振りも良いところだった。


収容所から救出したエルフ達に希望を与えるためにも、研究所に監禁された同胞を連れ帰ることは、重要なファクターであった。


しかし、結果は最悪のものとなった。


ヘイド王国は利用するだけ利用した後、すべての者を実験体にして殺したのだ。


収容所に監禁されていた者たちに関しても、それほど間を置かずに同じ運命をたどる予定だったと、尋問した所長から聞き出してある。


残虐非道な振る舞いではある。しかし、元の世界でも、戦時中に捕虜を人体実験に使っていた記録も存在する。


世界が変わったとしても、一部の人間が行う非道というものは何も変わらない。


犠牲者たちに対して、心の内で黙祷を捧げながらも、次の行動に移ることにした。




研究所は外周壁の外に被害が出ないように配慮をした上で、可能な限り倒壊させておいた。


施設内に保管されていた薬物については、もちろん焼き払った上でだ。


その後、ラピカとジルと共に転移し、教会へと戻った。




「そうか···そんなことが···。」


経緯を聞いたガイは、怒りを抑え込むかのように、声を捻り出していた。


アースガルズに戻り、サブリナのクランハウスでガイやサブリナ、エルミア達を集めて事情を話した。


「体力が回復するまでで良い。救出したエルフ達をお願いすることはできないか?彼らに···人族を信用することは難しいだろう。」


「それはかまわない。むしろ、彼らは私たちの同胞だからな。」


サブリナは、二つ返事で了承をしてくれた。


「タイミングを見て、エルフの森に相談に行くつもりだ。アグラレスなら、彼らの精神的な治癒について、何か助言をくれるかもしれないからな。」


「それはこちらに任せてくれて良いよ。タイガは自分のやるべきことをやってくれ。エルフの事は、エルフが面倒を見る。」


「そうか···悪いな。」


「エルフは長命種だし、人族とは慣習も違う。だから、安心して任せてくれたら良いよ。」


「ありがとう。」


「礼を言うのは、我々だろう?」


サブリナは悲しげに笑って、そう答えた。


「タイガ···大丈夫?」


エルミアが、俺の袖を掴みながら見上げてきた。


「ん?」


「ひどい顔をしているよ。」


「大丈夫。少し疲れただけだ。」


俺はそう答えて、クランハウスを後にした。


協会とクランハウスを転移で何度も往復し、救出したエルフたちをサブリナに預けた。


同胞に迎え入れられた彼らは、僅かではあるが、表情を動かしたかに見える。


ここから先は、サブリナやガイに任せるしかないだろう。


彼らにとって俺のような人族は、側にいて安心できる存在ではないはずだ。


俺はラピカとジルを、ミリネのもとに送った。


「これからどうするつもりなのじゃ?」


「さすがに疲れたからな。ゆっくりと休ませてもらう。」


心配そうな表情で何かを言いたげなミリネに手を振り、俺は転移でその場を去った。


ゆっくりと休ませてもらうというのは、本音だ。


そして、その後にどうするかは、もう決めていた。


取って付けたかのような二つ名だが、それらしく振る舞わせてもらう。


ヘイド王国に、魔王の鉄槌を下す。




一晩で3ヶ所の拠点を潰した。


武具を製造する王国軍の下部組織、補給部隊が管轄する倉庫、そして、王国最大の商業組織だ。


軍の施設に関しては、王城がある都から外部への機動力を無くすことが目的である。


予備の武具や糧食が不足する状態では、軍は動くことができない。この状態にしておくことで、外部勢力による侵攻を危惧させ、同時に足止めをすることができる。


商業組織については、表面上は普通の商いをしているのだが、裏では非合法な薬物を密輸出していた。


国の庇護下で周辺諸国に害悪を撒き散らしているので、こちらも対外戦略の外部組織と言える。


夜間に襲撃を加えたのは、人目につかないということもあるが、活動している者が少ないので、極力余計な犠牲者を出さないのが目的だった。


どの施設も、そこに所属している者のすべてが、非道に加担しているわけではないだろう。中には真っ当に生きている者達もいるはずで、そんな人たちを巻き込むことは本意ではなかったのだ。


間を置かずに、王国軍の最高責任者の屋敷に向かった。


研究所の所長から聴取した情報から場所を特定し、その寝室を突き止める。


他にも誰かがいるのではないかと考えていたが、予想に反して1人で就寝していた。


それほど待たずに、複数の拠点が襲撃された報告で起こされるのだろうが、残念ながら彼にはそのまま永眠してもらった。


自国の兵士に人体強化のための薬物を投与する実験を、長年指揮していた人物である。


国が内々に認めた治験ではあるが、廃人と化したり、絶命した兵士は3桁に届くらしい。


調べれば調べるほど、この国は狂っていた。


破壊工作の過程で絶命させた者の数は積み上がっていくが、俺の中には忌避感など浮かばなかった。


むしろ、この国に住む人たちが、普通の暮らしを営むことのできる環境を整えられるように、淘汰を加速させようとすら考えていた。
















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