第2章 亜人の国 4話 襲撃④

魔の森の手前で炎が揺らいでいた。


遠目に見てもわかる。


おそらく、焚き火だ。


ミンは慎重に気配を抑え、その位置に向かって距離を詰めていく。


魔の森の手前で焚き火をする人物など、ほとんどいないと言って良い。獣人や冒険者という可能性も否定はできないが、あのタイガという男が、夜が明けてから森に入るために、夜営をしていると考えた方がしっくりとくる。


木々に身を隠しながら、ミンは炎で照らし出された場所に目を配る。


人の気配はない。


徐々に焚き火に近づき、様子をうかがう。


『焚き火の側にあの剣がある。やはり奴がいるのか···。』


死角になって見えない場所を確認するために、ゆっくりと移動する。


『あの岩陰にあるのは···頭部か?悠長に寝ているというのか···。』


焚き火からは少し離れており薄暗い。何となく、人の頭に見えるのだが、確証がない。


『もう少し···。』


ミンは木陰から身を出し、さらに近づこうとした。


ふぅ~。


「ふわわわわわあああああああ~っ!?」


突然、耳の穴に何かが吹きつけられた。


パニックに陥ったミンは、耳と尻尾をピンっと逆立てながらも、振り向いた。


「やあ、ミン様。」


知らない男がいた。


短髪で背が高い。


「···!」


髪型が変わってはいるが、目の前にいるのは探していた相手に違いない。


ミンは警戒し、身構えた。


だが、目の前の人族は軽く溜め息をつくと、ミンの横をすり抜けて焚き火の側に腰を下ろした。


その手には何か丸い物が2つ握られており、器用にゴリゴリと擦り合わされている。


メキッ!


手の中で何かが割れる音がする。


「クルミをみつけたんだ。ミン様も食べる?」


タイガは微笑みを浮かべて、ミンにそう言った。




相手は亜人連合の旧敵である人族。


ミンは警戒を強めたが、あまりにも朗らかな笑みを浮かべるタイガに、肩の力が抜けてしまった。


「···おまえは何者?」


そう言いながら、焚き火を挟んだ反対側まで近づいた。さすがに、腰を下ろすほど無警戒にはいられない。


「難しい質問だな。それは、俺の職業や人となりを話せば良いのか?それとも、君らとのスタンスを話せば良いのか、どちらかな?」


真剣な目で見返してくるタイガに、ミンはなぜか敵意を持てなかった。


「できれば両方。」


「わかった。フルネームはタイガ·シオタ。姓はあるが、別に貴族じゃない。職業はスレイヤーだ。」


「スレイヤー?」


「魔族や魔物を専門に対処する。」


「それは···冒険者のことではないのか?」


「俺のいたところでは、冒険者とスレイヤーは別の職業として存在した。この辺りは違うのか?」


「魔物は冒険者が対処する。魔族は···強大すぎて対応できる者はいない。おまえはこの辺りの人族ではないのか?」


「たぶん違う。正直に話すが、ここがどこなのかわからない。」


「どういうこと?」


「魔族との闘いの最中に転移させられた。気がついたら、近くの平原にいた。」


「どこから来た?」


「シニタという都市は知っているか?」


「シニタ···アトレイク教の本部があるところ?」


「そうだ。」


「···それって、違う大陸だと思うが。」


「···マジか?」


「··················。」


転移というのは魔法ではない。ミンの知識では、神のみが使えるという伝承を聞いたことがあるくらいだ。にわかには信じがたい。


「シニタとの位置関係はわかるかな?」


「···わからない。シニタという都市と、アトレイク教のことは本で読んだことがある。たしか···過去に魔族を退けた英雄と関連があると記憶している。」


ふぅ、と溜め息をつくタイガを見て、ミンはなぜか今の話に嘘はないように感じていた。


「···そう言えば、俺のことを人族と言ったな。仲が悪いのか?」


「人族は私たちを亜人と呼び、迫害していた。」


「なぜ?」


「魔族の眷族だと···。」


タイガがじっと見つめてきた。


「それはないな。ミン様や、あの集落の人間からは、邪気を感じられなかった。」


ミンはタイガの言葉にはっと息を飲んだ。


「私たちを人間扱いするのか?」 


「違うのか?」


ミンはふるふると首をふった。


「違わない。」


「まあ、その耳や尻尾はモフモフしてかわいいけどね。種族とか、考え方とか、細かいところはどうかわからないが、社会を構成する人という意味では同じだと思うけど。」


ミンは少し感動してしまった。


何でもないようなことだが、人族とは自分達だけが優れた種族であると考え、亜人と呼ばれる者達を蔑視し続けてきたと、幼少の頃より刷り込まれてきた。


しかし、タイガという人族にとっては、そういった概念がないと言うのだ。それは、これまでの自分たちの概念を覆し、かねてより抱いていた疑念が事実ではないのかと思える言葉であった。


「邪気はスキルで感じるのか?」


「ああ、そうだ。」


自分と同じだと、ミンは思った。


これまでに疎ましいと感じてきたスキルだが、同じことができる者がいるとは驚きだった。それに、忌み嫌われるようなスキルである分、目の前の人族に親近感がわいてしまう。


「魔力を通じて見るのか?」


「いや。邪気や人の悪意が、アラートのように見えたり、感じたりできる。」


「アラート?」


「赤や黄色の警告灯のように見えるという感じだ。」


警告灯が何かは良くわからなかったが、何となく理解はできた。自分も、色で相手の感情を見ることができる。


「私も似たようなスキルを持っているが···それで嫌な想いはしなかったか?」


「身内の悪意を感じた時は、人間不信に陥ったな。まあ、物心がついた時には、蠱毒の壺みたいな環境にいたから、逆に良かったかもしれないが。」


「蠱毒の壺?」


「大量の毒虫を壺に入れて、最後に生き残ったのが最強の毒虫になるという比喩だ。俺の場合は、同年代の一族の者同士で生き残り合戦をさせられた。相手の悪意を見れば、情に流されることもないから、逆にスキルに救われた。」


「···恐ろしい一族だな。スレイヤーとは、みんなそうなのか?」


「この話をスレイヤー仲間にしたら、ドン引きをされた。」


「···だろうな。」


「今では良い思い出だ。」


「···本気で言っているのか?私も引くぞ。」


「あの経験で生きる術を得たからな。」


「まあ···それはそうかもしれないが···。」


「ミン様のスキルは、魔力を通して見るものなのか?」


「そうだが···タイガは魔力を使わないのか?」


「俺には魔力がないからな。」


「···それって、何かの冗談か?」


「事実だ。」


魔力がない者など、初めて聞く。


獣人は放出系の魔法が苦手な者が多いが、身体能力強化や硬化魔法は、ほとんどの者が使える。強弱はあるが、魔力がない者などいない。


「人族は、獣人よりも魔法を巧みに使うと聞くが?」


「俺には生まれつき魔力がなかったからな。」 


タイガは、まっすぐにミンの瞳を見て話をしている。そこに嘘があるとは思えなかった。


「特異体質···か。不便ではないのか?」


「無いものをねだっても仕方がないからな。あるものを磨いて代替えにしている。」


『おお···いちいち言うことが男前だ。』


「ミン様のスキルで見えるのは、邪気と悪意だけなのか?」


「···感情とか思考が、ある程度はわかる。」


「···そうか。いろいろと嫌な想いをしてきたんだな。」


「まあ···な。あ、でもタイガの感情は見えなかったぞ。やはり、魔力がないからかな?」


「だろうな。因みに、俺には邪気と悪意しか見えない。」


「そ、そうか。では、私のことは、表情からしか感情を読み取れないのだな?」


ミンの耳がピコピコと動き、尻尾はゆっくりと揺れていた。


「そうだな。モフモフの動きで多少はわかる気がするけどな。」


「あ···。」


ミンは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに目をそらした。


獣人は無防備になると、喜びを耳や尻尾で表現できるのだった。




ミンが急にキョロキョロと辺りを伺いだした。顔には訝しげな表情が現れている。


「遠巻きに囲まれているな。」


「···獣人だ。」


「みたいだな。」


ミン様が何とも言えない顔で俺を見た。


「別にミン様が謀ったと疑ってはいない。彼らはどうしても、俺を拘束したいみたいだしな。」


「···すまない。」


「謝る必要はないさ。むしろ、俺から離れた方が良い。いらぬ疑いを持たれるぞ。」


「もう、私も疑われている···と思う。」


ミンは悲しげな表情をした。


「··················。」


「スキルのせいで、他人の心の内を覗く嫌な奴だと思われている。それに···彼らを主導している亜人連合の幹部は、人族との共存などに耳を貸す輩じゃない。」


「ミン様はどうしたいんだ?」 


「私は···今の状況が嫌だ。連合は閉鎖的で、時代の流れを読もうともしていない。人族からの迫害や戦争は、もう百年も前に区切りがついている···と思う。」


「今の人族が、亜人にどういった感情を抱いているのかはわからないのか?」


「···わからない。連合に反目する獣人は、これまでに何人もこの森を抜けて、ルービーに向かっている。だが、その後にどうなったのかは誰も知らない···いや、知らされていない。」


「···そうか。じゃあ、少し刺激を与えた方が良さそうだな。」


そう言って、タイガは立ち上がった。


「え···まさか···また、裸で踊るのか?」


「いや···違うし。あれは、その時限りの緊急回避策だから。」


「そ、そうなのか?いつも裸で踊ってるわけじゃないのか···。」


「···ミン様。」


「な、何だろうか?」


「それは、露出狂という名の変態だと思うぞ。」


「あ···そうか···違ったのか···。」


···なぜそこで、残念そうな顔をする。


痴女か?


痴女なのか!?




獣人達の包囲が狭まってきていた。


「ミン様、俺を拘束してくれ。」


「え···!?」


ミンが目を見開いて、こちらを見る。


「拘束って···そういうのが趣味なのか?」


コイツはマジで天然痴女か。


「···違うぞ。こちらに落ち度はないが、ここで血が流れると彼らの人族に対する感情は、今以上に悪い方向に進むかもしれないからな。」


「でも···それはタイガにとって、良い選択ではないと思うぞ。」


「俺を無傷で逃した場合、それはミン様にとって悪い選択になるだろう。」


「それは···。」


「この森を抜けて逃げようとしても、魔物に襲われるし、何日もさ迷う可能性があるからな。今後のために、亜人連合と関わることは、おれにとってマイナスばかりじゃない。」


「························。」


「身の危険が迫れば、また逃げだすから問題ない。」


ミンは、しぶしぶといった表情で承諾をした。同じようなスキルを持つ者として、何か親近感のようなものを抱いているのだろうか。


どちらにせよ、このままでは衝突は避けられない。争いにならないように動き、この地域の情報を得ておきたかった。


それに、ミンを守りたい。


彼女のスキルは、魔族や魔物を索敵するのに非常に有効だからだ。


できれば、お持ち帰り···仲間に引き入れてしまいたい。そのタイミングは今じゃないと判断した。


きれいだし、モフモフがかわいいからではない。


決して、ない。




簡単な打ち合わせをした後に、ミンは俺に剣を突きつけた。


獣人に、ミンが俺を捕らえたと見せつけるためだ。


しばらく後に、虎や狼と思われる獣人達がわらわらとこちらに向かってきた。


中には、猫か犬の獣人と思っていた女の子達も混じっている。そうか、虎や狼だったのか。かわいいから、そう見えたのだろう。虎や狼も、子供の時は愛くるしいしな。


そして···。


「ああーっ!?俺のカツラ!!」


そう叫んだハゲがいた。


後で知ったが、名をクソソンと言うらしい。


ソとリじゃ、雲泥の差だな···見た目も名前も終わっている。


後ろ手に縛られている間に、俺はそんなことを考えていた。




集落内にバシッバシッという何かを打つ甲高い音が、籠ったように鳴り響いていた。


そこに怒声が入り交じり、何が行われているのかを認識した見回り達が、憐れみや嘲笑といった表情を浮かべている。


捕縛され、集落まで連行されてきたタイガは、何もない小屋に連れ込まれて、梁に通されたロープで吊し上げられていた。


簡易的な拷問である。


しなやかさのある木材で何度となく打たれ、背中には幾重にもミミズ腫のような赤い線が走っている。


「クソっ!声すら出さないとは、何て奴だよ!?」


何度となくタイガを打ち叩いているのは、カツラを奪われて辱しめを受けたヤツである。


クソソンだ。


「あんまり、やり過ぎるなよ。まだ本部からの返答待ちなんだろ?死なれたらマズいかもしれんぞ。」


一緒にいる獣人が、さすがにクソソンをなだめ出した。


「そうは言うけどよっ!コイツが何者なのかくらい、聞き出しとかないと意味がねぇだろうが!?」


クソソンは、ご立腹である。


まあ、仲間に内緒でカツラを被っていたようだ。ハゲを公開されて頭に来ているのだろう。感情的になるのは当たり前と言えた。


拷問を受けている俺と言えば、痛みはあるが、大したダメージではなかった。


エージェント時代には、もっと陰湿なものを経験したことがある。


爪を剥がされたり、爪と指の隙間に針を刺されたり、局部に電流を流されたり···あんなものに比べれば、竹刀で叩かれている程度で、幼少期のシゴキとそれほど変わらなかった。


要するに、この程度の耐性は物心がつく頃にはできていたと言えるのだ。


こういった拷問を終わせる方法は幾つか知っている。


一番簡単なのは、コイツらを蹴り殺すことなのだが、まだ敵対するとは決めていないから、これはダメだろう。


他には、ドMを装うことだ。


叩かれる度に、「Oh~」とか、「Yes!Yes!!」などと叫び、恍惚な表情を浮かべると、相手はドン引きする。


簡単に言えば、痛みを喜ぶ性癖がある者、いわゆる変態を演じれば良いのだ。


「コイツには痛みは御褒美に違いない!これ以上は、無理!!」と思わせるのがコツだ。


は?と思うかもしれないが、単純なことほど、結構有効なものなのだ。


例えば、何の抵抗力もなさそうな者がいたとしよう。そいつがいきなりペンやナイフを取り出して、笑いながら自分の腕を突き刺したのを見たらどう思うだろうか?


マトモな神経があれは、「コイツはヤバい!?何をしでかすかわからない!」と感じるものだ。


それに近いと思えば、理解もしやすいだろう。


もちろん、デメリットもある。


相手が同種の変態なら、たぶん歓喜して、さらに痛めつけようとしてくる。それも、何段階もレベルを上げて。


そう、この手の手段は、本物のドSが相手なら地雷を踏む。


それに、周囲から「コイツは痛い子」という程度の認識をされるならまだ良いが、本気で変態扱いをされると、どんな言葉を並べても、聞く耳を持ってくれなくなる。


そういった事情を踏まえ、捨て身すぎて、さすがにここでは使えなかった。


と言うわけで、クソソンの気が済むまで、拷問に付き合うことにした。


カツラを奪って辱しめを受けさせたのは事実だし、状況が変わるまで様子を見るしかなさそうだ。


もちろん、打撃に合わせてさりげなく体を捻り、ダメージが蓄積しないようにはしている。


ミミズ腫がアザで残り、後に真性のMと勘違いをされたくはないので、そこは入念に行っている。


エージェントは拷問対策も完璧にしておかないと、口を割ったら仲間に粛清をされるのが当たり前の世界だからな。


これも常道スキルなのだよ。
















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