第1章 83話 そして、エージェントは伝説となる①
クレアはタイガの背中で、その体温と人間としての暖かみを感じていた。
姉の様態は、依然として危険な状態である。継続して回復魔法を施してはいるが、延命治療のような効果でしかない。
しかし、タイガと行動を共にし、姉を救うために疾走してくれているのを見て、落ち着きを取り戻せた。
この人には不可能はない。
そう感じさせる何かを持っているのだ。
そんなことを考えている時に、頭の中に問いかけてくる声を感じた。
『聖女クレアよ。』
「アトレイク様?」
聖女になって以来、頻度は少ないが、神からの天啓を受けることがあった。これまでは、いずれも祈りを捧げている最中だったのだが、今回は勝手が違うようだ。
『大聖堂に着いたら、聖脈を解放する。そなたの魔法を格段に強化するであろう。エクストラ·ヒールを詠唱し、姉を救うのだ。』
予想外の神の言葉に驚いたクレアだったが、すぐ身近にいるタイガに視線をやり、納得した。
「わかりました。主の導きに感謝致します。」
『姉が救われたら、感謝はその男にすると良い。』
「彼は···アトレイク様の使徒なのですか?」
『それは違うな。その男とは、今日が初見だ。』
「そうなのですか!?」
神が初見の人間の願いに答えるなど、想像し難い。それに、タイガの常人離れした強さも、神の使徒だと考えると納得ができた。だからこそ、クレアはタイガを神アトレイクの使徒なのかと考えたのだが、それはあっさりと否定されてしまった。
『なかなか興味深い男だ。私を神だと知っても脅してくるわ、頼みを即断るわでな。』
「あ···はは···タイガさんらしいですね。でも、悪い人ではありません。」
『そうだな···そなたの姉を、いや厳密には、そなたも含めた仲間を、命がけで守ろうとする気概がある。』
「はい。」
タイガが神に認められた。
クレアは自分のことのようにうれしくなり、つい表情を崩してしまった。姉の緊急時だと言うのに、神アトレイクとタイガという心強い後ろ楯を得たことで、胸が押し潰されそうな不安は、どこかに消え去っていたのだ。
一方、タイガは自分の無力さを痛感していた。魔法が使えるわけではない。応急処置の知識はあるが、クリスティーヌの様態を見る限り、自分にできることは何もないことも理解をしていた。その状況で、これまでに経験がない「神頼み」をした自分に腹立たしさまで感じていたのだ。
その分、『手遅れになる前に、2人を大聖堂まで連れて行く。』という強い決意が、通路を駆け抜ける圧倒的なスピードに現れていた。
そのあまりの速さに、背中にいるクレアの両足が、タイガの腹をしっかりとホールドしていた。
いわゆる、「だいしゅきほ~るど」というやつだった。
通路を走るタイガは、とにかく目立った。
血まみれの聖騎士団長をお姫様抱っこして、背中には聖女様が手足を巻きつけるようにしておぶさっている。
常人離れしたスピードで走る修道士姿の男は、教会の職員だらけの本館を駆け抜けた。風でフードが脱げてしまったこともあり、今や注目の的となっている。
「お···おい!あれはさっき連絡にあった、"なんでやねん"じゃないか!?」
「スキンヘッドに長身···どこかに隠れたと言われていたが、修道士に化けていたのか!」
「聖騎士団長が血まみれ···奴にやられたのか!」
「聖女様を拐おうとしているぞっ!"なんでやねん"を逃がすな!!」
だから、なんでやねんの使い方がおかしいっちゅーねん!
「タイガさん、その頭は···。」
クレアが、タイガの頭を見て聞いてきた。
「変装をするつもりで剃った。変だよな?」
「いいえ、かわいいですよ。」
クレアはそっと、タイガの頭をなでなでした。
かわいい?
いや···卑猥とか言っていたやつもいるぞ。
まぁ、気にしないでおこう。
毛根は死んでいないからな。またすぐに生えてくるだろ。
「いたぞっ!なんでやねんの使徒だ!!」
正面から、聖騎士達が駆けつけてきた。
「なんでやねんの使徒って、何ですか?」
クレアが純粋な疑問を投げつけてきた。
「さあ···こっちが聞きたい。それより、少し無茶をする。しっかりつかまっていろ。」
「はいっ!きゃっ!?」
タイガはクレアの答えを聞く前に、横にあった窓を蹴破り、外に飛び出した。
下屋があることは、走りながら確認をしていた。高さは3メートル強。勾配屋根があるので、着地の衝撃は殺せるが、傾斜でバランスを崩さないようにする。
「あれが大聖堂です!」
斜め正面に、大きな教会をイメージさせる建物があった。
「わかった!」
タイガは屋根から飛び降りて、大聖堂まで加速した。
「それで、これからどうするの?」
大聖堂にいるマリアが、ガイウスに次の行動について質問をした。
「教会本部の敷地は広いです。闇雲に捜索をしても、変な疑いをかけられるかもしれません。とりあえず、少し様子を見ましょう。」
ガイウスの言葉は、理にかなったものだった。しかし、マリアにしてみれば、こんな厳粛な場でじっとしていられる性分ではない。
「なにそれ、ノープランってこと?」
苛立ちもあり、ついそんな言葉を口にしてしまう。そして、それが伝染したのか、他の3人のガイウスを見る眼が、「コイツ、使えねー。」というものに変わったのを、ガイウスはピリリと肌で感じた。
「···焦りは禁物です。」
ガイウスはそう返したが、深い溜め息でハモられてしまった。
フェリは、改めて大聖堂の内部を見渡した。今いる所は信者が集まる身廊と呼ばれる場所。真ん中に通路があり、その両脇に座席が設けられている。正面には祭壇のある聖域と、その手前にクワイヤと呼ばれる聖歌隊席があり、その右手には堕天使テトリア、左手には勇者テトリアの彫像が立っている。神アトレイクの彫像はないが、天井に楽園が描かれ、神界から人々を見守るイメージがなされていという。
歴史のある建物で、彫像やステンドグラスなどが随所に配置され、この空間がまるで美術館のように思える。
『あのステンドグラス、すごくきれい。』
祭壇の両袖にある縦長のFIX窓には、煌めきを放つステンドグラスがはまっていた。フェリがその美しさに瞳を奪われていると、やがて外の騒がしさを感じるようになった。
「ずいぶんと外が騒がしいわね。」
「リルもそう思う?」
「うん。よく聞こえないけど、普通じゃないわ。」
「私には、"でやねーん"という言葉が聞こえた気がする。"でやねーん"とは···もしかして、"なんでやねん"のことでは!?」
そう答えたシェリルは、種族の特徴として非常に耳が良かった。
そして、その言葉に全員が席を立ち上がった。
「そんな言葉を使うのは、あの人しかいませんよ!」
「そもそも、なんでやねんって何?魔人はタイガが、"なんでやねんの使い手"とかって言っていたけど、技か何かなの?」
「今はそんなことを議論している場合じゃないわ!彼が、近くにいるかもしれない!!」
マリアは解消できていなかった疑問を口にしたが、確かにリルの言う通り、今じゃなくてもいいことだった。
まさか、"なんでやねん"が間違った解釈をされて世に広まるとは、ここにいる5人は想像すらしていなかったのだ。
突然、祭壇の辺りから、ガラスが割れる音が聞こえてきた。
普通のガラスとは違う、破砕音。
フェリが前方を見ると、祭壇横のFIX窓が無くなっている。
ステンドグラスは各パーツを埋め込んで固定をしているため、枠ごと吹き飛ばされて、床で粉々に砕け散ったようだ。
すぐに何事かと、大聖堂に集まった者達が祭壇辺りを注視した。
「あっ!」
割れたステンドグラスがはまっていた窓枠に、日の出のような丸い物体が見えた。窓枠は、こちらから見ると幅が狭いように見えるが、実際にはかなり幅広いようだ。
丸い物体は陽の光を反射させながら、まばゆく輝いている。そして、その横からは、見知った顔がひょこっと出てきていた。
「クレア!?」
「お···おい···あれ、聖女クレア様じゃないか!?」
フェリがクレアの名を呼ぶのと同時に、周囲からも「聖女様!」「クレア様!」という声が巻き起こった。
「タイガさんっ!ここから入れば、祭壇の横に出ますっ!!」
クリスティーヌの様態が芳しくない。クレアは、中の様子など気にすることもなく、タイガに位置情報を伝えた。
「わかった。」
祭壇は身廊の中でも、一際高い位置にある。外から窓への侵入をするにしても、かなりの高さがあった。
タイガは片手懸垂の要領で体を引き上げ、もう片方の腕で抱き上げたクリスティーヌを、そっと窓枠から中に入れた。
「「「「タイガ!」」」」
フェリ、リル、マリア、シェリルの4人が同時に立ち上がり、祭壇へと走った。
周りからのざわめきが一際大きくなり、祭壇と反対側にある入り口からは、聖騎士達が小隊規模で雪崩れ込んでくる。
「いたぞっ!なんでやねんだっ!!」
「聖女クレア様と、団長も一緒だ!」
「奴は瀕死の団長を人質に取って、聖女様を拐ったのだ!生かして帰すなっ!!」
怒声と喧騒の中、またも出遅れたガイウスは、唇の端を上げて笑っていた。
「ほとんど凶悪犯扱いだな。どうするのだろ、あの人。」
一方、その"あの人"は、祭壇横で後光のように頭を光らせ、真面目な表情を貫いていた。
「神アトレイク。」
タイガは、再び声を出さずに神アトレイクに呼び掛けた。
『なんだ?』
「大聖堂に来た。次はどうすれば良い?」
『そなたにできるのは、そこまでだ。聖女クレアよ、聞こえるか?』
「はい、アトレイク様。」
『聖脈を開放した。エクストラ·ヒールを唱えよ。』
「はい!」
エクストラ·ヒールとは、回復魔法の中では最上位のものとなる。現代では、発動できる者はいないと言われ、魔法学会でも古代魔法に位置づけられていた。
「クレアとも話せたのか。それに、古代魔法とは···何でもありだな。と言うか、本当に神なんだな。」
『あたりまえだ。まだ疑っていたのか?』
「神とは接点のない世界にいたからな···あ、悪い。知り合いが聖騎士と戦い始めた。俺もそちらに加勢する。」
見れば、マリアとシェリル以外に、なぜかフェリやリルもいる。ここにいる理由には、何となく予想がついた。ちょっと目頭が熱くなった。
クレアを見ると、エクストラ·ヒールの詠唱を始めたのか、眼をつむり何かを唱えている。神アトレイクを信じるなら、これでクリスティーヌは助かるはずだ。であれば、邪魔が入らないように、目の前の敵を蹴散らすべきだろう。
『まぁ、待て。そなたには争わなくとも、この状況を沈静化する術がある。』
「どうするんだ?」
『"フォーム·チェンジ"と唱えよ。』
···は?
何だそれは?
どこぞのヒーローか?
「それしかないのか?何か、どこぞのヒーローのパクりみたいで嫌なんだが···。」
『そんなことを言ってる場合ではないと思うが。そもそもヒーローとか、パクりとか、何のことを言っているのだ。』
「いや···気にしないでくれ。」
『まぁ···良い。好きな言葉を選べ。例えば、「アトレイク様だ~い好き~」とかな。』
「なんでやねん。」
『了承した。』
えっ!?何が?
『それでは、"なんでやねん。"と唱えよ。』
は?
何を言っている、このおっさんは。
『悠長にしている場合ではないと思うぞ。』
「··························。」
『······おい。』
ここでのやり取りを、めんどうに思った俺がいけないのだろうか。まさか、これが今後も引きずることになろうとは···この時には思いもしなかった。
「はぁ···わかった。なんでやねんっ!」
そう言った瞬間に、耳のピアスが光輝いた。スキンヘッドに反射した光は、戦っている者達や、身廊に居合わせた信者達を広範囲に照らし、全ての意識を光の基であるタイガに集中させることとなった。
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