第1章 63話 エージェントの真髄①
クリスティーヌから放たれた氷撃は、3メートル程の直径を持つ円錐形の鏃様で、高速回転をしながらこちらに迫ってきた。
魔法が効かないとはわかっていても、かなりの迫力がある。正面から受けるのは、さすがにチビりそうだ。
だが、ここで避けてしまえば、魔人かどうかの判断が変な方向にぶれてしまうだろう。目尻に涙を溜めながら恐怖に耐え、踏ん張ってみるのだが···先程の異質な反応が、目に見える脅威として視界の端に映ってしまった。
斜め前方より飛来する巨岩。
すさまじい速度のためか、岩が風圧で削られ、周囲がその塵で陽炎のような漂いを見せている。まるで小規模な隕石だ。
あれは···マズイ。
魔法で飛ばしているのだろうが、岩そのものはおそらく本物だ。
可能性を考えると、魔人の仕業か。
嫌なことをしてくれる。
そうだ。
動力が魔法だろうが、物質そのものが当たれば当然負傷する。
俺に魔法が効かないと知っているのだ。
わざわざこのような手法を選んで、攻撃を仕掛ける嫌らしさと狡猾さがあるということか。
相手が俺に対抗する手段として、一番有効なのは物理攻撃だ。だが、これに関しては、蒼龍とバスタードソードによる剣技や身につけた体術で、対人・対魔族ともに互角以上に闘ってこられた。
しかし、見方を変えれば物理攻撃の手法次第で、かなり対抗が難しくなるケースがある。
単純だが、超速度による投石などは、死角から仕掛けられると避けることが難しく、当たればダメージも少なくはない。
魔法を動力として巨岩を投じるなど、この世界ではあまり使われない手法なのかもしれないが、俺を狙っているのであれば理にかなっていると言えよう。
さて、どうしたものだろうか。
氷撃を放ったクリスティーヌは、それのコントロールに集中しているのか、未だに巨岩には気づいていない様子。
聖騎士や、スレイド達のいる方向からは、ざわめきのような声が発せられている。「誰だ、他にも魔法を放ったのは?」などと言う、見当違いの声も聞こえてくる。
まぁ、状況が読めないかわいそうなやつらは、ほうっておくことにしよう。
隕石の大きさというのは、千差万別だ。
こちらに飛来してくる巨岩クラスなら、その破壊力は半径数キロメートルを壊滅させるくらいのものとなる。
ただ、それは地球上での条件であるし、視界にある巨岩は隕石とは異なる。
速度、質量、重力など、様々な要素を考慮すると、その破壊力は最大で半径1キロメートル、最小で半径数十メートルあたりではないかと推測された。
これは天文学や物理学ではなく、兵器に関連する軍事学からの考察だ。
エージェントの任務では、敵対する人間や組織の戦力を見極めることが重要なファクターとなる。それなりの精度で働く、自己防護機能として身に付けているスキルと言える。
異世界では役に立たないかと思っていたスキルだが、俺の中で瞬時に回答が出て、次の行動に無意識に移行ができた。
急務はクレアとクリスティーヌの保護だ。
他の者達は、クリスティーヌの氷撃の巻き添えをくわないように距離を取っていたが、2人は違う。魔法を放っている最中のクリスティーヌはもとより、俺に魔法が効かないと確信しているクレアは、それほど離れた位置にはいない。
巨岩はまっすぐに俺に向かっているのだ。このままだと、2人は間違いなく巻き込まれる。
俺は正面から向かってくるクリスティーヌの氷撃に突っ込んだ。
「!」
クリスティーヌが息を飲む。
俺に触れた瞬間に、霧散するかのように消える氷撃。
まっすぐにクリスティーヌに駆け寄り、抱えあげた。
「なっ···何をする!?」
突然の出来事に動転するクリスティーヌ。
魔人との判別のために魔法を放った対象が、自分をお姫様抱っこするとは思ってもいなかったのだろう。顔を真っ赤にしながら、視点がさ迷うように動いている。
咄嗟に間合いを詰めてきた俺に攻撃をしなかったのは、ただの甘さか、妹の言葉を信じきっていたのか。
ただ、恥ずかしそうな仕草がかわいく、他の些細なことはどうでも良く思えた。
「たぶん、魔人の襲撃だ。」
目を見開いて、クリスティーヌが驚く。
「魔人だとっ!?」
いや···耳元で叫ばないでくれ。
鼓膜が破れる。
クリスティーヌはようやく周囲の異変と、既に近くまで迫った巨岩に気づいたのだった。
「あれは···あの物体は、魔法じゃないのか!?」
「そうだ。たぶん、俺を狙っているのだろう。」
「···本当に···魔力がないのですね。クレアの言う通りでした。疑って申し訳ありません。」
打ち消された氷撃と飛来する巨岩を見て、クリスティーヌは理解したようだ。言葉遣いも丁寧なものに変わっていた。
「かまわない。そんなことより、君とクレアをあの攻撃から回避させる。」
あまり時間はなさそうだ。
落下地点だけを回避しても、衝撃波で吹っ飛ばされるだろう。
「···だから···こんな···。」
赤い顔のまま、伏し目がちに恥じらうクリスティーヌ。ギャップ萌えはあるが、今はそんなことはどうでもいいと思うぞ。
「あの岩は、魔法でコントロールをされているはずだ。君達を合流させたら、俺が陽動するから魔法で障壁を張って身を守ってくれ。」
俺が動く方向にわずかだが軌道修正をしたのが見てとれた。おそらく、魔法で着地点を誘導しているのは間違いないだろう。
「···かっこいい。」
「は?」
「あ···いえ、別に。でも、それでは貴方の身が危険です。」
「君達は敵じゃない。こんな所でケガを負わすわけにはいかないだろ。」
そんなことを話しているうちに、クレアの前までたどり着いた。
「ずるい···私もお姫様抱っこなんてしてもらっていません。」
クレアが頬を膨らませて、何か抗議をしている。お姫様抱っこがブームなのか?悪いが、緊急事態にそんなニーズはいらんぞ。
「2人で障壁を張って身を守ってくれ。できるだけ離れた地点に落下をさせるが、衝撃波で飛んでくる石なんかまでは打ち消せない。」
俺はそう言うと、すぐに踵を返して走り出した。
「あの人は···本物の勇者なのかもしれない···。」
クリスティーヌは自分が騎士を目指したきっかけである、幼少期に読んだ物語を思い出していた。憧れの勇者の伝説。自分の危険をかえりみずに人々を救う英雄は、彼女の初恋の相手に他ならない。
「えっ!?」
その横では、クレアが熱っぽい視線をタイガに注ぐ姉を見て、目を丸くしていた。
全力で疾走した。
人のいない方角に向かうと、予想通りに巨岩は進路を変えて俺を追ってきた。
魔法でコントロールをしているにしても、かなりの精度で軌道を修正してくる。あんなものを街に落とされたら、被害を食い止めるのは難しいだろう。
俺は脇目も振らずに、一直線に走り抜けた。後ろからは巨岩が風を切る音が迫ってくるが、振り返らない。
しかし、地面に点在する積み上がった岩のような障害物を避けた時に、飛来する巨岩は俺のすぐ後ろにまで迫ってきていた。
「タイガさん、ヤバいっ!」
ガイウスが思わず叫んだ。
2キロメートルほど離れた地点で、防御体制を組んでいた一角。
そこにいる者達は、タイガに迫った巨岩に息を飲み、その身を案じていた。
「あれは···ある意味で物理攻撃だな。そうか、ギルマス補佐への有効打は、ああいったものなのか。」
「スレイドさんっ!あなたはタイガさんの事が心配ではないのですか!?こんな時にそんな発言をするだなんて!」
スレイドの不用意な言葉に、アンジェリカが氷のような冷たい怒気をはらんだ言葉を浴びせた。
他の者からも冷たい視線が突き刺さる。
「あ···いや···そんなつもりではなくて···。」
スレイドは既に他の者達から無視されていることに気づき、反省と悲しい気持ちに包まれたのだった。
巨岩は急角度で降下し、疾走するタイガを目掛けて着弾。
ドーンっ!
地響きのような轟音。
地面を削りながら、惰性で数百メートル先まで転がる巨岩。
小さなクレーターのような着地点には、タイガらしき姿は見てとることはできず、見守っていた人々からは呻きともとれる沈痛な叫びだけが漏れた···。
「嘘···。」
しばらく後···何人かはただ呆然とその風景に目を向け、また他の何人かは信じられない状況に空虚な表情を浮かべていた。
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