第44話 ハルと仙里

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 山門の下で石段に腰を下ろし夜道を見据える。道の両脇では稲穂が波立ちながらザワザワと騒いでいた。風に吹かれる提灯の明かりがゆらゆらと影を揺らす。ハルは真っ直ぐに暗闇をみつめていた。視線はブレない。覚悟がブレることを許さなかった。


「これはどうしたことか、まるで別人のようだが」

 黒い景色の中に透き通る声が湧いた。


「……仙里様」

 ホッとしながら音のする方向を見つめて呟いた。


「いよいよ来るようだな」

「そうですね。でも、だからどうということもありませんよ」

「ほう」

「何も起きない。殺されることも、殺させることも。玉置訪花には何もさせない」

「どんな風の吹き回しか、随分と胆が据わったな」

「逃げないことを決めた、それだけのことです」

 端的に思いを伝えた。


「仙里様、僕はあなたにも何もさせないつもりです」

 遠くを見つめたまま仙里に話す。直後、暗闇の空気が変わった。


「大きなことをほざくようになったな。邪魔をするというのなら容赦はせんぞ」

「容赦しない、ですか……でも仙里様、そんなのは嘘ですよ。出来る訳がない。あなたに僕は殺せない」

 静かに言い放つと一陣の風が舞う。叩き付けるような怒気がハルの髪を揺らした。


「邪魔をするならば殺す。ことわりが有効だとは思わぬ事だ」

「そう言いますか。でも、後にしてもらってもいいですか。僕にはやらねばならないことがある。それに、今の僕に脅しは利かない。僕が死を恐れないことはあなたが一番よく知っているはずだ」

「……」

「姿を見せて下さい。まだもう少し時間があるようだ、話をしましょう」

 前方の闇へ語りかけた。直後、暗闇がぐにゃりと歪むとそこに巨大な猫が肢体を見せる。風に戦ぐ銀の毛皮。緑に輝く美しい双眸がハルを射貫くように見てきた。


「お前……、この私の殺気にも動じぬとは」

「何言ってるんですか、殺気なんて何処にもないじゃないですか」

「フン! 余裕のつもりか? 寝ぼけているようなら、その目を覚まさせてやってもよいのだぞ、もっとも、その時にはお前はもう骸に――」

 言葉を遮るように視線を送ると仙里がしたり顔を曇らせた。


「なんだその目は」

「綺麗ですよ、本当にあなたは綺麗だ」

「はあ?」

 調子が狂うといった様子でげんなりする猫が眉間を寄せる。

 肩に担いでいた朱塗りの太刀を傍らに置き、ハルはゆっくりと猫の方へ歩み寄った。その態度に困惑を見せて猫は後退る。

 撫でつける風にも吹かれる程の体でふわりふわり歩み寄る。目先の猫は硬直したまま動かなかった。離れた位置から見ても仙里の首は自分の目線の上にあった。近づいて行くほどに見上げるようになる猫の巨体。ハルは更に歩みを進めた。


「お、お前……なんのつもりだ」

 訝しむ猫が前傾になり威嚇をしてきた。そんな仙里の威圧を受けても動じることなく微笑みかける。ハルは猫の眼前で両手を広げた。


「仙里様」

 ハルは仙里の首を優しく抱きしめた。


「な、なにを!」

 不意を突かれて動揺したのか仙里は二本の尾を天に向けてピンと立てて身を強ばらせた。


「僕、鏡と話したんだ」

「鏡?」

「雲華の水鏡」

「あ、ああ……」

「黒鬼と共に呪われた魂魄は、仙里様の大切な人の魂なんだよね」

「……な、なんのことだ」

「さっき鏡が見せてくれたんだ。色々なものを」

「色んなもの?」

「大峰兼五郎義親……仙里様は、八百年もの間、ずっとその人のこと想ってきたんだよね」

「な、お前!」

「助けたいのでしょ? その大峰って人を。好きなんでしょ? 彼のことが」

「ば、馬鹿か、お前、私が、化け物である私にそのような感情は――」

「仙里様、今更だよ。ここに来て自分のことを化け物だなんていうのは、ちょっと都合が良すぎるよ」

「……」

「仙里様、僕は、あの時の仙里様の目を覚えているよ」

「あの時?」

「仙里様が呪いの魂魄について語った時のことだよ。その時その言葉には深い悲しみがあった。目は酷く寂しげだった。僕はちゃんと見ていたんだ。そして思った。きっとその人は、仙里様にとってとても大切な人なんだって。……僕には分かったんだ」

「……」

「仙里様は優しい人だ」

「ば、馬鹿者、私は仙だ。優しいなどと……人などと陳腐な言い方はよせ。それに――」

「仙里様は、口では厳しいことを言っていたけど、それでもいつも僕を助けてくれました」

「そ、それはお前、契約が――」

「いいえ。そんなものが無くても、きっと助けてくれたよ仙里様は」

「だ、だれが、お前など」

 徐々に仙里の身体から強張りが解けていく。ハルは一段と強く猫を抱きしめた。


「お、お前、なんで涙など」

「――怖いんです」

「怖い?」

「もうすぐここに犬神と野狐が来る。彼らを操っていた敵も来る。僕を殺しに来るんだ」

 仙里がピンと耳をそばだてる。ハルの言葉を受けると猫は何も言わずに目を閉じた。

 

「違うんだ。怖いのはその敵じゃない。僕が怖いのは……」

 猫の首にしがみつきながらハルは言葉を詰まらせた。


「失敗が……救えないことが、そんなに怖いか」

「仙里様、なんで」

「分からぬ道理がない。私はお前と契約を結んでいるのだぞ。それにしても、お前は何処まで馬鹿なのだ」

「馬鹿ってなんだよ」

「馬鹿は馬鹿だ。まったく、笑えるほど意気地のない。やる前から結果を怖がってどうするんだ」

「でも……」

「なんと世話の焼ける……、言っておく、考えてもみろ、誰もお前に頼ってなどないのだぞ。それはお前が勝手に思い込んでいるだけのことだ。お前は、所詮は期待などされない人間なのだ。そのことをちゃんと自覚しろ」

「期待されていない?」

「お前のやりたいことは何だ?」

「僕のやりたいこと、それは……」

「良いかよく聞け、呪いの事件とやらの解決も、御霊集めも、その主体はお前では無い。お前は横からしゃしゃり出てきて空回りしているだけの猿だ。むしろこの際においては、玉置訪花にとっても、私にとってもお前は邪魔者でしかない」

「邪魔者?」

「そうだろう。その目的の遂行を阻害しようとしているではないか」

「……あ、ああ」

「それでもやりたいのだろう?」

「……それは」

「ならば今一度聞こう、お前は何様だ?」

「僕は僕だ」

「そうだ、お前はお前だ。そしてお前は、自分が信じることに従って行動しているのではないのか?」

「信じること……僕が」

「教えたはずだぞ、もう忘れたか?」

「やろうとしている事は、必ずしも相手に望まれていることではない。その是非は己が手前勝手に決めつけているにすぎない。何を救いたいのか、誰を救いたいのか、何が望みなのか」

「そうだ。そして――」

「そこには正解などない」

「それが分かっていながら何故戸惑うのだ、何を背負おうとしているのだ、この世に雨はおらぬとは、お前の言葉だろうに」

「うん」

「お前は、私に対しても何もさせないと啖呵を切った。ならば見せてみろ」

 言われてハルは顔を上げる。


「私には妥協も馴れ合いもない。私は私の思うように動く。邪魔ならばお前とて殺す。それは私の流儀、そしてこれは私の戦場だ。お前にはお前の」

 途中で言葉を切って仙里はニヤリと笑った。


「分かっているよ、ここは、僕の戦場だ」


 山門の前で並ぶ妖と少年。見据える先は各々の戦場。共に揃って戦場に向かうのはこれが初めてのことである。二人の出会いからちょうど三月を数える初夏の夜のことだった。

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