第34話 右方と左方

       -34-


 神の森の中、黒麻呂を先頭にハルと仙里が横並びで立つ。正面に見ているのは朽ちかけた社だった。黒麻呂は、里へ案内するといったがどういうことなのか。崩れた祭壇こそみえるが建物の内部はがらんどうで、そこには御神体なども見当たらなかった。


「では、行くぞ」

 黒麻呂が短く号令を掛けると獅子の頭部が光を放つ。直ぐさま正面の空間が陽炎のようにぐにゃりと歪んだ。

 黒麻呂が付いてこいと顎で指図をする。真子がハルの影の中から油断するなと訴えた。


「大丈夫だよ、真子。戦いに行くわけじゃない。それに、向こうでする話はきっと君にとっても有益なものになる」

 ハルは真子の緊張を感じ取っていた。


 黒麻呂の背に続いて仙里が進む。

 何をグズグズとしているのだ、と仙里の叱責を聞く。ハルは慌てて仙里の後ろ姿を追った。

 揺らぐ空間に足を踏み入れると上下の感覚を失った。左右にも際限は見えず、ただただ真っ白な空間の中で足場も見えない。足が地に着く感覚だけはあったのでどうにか歩くことは出来たが恐る恐るでしか進めなかった。


 なんだろう、いったいどこまで歩くのだろうかと考えていたときだった。不意を突くようにして目に光が差した。戸惑いのままに瞼を開くと目の前に大きな社が現れる。反り曲がった曲線状のひさしが張り出していた。屋根は鳳が両翼を羽ばたかせるようにして広がっていた。左右にある大柱は昨日塗られたように瑞々しい朱色を見せている。その巨大な建物は荘厳と言い表して足らぬくらいの迫力があった。


「何事もなくここまで来るとは流石と、まずは褒めてやる」

 目の前に色黒の偉丈夫が立っていた。背は高く骨太で筋肉質、黒の長髪を後ろで一つ括りにしていた。

 気安く声を掛けてきた壮年の男。だがハルにはそれが誰だか分からなかった。衣装は和装である。ぼんやりとしたイメージとして鎌倉室町の武士を思い起こさせていた。


「あの……どちら様で?」

「あん? 何を言っているのだ、俺だ、黒麻呂だ」

「え、ええ!」

「そういえば、人の形を見せたのは、これが初めてか」

 黒麻呂が白い歯を見せながら屈託のない笑顔を見せた。


「……ハル様」

 後ろに可憐な声色を聞いた。振り返ると少女がいた。紫紺の地に無数の花を咲かせた小袖を身に纏う。歳は一七、八歳くらいだろうか。褐色の肌に青く輝く瞳が印象的で、落ち着きを見せる身のこなしは少女の中に大人の匂いも漂わせていた。


「ええっと、君は? 君は……」

「真子でございます」

「ええ! だって君は小さな女の子じゃ」

「私は、その、力を失わせておりましたので、現世うつしよでは制限が掛かるのです……。しかしここは雨様ゆかりの神の里。さすれば私も雨様の加護により、こうして本来の姿をお目にかけることが出来るのです」

 真子が青の短髪を揺らしてニコリと微笑んだ。


 あちらとは違う姿を見せた二人、ならば、とハルは期待した。

 仙里はこの神の里で、どのような変化を見せてくれるのだろうか。あれ程の美少女ならばさぞかし美麗な姿を見せてくれるに違いない。そう思って仙里を見ると……。


「なんだ、その目は」

 目を細めた仙里が顎を突き出すようにしながら見下げて言った。仙里は先ほどと変わらず制服姿であり髪色も黒髪のまま変化を見せていなかった。


「仙里様ぁ……」

「なんだ、うっとうしい。そんな目で見るな。気持ち悪い!」

「う、うっとしいって、それに、気持ち悪いって!」

「フン!」

 仙里はツンとしてそっぽを向いた。


「そのくらいにしておけ。それよりも猫よ、いや、仙狸せんりよ、話があるのだろう。その話というのをしようではないか」

 黒麻呂が笑みながら話を切り出した。居住まいを正した仙里は話し合いが出来る状況かどうかを確認するように一同の様子を窺った。その仙里の意を受けた黒麻呂と真子は揃って頷き同意を示した。


「何から話すべきか……、まずは古の戦の事情ということになるだろうか。だが、その因果を紐解くためには、現在起きていることを一つずつ整理していく必要があるのだが……」

 仙里が顎に手を当て思案する。一同がそろって息を飲んだ。


「方々、まずは先入観を捨てること、我を通すのも控えて欲しい。そして、この場では嘘偽りを言わぬことを誓ってもらいたい。同意してもらえるだろうか?」

「いいだろう」

「分かりました」

 二人から同時に声が返る。了承を得た仙里は次にハルの方へと目を向けてきた。


「お前もだ」

「え、だって僕には隠すことなんてないし、それに知っていることなんて何も……」

「フン! 惚けたふりはもういい。もう分かっている。それに、お前にも知りたいことがあるのだろう? ならば観念しろ。この話はお前が追いかけている呪いの話の根幹にも関わっているのだからな」


 朱塗りの太刀を見てから仙里はハルの目を覗き込んだ。その見透かすような目を見てハルは一つ息を吐く。目的は、あくまでも連続殺人を止めることであり、妖のいざこざに巻き込まれるのは本意ではなかった。なので知らぬ存ぜぬを決め込んでやり過ごそうと考えていたのだが、そうもいかなくなった。


「仙狸よ、ハル様がいったい何を惚けていると?」

「姫様、こやつは、あなたが今一番望んでいることを惚けているのですよ」

「一番の望み? ……そ、それは!」

「そうです。こやつが惚けているのは『雨の陰陽師』にまつわる事象」

「それでは、やはりハル様が!」

 真子が顔に喜色を浮かべた。


「といっても、まだ確定とまでは言えないのでしょうけどね」

「お、おい! 待て仙狸。こいつが雨の陰陽師だというのか!」

「まだ分かりませんがね。ただ可能性が高くなっているのではないかと私は考えている」

「虚言も程々にせよ! こいつは何の啓示もうけておらんではないか。その様な者が雨殿であるはずがなかろう!」

「その啓示とやらが怪しいと言っている。実のところは、あなたも半信半疑なのではないのか? 狛神」

「ば、馬鹿なことを、まったく話にならん! このようなところまで案内させておきながらそのような方便を聞かされるだけとはな。もう止めだ! こんな話には付き合ってら――」

「私は知っているのだよ。あなたの慕う玉置訪花とやらがその内に抱えたものをな。あやつが真に雨ならば、あれはとっくに浄化されているはず、違うか?」

「な、世迷い言を! 何を根拠に!」

「『御霊集みたまあつめ』……聞いたことがあるだろう? 右方を束ねる者ならば当然だ」

「御霊集めだと? そ、それが――」

「私がその『御霊集め』だといったら? どうだ? 玉置訪花について思い当たる節があるだろう? 狛神よ」

 仙里は薄い笑みを浮かべながら鼻を鳴らす。


「みたまあつめ?」

 ハルは青髪の少女の顔を見た。

「その昔、都で戦がありました。いまから八百有余年前のことです。その戦で敵方の総大将だったのが右方の黒鬼でした。結果として、帝の命を受けた左方の者は悪鬼の徒党を討ち滅ぼすことを成すのですが。それで万事良しとはいかなかったのです。黒鬼が今際の際で呪いを残したのです」

「黒鬼の呪い……」

「そうです。呪いです。黒鬼は怨念を纏わせた魂を六つに分けて天へと解き放ったのです」

「呪われた魂……」

「その呪われた魂魄を集める役を担っているのが『御霊集め』と呼ばれる者です。私の知るところでは、雨様に縁する者がその役割を担っているということでしたが、今は、聞いたとおりです。どうやらハル様が従える仙狸がその役を引き受けているようです。その理由は私には分かりません」

「……仙里様が、怨念を抱く魂を集める者」

 狙っていたのは呪われた魂ということになるのか、と、あの日、雨に濡れながら一点を見つめて動くことをしなかった銀の猫の姿を思い出した。


「真子? その呪われた魂魄とやらはどういうものなの?」

「呪いの魂魄は人に宿り、その者を穢れで染めていきます。穢れた者はやがて邪に墜ち世に災いを招く者となります」

「仙里様、呪いの魂は集めて終わりなのですか?」

「いいや、終わりではないな」

「そうですよね、八百年も前の話だもん。その間、仙里様が収集に手こずるとは思えない。ならば問題は集めた後ということか……。呪いを解く方法は? 浄化するってことは?」

「私には、出来ないな」

「では、集める方法は?」

「穢れた者はやがて化け物へと変化する。そいつを引き裂けばいい。裂いたところで飛び出してきた魂魄を捉える。それは容易いことだ」


 変化と聞いてハルは夢の中の少女を思い出した。だがそこで違和感を抱く。仙里の事情と真子の話を繋ごうにもどこかに齟齬があるように思えてならない。仙里は訪花に何を見ているのか、訪花が穢れに染められているようには見えなかった。

 ――訪花は復讐している。狙いは四人。四人は過去に人を追い込んで殺した。その事件で亡くなった者が訪花と繋がっている。呪いを使った殺人事件、呪物は藁人形……、そうだあれは、姿は違えどあれは同一の者だろう。夢の中で掴まれた腕を摩る。ハルの中で蛇の少女と夢の中の少女が一致した。――あれは誰だ。

 きっと何かがあるはずだ。仙里と玉置訪花と夢の中の少女、その三者の間に呪いの魂魄に関することがきっと。


「黒麻呂さん」

「なんだ」

「僕には、玉置さんが恐ろしい者には見えないんだけど」

「当たり前だ!」

「黒麻呂さんも邪悪な者には見えていないんだよね?」

「クドいぞ! 小僧」

「ハル様! その者の言葉を信じてはなりませぬ」

「お前がそういうか真神! 自身の都合でこの小僧を殺そうとしていたおまえが! 教えてやろうか、小僧。こいつが何故お前を狙ったのかを。こいつはな蒼樹あおき真菰まこもに連なる兄の血と命を欲したのよ」

「僕の血? 命?」

「そうだ、お前の命と血があれば、青の御霊が一時的にでも力を取り戻すのだと聞いているのだ」

「……あの玉が力を取り戻す。でもなんで?」

「なんだ、知らぬのか? 死んだお前の妹は、『雨音女あまおとめ』の定めを背負った者だったのだ」

「あまおとめ? 定め?」

「雨の音の女と書く。それはこの世で唯一人、雨の陰陽師を見分け、探し出すことが出来る者、古より雨喚びの巫女と呼ばれる者のことをいうのだ」

「――なん、だって……。まさか、真菰が……。でもなんで、そんな定めなんてものを……」

「ハル様」

「……真菰、なんで」


 これまで、雨の陰陽師に間違われることで散々に迷惑を被ってきた。いくら否定しても、ことあるごとに雨様絡みの事件に遭遇してしまう始末に、いい加減うんざりとしていた。それなのに、生い立ちというそもそものところで雨の陰陽師ゆかりの者と関わっていたという。

 妹は死んだ。幼くして閉ざされたその生涯とはいったい何だったのか。ここに来て知らされた事実が彼女の短い生涯を穢していくように思えた。彼女の存在が、観測器具のように語られることには我慢がならない。雨音女の定めなど決して認めることが出来ない。

 握った拳の中に爪が食い込む。妹の死が、自分の不遇が、その全てが、雨の陰陽師という言葉に弄ばれているような気さえしていた。聞かされた話は悪い冗談としても最悪の話だった。


「黒の王よ、無体なことを! 今更、雨様のお心の傷を抉ってなんとしますか!」

「雨様か……。だが、いい気になるなよ真神! まだだ、まだお前が選んだ者が雨殿であると決まったわけでは無いのだ。御霊集めがどうした。訪花にはそのような穢れは無い! それに我らが神器、雲華が示したのだ。そのことを覆せるとでも言うのか? どうだ、訪花が雨殿でないことも証明できまい」

「いいえ、黒の王よ。雨様に近しき御霊集めが言うのです。それ相応の確証があってこそでありましょう」

「そこまで言うのならば、俺が証明して見せようか。今ここで小僧を贄とすればいい。お前の宝珠はきっと訪花を雨殿であると教えるぞ」

「そのようなことが成せるとお思いか? この真神を前にしてそのようなことが出来ると思うか? 今の私には加護がある。先ほどと同じというわけにはいかぬぞ」

 

 狛神と真神、向かい合う雷神と風神。両者の怒気が曇天を呼ぶ。辺りに荒れ狂うように暴風が吹くと雷鳴が今にも撃たんと轟き渡った。

 触れれば斬ると言わぬばかりの両者が睨み合う。目で目を牽制し、腕は攻撃の号令を待つ。そんな互いが互いの隙を狙う緊迫する場面で両者が同時に動き出そうとしたときだった。冷ややかな嘲笑を口元に湛えた仙里が怒り狂う二人の間に歩みでた。


「だから、お前達は馬鹿なのだ。つい先ほど誓いを立てたばかりだというのに、こうも安易に違えるとはな。それでも神か? これはもう唖然という言葉も通り越すほどだな」

「うぬ……仙狸」

「仙狸、あなた……」

「やれやれ、言っても分からぬならば、お目に掛けるしかないな。お二方とも、頭を冷やしてよく見るがいい」

 言って仙里は悪戯な微笑みを浮かべてハルへと視線を流した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る