第12話 雨の陰陽師

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「僕が、仙里様のあるじ……何でそんなことに」

 呟いて後、仙里の顔を思い浮かべながら記憶を辿った。

 

「おそらくは最近のことだろう。何か思い当たることはないのか?」

「そう言われても……」

 答えながら更に記憶を遡らせる。そうして出会いの場面を思い起こした。

 契約については思い当たる節があった。仙里が話した死の契約のことだ。が、ハルは自分が契約に縛られる側だと認識していた。それが何故、逆転しているのか……。

 茜と真子は食い入るようにしてこちらを見ていた。


「仙里様と出会ったのは入学して間もない頃だった」


 ハルは茜らに経緯を語った。


「なるほど、それでは仙狸はお前と知り合う前からこの学校に姿を現していたのか……」


 ならば何故、と茜は腑に落ちない様子で眉根を寄せる。

 ハルは仙里が学校に姿を見せる理由を考えた。記憶の中の猫は、どこか一点を食い入るように見ていた。あの時、猫はハルに目もくれなかった。猫の目は獲物を見定めるような厳しい目つきをしていた。仙里は何故あそこにいたのか。仙里は何を見ていたのだろうか、と考えたところで、今朝の仙里の言葉を思い出した。

 仙里は確か「私にも都合がある」といっていなかったか。

 仙里のいう都合とは何か。自分を殺そうとしたことも含めて考えるがどうにも釈然としない。


「まったく、これはどうしたものやら」

 茜が苦笑を浮かべて両手を持ち上げた。

 

「ええっと、とにかく話を戻そうよ。その、まずは僕が仙里様の主って事についてなんだけど……」

「なにか思い出したのか?」

「あ、いや、茜ちゃんが、仙里様のことを仙狸センリって呼んでることなんだけど」

「それがどうかしたのか?」

「仙里様に名を尋ねたときのことなんだけど、その、僕は彼女の名前が仙狸センリなんだと思い込んでしまったんだ」

「それで?」

「僕は、彼女に『仙狸』とはどういう字を書くのかと尋ねた。その時に、彼女が『狸』という文字を嫌がっているのだと勘違いして、狸という文字から、ケモノヘンを取ってしまえば美しい名前になると提案したんだよ」


 改名を提案した直後、確かに彼女の態度が変わった。あの時に何かが起きていたのではないか。 


「それで? だからどうだっていうんだ。その提案とやらで仙狸を従えることになったというのか? お前が仙狸のことを仙里と呼んだからって、それがなんで、妖を従えることになるんだよ」

 茜はハルの言い分を一蹴した。


「それは、そうなんだけど……」 

「そもそもだ、さっきも言ったけど、あれは並の妖じゃないんだ。あいつは、少しの気配すら感じさせなかった。あれは相当にヤバい。そんなやつをだ、お前はしれっと従えているという。あんな化け物を従属させることなんて普通ではあり得ないんだ。これは余程の力がある者でも難しいことなんだぞ」

「そんなこと言われても……」

「溜め息をつきたいのはこっちの方だよ。まったく、なんで普通なお前がそんなことに」

 頭が痛くなる、といって茜は呆れ顔を地面に向けた。

 

「そう言われてもね、この世に妖怪なんてものが実在しているなんて夢にも思っていなかったんだ。だから、なんでって聞かれても、分かるわけ無いじゃないか! それに僕には仙里様を従えている実感も無いんだ。こっちはさ、何にも分からないんだよ! なんだよ、茜ちゃんの方こそさっきから知ったふうな感じで話してるけど隠し事ばっかじゃないか。昨夜のことも、忠告にしてもそうだ、知ってることがあるなら話してくれてもいいじゃな――」


「世の中には、知る必要のないことってあるんだよ」


「なんだよそれ、僕は何の事情も知らずに死んじゃうところだったんだぞ!」


「し、仕方ないだろ、私だってまさかこんなことになるとは思ってもみなかったんだよ。大体さぁ、昨夜のことも自業自得じゃないのか。何の力も持たないくせに軽々しく首を突っ込むなんて正気とは思えない」


「力? 力って何だよ! 無いだろうそんなもの。普通に考えればそんなものは無いよ。昨日のあの巫女さんは確かに凄かったよ。でもあれは茜ちゃんじゃないんだろ。そう言ったろ。それなら、茜ちゃんも僕と違わないだろ。なんだよ、茜ちゃんはいったい何を隠して――」


「フッ、フフフッ」

 ハルと茜が会話をヒートアップさせようとしたその時、これまでずっと二人の会話を聞くだけだった真子がクスリと笑いを零し二人の間に割って入ってきた。

 

「ど、どうしたんだい、真子」

 尋ねると真子は数度小さく頷き、一人で納得した様子を見せる。

 

「私、分かってしまいましたわ」

「分かった? 分かったって何を?」

「アメサマがあの仙狸を従える事が出来た訳をです。きっとそれは、アメサマがあの仙狸の真名まなの上書きをなされたからでありましょう」

「真名? 上書き?」

「真名とは、その者の霊的人格と結びついている名前、その者のまことの名前でございます」

「真の名前……」

「おそらく、あの者は己の真名を聞かせることによってアメサマを縛ろうとしたのでしょう。しかしその腹づもりが、逆にアメサマに名を上書きされて縛られてしまった、と、そういうことになるのではないでしょうか」

「おいおい、ちょっと待ってよ真神殿。真名で縛るってことは聞いたことがあるけど、真名の書き換えなんて聞いたことがない」

「書き換えではありません。上書きですわ。私たちは主と認めた者に真名を呼ぶことを許すことで契約を結びます。しかしながら契約は真名で呼ぶことを許すだけにあらずで、もう一つ、契約者から新しい名の提示を受け、その命名を許すことでも成立させることが出来るのです」

「……新しい呼び名」

「そうです。その者が命名を受け入れれば、それをもって契約が成る」

「し、しかし真神殿、あいつが、あの仙狸が易々と名を受け入れるなどありえないだろ」

「彼女が自ら受け入れたのではありませんよ」

「はあ?」

「受け入れさせたのです。強力な呪力によって彼女は名を受け入れさせられてしまったのですよ」

「馬鹿な、あり得ない」

「あり得ます。それは蒼樹ハル様がアメサマだからです」

 真子は嬉しそうに微笑んだ。

 

「真神殿、また、アメサマですか」

 茜が困り顔を見せる。


「あの、その事なんだけど」

「あん? なんだよ」

「その、二人とも当然のように話しているけど、アメサマっていうのはいったい何なの?」

「あ、ああ、そう言えばまだ話してなかったっけ。そのアメサマってのはな――」


「その者、雨の陰陽師おんみょうじと呼ばれたりき。陰陽いんよう五行ごぎょうを極むるその陰陽師、右方には風神を、また左方には雷神を従えたりき。雨の陰陽師、清冽せいれつなる気をもちて邪を討ち、慈雨をもちて世に安寧あんねいをもたらせき。人は心寄せ、かの者を雨様アメサマと呼びき」


「ええっと、真子、出来れば日本語で……」

 ハルは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

 

「大昔に雨の陰陽師という凄い術者がいた。その者が『雨様』と呼ばれていた。簡単に言えばそういうことだ」

「陰陽師ってあの映画とかマンガに出てくる?」

「まあ、イメージとしては合っているかな」

「陰陽師かぁ、でもねえ……」

 ハルは真子を見る。茜も真子を見た。真子は胸を張り尾を激しく左右に振っていた。

 

「真神殿、嬉しそうですね。しかし、雨様などおらぬし、蒼樹ハルも雨様ではない。これは間違いのないことです」

「いいえ、蒼樹ハル様は雨様です」

「……真神殿」

「誰が何と言っても私は信じます。蒼樹ハル様が雨様なのです。でないと私は、私は……」

「真神殿、昨夜、あなたは何も語らず直ぐに姿を隠してしまわれた。そして今も何も語ろうとしない。なにか事情をお抱えなのでしょう、お察しはします。でもこれ以上、蒼樹ハルを巻き込まないで頂きたい」


 茜が強い目で真子を見据える。そんな茜に対して真子も負けじと気を張るようにして見返した。

 

「真神殿、侮らないで頂きたいものです。私には見えている。あなたは本来の力を失わせている」

 哀れむようにいって茜は視線を落とした。 

「それは……」

 真子は口ごもった。


「今は人の影に遁甲とんこうする事しか出来なくなっているあなたが抱える事情には危険な匂いがする。それに、あなたには何か含みがあるように思えてならない。私にはあなたが化け猫以上に危険な者に見える。だからきつく忠告しておきます。蒼樹ハルから離れなさい。もしこれ以上のことがあるようならば、私は全力を持ってあなたを排除します」


 茜はきっぱりと言い切った。気迫を受けて真子の瞳が一瞬だけ憂えた。だが、直ぐにその色を隠して笑みを浮かべ開き直るように言った。

 

「私には雨様が必要なのです。誰にも邪魔はさせません。諦めることを絶対に致しません」

「……真神どの」

 茜は苦い顔をして俯いた。

 

「ハル様」

 真子が茜から視線を外し見つめてきた。

 

「あ、ああ、はい」

 二人の様子を呆気にとられながら見ていたハルは不意なことに慌ててしまった。


「雨様、いや、ハル様、これだけは申しておきます。雨の眷属たる私なればこそ分かることもあるのです。これから先、様々な苦難が待ち受けているでしょう。しかしそれは、あなたに救ってもらいたいという願いからくるものなのです。お願いです。どうかその者達にご慈悲をお与え下さいませ」

「真子、僕にはそんな、誰かを救う力なんて」

「大丈夫、あなたならきっと出来ます。そのことは不肖ながら私が保証いたします。それともう一つ」

「もう、一つ?」

「はい。今後、雨様は必ず現れましょう。あなたは何かしらの強い縁で結ばれています」

「……雨様、強い縁」

「雨様の匂いを放つあの仙狸と契約が結ばれたのも、ただの偶然とは思われません。因果は互いに引き寄せ合うといいます」

「……仙里様との因果」

「ご自愛下さいませ。ご武運をお祈り申し上げます」

 真子はちょこんと頭を垂れ後退りをした。

 

「ちょっと待って、君は何か困り事を抱えてるんじゃないのか」

「それは、自力で何とか致します故に」

「そんな、だって君は力を失っているんだろう」

「大丈夫でございますよ、昨夜、少々お力を分けて頂きましたから」

「無茶だ! そんなの無理だよ、行っちゃ駄目だ」

「あら、このような私のことも心配して下さるのですか。ありがとうございます。雨様にご心配頂くなど、私は幸せ者でございますね。そう言えばハル様、昨夜お助け頂いたお礼がまだでございましたね。しからばこれをお受け取り下さいませ」


 両目を閉じ祈りのような言葉をつづると、途端に真子の額の上に光の玉が浮かんだ。その玉がゆっくりとハルへと向かう。

 

「どうか、お手をお出しになって下さいませ」

 言われるがままに両手を差し出すと、ゆっくりとハルの手の中に光の玉が降りてくる。そこには温かみがあった。


「それは、我が一族に伝わる宝珠ほうしゅ。雨様より授かったものであると聞いております。その青の御霊みたまはきっとあなた様の力となりましょう」

「駄目だよ、これは君の大切なものなんだろ」

「フフ、宜しいのでございますよ。私はあなた様と出会えた。その玉はもう役目を果たし終えました。ならば今は、持つべき者のところへ、雨様の元へと還すべきでしょう」

「……真子」

「雨様、いや、ハル様、私はあなた様こそが次の雨様であると信じております」

 真子が微笑む。

 

「温かい」

 手の中の灰色をした小さな丸い石を見つめる。顔を上げるとそこにはもう真子の姿はなかった。

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