十二
そんなことがあったものだから、こうやって実際に顔を会わせてしまうとどう接していいのかわからなくなってしまっていた。
あんなのは時間を持て余した主婦の、退屈を紛らわせるためのただの噂話だ。根拠なんてない。
そう思っていたからこそ、犯人幽霊説が格段に色濃くなった一件が起きたあの日、私は先輩に電話で助けを求めたのだから。
……ただ、あのときの私はどう考えても冷静ではなかった。
実際にあの後、たまたま自宅にいた先輩がすぐに駆けつけてくれたものの、動転していた私が落ち着いたのは先輩が出ていった後だった。
何せ、ほんの一時だったけれど、私の中には自分のものとは思えない殺意が確かにあったのだから。
殺さなければ殺されるという心理状態に変貌してしまうような非日常。
そんな未曾有の体験。
けれど、こうやって時間が経って冷静になってみると、もしも、あのおばさんの噂話が事実だったらという可能性を考えてしまう。
三○二号室に入った住人のことを調べているという、あの話。
先輩は、何のためにそんなことを?
そう考え始めてしまうと、どうしても私が今立たされている不条理な現状と結びつけてしまう。
……いや、先輩は紛れもなく生きている人間だ。幽霊なんかじゃない。
先日の、ドアの外に誰もいないにも関わらず叩かれる玄関。
あれはどう考えても生きている人間の仕業ではありえない。
……本当にそう言い切れるかな……。
何かトリックを用いれば可能になってしまうような気がしなくもない。
ドアの覗き穴から見える視界には限りがあって、死角は確実に存在する。やっぱり幽霊なんて存在するわけが……。
じゃあ、バラバラに壊したにも関わらず発信者の声を届けてくる電話は?
わからない……。
「そうだ。良かったら今度どこか一緒に遊びに行かない? 気分転換にさ」
八方塞がりの思考を続けていた私の耳に、先輩の穏やかな声が届いて、私ははっと顔を上げる。
「そう、ですね。体調の良いときなら」
最近立て続けに起きている怪奇現象とそれによる睡眠不足のせいで、私の体調はすこぶる下降気味だった。
今日は心霊現象なんかの相談に乗ってくれるというお寺に
先輩はそんな私の顔を見て表情を曇らせ、何か言いたげな、
移動時間を考えると、アポを取った時間まであまり余裕はない。
もう用もないのならと、私が話を切り上げようとしたときだった。
「市内にね、幽霊とか怪奇現象とか、そういったものの相談に乗ってくれるお寺があるんだ」
ふいに先輩がそう切り出してきて、私は丸くなっていただろう目を先輩に向けた。
「きっと、この状況を解決する糸口になるような何かを得られると思うんだ。だから……」
「
私は先輩の言葉を遮って口を挟んだ。
今度は先輩の目が丸くなった。
「
「うん、そうだけど……」
呆気に取られたような様子の先輩に、私は思わず言い淀む。
この人にまつわる噂を考えると、それは何か他意があってのことだったのかもしれない。
けれど、もしかしたら、私のために調べてくれていたのかもしれない。
もしもそうだとしても非常に言い出しづらい。既に調べをつけていたなんて。
けれど先輩からそんな提案をしてくれていることを考えると、やっぱり素直に打ち明けるべきだと思った。
「ちょうど今日、これから行くところだったんです」
先輩の目は大きく見開かれ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔と表現するのにこれ以上ないものを私は見た。
その顔からはやっぱり、この人が何か後ろ暗いことを隠しているようには思えなかった。
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