十一(1/2)

 寝起きはすこぶる調子が悪かった。

 頭は脳の中でサイレンでも反響しているみたいにぐわんぐわんと揺れているような気がする。

 胃の奥からは常に何かが込み上げてきそうな嘔吐感があり、それでいて吐くようなものもあまり入っていないせいか、いつまで経っても治まらない。

 熱はない。

 けれど何年か前、インフルエンザに掛かったときでさえここまでじゃあなかった。

 相変わらずよく眠ることはできず、そんな状態でも洗面所に行って顔を洗う。

 酷い顔だった。

 濡れた顔を上げて見た鏡。

 そこにいたのは、アイシャドーの塗り方でも間違えたかのような色濃いくま、水分をなくして荒れた肌、生気を失ったような虚ろな瞳、寝起きだということを差し引いても質の悪くなった髪の、みすぼらしい少女――私。

 こんな状態でも、今日の私は外に出て人に会いに行かなきゃならない。

 気分を変えるためにもう一度だけ顔を洗おうと鏡から視線を切ろうとしたとき、背後の洗面所の入り口に誰かが立って


「――っ!」


 反射的にそちらを振り返るも、そこには四角く切り取られた廊下が見えるだけだった。


「…………」


 にわかに上がった息遣いを整えながらも恐る恐るもう一度鏡を見ても、そこにはただ私と背後の光景を反射した何の変哲もない光景があるだけだった。

 気のせい?

 ……

 ここ数日で、私の五感はこんなことばかりを知覚するようになっていた。

 母も仕事で誰もいないはずのこの部屋の中で誰かの視線を感じたり、息遣いのようなものや衣擦れのような音を耳にしたり、あるいはこうやって、人の姿のようなものがふとした瞬間に視界が捉えたり――。

 それは髪が長く、私と身長もそれほど変わらない、女性のように見えた。

 被害妄想から来るただの錯覚?

 だといいんだけど……。

 とにかく、今日だ。

 私は虚勢のような気合いを入れ直して、身支度を整えて家を出た。

 誰の姿も見えない外から叩かれる玄関ドアを閉めて、鍵を掛ける。

 公園のニート男から貰ったお守りが外行きの鞄が鞄についているのを確認しながら、アパートの階段を降りる。

 こういった非現実的なものにようやく現実味が現れてきたところで、私は頼るべき相手が警察では見当違いであることを受け入れた。

 まだ百パーセント信じきっているわけじゃない。

 秋崎先輩の話を鵜呑みにしているわけじゃない。

 でもあれらの話が事実である可能性も考えて、できることは全部やるべきだと思った。警察では、幽霊なんてどうにもできないだろうから。……っていうか絶対、職務の範囲外だよね。

 供養くよう

 おはらい。

 除霊。

 そんな非現実的で非科学的な対応、警察じゃしてくれるわけがないし。

 でも実際、そういった効果や存在が不確かなものにもすがっていかなきゃならないと思った。

 だから私は調べた。

 この辺りで、そういった不可解な現象などの相談を受け付けてくれているところを。

 いつか、テレビか何かで観た記憶が残っていた。

 そういった相談を受け付けてくれているお寺なんかが、あるところにはあるって。

 昨日、この近くでは法草寺ほうそうじというお寺がそれに該当するらしいということをスマホで突き止めた私は、即アポイントメントを取り付け、そして今日、早速話を聞いてもらうことになっていたのだった。

 これで、こんなわけのわからないものに平穏を脅かされる生活から抜け出せるかもしれない。

 ここ数日はまともに寝られない毎日が続いていたけれど、そう思うと少しだけ足取りも軽くなり、もやが掛かったような思考も晴れたような気分だった。


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