六(1/3)

 それは別に荒らされているというほどじゃあなかったけれど。

 それでも明らかに部屋の中にあった物の位置が変わっていた。

 ちゃんと閉めておいた勉強机の引き出しは開け放されていて、本棚に納めておいたはずの本は床に置かれている。というか落ちている。いつも整えてあるベッドの掛け布団は大きくまくられているし、クローゼットも開け放されていて中を物色された形跡があった。

 この1LDKの中で、私の部屋だけ。


「…………」


 ぶるり、と背筋にうすら寒いものが走るのを感じた。

 ……気持ち悪い。

 紛失しているものがないか確認するべきなのか。

 それとも逆に何か仕掛けられたりしていないか確認するべきなのか。

 そう考えるも、体は現実には動かなかった。

 そうやって調べて、もしも何か出てきたりしたら。

 あるいは何か失くなっていたりしたら。

 それを自分の手で詳らかにしてしまう勇気はなかった。

 そういうわけで、玄関が異様に叩かれるという奇行に見舞われてから数日。

 私たち美沢母娘は、早くも警察のお世話になることになった。……いや、悪い意味じゃなくて。

 さすがにもう楽観して放置しておける状況じゃない。

 警察とはいえ、自分の部屋を調べられるのは落ち着かない気分だったけれど、背に腹は変えられない。

 警察に検分してもらった結果、盗聴器や小型カメラのたぐいは発見されることはなく、紛失しているものも、一見しては確認されなかった。

 ただし、玄関の鍵は近い内に変えたほうがいいだろうと指摘された。

 ストーカー。

 そんな言葉が、あまりにも自然と警察の人の口から出てきたけれど、それを言われるまで、なぜか私の頭の中にはそんな可能性は浮かび上がっては来なかった。

 こっちに引っ越してくるまでそんなことは一度もなかったし、自分がそんな対象になるほどの人間だとは思っていなかったから。

 それに、ただの空き巣じゃなくて? 

 まぁ盗られている物は何もなかったんだから空き巣ではないのかもしれないけれど、それでも真っ先にストーカーという可能性が出てくるには少し飛躍している気がする。

 どちらにしろ、飽くまで可能性、推測の段階らしいけれど。

 それはこれから捜査等をして突き止めていくと言っていた。

 ……はぁ。

 自然と溜め息が漏れる。

 本当に、こっちに越してきてからおかしなことばかりに見舞われるのだからしょうがない。

 

「…………」


 こっちに越してきてから。

 この、三○二号室に越してきてから?

 そういえば、警察の人が気になることを漏らしていたのを思い出す。


「またこの部屋か」


 と、困ったように頭を掻きながら。

 その時はまだ未体験の被害にあったせいで気が動転していて、踏み行って追及するどころじゃなかったけれど、それはつまり、前にもこの部屋で似たような事件があったということを指しているように聞こえた。

 そして近隣住民の意味深な言動。

 秋崎先輩。

 いつも公園にいる陰気な男の人。

 世間話をしていたご近所さん。

 もしもこれが本当にストーカーなのだとしたら、その狙いは私じゃなくてこの部屋にあるのかもしれない。

 本当にどうして、ようやくろくでもない父親から解放されたと思ったのに、今度は得体の知れない不審者に生活を脅かされなきゃいけないの……。


「…………」


 こうなったら、私からも出来ることやるべきだ。

 近所の人たちがこの部屋について、一体何を知っているのか、それを探りたい。

 一番話を聞きやすいのは秋崎先輩だけど――。

 部屋を訪ねようにも、相手が異性だということを考えるといまいち踏み切れなかったし、アパートの近くで運よく遭遇するなんていうことも最近は全然なかった。連絡先を交換しておけば良かったと後悔したけれど、結局のところ、人見知りの私から会ったばかりの異性に連絡先の交換を持ちかける勇気なんてないことに思い至り、渋々気持ちを切り替えた。

 私は三○二号室の窓から、アパート前に面している公園を見下ろす。

 予想通り、そこには今日もあの陰湿な男の人が座っているのが見える。あまり身だしなみがきちんとしているほうではなく、そこまでみすぼらしくもないけれどどこかくたびれていて、どこかホームレスのようだという印象の、男の人。

 年は私とそれほど変わらないように見えるのに。

 ついでに言うと、黒のTシャツにジーンズという質素な出で立ちも、毎日変わっていないように見えた。

 

「…………」

 

 気が進まない。

 けれど近所のおばさんたちに話を聞くよりもあの男の人に聞くほうが気持ちのハードルは低かった。なんとなく、気を遣わなくて済む。……えぇと、なんていうんだっけ、同調圧力とか大衆心理とか? あの人はそういうのに無縁そうに見えるから。ご近所さんへの心証に気を遣わなくていい。

 意を決して外に降りた私は、連日繰り返される軍事攻撃に顔をしかめること一瞬、現在の自分が置かれている状況を把握するほうが先決だとして、降り注ぐ陽射しの下に進み出た。

 公園の敷地に足を踏み入れ、いつも通り無気力な感じでベンチに腰かけているその人に話しかけた。


「こんにちは」

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