四(1/2)

 帰宅した私はただいまの言葉もなく、玄関の鍵を掛けて真っ直ぐに自室に戻った。

 新居となった三○二号室。

 高校生の私が勉学に集中できるよう孤立した一室を含んだ、1LDKの物件。

 母が私のプライベートに配慮してくれたおかげで私室を確保できた生活が出来ていて住み心地は良く、慣れてしまえば新生活には何の不満もなかった。

 その母はまだ帰っていない。社会人である母に私ほどの長期休暇はなく、我が家の収入を一手に引き受けることになった以上、おちおち仕事を休むわけにもいかないと言っていた。

 シャワーを浴びて部屋着にドレスチェンジを済ませ、ベッドの上に寝転がった私はスマホで求人アプリを開いた。高校生でも雇ってくれるバイトというのはあまり多くはなかったけれど、ごのみをしなければ私のできそうなバイトはいくつかあった。

 そうやって自分が、曲がりなりにも収入を得ることを考え始めると、どうしても脳裏をよぎることがある。

 高校卒業後の進路。

 どうしても大学に行きたいと思っていたわけではないけれど、両親が離婚するまでは何となく適当な大学に進学するんだろうなと思っていたその未来図は、たぶんもう書き換えられているんだろう。学費を支援してくれる制度は探せばあるんだろうけれど、正直、そこまでして進学したいわけでもない。

 今の私は高校二年生。周りでも、そろそろ進路をどうするのかという話題は増えてきた。

 私が通う高校はそれほどの進学校でもないので、先生が言うには毎年半数くらいの生徒は就職する道に進むという。

 何となく適当な大学に進学するんだろうなと思っていた私は、同じくらいの気持ちで何となく適当な会社に就職するのかな。

 さすがにそれは、どことなく怖い気持ちがあった。

 社会に出る際の、重要な選択を安易に決めてしまうというのは。

 とはいえ、それもまだ一年くらい先の話。

 就職のことは地道に考えることにして、とりあえずは今日、バイトの件を母に相談しよう。

 その後、私は洗濯物を取り入れて畳み、夕食の用意を始める。

 ここに越してきてから、母が帰ってくるのは夕食時かそれよりも少し遅いくらいになった。私が食べている間に帰ってくるかどうかっていうところ。父がいた頃は気持ちを落ち着けてご飯を食べることができなかったので、一人で食べることには一種の解放感があった。悠々自適というのか、テレビを独り占めして、タバコの臭いに息を詰まらせることもなく、ギスギスした空気に気を配りながら肩を縮こまらせるようなこともせずに食事を取れるようになったからだと思う。

 そうやって夕食を終え、さて洗い物でもしようかなと台所に立つと。


 ガチャガチャガチャ――。


 と、室内のどこかから、そんな物音が聞こえた。


「?」


 部屋には私一人。他には誰もいない。

 隣の部屋が壁際で何かやってるのかなと思ったけれど、壁一枚隔てているような音とも違う気がする。

 だからといって室内を見回してみるも、音の発信源は判然としなかった。

 

 ガチャガチャガチャガチャガチャ――。


「…………」


 さっきの物音が聞き間違いではないことがこれではっきりとした。

 たぶん、ダイニングやリビングからじゃない。

 おそらくは、玄関のほうから。

 あぁ、そうか、お母さんか。

 夕飯も終わって、時刻は午後八時に差し掛かる頃合い。

 何事もなければ、そろそろ母が帰宅したとしてもおかしくはない。

 一日働いてきた母を労おうと思って玄関に足を向けたときだった。


 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!


 母がドアノブを回そうとしているんだろうと思っていた音が、いっそう激しさを増す。

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