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真空の宇宙空間に音声データの載った電波が走る。
「ハロー、こちら<バックパッカー64>。コマンダー・アダム・ジェニングスが送信中。状況を知らせてくれ」
「コピー。コミュニケーション
「<バック・パッカー64>コピー。現在こちらはほぼそちらの航跡を後追いで追いかけている。
<バックパッカー64>の船長アダム・ジェニングスはストローで残りのコーヒーを吸いつつ小さな点でしかない<ブルームスティック68>の小さな航行灯を睨んだ。
この距離では推進剤の白い煙は全く見えない。
「こちら<ブルームスティック68>、ちょい前にヒロとヤンはブルームスティックから離脱して目標の漂流衛星に向かった。テザー、フックともに確認済み」
「こちら<バック・パッカー64>コピー」
「こちら<ブルームスティック68>、ヒロとヤンがブルームスティックから離脱前にこちらの端末で漂流衛星との距離をレーザー測距しなおし再計算しなおしたが、角度、方位すべてそちらの事前計算と秒単位で同じだった」
「こちら<バックパッカー68>ログ。ボス犬はいつも正しいだろ?ホセ」
「ボス犬には一度も歯向かったことなんかないですよ」
コマンダー・アダム・ジェニングスの小さな笑い声がウルグアイ空軍の元エース、ホセ・コスタナの宇宙服の気密メットに響く。
ホセ・コスタナはブルームスティックを操縦している。
ホセはバイクのハンドルみたいな操縦桿に小さな銀色のものが付いている事に気がついた。ヒロかヤンが付けたのだろうか?。
長い一本の竿の後部に推進剤を噴霧するエンジンを搭載しただけの
まさしく箒にのって飛ぶ魔女だ。
ヒロとヤンの二人もブルームスティックに付いている突起にぶら下がって宇宙空間をここまでやってきた。
「こちら<バックパッカー64>。ヒロ、ヤン、状況はどうだ?」
ジェニングス船長の確認がさらに先頭を行く二人にとぶ。
「こちらヒロ、順調です」
「こちらヤン、同じく」
愛想のない声がコマンダー・ジェニングスに帰る。
「被爆バッジは大丈夫か?」
「大丈夫っす」
ヒロが答える。
「その
「ログ」
ヒロがちょっと間をとっていると横で漂いながら進んでいる背の高いヤンが答えた。
「予定総被爆線量の10パー未満です」
「こちら<バックパッカー64>、コピー」
「コマンダー、宇宙服の頭頂部につけた新型の電磁波発生装置がちゃんと放射線を防御してくれてますよ」
ヒロが怒ったように答える。
「わかったよ」
コマンダーのそっけない声。
ヒロがヤンの手を握り無線を切り接触通話で言う。
「これだから、古い世代は嫌だよな、、」
「ははは、それより、そろそろだぞ」
ヤンがヒロに無線をオンにしろっと手で合図して下に巨大に見える地球のおおきな円弧の端をにらみつける。
その果てから、おそらしい速度で漂流衛星が現れる。
「大丈夫だよ、相対速度をちゃんと二回も合わせてブルームスティックから離れたんだ」
「秒速8.5キロだぞ。絶対にタッチダウンしないと」
時速にすると約30600キロ強になる。
「ヤンも元艦載機のパイロットだろ?」
「おまえは?」
「おれは乗ったことがあるのはJAXA敷地内のママチャリぐらいだな」
もちろん冗談であるが、ヤンが笑った素振りはない。
ヤンはいつも真面目だ。この漂流衛星をバック・パッカー64から最初に探知したのもヤンだ。
秒速8.5キロですっ飛んでくる質量にして4トン近くある小型の漂流衛星に宇宙服一枚でほぼ体当たりするのである。
こんな作業を結局はEVAで生身の人間が処理しなければいけないところが最新科学、最新宇宙工学の辛いところでもある。
反応速度の鈍い宇宙船の作業用アームやクレーンでは回収はおろか接触そのものが不可能なのである。
「来るぞ」
ヤンの声がヒロのメットに響く。
五十年前に定められた宇宙空間での国際宇宙絶対方位の誤差は地球からの高度差で5メートル。速度差は相対で時速20キロ。
ヒロとヤンが地球からの5メートル高い地点から相対時速20キロ先行しているところを後ろから低く早く来る漂流衛星に追い抜いてもらいながらダイブすることになる。
これがAIが二回はじき出した最も安全な接触方法。
「こちらヤン、目標を視認」
「
ヒロも続く。
「ちょっと目標が低いんじゃね?」
ヒロの真下ではカンカン照りのアフリカ大陸がゆっくり移動している。EVAの初期は宇宙空間そのものよりこの真下に見える地球の光景が怖かった。上は宇宙空間だが、下は地図や地球儀で何度も観知ったことのある大陸や島々が雲の合間からくっきり見える。何スラスターを下に向かい噴射しそうになったことか。どこまでも落ちていくような気持ちになるのだ。いや、ただ地球に帰りたいだけなのか、、。
「そう見えるだけだ。人の心理は困難な方に心配な方に作用するから、、スラスター噴射」
ヤンがバックパックのスラスターを噴射して高度を落とし加速する。相対速度をさらに狭める。
鈍い金属の円球に近い形の衛星が迫ってくる。衛星には変な三次元的なスピンがかかっている。
「噴射」
ヒロも続く。EVA経験時間は、はるかにヒロのほうが長い。
「噴射、60%」
「こちらヒロ、同じ」
と言いつつも、ヒロは指で微妙にスラスターの量を上げた。先輩としてどうしても一番乗りしたかった。
「いくぜ、、」
ヒロが先行して高度を落とす。
「ヒロ!」
ヤンの声がヒロのメットにこだまする。
が、それに反するようにヒロは更にスラスターを吹かす。
漂流衛星がヒロの眼前に迫る。
衛星は思ったより大きくて、思ったより小さい。
ヒロが一番感じたくなかった感覚。左手のグラブから硬い滑らかなものが滑っていく感覚。
右手の指でスラスターを操作していたせいで、左手で漂流衛星に触りに行ったのがまずかったのか、
漂流衛星は限りなく球形に近い樽型をしているのだが、ヒロはその外周を衛星の自転と逆の回転で滑りながら後部へすーっと音もなく流されていく。
ヒロのバイザーの外では、鈍い金属の曲面、アフリカ大陸、真空の宇宙、眩しすぎる太陽光が順番にぐるぐると信じられない速度で走馬灯のように回っている。怖いことに自身が回転している自覚すらない。聞こえるのは、どんどん荒くなる自分の呼吸音だけ。
それがこの宇宙空間の掟だ。
『タッチダウン』とさけぶつもりだったが、今は『助けて!』と叫びたい。
そう思ったときに宇宙空間ではありえないものに左手を掴まれた。
ヤンの両手だった。
「ヤン!」
思わず、ヒロは叫んだ。宇宙服のブーツはもう衛星からずり落ちていた。
「右上方に掴めそうな突起があるぞ」
ヤンの声が神の声に聞こえる。
ヒロはなんとか、そこを掴んだ。突起ではなくちゃんとした登乗用のステップだった。
「ありがとう、本当に助かったよ」
「それより、この衛星を吹き飛ばすための簡易推進装置を落としてないか?」
「大丈夫だ。それより、この漂流衛星あんたんのところのものらしいぜ」
ヒロが衛星につけられた小さな中国国旗のマークを指差してそう言った。
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