現代病床雨月物語 第四十九話 「平岡君と由紀夫は心中した(その六)」
秋山 雪舟
第四十九話 「平岡君と由紀夫は心中した(その六)」
世界がコロナ禍でこれまでの常識や価値観が大きく変化する時代になりました。同時にこれは、現在が変化することにより過去への理解やアプローチも変化することでもあるのです。前にも書いたように歴史は勝者が書くものですが時間の経過とともに敗者側の出来事や新しい背景等が地下から泉が湧くように明らかになることがあります。
これまで私は、「川端康成・三島由紀夫 往復書簡」(新潮文庫)について触れなければと思っていました。頭の中でもやっとしたものがあり、そのままにしてきました。しかし二〇二一年のコロナ禍で「三島由紀夫と最後に会った青年将校」(著者・元防衛大学教授=西村繁樹)を読み、もやっとしたものが少し解消されました。この本を読んで歴史は不動の死んだものではなく断続的に甦り現在の人間の魂に訴えて来るものだと思いました。
その時代を時系列で確認しておくと①一九六八年五月、「全学共闘会議結成」。②一九六八年一〇月、由紀夫が「楯の会」を設立。
③一九六九年一月、東大安田講堂事件発生。④一九六九年五月十三日、東大全共闘と由紀夫との討論会。⑤一九六九年一〇月二十一日、国際反戦デーで全学連が機動隊に敗北。⑥一九七〇年十一月二十五日、三島由紀夫事件発生。⑦一九七二年二月、浅間山荘事件発生。⑧一九七二年五月十五日、沖縄返還。などです。
最初に「川端康成・三島由紀夫 往復書簡」(新潮文庫)についてですが、私が気になる手紙が「昭和四十四年(一九六九年)八月四日付」のものです。
『…ここ下田に十六日までいて、十七日には、又自衛隊へ戻り、二十三日迄自衛隊にいて、(「楯の会」の)新入会員学生の一ヶ月の訓練の成果に立ち会う予定であります。ここ四年ばかり、人から笑われながら、小生はひたすら一九七〇年に向かって、少しづつ準備を整へてまいりました。あんまり悲壮に思われるのはイヤですから、漫画のタネで結構なのですが、小生としては、こんなに真剣に実際運動に、体と頭と金をつぎ込んで来たことははじめてです。一九七〇年はつまらぬ幻想にすぎぬかもしれません。しかし、百万分の一でも、幻想でないものに賭けているつもりではじめたのです。十一月三日のパレード(「楯の会」結成一周年記念パレードを国立劇場屋上で挙行)には、ぜひ御臨席賜りたいと存じます。
ますますバカなことを言うとお笑いでしょうが、小生が恐れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。小生にもしものことがあったら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろい出し、不名誉でメチャクチャにしてしまうように思われるのです。生きている自分が笑われるのは平気ですが、死後、子供たちが笑われるのは耐えられません。それを護って下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら頼りにさせていただいております。
又一方、すべてが徒労に終わり、あらゆる汗の努力は泡沫に帰し、けだるい倦怠のうちにすべてが納まってしまうということも十分考えられ、常識的判断では、その可能性のほうがずっと多い(もしかすると90パーセント!)のに、小生はどうしてもその事実に目をむけるのがイヤなのです。ですからワガママから来た現実逃避だと云われても仕方のない面もありますが、現実家のメガネをかけた肥った顔というのは、私のこの世でいちばんきらいな顔です。…』の文章でした。この手紙から並々ならぬ由紀夫の覚悟が吐露しています。そしてもう一つ私がこの本で目をとめた部分が佐伯影一と川端香男里の対談『恐るべき計画家・三島由紀夫―魂の対話を読み解く』の「死の前年、自決を予告した手紙」よりの佐伯氏の発言内容です、『あの頃、三島さんは不思議な人だと思ったことがあります。大学紛争で、学生が東大の安田講堂に閉じ籠っていまして、先の見通しを話している時、「佐伯君ね、あれは絶対に難攻不落だよ」と三島さんがおっしゃるのです。だって三島さん、機動隊が本気で乗り出したら、そんなの問題じゃないでしょうと反論したら、「いやそうじゃないよ、安田講堂の塔の上から、機動隊がやってきたら一人ずつ飛び下りるんだよ」って言う。一人飛び下りたら、もう機動隊は突っ込めなくなるのだ、と。自決ですね。籠城組の。閉じ籠もった学生の一人でも二人でも自決してみせたら、世論もガラリと変わっちゃうし、警察もまったく手の出しようがなくなるだろうと言うんです。僕はその時、過激派の学生たち、そんなことは万に一つもやらないだろうと思いましたが、三島さんはそういうふうに考える人なんですね。緊張が極限に達した時なら、覚悟した学生が飛び下りて見せるだろう、そうすれば機動隊は突っ込めなくなる。三島的論理で言えば、確かに筋が通っているんです。
もう少し違った例もあります。ロバート・ケネディがカリフォルニアでアラブ系の人に射殺された事件の直後、三島さんに会ったら、断固として暗殺者を支持するんですよ。そんな話ってある?って言ったら、だって、きみ、向こうはケネディ一族で、アメリカのエスタブリッシュメントの代表なんだから、貧しいアラブ系の移民の男が対決しようとしたら、ああいうやり方以外に何があるのっておっしゃるのです。こちらは返答に困りましたが。』
です。由紀夫の考え方が現れていて目をとめてしまいました。
さて次に50年の沈黙を解き世に出された本である「三島由紀夫と最後に会った青年将校」(著者・元防衛大学教授=西村繁樹)です。この本の事を書く前に、私は、この本の著者と同じく元自衛官の人の本を読んでいる事を思い出しました。それが浅田次郎さんです。浅田さんも本で由紀夫との遭遇を書いています。自衛隊時代の訓練や自衛隊組織の雰囲気も良く書いています。また二〇一六年初版発行(文春新書)の『国のために死ねるか―自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(著者・伊藤祐靖)を読んでいました。この本は『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(中公文庫)と関係や重なるところがあると思いました。なぜこのことを紹介するかというと「三島由紀夫と最後に会った青年将校」(著者・元防衛大学教授=西村繁樹)と『国のために死ねるか―自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(著者・伊藤祐靖)の時代では自衛隊の姿がかなり変貌をとげているからです。現在の自衛隊の実像は伊藤祐靖さんの著書の方が近いと思っているからです。ですから伊藤さんの本を呼んでいた私は逆に「三島由紀夫と最後に会った青年将校」(著者・元防衛大学教授=西村繁樹)の本を冷静に読めて「川端康成・三島由紀夫 往復書簡」(新潮文庫)との本の背景がよくわかるように感じました。
まわり道ではありますが伊藤さんの『国のために死ねるか―自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』を紹介します。第二章・特殊部隊創設より『米国の特殊部隊員の技量は異常に低い。この業界の人なら誰もが知っていることだが、そこに米軍最強の秘密がある。……米軍の特徴は、兵員の業務を分割し、個人の負担を小さくして、それをシステマティックに動かすことで、強大な力を作り出す仕組みにある。それは個人の能力に頼っていないので、交代要員を幾らでも量産できるシステムでもある。さらに個人の負担が少ないので持久力がある。これが、米軍が最強でありえる大きな理由だ。要は、そこらにいるゴロツキ連中をかき集めてきて短期間に少しだけ教育し、簡易な業務を確実に実施させて組織として力を発揮するのである。そして、その組織で確実に勝てるよう、戦争をプログラムしていく。以上が米軍の強い理由であり、米国特殊部隊が弱い理由である。』また自衛隊は弱いのかでは、『……日本という国は、特異な国であり、この世界標準の比較の仕方には、当てはまらないと考えるからだ。その特異性とは……日本という国は、何に関してもトップのレベルに特出したものがない。ところが、どういうわけか、ボトムのレベルが他の国に比べると非常に高い。優秀な人が多いのではなく、優秀じゃない人が極端に少ないのだ。日本人はモラルが高いと言われるが、それは、モラルの高い人が多いのではなくて、モラルのない人が殆どいないということである。
これは、こと軍隊にとって極めて重要なポイントだ。なぜそんなに重要なのか。そこには軍隊という組織に所属する人間のレベルの問題が横たわっている。
あくまで一般的傾向としてだが、軍隊には、その国の底辺に近い者が多く集まってくるものなのだ。だから戦争とはオリンピックやワールドカップのようにその国のエース同士が勝負する戦いではない。その逆なのである。
戦争となると、日本で最も駄目な十一人とアメリカで最も駄目な十一人が祖国の代表として、国の威信をかけて戦うのに近い。
要するに戦争とは、その国の底辺と底辺が勝負をするものなのである。だから、軍隊にとってボトムのレベルの高さというのは、重要なポイントなのである。
現に、自衛隊が他国と共同訓練をすると、「何て優秀な兵隊なんだ。こんな国と戦争したら絶対に負ける」と毎回必ず言われる。
……「最強の軍隊は、アメリカの将軍、ドイツの将校、日本の下士官」というジョークがあるが、なかなか頷ける話なのである。
……いずれにせよ、日本人の持つこの特異な国民性を考慮した場合、隊の大多数を占める下士官のレベルがダントツ世界一というのは、大きなアドバンテージなのである。また、自衛隊は、戦前の日本陸軍と異なり、全員が志願して入隊しているので、そもそも極端に不向きな人もいない。実は他国の軍人が驚くほどのマンパワーに恵まれている。
第四章 この国のかたちであなたの国はおかしいでは、「……掟というのは、若い人がつくるものじゃないわ。……この土地で本気で生きている者のために、この土地で本気で生きた祖先が残してくれるもの。それも、長老が自分の生涯を閉じる直前に修正をして次の長老に渡して、試行と修正を数限りなく繰り返してきたものよ。だから、この土地に生きる者にとってどんなものより大切なものなの。もう、つくれないからね。そこには、我々が許してはいけないこと、許さなければいけないことのすべてがあるのよ」。
最後の「おわりに」で伊藤さんは、防衛省は、入隊時全隊員に、「専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の実遂に務める」と宣誓させている。……ドイツの名将ロンメルは「訓練死のない訓練は、戦死のない戦闘と同じで、芝居と同様である」という言葉を残している。と引用して実戦的な訓練の必要性を語っています。大変ためになる本だと思いました。
それでは「三島由紀夫と最後に会った青年将校」(著者・元防衛大学教授=西村繁樹)
の本についてです。第一章 三島のクーデーター論では、『三島由紀夫は七十年安保を六十年安保の感覚で捉えており、警察力では、抑えられずに自衛隊が出動するだろうとみていた。「その時に私たち(三島由紀夫の「楯の会」)も一緒にやりたい」と言っていた。第二章の決起がなぜ十一月二十五日だったかでは、『由紀夫は日本の再生を求めて自決した。……「日本を日本の真姿に戻して」とある。真姿に戻してとある以上時間をどこまで戻すのかを考えると由紀夫の心情から察して昭和天皇が摂政となり新たに歴史と伝統の国、日本が誕生した。(大正十年)十一月二十五日の日付と考える。……由紀夫の天皇像は、日本の文化と歴史の伝統の中心として位置する文化概念としての天皇である。神格化された天皇とは思えない。由紀夫は神格化の代りに現代的に天皇を元首とする体制(国体)を日本国家存立の基盤にかんがえた』。第四章の自衛隊の治安出動訓練では『一九六九年(昭和四十四年)一〇月二十一日、「国際反戦デー」を由紀夫は新宿駅西口の歩道橋の上から全学連と機動隊の衝突を見ていた。由紀夫は、機動隊がデモ隊を圧倒し、自衛隊の治安出動はなくなったと見てひどく失望したのであった』。第五章では、美輪明宏のことを由紀夫が答え由紀夫についている霊は「二・二六事件の磯部浅一が?」と逆に確認したエピソードを紹介しています。また由紀夫は自衛隊は違憲であるのに法的解釈によりごまかされ、日本人の魂の腐敗、道義の退廃の根本原因をなしていると指摘する。そして、われわれは「憲法改正によって、自衛隊が健軍の本義(天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守ること)に立ち、真の国軍となる」ことを目指し、少数ながら訓練を受け挺身した、と述べている。
私が興味を持ったのが第八章の三島の防衛論からの「自衛隊はアメリカの傭兵か?」よりでした。由紀夫の檄文の後半部分には「あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう」とある。……由紀夫は一九七二年の沖縄返還後も相当数の米軍基地が沖縄に残り、「自衛隊が沖縄の人民と米軍基地の間に立ったらどうなるんだろうか」を仮定していた。自衛隊がデモを鎮圧できなければ自衛隊の威信は失墜し、逆に自衛隊が実力行使すれば反対派のヒューマニズムに利用されるとし、いずれの場合でも「アメリカは涼しい顔をしている」と予測していた。その上で、「アメリカの傭兵」たる方向に進む自衛隊を沖縄返還前に国軍化しなければならないが、「自衛隊内部に危機感など微塵もない」と述べている。この時点で由紀夫は日米安保体制があるかぎり、米軍の日本駐留は続き、自衛隊は軍隊になれないという現実に気付いていたのである。この文章を読んだとき当時の日本人は由紀夫のこの考えをどれだけ理解していたのでしょうかと問うてしまう自分がいます。
最後に私はコロナ禍でありながら現在進行形の憲法改正や自衛隊の明記などについて世間が少し騒がしくなっていることに対して危惧しています。本当に歴史から学ぼうとしているのか由紀夫や戦前・戦中・戦後に無くなり日本に関係したすべての死者たちに胸を張って日本の未来はこれですといえるのか疑問です。世界情勢から日本を考えるべきで日本の立場だけでは再び失敗するのではと思うからです。日本国憲法と自衛隊の存在は矛盾します。しかし戦後の日本は戦争をしないどころか国連を平和的・金銭的に支えてきました。
朝鮮戦争で負けられないため、米軍は日本に戦略的矛盾を押し付けたのです。警察予備隊=自衛隊を作り出し日本の政治家もそれにのったのです。この戦略的矛盾を解消するには相当な決意と国力が要ります。人口の減少する日本、高齢化する日本が手を付けると必ず火傷をします。戦略的矛盾には戦略的忍耐で日米地位協定の改定や国連への人材派遣などを通じて国力をつけていくしか近道はないと確信しています。朝鮮戦争は「休戦状態」であり、また再び反国連軍として北朝鮮や中国が動き出すか判らないからです。
現代病床雨月物語 第四十九話 「平岡君と由紀夫は心中した(その六)」 秋山 雪舟 @kaku2018
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