第42話 出張 ⑥ (才加視点)

 最初は2人が上手くいくことがただ腹立たしかった。


 でもあの日センパイに助けられてからは、それがただ邪魔したかっただけじゃないということに気がついた。


 私はセンパイから確かな特別を感じてる。

 だからこそ私は精一杯2人の邪魔をするし。

 今回の出張にだって無理を言って参加した。


 だけど。


 なぜか私はあの女とずっと一緒。

 私が行くと言えば、付いて来るのはわかってたけど、でもまさか部屋まで一緒にされるとは思わなかった。


 こないだの懇親会。

 そこでセンパイたちの関係の度合いを知った。悔しいけど、お互いがお互いのことを本気で好きなんだと感じた。


 だから私はこうして出張にも来たのに。1日中一緒にいれば少しは意識されると思ったのに。でもセンパイはずっと瀬川さんのことばかり見ている。


 2日間センパイを見ていてわかったことがある。


 多分私が何をしても2人の関係が揺らぐことはない。私がどれだけ求めてもセンパイが振り返ってくれることはない。


 きっとあの人の中には瀬川さんしかいない……。


「マジムカつく」


 ゆらゆらと湯気が漂う中。

 私は空を見上げながら呟いた。


 幸い他に人はいない。

 この広い露天風呂を私1人で貸切。

 凄く腹は立つけど気分は悪くなかった。






「あら? 藍葉さん?」


 誰かに名前を呼ばれた。

 漂う湯気のせいで誰かまではわからない。


 ゆっくりと近づいてくる人影。

 まさかと思い目を凝らしてみると。


「藍葉さんも来てたのね」


「え、あ、どうも」


 最悪だった。

 このタイミングでこの人が来るなんて。

 私神様に嫌がらせでもされてるのかな。


「ご一緒してもいいかしら」


「別にいいですけど」


 勝手に入ればいいでしょ。

 そうは思ったけど流石に口には出さなかった。


 この人も一応私の上司。

 これでも最低限の敬意は払っているつもり。


「今日は随分と歩いたわね」


 何とも言えない複雑な空気の中。

 なぜか瀬川さんは私に話しかけてきた。


「そうですね」


「脚とか腰とか痛くはない?」


「いえ、別に」


「そう」


 一体今の会話に何の意味があったの。

 わからないけど急に瀬川さんは黙り込んだ。


「藍葉さんは若くていいわね」


 と、思っていたら。

 今度はなぜか年齢の話。


 普段は年増とか言ってるけど、別に瀬川さんだって、そこまでおばさんなわけじゃない。


「別に瀬川さんも私と変わりませんよ」


「そんなことないわよ。もう30間近のおばさんだもの」


 確かこの人28歳くらいだったっけ。

 30間近ではあるけど、それだけ美人なら関係ないと思う。


「ごめんなさいね。私がいると落ち着かないでしょ」


「別にそんなことないですけど」


「え、そうなの?」


「はい、特に気にしませんよ」


「な、ならよかったわ」


 ひょっとして私、顔に何か出してたかな。

 確かに良くは思ってないけど嫌ってるわけじゃない。好き嫌いの関心を持つほど私はこの人のことを知らないし。


(てかあまりこっち見ないで欲しいんだけど)


 不意に微笑まれたけど。

 別にあなたと馴れ合うつもりなんてない。


 目を逸らした私は何も言わず。

 ただじっと湯船の中でうずくまっていた。




 * * *




 沈黙が長引くほど気になってくる。

 この人がセンパイのことをどう思ってるのか。

 センパイはこの人の前でどんな姿を見せるのか。


「あの、瀬川さん」


「何かしら」


 気づけば私は自ら話しかけていた。


「一つ聞いてもいいですか」


「ええ、何なりと」


「センパイのどこが好きなんですか?」


「ふぇえ⁉︎」


 私の質問が意外だったのか。

 瀬川さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


「い、いきなりどうしたの?」


「ちょっと気になったんで」


「そ、そう」


 そしてなぜかバツが悪そうに視線を逸らす。

 別に恥ずかしがる必要もないと思うんだけど。


 だって2人は一応付き合っているわけだし。

 思っていることを素直に教えてくれればいいだけ。


 なんて。

 訳を聞くまでは思ってた。


「真面目で誰にでも優しいところかしら」


 でもいざ聞かされると。

 なぜか胸の辺りがざわついた。


 この人が嘘をついてる訳じゃないのはわかる。

 それに惚気られて腹が立っているとかでもない。


「あとは何かないんですか」


 この意味を知るためには攻めるしかなかった。

 私の言葉を聞いた瀬川さんは、思案顔を浮かべ。


「人に寄り添うことができるところ、とか」


 私の目をまっすぐ見つめそう言った。


「人に寄り添う、ですか」


「ええ、私はそれが彼の魅力なのだと思うわ」


 真面目で誰にでも優しい。

 人に寄り添うことができる。

 それが瀬川さんから見たセンパイの魅力。


(それって……私とほぼ同じじゃん)


 瀬川さんの話でなんで胸がざわついたのか。

 なんで惚気られても腹が立たなかったのか。


 それはきっと、私もそう思っていたから。

 瀬川さんの考えに悔しくも共感してしまったから。


 センパイは優しい。

 こんな私にも寄り添ってくれる。

 だからこそ私はこの気持ちに気づくことができた。


 でも。 


「他にもたくさんあるけど、今はこのくらいにしておくわね」


 センパイがそうするのは私だけじゃない。今幸せそうに微笑んでいるこの人にも私と同じ優しさを向けている。


 そう思うと、胸がギュッと締め付けられる気がした——。






「逆に藍葉さんはどうかしら?」


「えっ」


 言い返す言葉もなかった私。

 不意に聞こえた声でふと顔を上げる。


「保坂くんはあなたにとって良い先輩?」


 何を聞かれるのかと思ったら。

 私が瀬川さんに聞いた内容そのままだった。


(そんなことを聞いてどうするの)


 今更私がどうこうできるわけじゃないのに。この人はメンヘラだから私の気持ちが気になるのかな。


「ご、ごめんなさい。彼にあなたの指導係を任せたのは私だから、上司として彼の印象とか少し気になってしまって」


「ああはい。別に謝らなくてもいいですけど」


 なぜか瀬川さんはビクビクしている。

 おまけに怒ってるかとか聞かれたし。

 適当に遇らって、それらしく答えればいいや。


「怒られた時はムカつきますけど、奢ってくれるんで都合よくはありますね」


 ちょっと適当に言い過ぎた気もするけど。センパイのイメージとしては、あながち間違ってないと思う。


「よ、よく2人はご飯に行くものね」


「まあ最近はそんなこともありましたね」


「藍葉さんくらい可愛い後輩がいたら、きっと男性としては奢りたくもなるのよ」


「そうですかね。あんだけ都合いい人間センパイだけな気がしますけど」


「そ、そんなことないわよ〜」


 そう言って瀬川さんは笑ったけど。

 私からしてたら何一つ面白いことなんてない。

 それに今、笑った後の顔が少しだけ不快だった。


「藍葉さんは保坂くんを慕っているのね」


「そこまでじゃないですけど。話しやすくはあります」


 この人の前でセンパイを褒めるのは少し照れ臭いけど、実際あの人は一緒にいても嫌な気はしない。


 手のかかる私とも目線を合わせてくれるし、周りの人たちとは違って、私をちゃんと叱ってくれる。


 慕っているかと言われたらわからない。

 でも職場の先輩として、それに近い何かはあるつもり。私はそれがあるからこそ、あの人に興味を持ったんだから。





「仲良くやれているようなら私としても良かったわ」


 不意に聞こえてきたその言葉。

 それによって私の中の何かが刺激された。


「これからも2人仲良くね」


 そう呟く瀬川さんの表情。

 一見笑っているようにも見えるけど。

 私の目に映ったそれは、あまりにも酷く怯えていた。


(なんでこんな作り笑いするの)


 これからも2人仲良く。

 口ではそう言っているはずなのに。

 なぜかこの人は今にも泣き出しそうだった。


「それ本気で言ってるんですか」


 だから私は聞いた。

 今の言葉は本当なのかって。


 そしたら。


「も、もちろんそうよ」


 自信なさげな引きつった顔。

 震えた声でそうだと言ったのだ。


 そのどこまでも弱気なこの人の姿。

 心では思ってもないことを言ってしまう性格。


 おどおどしたこの人を見てると、虫唾が走るような苛立ちを覚えた。


 だから——。


「多分私、センパイのこと好きですよ」


 半分やけだったと思う。

 でもこの人のせいで、言ってやろうという気になった。


「もちろん異性としてです」


 センパイが好きなのは私じゃないのは知ってる。これをこの人に伝えたところできっと何も変わらない。


 けどね。


 センパイの本当の気持ちをこの人は知らない。

 あの人が向けてくれた好意をこの女は疑ってる。


 好かれているのに。愛されてるのに。

 私にはないものを持っているはずなのに。


 この人はずっと何かに怯えてる。

 それが凄く腹ただしくて、ただただ憎かった。


「私は瀬川さんみたいに臆病ではないので」


 ここまで言うつもりはなかった。

 でも頭に血が上ってか、気づけば口にしていた。


 返事を待たずに温泉を出た。


 その後の瀬川さんが何を思ったのか。

 私はそれを知らない。

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