第22話 手料理

「今日は本当にごめんなさい」


 家の玄関をまたぐなり。

 麗子さんは神妙な顔つきで謝罪の言葉を口にした。


「また私のせいで迷惑をかけてしまったわ」


「そんな、もう気にしていませんから」


 会った時は少し不機嫌気味だった麗子さんだが。

 今の彼女からはそのような雰囲気は見て取れない。

 むしろ今日の自分の行いを酷く悔いているようだった。


「お詫びに私が何か作るわね」


「作るって……もしかして料理ですか?」


「そうよ。そのためにスーパーに寄ったんだから」


 なるほど。

 やけに具材をたくさん買い込んでいたが。

 どうやら料理をするためだったらしい。


「なんかすみません気を遣わせてしまって」


「いいのよ。私がしたくてすることだから」


 麗子さんは確かに変わった人だ。

 一般的に言えばメンヘラなのだろうと思う。

 今日だって少なからず彼女の行動には驚かされた。


 でもその反面。

 彼女は自分の行いを悔いることができる人だ。

 自ら気づき反省して素直に謝ることができる人だ。


 当たり前のことを当たり前にできる。

 そんな人であるからこそ俺は彼女を選んだ。


 メンヘラを受け入れてしまえるだけの何か。

 麗子さんの中には確かなそれが存在している。


「それじゃお言葉に甘えてお任せしますね」


 本当は手伝いなどをしたいところだが。

 今日ばかりは麗子さんに全て任せるとしよう。

 彼女の善意に甘えるのも彼氏としての立派な役目だから。


「ちなみに何を作るんですか?」


「まだ秘密。出来上がってからのお楽しみよ」


「なるほど。それは楽しみです」


 まあ色々と複雑に考えてはしまったが。

 俺は純粋に麗子さんの手作り料理が楽しみなのだ。


 美人で歳上の彼女に手料理を振舞ってもらえるなんて、俺が1人暮らしを始めた当初は夢にも思っていなかった。


「保坂くんは部屋で待ってて」


「わかりました。あとはお願いしますね」


 唐揚げか。ハンバーグか。 

 それとも全く別の料理なのか。

 今のところ全く想像がついてはいない。


 でもはっきりと言えることが一つ。

 麗子さんが作った料理なら何であれ美味いに決まっている。


「楽しみだぁぁぁぁ」


 期待が思わず声に漏れてしまう。

 それほどに俺はこの時を待ち望んでいた。

 麗子さんの愛情が詰まった手料理を食べられるこの時を。




 * * *




 ガラガラガッシャーン!!!!


 その音が聞こえたぐらいからだろうか。

 俺の理想が幻想へと姿を変え始めたのは。


「大丈夫ですか⁉︎」


「大丈夫よ。ごめんなさい」


 音的にかなり心配ではあったが。

 あまり口を出すのも野暮というものだろう。

 俺は麗子さんのその言葉を信じて待ち続けた。


 しかし。


「包丁ってどうやって使うのかしら」


 耳を疑うようなセリフが聞こえて来たり。


「痛っ……!」


 今絶対包丁で指を切ったよね?


 と、心配になるような声が聞こえて来たり。


「お肉ってお水で洗ってから使うのよね」


 そんなテンプレなこと言う人いるんかよ!


 と、思わずツッコミたくなるような独り言まで聞こえて来たりした。


 極め付けには。


 バリーン!!!!


 盛大に皿を割ったであろう音が鳴り響く。


 ここまで来ると流石に俺も黙ってはいられず。

 計り知れぬ不安を抱えて、台所へと直行した。


 すると——。


「だ、大丈夫ですか⁉︎」


 目の前には思わず目を疑うような光景が……。


「血出てるじゃないですか!」


「ちょっと包丁で指を切っちゃって」


「ちょっとどころじゃないですよ! 早く止血しないと!」


 麗子さんの指からは噴水のように血が吹き出し。

 床には落として割れてしまった皿の破片が散乱している。


 おまけに台所の上は食材だらけ。


(あ、この人料理苦手なんだろうな……)


 ってのが一目でわかるような現場だった。


「ひとまず絆創膏で」


 部屋にあった絆創膏で麗子さんの指を止血し。

 散らばった皿の破片を手早くほうきで片付ける。


「他に怪我とかはないですか?」


「ええ、大丈夫よ」


 それ以外に目立った怪我はなさそうだったのでよかったが、あのまま麗子さんを1人にしていたらと思うと、想像するだけで肝を冷やした。


「重ね重ねごめんなさい」


「いえ、無事ならいいんですよ。でも……」


 皿を割ったことなら気にしていない。

 怪我も大したことなさそうでよかった。

 むしろ俺が気になるのは、この鍋に入った物の正体だった。


「これは一体……」


 上手く表現できない。

 だが強いて言うなら赤い。とにかく赤い。

 赤すぎてマグマが入っているのかと思ったほどだ。


「肉じゃがよ」


「へぇー……随分と赤いんですね」


「色付けに一味唐辛子を一本入れてみたの」


「一味唐辛子を一本……な、なるほど……」


 何とも斬新な考えだ。

 まさか麗子さんの料理の腕がここまでだったとは。


「やっぱり麗子さんって——」


「それ以上言わないで!」


 麗子さんって料理苦手ですよね。

 そう言いかけたが全力で止められた。


 どうやら苦手な自覚はあるらしい。

 ならなぜ自ら料理するなんて言い出したのだろう。


「無理しなくてもいいんですよ」


「でもこうすると彼氏は喜ぶって本に書いてあったから……」


「だから苦手なのに何か作ってくれようとしたんですか?」


「うん……」


 それを聞いて腑に落ちた。

 お詫びとは言え急すぎるなと思っていたが、どうやら麗子さんは前々から料理をする計画をしていたらしい。


 何事にも真面目な人だとは思っていた。

 でもまさか本まで買って恋愛について勉強していたとは。


「もしかして嫌いになった……?」


「そんな、むしろ逆ですよ」


「逆……?」


「俺のためにそこまでしてくれて、嬉しくないはずないです」


 料理の手際はどうであれ。

 彼氏のために何かをしてあげたい。

 そう思う麗子さんの気持ちは本物だ。


「出来栄えなんて俺は気にしませんよ」


「でも……美味しくなかったら?」


「その時はその時でまた考えましょう」


 例え美味しくなかったとしても。

 俺は麗子さんの気持ちだけで十分に満足。

 故に俺は今、この世の誰よりも幸福を感じていた。


 だからこそ言いたい。


「あとは俺がやりますから」

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