第16話 ラーメン
俺がレジに漫画を置いた瞬間。
背後から雑誌を持った腕がぐいんっと伸びて来た。
「おい。何してる」
「何って、一緒に買ってもらうんですよ〜」
「それは別に構わんが、当然金は払うんだろうな」
「え〜、たったの700円ですよ〜? いいじゃないですか〜」
「だったら自分で払え」
俺は藍葉に無理やり雑誌を押し返し。
すぐさま自分の漫画分だけの会計を済ませた。
「むぅぅ〜、センパイのケチ」
いくらムスッとされても甘やかさない。
それに700円あればラーメンが1杯食べれる。
休日になってまで、後輩に振り回されるわけにはいかなかった。
会計を済ませすぐに本屋を出る。
するとなぜか藍葉は俺の後を追いかけて来ていた。
「センパイこの後どうするんですか?」
「どうするって、ラーメン食ってすぐ帰るけど」
「えっ! ラーメンですか!」
この反応。
何だか凄く嫌な予感がする。
私も行くとか言いださなければいいが。
「まさかお前もついてくるとか言わないよな」
「いやいや、普通に行きますけど」
「やっぱりか……」
どうせこうなるだろうと思っていた。
だから俺は藍葉より先に本屋を出たのに。
「言っとくが奢らんからな」
「もう〜、わかってますって〜」
「何を言われても絶対だからな」
奢ってくださいよ〜!
とか言われる未来が容易に想像できるので。
俺は今のうちから、強めに釘を刺して置いた。
「それに今から行くとこは、お前の好みかわからんぞ」
「大丈夫ですよ〜。私ラーメンなら何でも好きですし」
「後になって後悔しても知らないからな」
あえて脅すようなことを色々と言ってはみたが。
どうやら藍葉の気が変わることはなさそうだった。
ならばこれ以上、彼女を煙たがるのもよくないだろう。
「それじゃラーメン屋さんにレッツゴー!」
「何でお前が仕切ってるんだよ……」
* * *
豚骨のいい香りが外まで漂うこの店。
都内でもそこそこ有名なラーメン屋らしいが。
正直俺はその辺の知識をほとんど持ち合わせてはいない。
数年前近くを通った際にたまたまこのラーメン屋を見つけ、その強烈な旨味の虜になってからは、幾度となくこの店に足を運んで来た。
言わば中毒性のあるこってりラーメン。
油が浮いた濃厚なスープがとにかく美味い。
加えて麺は短めで啜りやすく、濃厚スープとの相性も抜群だ。
「センパイ、おすすめってどれですか〜?」
「そうだな。初めてなら普通のラーメンでいいんじゃないか」
トッピングやサイドメニューはかなり豊富ではある。
だが初めての藍葉には、ノーマルなラーメンが最適だろう。
「おい。お前のその手は何だ」
「え〜、待ってるんですよ〜」
「待ってるって何を」
「ここに手を広げてるとお金が降ってくるって聞いたんで〜」
あれほど奢らないと釘を刺したはずだが。
どうやら藍葉の図太さは予想の遥か上だったらしい。
意味不明な理由をつけて、俺に金をねだって来やがった。
「じゃあお前はそうやって金が降ってくるのを一生待ってろ」
「えっ? ホントに奢ってくれないんですか? ぼっちでラーメンを食べるセンパイのことを可哀想だなーと思ったから、仕方なくついて来てあげたのに?」
「一言も頼んでねぇんだよ……」
更には言い分もめちゃくちゃだった。
これを瞬時に思いつくあたり、本当いい性格してるこいつ。
「私今日ネイルでお金使っちゃったんですよ〜」
「だとしても700円くらい自分で出せるだろ」
「ムリですムリです。実は今月結構キツキツで〜」
「はぁ……」
今月キツキツならネイルなんかに金を使うな!
と、本当は言ってやりたいところなのだが。
これ以上店の入り口で揉めるわけにもいかなかった。
それに俺たちが揉めている間、店の奥からは絶え間なく豚骨のいい匂いが漂って来ており、それが空腹状態の俺の思考を、徐々に悪い方向へと鈍らせていた。
その結果。
「もういい。好きにしろ」
俺は自らの手で食券機にお金を入れ。
藍葉にラーメンを奢る構図を見事に完成させてしまったのだ。
「やった。ごちになりま〜す」
待ってましたと言わんばかりにボタンを押す藍葉。
躊躇のかけらすらも感じさせない彼女に関心さえ覚え、それと同時に毎度毎度こいつの口車にあっさりと乗せられている自分が、情けなくて仕方がなかった。
700円ぐらいいいだろ!
から、700円ぐらい別にいいか。
に、いつしか気持ちが変わってしまう。
こんなの普通に考えて恐怖でしかない。
あまりにも簡単に誘導され過ぎて、自分がバカなのかと錯覚すらする。
もしかしたら藍葉は、凄腕のメンタリストなのかもしれない。
だとすればこうも簡単に感情を動かされる理由にも納得がいく。
「お好みどうされますか」
テーブル席に着席してすぐ。
店員が俺たちの食券を確認しに来た。
その際にラーメンのお好みを聞かれるのだが。
俺は麺硬めの他は普通。
一方の藍葉は全部普通でお願いした。
「こういうラーメン屋さん始めて来ました〜!」
ラーメンの出来上がりを待っている間。
何やら藍葉は店内の至る所を写真に収めていた。
もしや今流行りのSNSにでも投稿するのだろうか。
「そういやお前、ラーメン好きって言ってなかったっけ?」
「ラーメンは好きですよ〜。インスタントですけど」
「インスタントかよ……」
てっきりラーメン屋によく行くのかと思っていた。
この感じだと、ラーメン屋に来るのは初めてっぽい。
内装を見る目が、初めて遊園地に行った子供のそれだ。
「お待たせしましたー」
しばらくして念願のラーメンが届いた。
一度上から見下ろしてみれば、『これこれ!』と思わず頷いてしまいそうになるほどのビジュアル。
そしてそそり立つ湯気と香りが、俺の食欲をこれでもかと刺激した。
「いただきます」
小さくそう呟いて。
早速スープから攻めてやろうとしたその時。
「えっ、何ですかこれ……」
突然藍葉が不可解な声を漏らした。
続けて絶望に近い顔でスープをひと掬いし。
「これ全部油ですか……」
と、当たり前のことを聞いて来たのだ。
「上に浮いてるのはほとんど油だな」
「じゃあ肝心のスープはどこなんですか……」
「だから油の下がスープで——」
「ありえないですよ……」
「はっ?」
「こんなの食べられるわけないじゃないですか……」
こんなラーメンは食えない。
もっとあっさりしたやつがよかった。
これでもし太ったらどうしてくれるんですか。
などなど。
勝手について来ておいて、好き放題文句を言い始める。
「だから言っただろ、後悔するぞって」
「そうですけど。これは流石にちょっと」
「別に嫌なら食わなくていいぞ。その代わり金は返せ」
「勿体無いので食べますけど……」
生意気言われるのは別に構わないが、まだ食べてもないのに、ラーメンに対する文句を言われるのだけは少し腹が立った。
「ほら、思い切って食ってみろ」
「うぐっ……いただきます……」
俺が早く食べるよう急かすと。
藍葉は露骨に顔を引きつらせ、恐る恐るスープを一口。
すると——。
「……んっ! 美味しい!」
今まで曇っていた表情が一気に晴れ。
聞きたかった一言が藍葉の口から飛び出した。
「これめちゃくちゃ美味しいじゃないですか!」
「だろ。ここはスープが美味いんだよ」
「こんな美味しいラーメン初めて食べました!」
そこまで言われるとは思っていなかったが、普段インスタントしか食べない藍葉にとっては、相当な衝撃だったのかもしれない。
「美味いなら残さず食えよ」
「こんな美味しいラーメン残すはずないじゃないですか!」
そう言って勢い良く麺を啜る藍葉。
果たしてこの勢いがどこまで続くのか。
ここのラーメンの闇を知る俺は、今から楽しみで仕方がなかった。
「んんんん!! おいし〜!!」
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