【完結】メンヘラ彼女の治し方〜憧れの美人な上司を彼女にできたが、思い描いていた恋人ライフとは随分と違いました〜

じゃけのそん

第1話 勝負の日 ①

 ここで決着をつける。

 しがない会社員である俺、保坂真比呂ほさかまひろは己の心に固く誓った。


 度重なる脳内シュミレーションの末、辿り着いたこの日。


 普段よりも15分早く起床し、普段の倍歯磨きに時間を費やし。

 昨日コンビニで買ったカツ丼を平らげた後、気合いを入れて出社。


 その直後すぐに腹を下した。


 就業時間中は文字ばかりのPCをただじっと眺め続ける。

 それは仕事に身を入れ過ぎないことで精神の統一を図るため。

 余計な要素を一切考えないことを、何よりも一番に優先した。


 その結果、今日だけで150枚ほどの印刷ミスをしたが。

 幸いそれを知るのは、同期でデスクが隣のほりしかいない。

 故に何の問題ないと言える。


 瀬川麗子せがわれいこさん。


 全ては彼女に数年越しの想いを伝えるため。

 俺の思い描いた理想を自らの力で掴み取るため。

 そのために俺は、社会人としての貴重な1日を犠牲にしたのだ。


「さすがに華金は混んでるわね」


「ですね」


 都内の高級レストラン……ではなく、会社近くの安い焼き鳥屋。

 仕事帰りのサラリーマンで賑わうその店内に、一輪の花が咲いた。


 艶のある長い黒髪。雪のように美しく白い肌。

 そして世の男を魅了する完璧なボディライン。

 庶民的な店には似合わないその存在に、誰もが一度は視線を奪われる。


「お客様2名様でしょうか?」


 昔こそ特別感のあった店員のそのセリフも。

 俺たちに向けられる客たちの厚かましい注目も。

 今となっては日常の中にある、ほんの一瞬の出来事でしかない。


「こちらの席をお使い下さい」


 2人席に案内されるのも、いつしか当然になっていた。

 それくらい俺は、彼女との距離を縮められたのだと思う。

 そうじゃなければ、仕事終わりに憧れの女性を飲みになど誘えない。


「すみませんお疲れのところ」


「いいのよ。私保坂ほさかくんと飲むの好きだし」


 酒を飲む相手として良い。

 という意味なのは十分理解しているが。

 ”好き”という単語を彼女の口から聞くと、自然と気持ちが高ぶった。


「私は生にするけど、どうする?」


「俺も同じく生で」


 高揚した気持ちのまま近くの店員を呼ぶ。

 そしてまずはいつも通り生ビールと適当なツマミを注文し。

 到着して間もなく、キンキンに冷えたジョッキで爽快な音を奏でた。


「乾杯」「乾杯」


 カコン、と心地いい音が鳴り響いたその刹那。

 俺たちは勢いよく、黄金の液体を喉に流し込んだ。

 するとその数秒後には、自然と幸せの吐息が溢れ出る。


「ふはぁ、飲みといったらやっぱりここよね」


「このキンキンのジョッキが良いんですよね」


 ビール好きには心底たまらない。

 仕事でカラッカラになった喉に突き刺さる至高の一杯だ。


「というか瀬川さん。相変わらずビール好きっすね」


「何よ。OLはワインかカクテルしか飲んじゃいけない決まりでもあるわけ?」


「い、いや……そんなことはないですけど。なんだか珍しいなと思いまして」


 ただでさえ女性が好んでビールを飲むイメージはあまりないのに、美人で清楚な瀬川さんに限ってビール好きというのは、正直今でも信じがたい事実だった。


 そもそも今日この店にしたのだって、瀬川さんの好みに合わせたからであり、仮にも俺が他の女性を好きになって告白すると決めたのなら、こんな庶民的な居酒屋じゃなく夜景の見えるオシャレなイタリアンに連れて行くだろう。


「別にいいわよ。おじさん臭い女だと思われたって」


「そ、そんなこと誰も思わないですよ」


 ふんっ、とそっぽを向いてしまった瀬川さん。

 しかし彼女の右手には、しっかりとジョッキが握られていた。


(この人、本当に酒が好きなんだな)


 男の俺ですらついて行くのがやっと。

 それほどに瀬川さんは生粋の酒好き美女なのだ。

 俺はそのギャップにまんまとやられてしまったのかもしれない。


「次、飲み物何にします?」


「生おかわり」


 結局2杯目も生だった。




 * * *




 庶民的とは言え、この店の料理はどれも絶品だ。

 そのせいで俺はいつも、ツマミだけでビールを2杯は飲んでしまう。

 瀬川さんに至っては3杯目を飲み終え、4杯目のビールに手をつけていた。


「お待たせしました。焼き鳥の盛り合わせの塩です」


 乾杯からおよそ30分。

 ここでようやくメインディッシュが到着した。


「串外しますね」


「うん、ありがと」


 焼き鳥が到着してすぐ。

 俺はいつものように自分の箸で、次々と焼き鳥を串から外して行く。


 本来ならば未使用の箸を使うべきなのだろうが。

 いつしかこの構図は、俺たちの飲み会の中で定着していた。

 最初こそ遠慮したが、今となってはお互い何も気にしていない。


 ちなみに味はタレではなく塩。

 幸いなことに瀬川さんも俺も塩派。

 なので注文時の言い争いとかは特にない。


「あ、薬味使いますよね」


「ああうん。ごめんなさい、何もかも任せっきりで」


「いえいえ。部下なので当然です」


 サービスの薬味を注文し忘れていたので急いで注文する。

 焼き鳥を食べる上で、一味、山椒、柚子胡椒は絶対外せない。

 これも酒飲み特有のさがみたいなものなのだろう。


「これで最後ですかね」


「ありがと」


 薬味が届いた頃には、全ての焼き鳥を串から外し終え。

 瀬川さんは、早速山椒を振った大きめの鶏皮を一口摘んでいた。


「う〜ん! おいしっ!」


 そう言うと、すかさずビールをゴクリ。

「ハァァ……」と何とも幸せそうな吐息を漏らす。


 まるで生のCMを見ている気分だ。

 間違いなく美味いということが見ているだけで伝わってくる。


(その顔も好きなんだよなぁ)


 そして俺は改めて実感させられる。

 やっぱりこの人は素敵な女性だと。


 他人からの信頼も厚く、男性人気も非常に高い。

 誰に聞いても完璧だと言われるポテンシャルを持っている。


 にもかかわらず瀬川さんは、一切自分を飾らろうとしない。

 飾るどころか平凡な俺ともこうして親しくしてくれる。


 俺が新人の頃から、この人はずっとこうだった。

 そして俺はそんな瀬川さんを人として尊敬している。


 いつか瀬川さんのような上司になりたい。

 初めはそんな憧れを抱き、気づけば恋に落ちていた。


 見た目が綺麗だからでも、スタイルがいいからでもない。

 俺は瀬川さんの人柄に惹かれ、本気で彼女を愛しているのだ。

 間違っても社内の下心しかない男たちとは同類にはならない。


「食べないの?」


「ああいや……」


 頬を桃色に染め、上目遣いでそう尋ねてくる瀬川さん。

 そんな彼女の大きく開いた襟元から谷間らしきものがチラリ。

 自然に髪をかき上げるその姿が、とんでもない色気を放った。


「このままだと私が全部頂いちゃうわよ」


 おまけにその狙ったような言い回しだ。

 一体何を頂いちゃうんですかぁぁぁぁ?

 と、思わず聞き返してしまいそうになってしまった。


「俺もすでに同類か……」


「今何か言ったかしら?」


「な、何でもないです。焼き鳥頂きますね」


 妄想が飛躍しすぎたせいで、思わずドキッとしてしまったが。

 俺はあくまで何食わぬ顔で、焼き鳥を食ったのだった。

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