58、身分とは

リリスが暗い廊下をしばらく行った先は、ランプの油が切れたのか突然真っ暗になった。

慣れない場所にきょろきょろ周りを見回しながら彼の姿を探す。

ヨーコが飛んできて肩に留まり、ここで見えなくなったことを告げた。


「この辺で足音が止まったから、いると思うんだけど。」


「ええ、あの方は暗闇が苦手ですから……」


そうっと足を進め、聞き耳を立てる。


「クスン……」


鼻をすする音に、ホッと息をついた。

少し戻って壁のランプを一つ手に取り、そっと影をのぞきながら歩き出す。


やっぱり……


彼の暗闇恐怖症はよく知っている。

廊下の角をのぞくと、ちょうど月明かりの差し込む所に座るイネスの、白い髪と白装束の背中が神々こうごうしいまでに輝き、白く浮かんで見えた。


「イネス様、ご一緒にお食事へ参りましょう。」


背中越しに話かけると、イネスがすねて膝を抱き顔をせる。

リリスがそっと手に手を重ね、ランプを横に置いて膝をついた。


「私は、同じ身分の方とお友達になれたのが嬉しかったのです。

たとえ同じ下働き同士でも、家の名を持たない私は人の下で働くのが当たり前で、同等に見ていただいたのが本当に…本当に嬉しくて。

気味が悪いと言われていたこの髪を、綺麗だとおっしゃっていただきました。

お優しい、心の広い方です。

だから……大切にしたいのです。」


それは、それはわかる。

イネスにもわかる。

でも、でも!イネス自身を信用して、そいつの名を教えてもくれないのが腹立たしい。


まして、初めてとは何だ!俺は友達じゃなかったのか?


イネスは怒りが収まらない。


「でも!お前はそいつの方が大事なんだ!

俺なんて、友達とも思ってくれないじゃないか!」


「それは……!」


手を払い、イネスが立ち上がってサファイアのいる方へ戻って行く。

慌ててリリスは彼を追って、何とか機嫌を直して貰おうと声を上げた。


「イネス様、私にはイネス様も大事な、大切な方でございます!どうか……」


「も、とは何だ!そんな下働きの奴と並べるな!

俺は巫子だ、無礼者!顔も見たくない、下がれ!お前とは絶交だ!」


突き放す言葉に、リリスが足を止め立ち尽くす。

油が切れたのか足元のランプが消え、あたりは暗闇に包まれた。



駄目だ、やっぱり……

私はあまりにも……身分が違いすぎる…………

いつかこういう日が来ると……覚悟していたはずなのに……



ふらふらと、その場にリリスがひれして頭を下げる。


「巫子様、申し訳……ございません。」


サファイアがイネスを途中で出迎え、ひれ伏すリリスを一別いちべつする。

闇の中、リリスは闇にとらわれ消えてしまいそうに感じた。

イネスは胸の中で、彼をきっと傷つけてしまった罪悪感でいっぱいになった。

それでも、巫子である彼は折れることを知らない。


「よろしいのですか?」


「ふんっ!」


イネスはサファイアの出すタオルを奪い取り、顔をごしごし涙と鼻水を拭いた。

リリスがいると聞いて会えるのが凄く楽しみだったのに、なんでこうなったんだろう。

腹がぐーっと鳴って、自室に向かいながらドスドス足音を立て、空気の読めない自分の腹にも腹が立つ。


「食い物もってこい!食堂には行かない!」


「は」


用意された部屋に飛び込み、バタンと乱暴にドアを閉める。

サファイアはじっとしばし閉められたドアを見つめ立っていたが、思い立って中へ入っていった。


「何の用だ!さっさと食い物もってこい!」


イネスは荒れて、イスをり、腹立たしそうに上着を脱ぎ捨てる。

巫子らしからぬ気性の荒さは見慣れているが、ここまで荒れることは珍しい。

それだけ彼にとってリリスは大切なのだと、サファイアは十分承知していた。


「イネス様は、ここへ何をする為に参られましたか?」


イネスがピタリと止まり、キッとサファイアをにらみつけた。


「何が言いたい、俺はきっちり仕事はやる!

魔物が現れたら、切り捨ててくれる!

俺は地の神殿の巫子、百合の戦士だ。無礼を言うな。」


「おわかりであればよろしいのです。

が、戦いに必要なのは力だけではありません。

最も重要なのは味方同士の和。

和がなければ魔導の力も増幅することなく、巫子のいやしの力も半分も効きません。」


「だって、あれはリリが悪いんだ。

俺を信用してないのはあいつじゃないか。」


「巫子であるあなたは、このアトラーナでも指折りの地位にあります。

人のことを知ること、それこそ慈悲のことわり

生まれの為に最も低い身分に甘んじねばならぬリリス殿のことを、もっと理解なさいませ。」


「俺は身分なんてちっとも気にしてない。それを少しも理解してないのは、あいつじゃないか。」


「いいえ、話を聞こうとしないのはあなたです。

リリス殿がどんなにあなたを大切に思っているか。あなたは全く理解していない。」


「そんなこと……俺だってわかってる。」


「身分はたとえ本人方が気にしなくとも、変わらずついて回ります。

そして何かあればめを受けるのは、必ず身分の低い弱い立場の者なのです。」


きっぱりと言われ、イネスがうつむいて倒れたイスを自分で起こす。

そしてうなだれて座り、じっと何かを考え始めた。




サファイアは侍女にイネスの食事を持ってきて貰うと近くの兵に警護をたのみ、食堂へと部屋を出た。

廊下から見上げる空はすでに星が瞬いている。


「ルビーが着くのは明日の朝かな。

さて、あとはガーラント殿にたのむか……」


サファイアは弟のことを思い浮かべ、無事に主であるセレスの世話をしているかとクスリと微笑んだ。




ザアア……ガシュガシュ!


仕込みのために遅くまで仕事をしていたのだろう、厨房ちゅうぼうではすっかり夜も遅くなって翌日の下ごしらえも終わり、ランプの薄暗い中で一人のシェフがあと片付けを済ませている。

それでもまだギリギリまで火を落としていないのは、食事をまだ済ませていない者を気遣きづかってのことだ。

そしてカウンターの向こうの食堂では、一人の男がひっそりと食事をしていた。


その男、サファイアが、暗い食堂のすみのテーブルにろうそくを立てて遅い食事を取っていると、遅れてリリスがやってきた。


「あ……」


がっくりと肩を落とした様子で、リリスがサファイアに頭を下げカウンター越しに食事をたのむ。


「はいよ、ちょうど明日の仕込みが終わって火を落とそうと思っていたんだ。お前様が最後だよ。」

コックの男が、仕事の終わりにホッと息をついた。


「遅くに申し訳ございません。ご迷惑をおかけします。」


リリスが頭を下げると、コックは愛想良く笑う。


「お前さまは風様の使用人なんだろう?ずいぶん物言いが丁寧な子だ。

うちの子に爪の垢飲ませてやりてえや。

残り物おまけしてやるよ、もう少し太りな。」


「ありがとうございます。」


リリスがにっこり笑って、トレイを持ち振り向く。

がらんとした食堂に、一人、サファイアが食事をしていた。


「ご一緒にいかが?遅いから誰もいなくて、怖くて泣きそうなんだ。」


サファイアが彼に手招きして、冗談を言って微笑む。

リリスは苦笑すると一礼し、向かい合って一緒に食事を食べ始めた。


「あの……イネス様はよろしいのですか?」


「食事中ですよ。さっきのこと……悪かったですね。」


「いえ、私が悪いのです。イネス様を傷つけてしまいました。絶交では、もうお会いすることもかないません。」


黙々と味のしない食事を続け、ふとろうそくの火に見とれる。

暖かな輝きが、何故かひどく懐かしかった。

ヨーコは肩でうとうとして、サファイアがクスッと笑う。

自分とリリスのコップに水差しから水を入れ、一口飲んだ。


「私は、あなたがイネス様を友達と呼べない理由がわかります。

身分を超えて友達になった、それはすばらしいことですが、あなたには重荷でもあったのでしょうね。」


サファイアは、リリスの気持ちをわかってくれている。

何か、おなかの中にある物をはき出したい、そう言う気持ちがわいてきた。

リリスがうつむき、スプーンを置きテーブルの上で手を組む。

ちょうどその時、入り口には静かにガーラントが立っていた。

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