絶対的ハッピーエンド
稲井田そう
第1話
私、菊島理紗の顔はすこぶるいい。
睫毛は長いし目も大きく、鼻は小ぶりで唇は見ているだけで柔らかそうだ。
肌は白く、腰は括れていながら胸部装甲も申し分ない。髪だって元からさらさらふわふわだったけど、ちゃんとケアしてるからどこかでも艶々だ。
学校では男子生徒に二日に一度告白されているし、街を歩けば「テレビに興味ありませんか」「モデルとかやったことありますか?」と尋ねられ、カフェに行けば勝手にお会計されることもままあるし、歩いてるだけでこれ!良ければ! と何かを貢がれることだってある。
けれど顔が良くたって、好きな人に好かれなければ無意味だ。
定期的に休み時間が第三者の手によって奪われ、おおよそ人が得られる休憩時間の三分の一しか得られないことは誠に遺憾であるし、街を歩くたびに人に声をかけられることは毎回となるとノイローゼになる。勝手にお会計されるのは普通に怖いし、プレゼントだって芸能人ならまだしも一般人として生活していて、名前も分からない物を不特定多数から贈られるのは感謝以前に迷惑だ。
そして、これらのことを断れば人々は何を血迷ったのか「気を遣わないで」「こっちが贈りたいだけだから」と、明後日の解釈をして、倍の時間と手間がかかるのである。
下手に無下にすれば逆上され何をされるか分からないし、「顔だけの女で性格はゴミ」と虐めの標的になる。
基本的にどんなこともちょっと油断するだけで、「顔しか取り柄が無いくせに」と糾弾される。
そう考えると、無意味どころかデメリットが多すぎる。
◆
「藤角くん、さよなら」
「お、お、お、お、あ、さよなら……」
授業が終わる鐘が鳴り、放課後。
前髪を長めに切り揃え分厚いレンズの眼鏡をかけた藤角くんに声をかけると、彼は「何故僕に」とでも言うようにぎょっとしつつ挨拶を返してくれた。
藤角くんはぺこぺこお辞儀をして、リュックを背負い直し速やかに教室から去っていく。私は網膜からの情報がしっかり脳に刻めるよう、彼が去っていく後ろ姿をじっと見つめた。
遠目から見ても肌は私より白く、どちらかといえば不健康そうな白さだ。腰だって私より細い。そんな彼の事が私は。
好き。
大好き。
藤角くんと、私。
はっきり言えば接点は無い。小学校も中学校も違うし、高校に入り一年が経過した現在、座席が近くなったことも無ければ出席番号だって遠い。教室で彼はオタクグループに属し、趣味趣向が同じなのであろう三人組で教室の隅っこでアニメ雑誌を囲み楽しそうにしている。
私は教室の中心で人に囲まれ話したりする。部活は同じ帰宅部だけれど、帰宅部は同じ部活だから仲良くしようお話ししようという部活ではない。
今まで会話した時間を総計算すると、三十分にも満たないと思う。
けれど私は、藤角くんが好きだ。
もうそれはどうしようもなく。
男として好きという意味の方で。
好きになったきっかけは、入学して間もない頃。
SNSのIDを聞きたいと群がって来た先輩やクラスメイトを避ける為、人気のない空き教室で弁当を食べていると、私は水筒の中身をうっかりぶちまけてしまった。
そこに藤角くんが通りかかり、床を拭くのを手伝ってくれたのだ。床を拭き終わった後、お礼を言うと、「あ、あ、お気になさらず、あ、あ」と、もそもそ、ぺこぺこして藤角くんは立ち去った。
そんな藤角くんに恋をしたのだ。
本当に、もうすとんと、一瞬にして恋に落ちてしまったのである。
もしかしたら恋の包丁で刺されてたのかも。
うん。私藤角くんに刺された。
けれど恋に落ちたと言えど、私はどうすればいいか分からない。
私の顔がいいせいで、私から行かずとも人は勝手に群がって来ていた。
その為自分から接近する方法、距離がさっぱり分からないのだ。今まで好き、仲良くなりたいと思った人間なんていなかった。どちらかと言えば人間関係に対し煩わしさや嫌悪を抱き、それを良しとしていた結果こんな事態を招いてしまった。
なんとか打開すべく、小学生向けの友達の作り方の本から婚活情報誌まで幅広く知識を仕入れて、藤角君と仲良くなれないものかと日々邁進しているけど上手くいかず、日々「ァ、オ…………ウ……」みたいな挨拶を「藤角くん、さよなら」と人間の言葉に変換することに尽力している。
春が終わり夏が過ぎ、秋が近づく今。現状それが精いっぱいだ。
ならば顔でどうにか落とせないかと思ったものの、以前藤角くんが私が彼にだけ挨拶をしていることをオタクグループに指摘され、彼と仲のいい
「告白されたらどうする?」
という質問には、「そんなの、ドッキリだろうと思う、あり得ないよ」と返していた。
綺麗と思われたのは嬉しいし、顔で私のことを気になっているっぽい感じだと分かって最高だと思った。
でもこの顔のせいで好意を信じてもらえないのなら、何百人に告白され、何百人と告白しても承諾を絶対得られる顔だとしても無意味である。そして告白したらドッキリと思われるのだ。死ぬしかない。南無。
しかし私のこの強大な好意は、そこそこ一方的でもない。
それは藤角くんが出会って以降、私が捨てたティッシュとかのゴミをこっそり回収していたり、私の私物……文房具や体育着を新品と取り換えるからだ。
私が家に帰る時藤角くんは後ろからこっそりついてくるし、朝人の気配を感じると後ろには藤角くんがいたりする。
以上の行動からして藤角君が私に何かしらの執着を持っていることは間違いないのである。
正直に言えば藤角くんの私に対する変態的犯罪行為は、藤角くん以外であるならば気持ち悪いし怖い。死んで欲しい。それはそれは苦しんで死んで欲しい。
即警察に通報し弁護士を呼んで徹底的に追い詰める。
けれど藤角くんなら話は別だ。結婚で手を打つ。それに普通に一緒に帰りたい。手とか繋いで。そのままハネムーンとか行きたい。全部私お金払うから。結婚してほしい。今すぐ。迅速に。
けれど藤角くんの私に対する行為に関し、不満を持っていない訳では無い。
……体育着。
体育着に関する取り扱いに対しては、莫大な不満を持っている。
単刀直入に言えば普通に新品じゃなくて、藤角くんの使用済み洗濯前と交換してほしい。
切実に。
本当に新品は、新品で、新品でしかない。新品は新品だ。
藤角くんからのプレゼントだと思うことも出来るけど、藤角くんはプレゼントとして思って取り換えているのではなく証拠隠滅の意味合いだ。
相手が贈り物だと思っていないプレゼントは、プレゼントではない。
その辺りの線引きを私はしっかりしている。だから私は新品の体育着じゃなくて、使用済みの藤角くんの体育着を入れて貰いたいと常々考えている。
っていうかもう頻度が二週間に一度から一週間に一度に変わってきているし、藤角くんが私の体育着を五枚取っていくごとに藤角くんの体育着使用済み洗濯前を一枚貰えるみたいな、そういうシステムを構築すべきだと思う。
需要と供給が成り立たなすぎるし、ずるい。ずるすぎる。一揆起こすしかない。
けれどそんなことは口に出して言えない。「藤角くんさあ、私の体育着取ってってるよね? 今度から藤角くんの体育着くれない? そうじゃないと不公平だよ」とか言えるなら普通に告白してる。してるよ。普通に。
ただ、告白しても信じてもらえない。
綺麗だからドッキリだと思うとか何なんだろう。顔でも潰して告白すれば信じてもらえるのかな。
でも藤角くんがこの顔を好きで、私が綺麗すぎて信じられない場合潰す訳にはいかない。だからいまいちメリットデメリットがはっきりしない今、メリットの可能性があるこの顔を潰す訳にはいかない。
それに告白して現在本当に薄い、後ろから追跡される、体育着を新品と交換される。色々回収されるというもうどうしようもなく弱い縁を引き千切ってしまうようなことになったら、終わりだ。告白なんて出来ない。
よって私は日々藤角くんと仲良くなるべく邁進し、脳内ではどうやって信じてもらえるかを考え、心では藤角くんの所有物を欲している。身体と思考と心がフル稼働で藤角くんに向かって忙しくしている。
「なあ、菊島、明日、どっか出掛けねえ?」
だからお前に割く時間は無い。
藤角くんに帰りの挨拶をし、今日は彼はさっさと帰ってしまったから後ろにはいない……と、深い悲しみに包まれながら下駄箱で靴を履き替えていると、何故か私の隣に立つこの男は靴箱の真横から湧いて出て一緒に出掛けないかと宣って来た。
名は知らない。四月の自己紹介でクラス全員名前とその他プロフィールを適当に紹介し合うことはしたから、聞いたことはあるだろうけれど記憶がない。さらにこの男は藤角くんと仲良くなく、話すことがない為、四月以降その名を聞いていたとしても記憶しないだろう。藤角くんに関係ない男はどうでもいい。
「ごめん、明日は用事があるんだ」
「マジ?」
やけに馴れ馴れしいな。時代が時代なら切り捨ててるぞ。という気持ちを殺しながら上履きを履き替えると、男は靴箱と私を挟むように手をついた。
「本当に駄目な用事……?」
囁くように言われ寒気がする。生ぬるい呼気が肌にあたって喉の奥から吐き気がこみ上げた。絶対暴行で訴えるからなお前。お日様のあたるところで生きていけると思うな。
「うん、本当に大事な用だから無理だよ。それに私男子と二人で出かけるの嫌なんだ、好きな人がいるから」
「ふうん」
はっきりそう答えると、男は余裕な笑みを浮かべる。
……ん、この男。確か先週体育のバスケの時女子の声援を一身に受けていた男だ。ベンチにいた藤角くんを凝視している時、時折こいつが視界に被って来たから藤角くんが見えなくなって殺意が湧いた男だ。
「なあ、俺じゃ駄目? 俺にしとけよ……」
男が私の顎をくいと持ち上げる。殺意を思い出していたせいか反応が遅れた。後で死ぬほど顔洗おう。っていうか漫画の読み過ぎか。現実と区別出来ないなら死んじゃえばいいのに。むやみに人に触るな。
けれど一瞬、この姿藤角くんに見られて焦った藤角くんが私にうっかり告白してくれないかなあ、プロポーズでも可……指輪とか差し出さなくていいから婚姻届け出してほしい……と邪な妄想が浮かぶ。
「菊島?」
「本当無理なんで、ごめんなさい、急いでるんで」
男の腕をくぐり、そのまま駆け出す。
明日先生に全部話そう。されたこと全部話そう。
俺のすることは何でも喜ぶだろうとか女子はこうすればいいんだろって思い込みは、野放しにするとエスカレートする。
強い思い込みは犯罪につながる。今のうちにその芽を潰しておくことが、あの男の両親や今後あの男に関わる人たちの為だ。
うんうんと頷きながら帰宅を急ぐと、不意に背後に視線を感じた。
反射的に振り返ると藤角くんが何故か背負う為のリュックサックを小脇に抱え立っている。
あ、しまった。
普段なら気配を感じて一度鏡とか窓を確認して藤角くんかはっきりしてから、あくまで気付かないふりをして歩くのに、咄嗟に振り返ってしまったし、がっつり停止してしまった。
「あ、ふ、藤角くん」
「菊島さんは……」
苗字を呼ばれて心臓が跳ねる。嬉しい。録音したい! 目覚まし時計にセットして毎朝藤角くんの声で目覚めたい!
「菊島さんは、あの男と付き合ってるんだよね……?」
藤角くんは唸るような声でそう尋ねてくる。
あの男?
あれもしかして、さっきの藤角くん、見てた?
そしてこの怒ってる感じ、もしかしてもしかしなくても嫉妬っていうやつでは?
「僕、ずっと菊島さんのこと、見てたんだよ、ずっと、ずーっと」
告白だ。これ告白じゃない?
これ完全に告白だよね?
嘘でしょ!? 今!?
嬉しい。最高すぎる。どうしよう。嬉しい。夏休みは恋人として過ごせなかったけど、クリスマス! デートとか出来るじゃん! うわー初詣行けるよ! ってことは! バレンタインデートも可能では?
うわー、家とかでチョコフォンデュデートとかしたり? 良い雰囲気になってキスとかしちゃったりあるんじゃない?
「それでね……、菊島さんにも、僕を見てほしいんだ……。だから、ここで……」
これ、来ちゃったんじゃない!? 間違いなくない? 何だよあの男、結構いい仕事してくれるじゃん! 明日絶対先生に言うけど! 最高! やった! これ間違いなく告白じゃん! 今日はもうパーティだよ!
だって、
「これ完全にプロポーズ的なやつでは!?」
「えっ」
藤角君が目を見開いて、手に持っていたリュックサックを落とす。がしゃんと重たいものと金属が入ったような音が響いてはっとした。
あ。
まずい。
思ったことうっかり出しちゃった。
◆
僕、藤角紘隆は同じクラスの菊島さんのことが好きだ。
こんなことを口に出してしまえば、きっと誰しも僕のことを身の程知らずと笑うだろうけど。
だって僕と菊島さんには大きな大きな壁がある。容姿端麗で成績も優秀、スポーツも万能の菊島さん。けれど僕は地味で成績も普通で運動は苦手。菊島さんはいつもクラスの中心にいて、僕はクラスの端にいる。
きっと今の時代だから同じクラスにいるけれど、時代が違ったなら菊島さんはお姫様、僕はただの村人Dとかそんな感じだと思う。
初めて彼女の姿を見たのは入学式だった。桜舞う花吹雪の中で静かに歩く彼女の横顔を見て一目で僕は恋に落ちた。
だから入学して同じクラスだと知った時は本当に嬉しかった。
長い透けるような赤香色の髪を靡かせ、長い睫毛が縁取る愛くるしい瞳。彼女は誰より可愛くて、同じクラスの、ううん、学校中の男子の瞳を釘付けにした。
皆が菊島さんとお近づきになれないか、あわよくば付き合えないかと近づく中、僕はそっと菊島さんを見ていた。
話がしたくないわけじゃない。本音を言えばしてみたい。だけど話すことも見つからないし僕はもともと人と話すこと自体苦手だ。菊島さんとお話しするなんてもっと無理。
そう思って物陰から菊島さんの姿を眺めるだけの日々を送る僕にある時から転機が訪れた。
菊島さんが僕に挨拶をしてくれるようになったのだ。
今まで特に菊島さんが接近することは無かったから挨拶も当然無かったけれど、わざわざ僕の近くまで来て僕の名前を呼んで挨拶をしてくれた。
前日、菊島さんが床を拭いていたのを手伝ったからだと思ったけれど、挨拶は次の日もその次の日もその次の次の日も続いた。
菊島さんは人気者で誰に対しても気さくだ。だけど朝教室に入ると彼女はまず僕を探し、見つけると一目散にやってくる。
正直何かの罰ゲームを強いられているんじゃないか疑ったけれど、周りの人……菊島さんが一緒に居るきらきらしたグループの人たちも僕と同じようにびっくりしていた。
びっくりするけど嬉しい。
菊島さんが僕に挨拶をしてくれる。それだけで飛んでしまいそうな気持になった。でも喜ぶ一方でいつかは終わるという覚悟もした。
だって菊島さんが僕に向かってくる理由がない。
僕と菊島さんは、世界が違う。
今は気まぐれに挨拶をしているだけで、いつか自然と無くなってしまうだろう。
ちゃんと覚悟しているのにも関わらず、僕はいつか菊島さんが僕に挨拶をしなくなる日が来ることに怯えるようになった。
怯えるなら少しは自分から挨拶の後に何か一言話をして、菊島さんと仲良くなればいいのに。
その一言が何も出てこない。
菊島さんとのいつか消える繋がり。その繋がりに怯える。
怯えた僕はそれまでに菊島さんの姿を見れるだけ見ていようと、知れることは知っておこうと、放課後菊島さんの後ろをついて行くことにした。
菊島さんの帰り道はどれも人気の無い道で、まるで世界で二人きりでいるみたいで、うっとりした気持ちになった。
教室では世界が違う僕と菊島さん。でも帰り道では同じ世界でいるみたいで、菊島さんのずっと近くを生きている感じがした。
そして菊島さんとの繋がりがもっと欲しくなった僕は、菊島さんの私物を新しいものとすり替えるようになった。
初めは体育着だった。
菊島さんは必ず体育がある日の前日に、体育着の入った小ぶりのボストンバックを机の横にかけておく。多分当日に忘れて困らないようにするためなのだと思う。
そこから菊島さんの体育着を抜き取り、新しいものとすり替えた。菊島さんの筆跡をちゃんと真似て記名したものを。
それから体育着を定期的にすり替えながら生活していると、徐々に菊島さんが学校に私物を置いていくようになった。
多分持ち歩きが面倒になったんだと思う。
僕はこれ幸いと、ペン、消しゴム、ペンケース、菊島さんが使っていたものを新品とすり替えていった。
すり替えるだけじゃなく菊島さんが捨てたゴミを見つけ出し集めるようにもなった。
菊島さんのものを集めていると、部屋には段ボールいっぱいの菊島さんコレクションが出来上がった。そのコレクションを眺めていると菊島さんとずっと繋がっていられるような気がした。
実際は距離なんて関係なく、世界が違うというのに。
菊島さんと世界が違う。そのことに段々僕は耐えられなくなってきた。
菊島さんは絶世の美少女、アニメならヒロイン。僕はただの地味な男でアニメなら顔すら描写されないモブ。
それが痛いほどわかっているのに、菊島さんともっともっと近づきたいと思う。
だから僕は来世に期待をすることにした。一緒に、ほぼ同時刻に死ねばもしかしたらもっと近しい世界に生まれ変われるかもしれない。来世ではもっと菊島さんの近くへ行けるかもしれないと。
菊島さんを殺して僕も死ぬ。
僕は来世で菊島さんと一緒になるべく、リュックにいつも包丁を忍ばせることにした。けれど菊島さんの挨拶をもっと聞いていたいと言う気持ちがあって、決行出来ずにいた。
「なあ、菊島、明日、どっか出掛けねえ?」
放課後、靴箱で密着する、男女。
一人は教室で女子の人気を一身に集める男だ。そしてもう一方は菊島さん。男の話し方からして、親しい間柄というのはすぐにわかる。菊島さんの表情は良く見えないけれど、きっと嬉しそうにしているに違いない。
「ごめん、用事があるんだ」
「本当に駄目な用事……?」
菊島さんが少し冷たい声でそう言うと、男は菊島さんにさらに近づく。
まるで菊島さんの冷たい声が合図だったみたいに。
僕はその場を離れてリュックの中身を確認した。しっかり包丁はある。もう実行するだけだ。顔をあげると菊島さんが走り去っていくのが見えた。もしかしたら明日が楽しみなのかもしれない。もう明日なんて来ないのに。
菊島さんにバレないように追いかける。菊島さんはいつも通り、大通りから小道に入り、人気の少ないところを歩く。好都合だ。
何もかも僕に味方している様で笑えて来る。笑いを抑えながら菊島さんの後ろを歩いていると、まるで僕の殺意に気付いたように、菊島さんが勢いよく振り返り立ち止まった。
◇
「え……」
藤角くんが目を見開き口をぽっかり開けている。
「これ完全にプロポーズ的なやつでは!?」
って、唐突に言われた人の顔だ。
だってそう言ったんだもの。六秒くらい前に。そういう顔にもなるよね。仕方ない。死のう。もう、いくら私の顔がいいと言えどさっきの浮かれた顔、それでカバーできない気持ち悪さだったと思う。
今までの藤角くんの好意が砕け散ってもおかしくない浮かれ顔だった。死のう。すぐ死のう。もう終わりだ。でも、死ぬ前に告白だけして死のう。このままだと未練残すから成仏できないし、うっかり藤角くんに憑きかねない。藤角くんの周囲を心霊スポットにするわけにはいかない。
「あのね、多分心底信じられないだろうし、ドッキリだと思われるだろうし、気持ち悪いと思われるだろうけど、最後だから言うね。ずっと藤角くんのことが好きでした」
「えっ」
「あの、床拭き手伝ってくれた時から、ずっと好きで、ずーっと好きで、もうそれはそれは好きで、もうあわよくば結婚というか、絶対結婚してもらいたいくらい好きだったよ。以上、さよなら」
「あ、え?」
あえってなに、可愛い。辛い。辛いよー。もう好きにさせないでよ。その場から去ろうと踵を返すと、藤角くんは慌てたように私の顔を覗き込む。なんだろう。死ぬ前のご褒美かな。
「え、だって下駄箱の、男は誰……付き合ってるんじゃ」
「名前は……分かんないや。付き合ってないよ。っていうか、誰とも付き合ったことないよ。今だから言うけど、ずっと藤角くんと付き合いたかったよ。あの男は馴れ馴れしくて殺意芽生えてたけど、あわよくば藤角くん嫉妬してくれないかなって妄想してたけど、まさかこんな風になるとは思わず、不覚って感じかな、ははは」
いや自分で言ってて全然笑えないや。あの男殺しておくべきだった。でもあの男今殺して、私が今死んだら何か心中っぽくて嫌だな。
「え、ええええ、僕も好きです……」
「そういう気遣い良いよ、一番残酷だから、っていうかこんなに長く話すの初めてだね。最後のプレゼントかな神様の。ははは、では」
そう言って藤角くんに背を向けると、どんと後ろから何かにぶつかられた。そのまま倒れ込む。隕石でも落ちたのか。随分人の重さみたいな衝撃だったなと目を開くと藤角くんがぼろぼろ泣きながら私の上に跨っていた。
あえ?
藤角くんが、私の上に、なんでいるの? えっちだね?
「ぼ、ぼぼぼ、ぼくもぎぐじばざんがずきでずっ」
藤角くんの涙が頬に落ちてくる。ここが、エデン……。自分の頬を抓る。痛い。
エデンじゃない! 現実だよ!?
「ずっど、菊島さんと世界が違うって、そう、思って、うう、夢みたいです」
「ううううううそ、こんな私に都合のいい嘘があるわけない」
「うそじゃないですっ、すきですっ、ずっと!」
「何か、ど、どっきりとか、そういうのとか? だとしたら私もう嘘でも幸せだから、この幸せ噛み締めて死ぬ」
「違いますっ、僕は、菊島さんのこと好きなんです!」
藤角くんが真っすぐな目で私を見る。希少過ぎる。普段目を合せようとすると全力で逸らされる藤角くんの目が、こっちを向いている。
「……え、じゃあ結婚してくれる? 私と恋人になってくれるの?」
我ながらかなり現金な質問だと思う。けれど藤角くんはガンガン首を縦に振って頷く。
「ぼ、ぼぐでよげれば……!」
死ぬのやめよ。百歳まで生きまーす!
強く決意して身体を起こすと、藤角くんとの距離がさらに近づく。彼は真っ赤になって仰け反りながら立ち上がり、混乱したように手をあわあわさせ、ぴたりとその手を止めた。
「あ、あ、ぼ、ぼく幸せにします、ちゃんと、ちゃんと幸せにしますっ! 菊島さんのこと、ちゃんと守りますっ!」
藤角くんが私に手を差し出す。間違いなく今が人生最高の瞬間だ。
いやでも藤角くんが恋人なんだし、これからはそれが永遠に続くなと思いながら、私は藤角くんの手を取った。
あ、そうだ。
一個大事なことを忘れてた。
藤角くんに向き直ると落ちていた包丁がきらりと光った。眩しい。でも藤角くんはもっと眩しい。好き。大好き。だから、
「あ、あのね、それで一つ提案なんだけど、体育着、五枚に一枚でいいから、藤角くんの使用済みのが欲しいの! 洗濯前のね!」
絶対的ハッピーエンド 稲井田そう @inaidasou
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