別れの選択は存在しない

稲井田そう

第1話

「つーきーよーちゃんっ結婚してーっ」


 四月。二年に進級して、二週間。俺、萩奈大河はぎなたいがは廊下の端から、長い黒髪を長引かせ歩くあいつ……、古賀月代こがつきよめがけて駆けていく。そのまま一気に抱き着こうとすると、思惑とは裏腹に俺の腕は空を切った。


「無理だから。それにこういうところで抱き着くのはやめてって、何回言えば分かるの?」


 責めるような俺への視線。でもこうして困らせている間だけは、月代の心は俺でいっぱいで、怒っているのは勿論知ってるけどそれでも嬉しい。


「悪い悪い、あんまり月代が可愛くてさあ、次は、多分、きっと、しない、かもしれない、かも?」

「はぁ……じゃあ、時間だから」


 そう言って月代は、俺に背を向け去っていく。


 廊下にいる男子生徒はみんな、月代を惚けた目で見ていた。月代はこの学校でトップの美少女。それに美人だけじゃなく頭もいい。スポーツはあまり得意じゃないけれど逆にそれがまた可愛いくて、同性異性からも注目を集め、教師からも一目置かれる存在なのだから仕方がない。


 そんな月代は、俺の彼女だけど。


 面白いこと、楽しいことが大好きで、クラスの奴と馬鹿ばっかりやっておかしく過ごしていた俺。いや、今もそうやって過ごす俺が、高嶺の花だった月代と知り合ったのは一年の春だ。


 月代は季節外れのインフルエンザを発症し、周囲から出遅れて学校生活をスタートさせた。


 顔は綺麗だけど人見知り気味でちょっときつい印象の月代は、当然ながらクラスから浮いた。


 美人過ぎて声かけられないし怖そうって理由からだ。そんな月代の隣の席だったのが俺だった。


 俺的にはずっと隣の席が空席で、「どんな奴が来るのかなー」と興味本位しかなく、月代みたいなやべー美人が現れるとは微塵も思ってなくて、月代が初めて学校に来た時、隣がやべー美人だったという驚き共に絶対お近づきになりたいと思った。


 だから仲良くなりたくてめっちゃくちゃ話しかけた。


 月代みたいなお高く留まってる感じの、真面目そーな子は俺みたいなタイプを苦手とするけど、そういう子でも案外押し続けていると話してくれたりする。


 月代も同じだと思ってめっちゃ話しかけたら、死ぬほど拒絶された。


 一緒に帰ろ、遊ぼう、昼食べよう、勉強教えて、色んなこと誘っても全部駄目。


 誕生日とか、好きなものを聞いても「個人情報だから」と答えてもらえない。あの頃の月代は心の壁の厚さがマジで五十メートルだった。


 全く距離が縮まらないまま五月になった。


 最初のうち、周りの奴は俺が月代に素っ気なくされ続けるのを笑って面白がっていたけど、段々飽きて来ていた。いや、飽きるなよ、応援しろよと思っていた矢先、休み時間俺がうっかり指を紙で切ると、月代が絆創膏を投げて来た。


 お礼を言うと、「別に」と返し席を立って、追いかけると女子トイレに駆け込まれた。


 外から声をかけると周りの女子たちに変態扱いされるし、流石にやべー奴にはなりたくないから戻ると、普通に授業開始と同時に月代は帰ってきた。


 再度お礼を言うと「はあ」と返される。


 そこから月代のアクションは睨む、「個人情報だから」の他に「別に」「はあ」が加わった。


 それから九月になるまでの四ヶ月、驚くほど進展が無かった。


 でも俺が筆箱を忘れれば貸してくれたり、教科書を忘れれば貸してくれる。


 一度わざと辞書を忘れてみると俺の顔を見て察したらしく何も貸してくれなかった。


 忘れる度にお礼として菓子なんかを月代の机に置くと、必ず返して寄越す。


 でも俺が甘いのを食べられないと言うと渋々持ち帰り、下駄箱にお礼のカードが添えられる。


 そんなことをその四ヶ月繰り返していた。


 夏が過ぎた辺りで、とうとう俺は自分の気持ちを自覚し始めた。面白半分で美人とお近づきになりたいのではなく、マジで月代のことが好きなのだと。


 思い立ったが吉日。俺は月代に告白した。すると返事はまさかのオッケー。


 あれだけ拒絶してたのにいいのか尋ねると、月代は人の好意への答え方がマジで分からず人との接し方がよく分からないらしい。


 拒絶していたのは、俺がぐいぐい来て怖かったから。


 誘いを全部断ってきたのは、話すのも無理なのに人と出掛けるなんて余計無理だから。


 冷たいと思っていた言葉は、元々そういう言葉遣いらしい。


 それから付き合い始めて、月代が結構天然ぽかったり、絵がドへたくそだったり、食べるのが好きだったり、ぶっきらぼうすぎる言葉に隠れて案外可愛いこと言ってるのに気づいた。どんどん好きになった。


 嬉しくて月代の可愛い一面をみんなに話すと、周りの奴らは心底驚いていた。俺は、俺だけがこんなに月代のこと知ってるんだぜと沢山月代のいいところを自慢した。


 すると皆は月代を避けたりせず優しく接するようになった。たちまち皆の輪に入れるようになった月代を見て、俺はすげー嬉しかった。


 でも、いつからか。


 月代がクラスに馴染み始めてから一か月ほど経った秋、十月くらい。俺は段々後悔する様になった。


 それまで他の奴らは俺が月代自慢をするまで、月代に話しかけたりしなかった。話しかけるのは俺がいる時。でも段々、俺が居なくても月代に話しかけるようになっていった。


 月代は月代で、ぶっきらぼうながらそこそこ楽しそうに話す。今まで俺だけだった月代が皆のものみたいに扱われる。


 付き合ってることは早々に公表したけど、「今まで話しかけ辛かったけど、今は違う」なんて言いながら目に見えて月代を狙い始める奴が何人も出た。


 今まで二人で居た時間が減って、皆でいる時間が増えていく。


 どんどん月代が皆に取られていくみたいで気に入らなくて、段々俺は皆の見ている前で月代にべたべたくっつくようになった。


 後ろから抱き着いたり、隣を歩いている時手を握ったり、わざと頬をつついたり、こういうことは俺しか出来ないと見せしめて誰にも取られないようにしたかった。


 月代が怒っても俺を見ているのが嬉しい。


 俺のことを考えてくれるのが嬉しい。


 月代が感情的になって睨むのは俺だけ。それが嬉しくて、安心した。


 それから、文化祭、クリスマス、正月、バレンタイン。その全てを月代と過ごせるように俺は尽力した。


 文化祭は俺だけと回れるように、俺と月代の当番がぴったり重なるよう根回しした。


 クラスでしようとしていたクリスマス会は二人で欠席。正月には無理を言って月代家の家族に会わせてもらった。バレンタインは土下座して学校をサボってデートした。


 だってそうしないと月代は皆のもの扱いされる。


 ミスコンだの告白大会に参加させられていたし、クリスマスは月代にプレゼントを送りたいと好みを探られてた。正月は月代の振袖が見たいだの馬鹿言った奴のせいでクラスで初詣しようなんて話になった。バレンタインは義理でもいいからと迫られていた。


 こんなはずじゃなかった。俺が月代の良さをみんなに知らしめたいなんて思わなければ、こんなクソみたいなことにはならなかったのに。


 二月が終わり三月が訪れた。すぐに四月が来てる、俺たちは二年になった。


 クラスは、八組ある。


 クラスが離れればいつもみたいに一緒にいられないし、一緒の授業も受けられない。会う時間が圧倒的に減る。


 今まで月代とクラスが違っていた連中は、月代と同じクラスになれば圧倒的にその一緒に居る時間が増える。


 席替えは、俺が方々にお願いしまくってずっと隣の席だった。でもクラスが違えば席替えどころの問題じゃない。全てが月代と異なる。


 俺は三月の間、悩みに悩んで月代をどこかに閉じ込めて、学校に行かなくさせればいいんじゃないかとすら思うようになった。でももしかして運命があるなら一緒なんじゃないかって期待もした。


 でも結局、月代と俺のクラスは違っていた。





 放課後、川沿いを二人で並んで歩く。


 クラスが離れたら月代と別れようと決めていた。


 温かかったはずの気持ちは、どんどん狂って濁るばかりだ。こんなになってしまった俺は一緒に居られない。


 月代を見ていると最近は苦しくて死にたくなる。好きで好きで死にたくなる。前は笑わせてやりたい、楽しくさせてやりたいってだけだったのに今は誰にも見せたくない。俺のだって、全部に名前書いてやりたい気持ちが抑えられない。


 もし月代を誰にも見せず閉じ込めておけるならなんだってする。そんなことすら思ってしまう。


 今ですら月代とクラスが離れて一週間しか経っていないのに、閉じ込めたくて月代のことぶっ壊して俺だけしか見られないようにしてやりたくて仕方ない。


 月代が新しいクラスで過ごすのを三月まで見続けていたらきっと俺は狂う。


 月代のこと無理矢理閉じ込めて、どうにかしてしまう。最悪だって思う反面、そうしたらどんなに楽しいだろうか、早くしたくてたまらない自分がいる。実際俺はこの二週間月代を攫ってどっかに連れて行きたくて、縄だのスタンガンだの、睡眠薬だの、手錠だの鎖を買って、家に人間がギリギリ入れるくらいのケージまで買った。


 自分でもおかしいと思ってる。でも止められない。それくらい月代と他の奴が楽しそうにしているのが許せない。苦しい。俺だけのだったのに。俺だけの月代だったのに。


 だから。



「なあ、月代もう、終わりにしてくれねーかな」

「……は?」

「俺と、別れてくんない?」


 へらっと笑って月代に話す。月代が目を見開き、口を開く。


 駄目だ。攫ってやりたい。閉じ込めてやりたい。今日だって別れを言うつもりだったのに、鞄の中にはスタンガンと縄が入ってる。はやく、言わないと、本当に何するか分からない。


「俺、月代のこと好きすぎて、おかしくなりそうだから、俺と別れてよ、月代」



「……は?」


 何を言ってるの? 目の前のこの男は。


 二人でサラサラ流れる川辺を歩いて、あと少しで橋に辿りつくと思っていたところで、私の彼氏である萩那大河の言った言葉に頭が真っ白になる。


 二人で旅行に行きたいと計画し、バイトに精を出したこの一か月。秋ごろから口癖のように話す、「どっか二人で、遠くに行きたい」との彼の言葉を聞いて、バイトをしてきて、今丁度橋の向こうに行ったらそのことについて話しをしようと思ってたのに。なんて誘えば一緒に旅行に行ってくれるんだろうと、どきどきしていたのに。


 この男は、何を言っていの?


「好きすぎるから別れる……って何? 意味が分からないのだけれど、どういう意味?」

「言葉通りの意味だよ、もう離してやりたくなくなるから、別れて」

「いや好きなら離さないでくれない?」


 噛み合わないやり取りに涙が出そうになった。好きすぎるってなに? 遠回しに彼は私に飽きたと言っているの? 目頭が熱くなって、涙が浮かんだ。


 三月はクラスが変わってしまったら大河がほかの女の子にとられちゃうと不安で、その不安をバイトを頑張ることで誤魔化してきた。


 結果的にクラスが離れてしまったけれど、高校の一年二年なんて一瞬だ。大学は一緒がいいとか結婚したいだとか、彼は私にそう言ってくれたからずっとその言葉を信じてきたのに。


「きっと俺はお前を苦しめるよ、重すぎて。本当に頭おかしいから、月代のこと壊すから」


 昏い瞳でそう言う大河に、どんどん悲しくなった。でもそれと同時に八つ当たりみたいな、お腹のそこからふつふつと悔しさや怒りが沸き起こってくる。


 まるで私の想いが軽いみたいだ。


 大河は人気者で明るくて、面白くて優しくて、いつ取られるか分からないから、こっちはいつだって必死なのに。


 でも気恥ずかしくて全然素直になれなくて、訳分からないくらい素っ気なくして、そのたび自分のことが嫌になって、死んじゃいたくなるくらいなのに……。


「す、好きだから、別れるって何……? 自己完結するのやめてくれない? っていうか何で私が大河のこと好きじゃないみたいになっているの? 私、前に好きだと言ったでしょう? 好きだって! 言ったでしょう! ずっとそばに! いてって! 言ったでしょう? 忘れたの……?」

「けど俺はお前を不幸に……」

「好きな人の! そばに! 居られないのが! 一番不幸だわ! どうすれば貴方がいなくて私が幸せになれるの? 馬鹿なの?」

「……いつかちゃんとお前を幸せにしてくれるやつが、きっと」


 あまりの言葉に涙がぼろぼろ溢れてきた。頭に血がのぼって、感情のままに彼の胸倉を掴む。


「他の人と幸せになってねとか、何? 本当どうしてそんな考えが浮かぶの? 何故どうしてとしか言えないのだけれど? 無いわ! 貴方の! 隣以外に! 幸せなんかっ!」

「それでも、お前は俺と一緒にいちゃいけない、頼む。今だって、閉じ込めたくて、耐えてるんだ……本当に、分かってくれ」


 血を吐くような声色に胸が絞めつけられた。でも全然納得できない。私は大河と離れたくない。けれど同時に投げやりな気持ちになって、どうでもいいと


「分かりました! よく、よおおおおく分かりました! 別れたいんでしょう、分かった、分かったわよ! 嫌いになったんでしょう、私が言葉得意じゃなくて、面白いことも言えなくて、つまんない女だから! それをあたかも綺麗な感じに言って、あなたのお気持ちはよく分かりました。もう私のこと好きじゃなくなった手前、普通に別れようとすると傷付くと思ってそう言ってるんでしょう? 中途半端な優しさが一番傷付くんですよ! ずっと好きって言ってくれたのに! 嘘つき!」

「違う、俺はお前が好きで、だから、傷つけたくなくて……!」

「は ? 好きなら一緒に居ればよくない!?離れる意味ある!?」

「今は、我慢してるけど、そのうちすっげえ束縛して、縛りつけ……」

「すれば? 好きなだけ! 縛れば!」


 怒鳴りつけるように言うと、大河は呆然としてこちらを見る。


「本当に?……嘘だろ?」


 大河の手から通学鞄が落ちる、少し開いたそれからは縄が出て来た。


「なに? 物理的な話も含まれてる?」

「いや……精神的なものだけど、でもそのうち、首輪とか、手錠とかつけるかも」

「はぁ。まぁちゃんとした感じならいいけれど」

「え」

「何か、泥棒捕まえる時みたいな逆さ吊りは嫌だけれど、首輪とか手錠とかつけたいならどうぞ」


 逆さ吊りは嫌だ。倒立だって頭に血がのぼってその日ずっとふらふらした感じがするのに、逆さ吊りは絶対無理。でも普通に手錠とか首輪なら構わない。


 しかし私の反応が予想外だったのか大河はまた間抜けな声を出した。


「えっ」

「は? ……まさか屋外を想定してるの!? 露出趣味があるの?」

「いや、そんなはずない、俺の部屋でだよ」

「はぁ、なら別に」


 大河は一々不安になる反応をする。この男は前からそういうところがあった。何か思わせぶりと言うか、意味深な言動を多用する。「一生一緒だよな」「死んでも傍にいてくれ」とか。結婚を匂わせるワードを多用する。こちらの身が持たないからやめてほしいけれど、嬉しく思うし中々言えない。


「か、監禁だぞ?」

「どうぞ?」

「えっ」

「は? 何、拷問とかするつもり??」

「いや、俺の部屋で、生活してもらう、みたいな」

「はあ。なら別に」

「他の人に会えなくするんだぞ?」

「別れの挨拶をしてからであればいいけど」

「えっ」


 流石に一言も言わず姿を消したら両親は心配する。


 普通に警察沙汰だ。恋人同士の同棲に警察を動員させ、税金を無駄にしてしまうわけにはいかない。


 けれど大河は私が同意したのが疑問らしい。なんだか明後日の思考回路をしている気がして訂正する。


「悪いけど、勘違いしないでくれない?別に監禁されるのが性癖じゃないの、貴方だからいいって話。別の人に言われたら通報、次会うの法廷だから」

「お、おう」


 私の否定の言葉こそが、どうやら明後日の方向のものだったらしい。大河が戸惑ったように俯きはじめまた唸るような声色で口を開いた。


「……無理矢理結婚とか、させられるかもしれないんだぞ」

「どうぞ」

「えっ」

「は?」

「だって無理って言ってただろ?」

「私は十六歳で条件は満たしてる、でも貴方は何歳?」

「十七歳です」

「男性が結婚できるのは何歳かお分かり?」

「十八……え、あ、それで?」

「それ以外に理由ある? 私貴方のこと、す、す、好きなんだから」


 さっきは頭に血がのぼっていたからすんなり言えのに、今はしどろもどろになる。本当駄目だ。私のこういうところ。


 照れ隠しも分からず、接し方も分からず、素っ気なかったり冷たかったりぶっきらぼうになりがちな私に、大河はずっと気長に話しかけて来てくれた。びっくりするくらい優しくしてくれて、彼は誰にでも優しいのだから勘違いしちゃいけないと思いながら、なんとかちゃんと言葉や態度を返せるようにとずっと頑張って来たのに。


 せっかく彼女にしてもらえたのに。何でこうも上手く言えない。


「でも、抱きつくの避けるし」

「当然でしょ! 学校! 外! 二人きりなら何も言わないわ!」

「ほあ……」


 大河が飛びついてくるのはいつだって外だ。


 家の中では全く接触しない。


 私は二人きりなら拒まないのに。そんなに魅力ないのかなと悩むことだってたくさんあった。


 恨みがましい目でみると、しばらく放心だった大河がはっとした顔で口を開く。


「本当にいいのか? 外堀埋めても? 俺、全力で行くよ?」

「どうぞ? っていっても、貴方がまだ十八歳じゃないですけど」

「それは分かってる、いいの? 本当に?」

「ええ」


 嬉しいと言え。嬉しいと。私の口。でも「ええ」しか言えない。けれど大河は満足なようで、徐々に顔がにやけ始める。良かった。


「……結婚式、二人きりが良いっていったら怒るか?」

「秘密の結婚式ってこと?」

「えっ」

「は?」


 何? 違うの?


 大河の言葉に戸惑いを見せると、逆に大河がしっかりした目をして私の肩を掴んだ。


「……そうだ、月代のウエディングドレス、他の奴に見せたくないから」

「分かったわ、内緒ね」

「連絡先にある男の名前、全部消してもらうぞ」

「はあ。……あ、じゃあ私の父に連絡する時はどうするの? 貴方のスマホを借りるの?」

「えっ!? お義父さん? それは、おいおいで……」

「そう、なら該当者は一人もいなくなった、消す必要がないわ」

「え、でも他の奴にアドレスとか散々聞かれて、答えてただろ?」

「あれ、嘘だから」

「えっ」


 また驚く大河。


 何だ、見てたのに知らないの?


 私ずっと他人にアドレス教える時は口頭で、それもスペルがいくつか間違っているものを教えて、正しいアドレスは大河だけに教えていた。


 SNSだってやってないふりをしていたのに。節穴なの?


「このご時世物騒だから。教えるわけないでしょう、ほら、見なさいよ、パスワードこれだから」


 スマホを取り出して大河に見えるようにパスワードを入力し、電話帳のアプリとトークアプリの欄を開く。


 そこにはどれも家族と、大河、大河の家、新しいクラスで出来た女の子の友達の朝日の連絡先しか表示されていない。


「あ、あえ?」

「ほかに言うことはある? 別れなくていいのよね?」

「う、うん」


 大河は首を傾げながらも、しばらくして納得したように鞄を拾う。


「何かさっきまでの不安が消えて、逆に落ち着かねえ……」

「はぁ」


 ああ、良かった。


 危うく大好きな人の意味不明な勘違いで、彼女を辞めさせられるところだった。怖い。本当に良かった。


 でも、大河の気持ち聞けて良かったな。私のこと縛りたいとか、多分独占欲的なものだよね……?


 結婚も、具体的な話してくれてるし、気分が盛り上がったからとかそういうのじゃなくて本当に考えてくれてるってことだよね?


「嬉しいな、ずっといっしょ……」


 嬉しくなって、頬が緩む。


 ふと大河が微動だにしていないことに気付き顔を見ると、彼はびっくりした顔をしながら、耳まで真っ赤に染め上げたのだった。






 月代と別れない選択をしてから、四日。俺は月代の家で朝食を取ろうとしていた。家には俺と月代だけだ。広すぎて生活感のないダイニングで、俺たちは向き合っている。


 月代の目の前には、俺の作ったオムライス。そして今まさに月代は俺の作ったものを食べようとしている。


「……本当に食べるのか?」

「……何か入れたの?」


 俺の言葉に月代の手が止まる。


 今日は校外学習があり、クラスで集まって県外の行楽施設に出かける日だ。でもクラスの違う俺と月代は一緒に行くことが出来ない。一緒に休もうと言うか迷って結局俺は睡眠薬を混ぜてしまった。


「わさびとか酢とか凄い変な味で食べ物無駄になるようなもの?」

「睡眠薬が入ってる。お前を学校に行かせたくなくて」

「はあ、変な前置きするのやめてくれない? 今ドキッとしたんだけど、次変な前置きしたら怒るから心しておいて」


 そう言って月代は俺を睨むと普通にオムライスを食べ始めた。


「何か俺にいう事無いの?」

「欠席の連絡はちゃんとしなさいよ」

「そ、それだけか? 怒らねえのかよ?」

「別に人に迷惑かけてるわけでもないし」

「お前に迷惑かけてるだろ!?」

「許容範囲内よ」


 それより食べるの集中したいんだけど、なんて俺を睨みつけながら月代はオムライスを口に運ぶ。


「月代、何だったら許せない?」

「貴方がしてってこと? 広義的に? 広義的になら範囲は狭まるし、貴方がするなら範囲は広くなるけれど」

「じゃあ、俺がして許せないことってなに?」


 月代は睡眠薬入りオムライスを食べ美味しそうに顔を綻ばせる。そして「味に影響はないのね」なんて呟いたりした後、俺の質問に対し考えはじめた。


「食べ物を無駄にするとか……?」

「後は?」

「変な前置きをする」

「後は?」

「……眠いのに話しかけてくる、とか」


 月代がスプーンを置く。


「……オムライス、ラップかけておいて。後で食べるから、勝手に食べないで、置いておいてよ……せっかく……あなたの、てづくり、だから……」


 そう言って月代はオムライスの皿をずらすと、机に頭をのせ瞳を閉じた。


 俺は月代に対してだけ、頭がおかしくなる。自分でも信じられないほど重くなる。でも月代はそんな頭おかしくて重い奴をマジで受け入れて好きでいてくれてる。


「絶対幸せにしよ……」


 月代に仕込んだ睡眠薬の時間は完食すると大体一時間眠りにつくようにしてある。校外学習に行くことを諦めるような時間だ。


 ……とりあえずこのオムライスは俺が食って、月代が起きたら謝って、ちゃんとしたオムライス作らないと。それでオムライス食べながら、月代が誘ってくれた旅行の計画を立てよう。


 多分月代が先に目覚めたら、オムライスが無くなったことに気付いて俺を起こしてくれるはずだ。


 でも、寝てる間に離れないように。テーブルに投げ出された月代の手首に手錠をかけ、もう片方を俺の手首にかける。


「いただきます」


 月代の残したオムライスを食べる。味見はしていたけれど、月代の食べ残しだからか、何倍も美味しく感じる。


 徐々に眠くなって瞼が重くなってきた。ぼんやりとしてきた頃、ぎりぎりに最後の一口を食べて月代と同じように目を閉じる。



 もう、月代と別れようなんて絶対思わない。


 これから先何をしてでも離さない。


 月代が許してくれたのだから、他の人間が何を言おうがどうでもいい。



 俺が月代を、幸せにする。

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別れの選択は存在しない 稲井田そう @inaidasou

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