八槻咲会長はSMハイブリッド

稲井田そう

第1話

「おい、あずま


 昼休憩の鐘が鳴り、窓の外の紅葉を眺めながら友達とお弁当を食べていると背後に声がかかった。


 廊下を見ると目つきだけで偉そうな、歩き方はもっと偉そうな、偉そうで凝縮された先輩、もとい、八槻咲やつきざき会長が二年生の教室に入って来て、私の机にどんと手をつく。


 背も高く体格もいい……というか屈強なムキムキの身体つきの為、軽く手をついただけでも結構な衝撃が走った。


「生徒会室に来い、資料集めて説明会するぞ」


 話し方も態度も偉そうだ。


 しかし一緒に弁当を食べていた友達は、「ほぁ」と感嘆の声を漏らした。


 それは偏にこの会長……この学校の生徒会長であるこの男の顔がとてもいいからである。イケメン無罪か。殴ってやりたい。


「会長、私放課後は予算の件で、テニス部の部室に行かなければならないのですが」

「それはもう俺が済ませた。……異論は無いな」

「……はい」


 了承しか受け取らないとでも言うように、こちらの返答を高圧的な瞳で待ち、望み通りの返事を受け取るとそのまま大した返事もせず去っていく。


 八槻咲佐切やつきざきさぎり、佐に切と書いてさぎり。彼はこの学校で、俺様生徒会長として通っている、


 唯我独尊を地で行く態度は謎のカリスマ性を誇り、学校創立以来の支持率を誇るとか……誇らないとか。


 そんな会長様に私は逆らえない。別に弱みを握られているとかそういうのはない。


 普通に私、東雫あずましずくは、八槻咲会長の元、会計として生徒会運営に携わっているからだ。


 まあ、会長様の恋人でもあるけれど、そういうのは関係ない。





「会長、教室に突撃してくるのやめろって言いましたよね? いい加減にしてくれませんか」

「はぁ……最高だよその蔑むような目つき……! あーやべ、写真撮りてえ……、つか撮らせろ、いいよな」


 放課後生徒会室に向かうと、あの高圧的で高潔な態度の会長は何処に行ったのか、現在会長は恍惚とした顔で床に這いつくばり、スマホのカメラをこちらに向けていた。


「盗撮の現行犯逮捕です」


 連写音の鳴るスマホを素早く奪い取り電源を落とす。しかし彼は動じず、彼は頬を赤くして息を荒くするばかりだ。


「はぁ、実力行使とか大好き。昼に突っ込んでいけば、開幕絶対キレると思ったんだよなぁ。放送室でお呼び出しと迷ったけどやっぱり正解だったわ」

「本当にもう来ないでください、教室が緊迫した空気になるんですから、会長の威圧で」

「いや、次も絶対する。おら、もっと怒って俺を睨め。スマホぶっ壊していいぞ〜?」


 嬉しそうな顔に溜息しか出ない。私は電源を切った会長のスマホを生徒会室中央にある会長の机に置いた。


「前にも言いましたよね。会長の職を乱用して、自分の性癖を満たそうとするの、やめろって」


 そう、この学校の生徒の中で絶対的な権力を持ち、全校生徒を束ねる生徒会長であり、そして私の恋人である彼は他人から虐げられたり怒られたりで興奮を覚える性癖を持っているのだ。


 ……さらに私に加虐するよう命令し、私が嫌がる姿を楽しむ。ハイブリッドタイプの変態である。


「俺がつねろって頼んだ時、お前ちょっと嫌な顔するだろ、申し訳ねえみたいな。それが最高なんだよな、俺の事好きだからつねりたくないけど、俺の為につねってくれる、お前が俺に支配されてる感じ? 最高」


 などの世迷言を彼は再三言う。


 痛みを求めながらも、傲慢な態度は崩さない。さらに相手が嫌がるのも大好き。まさにハイブリッド変態。


 多分、ストレスからくるものだと思う。彼は御曹司で、将来八槻咲グループの跡を継ぐ者だ。


 八槻咲は国内有数の、色んな事業をしている会社、らしい。


 それを聞いた時は、会長の変態的趣向に気付いた後……去年のクリスマスあたりだったから、「うわあ変態が跡を継ぐとか怖い、日本終わったな。絶対週刊誌に撮られて株価底値になるやつ」と思っていたけれど、考えてみればトップの人になるための教育とかあるだろうし、ある程度心が壊れて性癖がおかしくなるのかな、と思う。


 よく分からないけど。



「それで、テニス部の予算誰に行かせたんですか? 会長じゃないですよね?」


 恍惚とする会長に尋ねる。会長は基本自分から末端の仕事はしない。割り振られた仕事を手伝うのは当事者が困っている時で、相手が万全の状態で仕事をする時手伝うのは奪い取るのと同じというのが会長の持論だ。


 おそらくテニス部の予算については自分が済ませたのではなく、誰かに行かせたに違いない。


「それよりお前テニス部のクズに変なことされてないよな」

「は?」

「クズだよ、テニス部のゴミクズ部長、お前の前の席の、妙に親しそうにしていた人間の屑だよ」


 会長はいつのまにか立ち上がり、机に腰かけふんぞり返る。


 ……テニス部のゴミクズは知らないが、テニス部の部長は知っている。テニス部は夏に三年生が引退して、二年で私の前の席である田峰くんに変わったのだ。田峰くんは穏やかで爽やか、誰に対しても分け隔てない人柄で決して人間の屑呼ばわりされる素行態度ではない。


「あの人は誰にでも平等なだけですよ」

「そうか? 気付かない間にどっかキスとかされたり、触られたりしてないか?」

「……わざと叱咤されるようなこと言ってます?」


 わざと怒らせて睨みつけてもらおう、みたいな思惑があるんじゃないかと疑ってしまう。


 現に前にあった。わざと私の頬をつつき続けてつつき返すのをこの男は待っていた。しかも前科三犯。執行猶予はもうつかない。なのに会長は心外とでも言う様な目でこちらに高圧的な目を向けた。


「は? 違えだろ、お前の答えによっちゃ、テニス部のクズ消さなきゃいけないからだろ。俺の性癖とは別問題だ」

「はぁ、心配性もいくとこまでいくとそんな風になるんですね」

「あー、そうかもな、あわよくばお前のこと誰にも見せたくないし」

「尻軽と思われているとは大変心外です」


 会長を見ると、彼は眉間に皺を寄せた。


「お前のことは信用してる、けどな、お前以外は全員信用出来ない。お前がいくら拒否をしても、無理矢理ってこともあるだろ」

「……会長みたいに?」

「お前俺のあの告白無理矢理だと思ってんのか?」

「どう考えても脅迫に近かったですけど」


 私が会長に告白されたのは私が一年の秋だ。ちなみに出会ったのは、春。


 それまでは私は何の部活も委員会も入って無くて、このままだと大学の推薦が危ないと五月に生徒会のボランティアスタッフとして役員入りした。


 そこで会長と出会い色々言葉を交わすうちに親しくなって、その年の九月に告白された。


 偉そうで変なところしかないけど自然体でいられるし、落ち着くし出会って四ヶ月と間もないけれど、性癖がここまでおかしいこと知らなかったし了承した。


 思えばその頃から会長の特殊性癖は出ていた気がする。


 わざと頬をつつき続ける前科三犯のうち二犯は付き合う前だし、よく私が歩いていると足を延ばして自ら踏まれに行っていた。


「俺はお前が好きだ、お前のことは俺が絶対に幸せにする。だからお前も、もう一度俺を好きになれ、とか、どこの少女漫画の世界かと思いましたよ、私は」

「でも嬉しかったくせに。泣いてたよな、お前、ぐすんぐすんって」


 会長はにたにた笑う。あの時泣くんじゃなかった。本当にただただ嬉しかった。あの時は。


「あの時の顔、最っ高にそそられたわ。録画しとくんだったなあ」

「何なんですか、結局加虐趣味と被虐趣味どっちなんですか」

「お前趣味」

「今上手いこと言ったと思ってるでしょう」


 呆れたように溜息を吐くと、会長がにやつく。


 むかつく。


「何でこんな人が生徒会長なんだか……」

「実際、俺が一番優秀だからだろ。頭脳も身体能力も俺がトップ。おまけに顔が良い。そんな俺の上に立つ奴が可哀想だと思わないのか」

「それら全部を殺す性癖を持っているじゃないですか」

「もうそれはお前が悪いとしか言えないな、お前を好きになり、俺はこうなった、お前が変えたんだよ、責任を取れ、諦めろ。結婚しろ」


 出た、会長のお決まりの言葉。これは私が「何でそんな性癖なんですか」とか、「私には手に負えない」と言ったりすると、必ずこう返してくる。


 けれど別に私はなにもしていない。ただ会長と会話していただけだ。出会い頭に叩いたりなんかしてないし、暴言を浴びせたり虐げたりなど加虐なんかしてない。


「会長って本当に屈折してますよね」

「でもそんな俺が好きだろ」

「はぁ……」


 本当にこの性癖さえ無ければ完璧だと思う。


 あとは傲慢なところと若干の危うささえなければ。けれどほぼその三つが八槻咲会長といっても過言ではない。神様の悪戯が過ぎる。


「で、私を呼びだして怒らすのが目的ですか? 帰っていいですか」

「いや、今日はお前に犬として扱われたいんだ」


 そう言いながら、ふんと鼻で笑う会長。「今日は」ってなんだよ、いつもは違う変態行為してるみたいな言い方をするな。


 私はあたりを見回し、棚に置いてあったテニスボールを手に取る。


「じゃあ犬扱いしますね、えいっ」


 ぽん、とテニスボールを投げようとすると、会長に秒ではたき落とされた。


「嘘でしょ」

「今日はこんなことしてる時間はないんだよ、することがあるんだ」

「普段と区別つかない冗談言うのやめてください。説明会でしたっけ」


 何なんだこの会長は。気分屋か? と思いながら資料を棚から取ろうとすると、会長に遮られる。


「そこ、座れ」


 会長の示したのは、ソファだ。


 会長がわざわざ寛ぎたいからという理由で、自腹で持ってきた一人がけソファ。


 寛ぎたいなら大きいのにすればいいのに、わざわざ一人がけ、すっぽり身体が収まるようなソファを持ち込んで来たのだ。「こうして俺が座り、その上からお前が座る、な! 佐切椅子だ!」と馬鹿なことを言って。


「左切椅子なんて絶対しませんが」

「違う、俺を縄で縛れ」

「は……!?」

「俺を縄で縛れと言っているんだが、耳が遠くなったか?」


 お前は何を言っているんだ? という顔をする会長の手にはいつの間にか縄が握られていた。いやそれ私の顔だよ、返してよ。


「ばっ……馬鹿じゃないんですか。こんなところ見られたらどうするんですか!?」

「大丈夫、ここに近付く人間の見張りと足止めを数人に頼んでいる。一人二万でな」

「やったー臨時収入だ! 私交代してきますね!」


 生徒会室の扉に手をかけ退出しようとすると、少し扉が開いたところで秒で間合いを詰められ、すぐに閉じられた。


「待て。俺に露出の趣味は無い」

「どの口が言う」

「お前に見せて嫌がられたりする趣味や、お前に見られて興奮する趣味があるだけだ」


 会長のドヤ顔。腹が立つ。


 ぶん殴ってやりたい。けれど喜ぶから出来ないし、怪我させても嫌だから出来ない。


「多分録音していたら訴えられると思うんですよね」

「お、録音はもうしてるぞ、そして録音したやつをまとめたのはこれだ。その名も、東雫罵倒集」


 会長が、いつの間にかボイスレコーダーと、携帯音楽プレイヤーを取り出した。スマホでいつでも曲が聴けるのにプレイヤーを持ち出すあたり、何か本気の感じが合って戦慄する。というか普通にボイスレコーダーを出すな。


「色々編集を加え、ほら、こんな感じになるんだよ」


『最低ですね! もういいです! 馬鹿! ……バカ、ばーか。バ会長』


 会長がプレイヤーを操作し流れる音声は、間違いなく私の声だった。どれもこれも、言った覚えがある気がするものばかり。


「聞けば聞くほど支持率大暴落。今年のリコール待ったなしですね」

「聞けば聞くほど好き好き大興奮。雫と結婚待ったなし、だな」


 本当に、いつから録音してたんだ。


 全然分からなかった。今度から故意に拍手しながら会話して録音妨害しよ。


「っていうかそんなのいつ聞くんですか……」

「睡眠時だな。これを聞いて眠るとよく眠れるんだよ」

「お金取りますよ」

「いいぞ、一時間一本な」

「何か最悪な感じということだけは分かる」

「いいじゃないか、お前みたいな反応は新鮮なんだよ。だから録音しちゃうんだよ。また聞きたくなるんだよ。つい無邪気さが出るんだよ、子供みたいな」

「そんな無邪気さがあってたまるか」


 恐ろしい犯罪行為を無邪気で片付けるな。ボイスレコーダー持ち歩いて、「しずくちゃんの声録音するのー」なんて子供がいてたまるか。


「本当何なんですか、その変態行動は。何がそうさせるんですかあなたを」

「お前への愛」

「出たよまたその言葉。愛で片付ければ何でもいいと思って」

「でも、実際そうだからな。小さい頃から何でも出来て敬われすぎて、何が楽しいか分かんなくなってしまった時に、お前と出会って救われたんだよ、俺は」


 会長が、懐かしむような目をする。好感度上げようとしないでほしい。普通に上がるから。


「お前はいつだって俺に対して自然体だった」

「まあ、外出ればあなた普通に十七歳の男子高校生ですしね」

「でも俺御曹司だぞ? 八槻咲グループ総帥の息子だぞ、生徒に完璧な会長様って言われてんだぞ」

「人は人。それ以上でもそれ以下でもありません」

「なんだそれは」

「私のバイト接客時のモットーです」


 そう思わなきゃ、接客業はやってられない。お客様は神様だなんて思ってたら、この邪神が! とお客様を滅したくなる。しかし会長様はお気に召さなかったらしい、みるみる気分を害した顔に変わっていく。


「……お前はいつになったら不特定多数の男女に身体を捧げ、笑顔を向けて時には薬を売り報酬を貰う仕事を辞めるんだろうな」

「ドラッグストアのバイトを何だと思ってるんですか、あなたは」

「何か変なものが口に入って身体が熱くなるかもしれないだろ!」

「馬鹿なんじゃないですか!? っていうかあなた知ってるでしょう! ドラッグストアがどんな場所か! 私のシフトの時一時間に一回来店してるでしょう!?」


 あたかも一度も店に行ったことが無い口ぶりだが、会長は私がバイトのシフトの時間になると一時間に一度来店してくる。


 混んでいてレジが並んでいる時は回遊し、人が空いてくる頃に我が店で一番高い商品。マッサージ機能付き円座クッション一万八千円の商品を一つ、クレジットカードでお買い上げするのだ。配送で。


「繰り返してない、ずっと見てる。一時間に一回会計をしているだけだから、実質来店は一回だ」

「一回一回円座クッション買うってなんなんですか!? あなた東さんの彼氏さんの円座クッションの彼って呼ばれてるんですよ!? 恥ずかしくないんですか!?」

「お前が会計一回につき一点で、店の商品買い占めちゃいけないだの面倒なことを言ったからだろ!」

「当たり前じゃないですか!品物が無くなれば休みになるだろなんて言って! 空のトラック店の前に停めて来たじゃないですか!」


 この男、一度私のバイト先での商品を買い占めようとした前科があるのだ。


 商品が無くなれば店は営業出来なくなり、店員がいる必要はないだろと。


 狂ってる。店長さんもちょっと引いていた。だから私はその日バイト先を早退し、これ以上おかしなことをしたら別れると言って二時間に渡る話し合いをしたのだ。


 その結果、私はバイト先に会長が来ること、多くても週四という条件を了承しバイト続行。会長は、バイト先で私と接触するのは一時間に一回。買う商品は一つという条件が付いた。


 本当はバイト、もっとたくさんしたいのだこっちは。出来れば親からもらうお小遣いじゃなくて、ちゃんと自分で働いたお金で、今まさに眉間に皺を寄せているこの男に誕生日プレゼントをあげたい。しかしこの男は、首を傾げながら口を開く。


「圧力をかけて営業停止に持ち込まないだけ優しいと思わないか?」

「自分の行動が規格外のとんでもないことって自覚ないんですか?」


 そう言うと、会長は「ふむ、無いな」ときっぱりと話す。何なんだこいつ……と思っていると、ふいに扉がノックされた。


「ああ、もう終わったか……」


 会長が、遠い目をしてほくそ笑む。何だ、また何かやった目つきだ。


「何かしたんですか? 私のバイト先潰したんですか?」

「いーや? 気にするな、取るに足らないこっちの話だ。ほら、早く縛れ」

「いい加減にしてくださ、いっ」


 会長の差し出して来た縄にチョップして弾き飛ばし、会計の席につく。



「ああ……今の睨み、手刀……最高だったな」



 ああ駄目だ。変態の会長にはご褒美だった。私は大きくため息をついて、会長を視界に入れないように会計予算の帳簿を開いたのだった。









 帳簿に目を通す雫を確認して、スマホの電源をつける。


 一応雫に奪われることを予想してトークアプリのメッセージ通知機能を切っていたから、通知は無いがおそらくもうメッセージは届いているだろう。


 そう思ってアプリを開くと、やはりメッセージが届いていた。


『田峰始末完了』


 その六文字を見て、雫にバレないよう静かに笑う。このゴミクズはずっと裏で雫に付きまとっていた。雫は知らないが雫のバイト先にまで現れていた。そして今日告白でもするつもりだったのだろう。


 その企みは、もう途絶えた。


 明日には田峰は女子生徒を部室で暴行した生徒として、この学校を退学になる。雫ははじめ俺が何かしたかと疑うだろうが、俺がそこまでするとは思ってないはずだ。人間としてのその一線は超えていないと思っているだろうから。


「お前に近付くクズは全部俺が消してやるから安心しておけ」

「はぁ……」


 雫が呆れたような目で俺を見る。


 俺は雫の表情が全部見たい。他の奴に向けたことのない、俺しか見れない表情を知りたい。


 自分はずっと無欲だと思っていたけれど何かにここまで欲が出るとは思わなかった。


 スマホを机に置いて、伸びる。さて今日はどう過ごすかと考えると、雫が席を立ちあがった。棚からごそごそと何かを取り出しこっちにやってくる。


「どうせまた昨日徹夜したんでしょう? 目に隈できてますよ、そこで寝たらどうですか? 誰か来たら起こしますから」


 毛布をドンと机に置き、ちょっと目を逸らしながら言ってくる。ああ、可愛い。心配してくれている。


「ならお言葉に甘えようか」


 俺は毛布を受け取りソファに座った。このソファの位置は雫が作業をしている時、雫に気付かれずに見ることが出来る最高の位置だ。


「何時まで寝ます?」

「お前が帰るまで」

「このまま置いて帰るかもしれませんよ」

「放置か?」

「一時間後に起こしますね」


 雫はため息交じりに返事をする。ああ、好きだ。呆れた瞳も、優しさも、何もかも。


 雫だけが俺を人として扱ってくれる。対等に見てくれる。


 両親からは八槻咲を統べる者として、他からはいずれ八槻咲のトップに立つものとして俺を扱った。皆、等しく俺を一人の人間として扱いはしなかった。それは俺の脳に病が見つかり、発作的に記憶を喪失してしまうと分かってもだ。次期トップの椅子をどうするかの心配をしても、誰も俺を心配するものはいなかった。


 けれど雫だけは俺を同じ人間として扱い、俺を心配した。


 幼い頃から自分の身体を蝕む病によって自暴自棄に生きていた俺に光を与えてくれた。同情ばかりだった視線の中、唯一病人の俺ではなくただの俺を見てくれた。手術の後遺症で雫を忘れてしまうかもしれなかった俺に、「さっさと治ってください」と背中を押してくれた。


 だからこそ雫から与えられる痛みが欲しい。人は痛みを伴って記憶すると言うから、もう二度と雫を忘れることがないように。


「そうだ、縛りながら眠りたい、縛ってくれ」

「嫌です。そんなことして寝たらボンレスハムになる夢みてうなされますよ」


 雫はまた、うんざりした目をこちらに向け、自分の席に戻っていく。


 その背中をうっとりしながら見つめる。


 ……お前が俺を、変えたんだからな。責任取れよ、雫。



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