きみのためのワンルーム
稲井田そう
第1話
朝、ベッドの上でぼんやりと目を開くと柔らかな毛先が視界に入る。
嫌な気配がして恐る恐る腹部を確認すると、二つの目玉がこちらを見ていた。
「またですか、世谷さん……」
こちらを向き、にたりと弧を描く唇。私の腹部に頭を預け私の上に寝そべる男……世谷さん。私の恋人であり、狂人である。
まず昨夜、世谷さんとは一緒に寝ようね約束なんてしていないし、合鍵だって預けていない。事前連絡なし、同意なし、完全なる不法侵入である。
世谷さんはスーツだ。出勤前に不法侵入してきたのだろう。朝活……朝犯罪者活動。巷の社会人が健康の為にランニングや英会話を受ける中、世谷さんは日課のように私の家に不法侵入してくるのだ。末期である。
こうして世谷さんが無許可で突入してくる度定期的に増えていく鍵。扉に七個ほど追加の鍵が取り付けられているけど、彼はものともせず毎回突破してくる。
というか「もっと防犯性の高いものを追加したんだ」としれっと言ってのけ、自らつけてくる。頭おかしい。
「データ保存していた君の写真、また現像したんだ。今日帰ったらアルバムに入れようね」
世谷さんは起き上がると自分の鞄から写真を取り出した。どれもこれも、一人しか写ってない。二人での写真は一枚もなかった。
「盗撮写真集の間違いじゃないですか?」
「あはは」
世谷さんが楽しそうに笑う。
まごうことなき盗撮だ。入れようねって言い方も中々くるものがある。私が一緒にアルバムを作れるとでも思っているのか。
世谷望。世の谷と書いてせや。望はのぞみでは無くのぞむ。二十八歳。職業は検事である彼とは、高校の入学式で出会った。高校一年生という新たな生活の中、隣の席が彼だった。
当時世谷さんの本性を知らなかった私は、優しく温和で知的に見えた世谷さんに恋をして、告白、交際に至った。高二の夏だった。
それから高校卒業までは健全な関係だったと思う。一緒に手を繋いで公園にいって話をしたり、図書館で勉強したり街へ買い物に出かけたり。
世谷さんは勤勉で真面目だけれど、融通がきかないわけでもなく、私を笑わせてくれたり、ふわふわしてるところもあったり、なんていうか干したての布団みたいな人だった。
前世、干したての布団だったのだと思う。
それが終わったのは高校を卒業する直前だった。彼がどんどんおかしくなっていったのだ。
私は元々高校時代から一人暮らしをしていた。いわゆる家庭の事情だ。ひとり暮らしを満喫していたけれど、高校を卒業して世谷さんは私の家の隣に越して来た。
私に何の説明も無く、唐突に「実は隣の部屋に越してきちゃったんだ」とにやけながら発した世谷さんの笑顔を思い出す度に今でも背筋が凍る。
それから、私の扉に鍵を付け足しつつ世谷さんが不法侵入する日々が始まった。
勝手に私の部屋に入って食事を作ったり、私の洗濯物を勝手に洗う。勝手に私の部屋を掃除する。「君のお世話を一生したいんだあ……」と恍惚とした顔で笑う世谷さんは、本当に逮捕された方がいい顔だった。
出会いから十年経った今、それは年々酷くなる一方で。朝は大抵無断で侵入してこうしてベッドで眠り、昼間来たかと思えば部屋の匂いを精一杯嗅ぐ。
夜は好きだ好きだ愛していると念仏の様に唱えてくる。たまに感極まって泣く。ベッドの匂いも嗅ぐ。基本世谷さんは私の部屋に入ると匂いを嗅ぐし、私のタンスから服を取り出し嗅ぐ。
そんな世谷さんの職業は自宅警備員でも暇なものでもなく、忙しいはずの検事なのだ。
本当に世も末である。怖すぎる。呼吸をするように法に背くこの人間が、日々正義の為働いているのだ。どうかしている。
世谷さんが法学部の大学に通っている間中ずっと、世の中終わってるなと思ったし、検事になった報告を聞いた時は、最も真実を見抜くべき職業に錯乱した人間が就いてしまったとしか思わなかった。
しかし世谷さんはスペックが高いのだ。思えば高校の成績もそれはそれは良かったし、大学も首席で卒業、試験も一発合格だった。基本的に一度目を通した物は全部記憶できる。何なんだろう。腹立ってきた。
しかし世谷さんにはそのスペックを全て台無しにする厄介さがある。普通に裁かれて欲しい。もっと変態行動ではなく、社会的に貢献できる活動をしていてほしい。
「結婚しようね」
世谷さんがうっとりした顔で話す。本当頭おかしい。前はこんなじゃなかったのに。
「朝からする話じゃない」
「白無垢がいいかなあ、それともウエディングドレスがいい? 式を二回するのもいいよね、国内と海外でさ」
「駄目だ、何も通じない」
「君の晴れ姿、とっても綺麗なんだろうなあ、その隣に立てるなんて、俺は世界で一番の幸せ者だよ」
「一番不幸な人ですよ」
「一生一緒に居ようね」
「無理ですよ、結婚も、一緒にいることも、この先永遠に」
拒絶しても、世谷さんは笑みを浮かべたままだ。
私は結婚できない。
世谷さんがいくら変態でも危ない人間だとしても、私は世谷さんが好きで、結局のところ恋人だけれど、もう私は鬼籍に入っているのだ。
世の中、出来ることと出来ないことは間違いなくある。
私が死んだのは高校卒業までひと月を切った十二月。もう十年も前のことだ。クリスマスを目前に控えた私は、世谷さん、いや世谷とのパーティーの買い出しをして家に帰ろうとすると、隣に住む高校生の女の子を狙ったストーカーと鉢合わせしてしまったのだ。
そして私はその日死んだ。でも幽霊としてこの世界に残ってしまった。
葬儀はひっそりと行われたが、私の死は周囲にかなりの影響を与えた。卒業式には校長が私の話をし、その年の入学式でも私の話がされた。
中でも私の死の影響を一番受けたのは、紛れも無い世谷だ。
私の葬式の日。ドラマやアニメの葬式のシーンでは、土砂降りの雨だったりするけど、私のその日は雲一つない晴天だった。そんな天気と真逆の世谷の顔。
私の遺体を見た世谷の絶望の表情を、私はずっと忘れないだろう。
声を上げ涙を流し俯く同級生たちの中、彼は静かに私の頬に触れ、もう二度と開かなくなった目を見ていた。そして私にキスをした。死体相手に。
私たちはずっと未来の話をしていた。卒業したら旅行へ行こうだとか、お互い合格した大学が近くにあったから、落ち着いたらお互いの学食へ行きたいね、だとか。
そんな未来が一日の、ほんの一瞬の出来事で終わってしまったのだと私はその時理解した。
それから世谷は変わった。私の墓を荒らし遺骨を持ち出すと、私が借りていた部屋を両親に頼み込んで買い取ってしまい、その隣に住むようになった。
私がいるように振る舞う時もあれば、ただただ泣き続ける時もある。
十年経った今もなお、彼は自分の心に私を住まわせ続けているのだ。私がこの世界に残っている仕組みはよく分からない。
そもそも天国や地獄なんてものが存在するのかもわからない。
私はずっとこのままなのかもしれないし、明日、いや一時間、三十分後くらいには、消えているのかもしれない。
消えなくても、こうしてものを考えていられるのは、いつまでだろうと思う時もある。
だから、とりあえず。
私が消えるその時までは、世谷の傍にいて彼がこの世界に目を向けるまで見届けることを決めた。
そして私は、時間の経過を忘れないように、彼に語り掛ける時は、「さん」を付けて呼び、彼を十歳年上の人だと思うことにしている。
彼の中で止まった十年の月日が、動き出すことを願って。
「今日の夕食は何が良い? ハンバーグかな? それともグラタン?」
世谷、いや世谷さんは玄関で嬉しそうに靴を履きながら、独りで話をする。私のことなんて見えてないのに。本当にもう、いい加減にしてほしい。私なんか忘れて、さっさと幸せになってほしい。
「ちゃんといい夫になるから、結婚してね」
「世谷さん本当に気持ち悪いですよ」
手を伸ばしても、透けてしまって触れられない。目だって合わない。でも今日一日、怪我なんてしないように、楽しく過ごせるように。彼がきちんと扉を閉めてから、私は「いってらっしゃい」と声をかけたのだった。
きみのためのワンルーム 稲井田そう @inaidasou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます