第46話 進むために

 初めは不味いことを聞いてしまったという様に眦を下げていたナイルだったが、翔が静かに、しかし楽し気に話すのを見て、次第にその表情を優し気な笑みへと変えていった。途中で一度、朱里たちの方へ眼だけを向けたのは、それが翔の空元気でないことを確認したかったからだろう。


「――祐介さんは、本当に良いお方だったのですね」

「はい。馬鹿なくらいに、いいやつでした。ほんと、大馬鹿野郎です」


 翔は微笑み、両手で持っていたカップに口をつけて喋り続けて乾いてしまった喉を潤した。それから、自分ばかり話していた事を謝った。


「いえいえ、いいんですよ。こちらから聞いたのですから」

「ありがとうございます。……俺たちがこうして旅をしている理由の一つは、これがあいつのしたい事だったからなんです」

「もしかして、カメラを探していらしたのも……」


 はい、と翔が頷いた。


「そうですか。それは、良かった。あなたにお売りできて。商人冥利につきます」


 満足げにナイルは微笑んで、本当に良かったと繰り返した。


 十分に休息をとった朱里たちは後片付けを済ませて更に奥を目指した。

 狭い洞窟を進めば進むほどに魔除け光石こうせきの青い光が増えていき、三十分も進むころには、辺りを星空を思わせる光景が覆っていた。大小様々な大きさに露出した光石の光は静かでいて温かく、幻想的だ。三百六十度に広がるそれに女性陣は目を輝かせ、男性陣はほうけた顔を晒してほぅっと溜め息を漏らす。


「これは、凄いな……」


 思わずと言った様子で漏らした煉二の言葉に、皆が頷いた。

 翔は、はっと思い出したように〈ストレージ〉からカメラを取り出して構える。何度かシャッターを切ると、魔道具は今彼らにだけ許されたその景色を記録媒体へと写しとった。カメラ越しに見るとまた少し印象が変わり、暗闇へ岩肌を浮かび上がらせる滲んだ青はさながら、海底に差す星々の明かりのようだった。


「香ちゃんと祐介君にいいお土産が出来たね」

「うん」


 そのまま秘境に隠された宝に目を楽しませながら歩き続ける事しばし。休憩を終えてから三時間近くが経った頃、通路の終わりが見えた。彼女らの視線の先には次の広場に出る為の最後の曲がり角がある。

 同時に、気が付いた。万が一の可能性と思っていた存在に。


「……陽菜、広場に入ったらをお願い」

「わかった」


 魔除けの力に満たされたこの場にいるのだから、少なくともSランクは確実とみて、翔が今日一番に真剣な顔を見せる。今の五人ならばSランク帯の下限は多少余力を残して戦える域ではあるが、今はナイルがいた。もしもSSランク以上の伝説に聞くような魔物がいれば、それは即ち死力を尽くしてもどうにもならないかもしれないという事だ。全力で気配を消し、ゆっくりと最後の角へ近づいていく。

 ――……良かった。最高でもS⁺ランクには届かない。


 角まであと十メートルと言う程まで近づくと、相手の力量はある程度察せられた。朱里はS⁺ランク未満ならば陽菜の〈神舞魂放しんぶこんほう〉があればどうにかできると判断し、そっと胸を撫で下ろす。

 しかし油断はできない。常でさえ苦戦は免れない上、ナイルを守りながら戦わなければいけないのだから。


「行くよ」


 一言翔が呟いたのと同時に彼と陽菜、朱里の三人が角から一斉に飛び出した。

 見えたのは、迫りくる梔子色クチナシいろ。目を見開き驚きを顕わにする三人の肌を、梔子の実の色のガスから発せられる熱が焼く。

 咄嗟に翔と陽菜の張った障壁は灼熱のガスを一瞬だけ受け止め、直ぐに見えなくなった。しかし三人が退避するには十分の時間を稼げたようで、曲がり角を戻った位置には五体満足で冷や汗を流す少年少女の姿がある。

 ――気づかれてた!? 魔物がいるのはまだ百メートル以上先なのに!?


「相当気配に敏感らしいね。こっちが角を曲がると同時に攻撃が来たって事は、動きを完全に把握されてるって見て良さそうだ」

「うん。あとさっきの攻撃、かなり出が早いと思うよ」


 乱れてしまった息を整えながら状況を分析する。幸い、件の魔物はまだ動く気がないらしい。


「見ろ、溶けた壁が黄色く変色している。熱だけでは無さそうだぞ」

「腐卵臭もしますしー、硫化水素が混じってるかもですねー」


 火山性ガスの一種として知られる危険物だが、理系の高校生をしていた彼女らはそれがどういったものかを知識の上では重々承知している。寧音は続けて、余り姿勢を低くしないようにとナイルに伝えた。同時に陽菜が魔法で風を起こし、空気を循環させる。


「寧音、防げそう?」

「んー、防ぐだけなら多分大丈夫ですー。ナイルさんには常に障壁を張っておくとしてー、そうですねー、援護はあまり期待しないでくださいー。問題はー」

「硫化水素、ね」


 寧音は、はいー、と間延びした返事を返して頷いた。それから顎に右手を当て、左手で右腕を支えるようにしてうんうんと唸る。緊張感の無い風だが、彼女は真剣そのものだ。


「気体を完全に遮断すると息が出来なくなりますしー、あれを防ぎながらいちいち風で散らす余裕があるかどうかですねー」

「寧音ちゃん、水をどうにか使えないかな?」

「あー、なるほどー。考えてみますー」


 硫化水素は水によく溶ける。他にも無害化の方法はあるのだが、高校化学までの知識しかない彼女らにそれを思いつけというのは無理な話だ。朱里と翔が魔物に動きがないか警戒を続ける傍ら、話の分からないナイルに煉二が説明をしていた。


「……んー、なんとかなりそうですー。煉二君、手伝ってもらいたいんですがー」

「ああ、任せるがいい。その案でいくぞ」

「まだ何も言ってませんよー。それでですねー――」


 寧音の説明を聞き、陽菜と翔が頷いた。ならば大丈夫だと朱里も了承する。煉二の意見は聞くまでもない。

 五人は改めて隊列を組み直すと、今度は寧音を先頭に角を曲がった。煉二、翔、朱里、陽菜、ナイルの順で彼女の後を追う。ナイルを曲がり角の前に待機させないのは、彼の護衛に一切戦闘に参加ができないその場所へ一人を残す余裕がないと判断したからだった。


 角を曲がると同時に、先ほどと同しく梔子くちなし色のガスが六人の眼前まで迫る。視界いっぱいに広がったガスは、確実に彼女らの命を奪う力を持つ。しかし誰もが構わず前進を続けた。


「煉二君、行きますよー!」

「ああ!」


 寧音がその真っ白な杖を掲げると、半球状の障壁が現れガスの塊を受け止めた。翔と陽菜二人がかりの障壁を容易く破ったはずのそれに、寧音の障壁はビクともしない。それだけでは無い。障壁の向こう側に更なる魔力が拡散していき、一つの結界領域を作り出す。その内でガスは水に包まれ、溶ける端から凍り付いていく。


「[氷槍アイスランス]!」


 そして氷塊は煉二の意に従って形を変え、ガスの奥に見えた魔物、湿潜竜プロテウスへと飛翔した。

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