第39話 商人の依頼

 朱里がギルドの酒場に着いた頃、既に他の仲間たちは揃っていた。馴染み深い気配のある辺りに目を向けると、人と人の隙間から翔の顔が目に映る。彼女は殆どが埋まった席の合間を縫ってそこを目指した。


「おまたせ」

「私たちも今来たところですよー」


 四角い六人掛けのテーブルの内、空いていた翔の隣の席に座る。上座にあたる位置だ。寧音の言葉に気を使った雰囲気は感じられなかった朱里だが、一応は急いだほうがいいだろうと壁に掛けられたメニューからパッと目についた物を選ぶ。


「それにしても、ここは商人が多いのね?」


 店内を見渡した時、ふと思った感想を朱里は口にした。冒険者ギルドの酒場と言えば冒険者ばかりがたむろしている印象が彼女の中にはあった。


「ここら辺だと、専属で護衛契約を結んでることが多いらしいから、それでじゃないかな?」


 砂漠を越えて行商する人々にとって、護衛が信用できるかは他の地域以上に大きな要素となる。その為、専属契約を結んだ、或いは結ぼうとしている商人と冒険者がお互いの親睦を深める目的で食事を共にするという文化がカサディラ砂漠一帯にはあった。

 顔に疑問を浮かべた煉二が陽菜からそう補足され、納得する。

 丁度横を通りかかった店員にそれぞれ注文を告げると、翔が何か情報はあったかと切り出した。


「全然ダメね。何も知らないって話しか聞けなかったわ」

「こちらもだ」


 揃って首を横に振る煉二と朱里。翔と陽菜はやっぱりかと溜め息を吐いた。


「まあ、そう簡単にわかるとは思ってなかったけど」


 これからどうしようか、と話しながら注文が届けられるのを待つ。少しして、大皿いっぱいに盛られた料理が運ばれてきた。フルーツと香辛料をベースにしたソースを使った料理に、サラダ代わりのフルーツ盛り合わせと、フルーツ三昧だ。これがカサディラの日常だった。他の店のように干し肉ではなく、新鮮なお肉が使われているのは、そこが冒険者ギルド故の特殊な例だ。


「翔君が魚料理を頼むなんて珍しいね?」

「カサンドラに行くまで暫く食べられないって思ったら、何となくね」


 オアシエの町は大きなオアシスで魚が一定量獲れる為、こうして食卓に並ぶこともあるが、カサディラにある多くの町では超が付く貴重品だ。他に日常的に魚を食べているのは、首都カサンドラを含めた海岸線沿いの港町くらいだった。

 うん、辛い、と言いながらどこか優しげな表情をする翔の胸中を想像し、朱里はそっと視線を落とす。その事を悟られないように取り分けた料理へと手を伸ばした。辛いものは、祐介の好物だった。


「それで、どうするつもりだ? ここで引き返して別の 【調停者】を訪ねるか?」


 アルジェから聞かされていた【調停者】は風龍フーゼナンシアだけではない。他の【調停者】たちは地続きの場所に住んでいる為、辿り着けるかは別として行く方法は判明している。それを勘案しての提案だった。

 翔は煉二に顔を向ける。


「せっかくここまで来たんだし、カサンドラは見ていきたい所だけど、そうだね……。もし別へ行くなら、『竜魔大樹海』かな?」


 東大陸の北端にある広大な樹海で、魔境と呼ばれる地域の一つだ。


「そうね。『龍王大火山』の方でもいいけれど、南は今きな臭いって話だし」

「ですねー。もう百年くらい内戦が続いてるんでしたっけー?」


 寧音は大火山のある『龍人族ドラゴニユート』の国の情勢に、どこか呆れた声を漏らす。彼女らから見れば、百年は一生にも等しい時間なのだから無理もない。


「でも、『龍人族』って五百年は生きるんでしょ? その感覚からしたら、少し長いくらいなんじゃないのかな?」

「確かに、陽菜の言う通りかも。東大陸はこっちの数倍広いとは言え、内戦が終わった後も暫くはごたごたするだろうし、もう少しこっちで粘った方がいいかもね」


 朱里たち三人も彼に同意した。


「つまり、今これ以上議論しても仕方ないというわけだな」


 煉二はカレーらしき料理を口に放り込み、やや頬を緩ませる。


「じゃあ、明日には出発しようか。情報がありそうな施設もなかったし」

「賛成。ここは島からも遠いし、これ以上は期待できないでしょ。……あ、このラッシーみたいなの美味しい」


 この話はおしまいだとばかりに朱里が飲み物の感想を零す。翔たちもそれに倣った。魔物ではない家畜の乳とフルーツ果汁で作ったらしいそれは、料理にふんだんに使われた香辛料の辛さを中和してくれる。辛いのがあまり得意でない陽菜でも美味しく食べられているのは、そのラッシーのような飲み物のおかげだった。

 朱里たちが思った以上に口に合った品々に舌鼓を打っていると、突然、トン、と料理の盛られた皿と水の入ったコップが彼女らの机に置かれた。


「ちょっと失礼。あなた達、『風生かぜうまれの島』に行きたいのですよね?」


 その男は目指す島の名前を口にしながら空いていた椅子に座る。一見すれば、ただの『人族』の商人だ。しかしその肌は砂漠の民と呼ばれるカサディラの人間だと言っても不自然なほどに黒い。加えて、気を緩めていたとはいえ、机に食器類を置かれるまで翔たちの誰一人彼の気配に気づけなかった。

 朱里は一瞬、この男は何者だろうかと逡巡した。


「いえ、聞こえてしまったものですから」


 黄色い服の袖をたくし上げ、カトラリーで自分の持ってきた料理をつつきながら彼は笑う。それから何気ない様子で言った。


「私、知ってますよ。あの島に行く方法」


 食事に集中していた煉二や寧音を含め、五人は一斉に顔を商人の方へ向ける。彼はその勢いに少々驚いた様子を見せた。


「本当ですか⁉」


 朱里たちは衝撃に直前の思考を投げ出し、あらゆる違和感をどうでもいいものとして忘れ去る。

 殆ど詰め寄るような形で問いかけた翔に商人の男は涼しい顔のまま肉の香草焼きを口に運んだ。


「まあまあ落ち着いて。私をある所まで護衛していただけるなら、教えて差し上げますよ」


 もちろん別途報酬は出すつもりですが、と続ける商人。朱里たちは顔を見合わせる。


「先にどこまで護衛すればいいのか教えてもらってもいいですか? 俺たちの実力に見合わないような場所だったら困るので」

「ええ、はい。目的地は、『星見の池』。何でも願いを叶えてくれるという、伝説の場所ですよ」


 なんでも願いを叶えてくれる、その言葉に、五人は反応を示した。もしかしたら、日本に帰ることが出来るかもしれないと期待の籠った視線それぞれに交わす。


「その、伝説の場所、ですか。あなたは、その場所を発見した、と?」


 気の逸りそうになるのを抑えつつ聞く翔に、商人は頷く。


「何を隠そう、その場所がある所こそが、あなた達の目指す『風生れの島』なのですよ」


 朱里たちは目を見開いた。冗談を言っているのではないかと商人をじっと見つめるが、寧音の、えー、という声にも動じずただニコニコと笑っている。

 それから詳しい話を聞いた上で、翔は、相談させてくださいと断った。

 商人が元の席に一度戻ったのを確認すると、翔は声を落とし、どうするかと朱里たちに聞く。


「あの人の言っていることが本当か分からないし、道中もかなり危険みたいだから、正直迷ってる」

「そうだな。本当に願いを叶えてもらえるとして、日本に変えることが出来るかは別問題だ。それだけでは無いが……兎も角、俺は依頼を断るという選択も有りだと考えている」


 おそらく法王国の一件が彼に願いを叶えてもらえるという文言への猜疑心を生んでいるのだろう、と朱里は考えた。彼女も、そうであった。


「だけど、嘘は吐いてなかったと思うよ、あの人。信用できるかは、ちょっと私にはわからないけれど……」

「どちらにせよ、せっかくの手がかりよ。私は受けた方がいいと思う」


 陽菜と朱里が依頼を受ける方向に積極的な様子を見て、翔は目を閉じ、考え込む。それから寧音はどうかとサブリーダーである彼女に水を向けるも、翔の決定に従うと言ってフルーツを食べ続けるだけだった。


「……わかった。受けよう」


 結局、煉二が積極的に反対していない事を理由にして翔は商人の依頼を受けることにした。

 商人を呼び、依頼を受ける旨を伝えると、彼は微笑んで感謝を口にした。この頃には、朱里の中から彼に対する違和感が完全に消えていたが、その事を疑問に思うことはない。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私のことは、ナイルと呼んでください」


 彼に続けて朱里たちも自己紹介をし、食事を再開する。齢三十だというナイルは自分を、独立して二年の行商人だと言った。カサディラの行商に珍しく専属護衛がいないのは、元々冒険者をしており護衛を雇う必要がなかったからだと言う。朱里たちは特に疑問に思うこともなく彼の話を聞いていた。

 

「ナイルさん、別途報酬を考えているとの事ですが、それを『願いを叶える方法』にしてもらえませんか?」


 報酬の話をしよう、とナイルが言い出した時点で、翔はそう提案した。もし一度に叶えられる願いが一つなら諦めるのも仕方がない、とそれぞれが思っていたが、幸いにもナイルは快くその方法を彼らに教えた。


「過去、何人もの人々がそこで願いを叶えてもらったと聞きます。ある者は故郷を苛む難病を癒し、ある者は叶わぬ恋を叶え、そしてある者は、英雄王となりました」


 それが、カサンドラの健国王です。とナイルは続ける。カサンドラの歴史も常識程度には教わっていた翔たちだ。その話を、興味深く聞く。しかし、朱里だけは、叶わぬ恋を叶えた話が気になってしまっていた。

 ――もし、私が翔との事を願ったら……。


 つい、考えてしまう。

 それから彼らは世間話で親睦を深めた。だが、彼女の心に一度刺さった針は、決して抜ける事はなかった。


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