第22話 目覚め

 濃い青紫色のカーペットが敷かれた一室に窓から柔らかな光が差し込む。落ち着いた色で纏められたその部屋には、セミダブルサイズの広々としたベッドが二つ。どちらの布団も小さく膨らんでいる。

 その膨らみの一つがもぞもぞと小さく動いた。夢の世界から帰って来たらしい。

 無事現実世界へ戻ってきた彼、思導翔は、ゆっくりと瞼を開く。ぼやけた視界。ここはどこだろうか、と左右へ視線を移ろわせながら、意識を飛ばす前の記憶を探る。

 ――……そうだ。あの時俺は魔王に負けたんだ。なのに、なんでまだ生きてるんだろう? 誰かが助けてくれたのかな……?


 ぼんやりとしていた頭が急速に覚醒していく。同時に、視界もはっきりとしてきた。

 その目の前にあったのは、見目麗しい、けれど表情の乏しい美女の顔。翔の顔に垂れる髪は純白で、同じ色の狼耳と黒い瞳が彼をじっと見ていた。


「……起きた?」

「…………うわぁっ!」


 こてん、と可愛らしく小首をかしげながら彼女、ブランは聞く。翔が驚いて声を上げてしまった事に顔を顰める様子はなく、一つ頷いてから踵を返した。


「姉さまたち、呼んでくる」


 ドアを開ける直前にそう言って、そのまま部屋を出ていく。

 ――ど、どういう事……?


 状況が呑み込めずぽかんとする翔。とりあえず、と彼が体を起こした時、その横でごそごそと布の擦れる音がした。


「翔、どういう状況だ。何故俺たちは生きている? それに、さっきの彼女は……」


 額に手を置きながら煉二は問うが、これは翔の知りたい事でもある。彼は、わからない、と首を横に振りながら短く返した。


「幸い、壁の向こうに寧音たちの気配を感じる。こちらに害をなす気は無さそうだ」

「そうだね。逃げ出そうにも、装備が何もない状態であの森を抜けられるとは思えないし、なるようになるしかないよ」


 煉二も同意して頷き、姉たちを呼びに行ったというブランを待つことにする。すんなりと結論が出たのは、〈危機察知〉が何の反応も示していなかったことが大きい。

 ――それに、何だか頭がすっきりしてる気がするんだよね。


 ブランが戻ってきたのは、それからすぐの事だった。

 ガチャリと音がして扉が開き、シンプルな白と紺のワンピースを纏ったアルジュエロが入って来た。その後ろにブランとスズネが続く。二人も姉と同じようなシンプルなワンピースを着ていた。色見は違うがデザインは同じだ。


「二人とも、目が覚めたみたいね」


 上体を起こし、じっと自分を見つめる二人を見てアルジュエロは言う。


「うん、問題なさそうね。とりあえず、場所を変えましょうか」


 何が問題ないのかは分からなかった翔だが、彼女たちから敵意は感じられず、素直に頷く。煉二もそんな翔を見て頷いた。

 ――そういえば、敵意は最初からなかったか。


「そこにあるのに着替えたら、彼に案内してもらいなさい。その水も飲んでいいから」


 アルジュエロの示す先は、窓際のソファと、ナイトテーブルだ。

 喉の渇きを感じていた翔は少し体をテーブルへと近づけ、置いてあった蓋つきの透明な容器を手に取った。こんな回りくどいことをしなくても簡単に自分たちを殺せる相手だと理解しているため、何の躊躇もせず、喉をごくごくと鳴らせる。

 ――美味しい。ってこれ、ペットボトルだ……。


「ふぅ。……うん? 彼?」


 五百ミリリットルほどの容器から半分を飲み干し、一息を吐いたところで気が付いた。周囲をキョロキョロと探すと、入口の脇に黒い執事服を着た金髪碧眼の青年が控えていた。


「お二人の世話係も仰せつかっております。コスコルとお呼びください」


 翔たちが気が付くのを待っていたのだろう。ギョッとする彼らの視線がコスコルへ向いたのと同時に、彼は爽やかな笑みを浮かべ、礼をする。

 この時点で翔たちは、彼が格上だと理解した。


 アルジュエロが部屋を出ると、翔と煉二は互いに顔を見合わせる。それから一つ溜め息を吐き、ベッドから這い出た。その心にあるのは、深い安堵だ。

 カーペットに合わせて紫を基調としたソファには、綺麗に畳まれた無地の白シャツと黒いパンツが置かれていた。どちらも非常に手触りが良く、汚れ防止などの付与エンチェントまで施してある。


「後ほど、お好きな衣服を選んでいただきます。今日の所は一先ずそちらでお過ごしください」

「あ、わかりました」


 城で与えられていた服以上に高価だと分かるそれに、恐る恐る腕を通す翔たち。下手をすれば安物の鎧より丈夫だと〈鑑定〉が言っているが、それでも緊張せざるを得ない。少々時間を掛け、どうにか着替えを済ませた。

 

 コスコルに案内をされて翔たちの向かった先は、城の中にいくつかある応接室の一つだた。翔たちの寝かされていた客室よりいくらか狭いが、それでも一人暮らしなら問題なく住めるくらいの広さはある。その中央に四人掛けのソファが二つ、向かい合わせで大きなローテーブルを挟むように置かれている。ソファのデザインは客室の物と同系統だ。


「いらっしゃい。座って待ってましょう」


 奥側のソファからアルジュエロが翔たちへ声を掛けた。彼らは若干の警戒をしつつ、その勧めに従う。コスコルはそのままアルジュエロの後ろへ向かった。

 じっと見つめてくる美人の視線に耐えられず、翔はそっと視線を正面の窓の外に向ける。そこにあった空には、いくつかの雲が浮かんでいた。


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