異端の王は、恋する従者と

宮明

それは望まぬ力

 異端。その言葉に、心を躍らせるものは多いだろう。


 そして、同時に恐怖を感じるものがいる。


 それは排斥を恐れられるものであったり、ただの純然たる不安からでもある。








 帰りましょう?わが君――そんな声を聞いた気がした。


 振り返る。


 ゆるく、長い坂道。コンクリートで舗装された道は車道と歩道に分けられ、歩道には所々にくすんだ色の樹が生えている。


 そこには誰もいない。否、嘘だ。人はいる。


 黒っぽい服を着た、幾人もの人々。その全てが十代半ば。ここは高校すぐとなりの、坂道だ。ほとんどのものが、帰宅する際、そこを通ることになる。俺もその一人だ。




「いない、よな」




 つぶやく声に、少し間を開けて通った二人の女子生徒が眉をひそめた。そのまま、二人は何やら顔を見合わせ、鼻で笑い、去っていく。


 いつものことだ。気にしない。――ようにしている。


 前に向き直り、歩む。


 一人だ。マフラーに顔をうずめるようにして、長めの前髪に視界をかすめさせる。


 周りの者が自分を避けて行くような感覚。横を早足で通しすぎた二三人の学生は、何処か顔をゆがめている。皆、早足で横を通り過ぎ、離れたところで歩調を戻す。


 事実、避けているのだろう。周囲から、自分がどんな風に見えているかは、大方見当はつく。


 ぼさぼさの天然パーマは規律すれすれの長さまで伸び、一昨日から洗っていないから、きっとふけも大量だろう。


 制服は少し大きめで、貰いものだ。よくすれるところがてかてかして、きっとそろそろ穴が開く。


 そして、同じように穴があきそうなよれよれの靴に足を包み、しみのついた長く赤いマフラーをしているのだから、避けられて当然だ。


 頭は悪くないほうだ。顔はまぁまぁ。性格は――、あまり良くないだろう。まぁ、でも、常識の範囲内だ。


 普通を望むことも出来ないくらい、どうしようもない存在。そういうことだから、身なりに構っても仕方がない。


 考え事をしていても、足は勝手に家に向かう。通いなれた道だ。もう、あと数カ月でおさらばだけど。


 狭い路地に入りこみ、薄暗い集合住宅――マンションと呼ぶことに少し抵抗がある――に入りこむ。




「ただいま」




 声だけが、家に響く。狭い部屋だ。トイレと台所と寝るところしかないような時代錯誤の部屋。よく見れば壁にはカビが生えているが、そういうところは見ないふりだ。


そんな、見渡せば、全てのものに目がいくほどに小さな、部屋。


 ものの散らかったこの部屋には誰もいない。そう、誰もいない。


 おかえりなさいませ。――そんな声が、聞こえるはずがないと言うのに。




「今日は、体育が大変だったんだ。ハードルでね、この時期にハードルなんて、なんでやらなきゃいけないんだろう。もう、あと少しで卒業なのに」




 でも、運動は大切ですよ。身体を大切にして。わが君。


 コートは持っていないから、マフラーをとり、制服だけ脱ぐ。そして、開きっぱなしのパソコンに放り投げる。寒い。そう思った。




「そうだろうか。僕は、決して病気にならないし、怪我もしないのに。運動が大切なんてそんなことあるんだろうか」




 でも、わが君……。




「……いや、いいんだ。君を困らせたいわけじゃない。すまないね」




 そんな、謝らないでください。わが君。


 微笑む気配がする。


 ――微笑む気配って何だ。


 冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに入れる。


 冷たいそれを、一気に飲み干す。


 シンクにコップを置き、部屋の隅の布団――いわゆる万年床というやつだ――に身を投げる。


 そして、目を閉じた。






 目を覚ますと、夜だった。


 電気をつけずに布団に入ったから、そこは暗闇だ。




「暗いな」




 つぶやき、立ち上がって明かりをつけた。そして、トイレに向かう。


 ちらりとシンクを見れば、既にコップは洗われ、元の位置に戻っていた。


 用を済ませ、トイレから出る。流れる水の音を聞きながら、




「そういえば、前の手紙からそろそろ一カ月か」




 遠くの親戚に引き取られた妹は、月に一度手紙をくれる。


 返事を返さない、嫌な兄に、それでもあいつは手紙をくれる。




「……」




 玄関――鍵はかけていない――を開き、足早に外に出る。ドアは閉めずに部屋の明かりで外を照らし、出てすぐのポストに手を入れる。鍵が壊れているので、そうしようとすればすぐに盗むことが出来るような、この住まいにお似合いのポストだ。


 そこには――――と名前が書いてある。


 俺の名前だ。


 そして、ポストに突っ込んだ手は、ぐるぐるとその中をかき交ぜる。




「………」




 ある。そこにある。


 手紙はあるのに、他にものはないのに、何故だろう。俺の手は手紙を掴むことが出来ない。何となしに、空気が張り詰める。


 それはただの偶然のようで、しかし重なると多分人は少し寒気がするような偶然。


 チッ。


 舌打ちをする。


 空気が震え、瞬間、手紙は俺の手に収まった。




「……………」




 大きくため息。手紙の宛名を確認して、一度周囲を見渡して――腐った木の塀、みじめにはえた雑草、隣のビルの壁のひび――、部屋に戻った。




「……拝啓、兄さん。私は今日も、学習しています」




 小さな声で開いた手紙を読み上げる。


 私は、病気一つせず、元気です。最近やっと部活に慣れてきました。叔母さんも叔父さんも、従姉もよくしてくれます。早く兄さんに会える日が楽しみです。等とそんなことをかいている。


 妹を引き取った叔母夫婦は少しせっかちなきらいがあるが、悪い人ではなかったはずだ。妹も変に人の目を気にするところ以外は普通で、いいやつだから、きっと上手くやっている。


 心配はしていないから、手紙なんていらないのに、あいつはそれでも手紙をよこす。


 ――あいつが俺を心配しているのだろう。


 手紙をたたみ、いつものように棚の上に置いておく。


 じっとその手紙を見つめ、諦めたように息を長く吐き、視線をそらす。


 そして、俺は鞄に手を伸ばし、教科書を引きずりだした。壁に立てかけてあった机の脚を戻し、適当にものをどけ勉強する準備を整える。時計は十二時を指している。






 シャーペンの芯が折れ、同時に集中力も切れた。


 固くなった身体を伸ばし、首も回す。頭をかけば、髪はべたついている。


 冬とはいえ、流石に明日いや、日付的には今日には銭湯に行かねばなるまい。


 横目で棚の上を見る。手紙は、もうない。






 生まれてこのかた、困った。という経験がない。と言ったら、言い過ぎだろうか。


 しかし、飢えたことも悔しい想いをしたことも、ないとは言わないが、ほとんどない。


 それは、認めてしまえば簡単なことだ。――俺が異端な存在だからである。


 異端。


 異なる。普通でない。同じではない。珍しい。すぐれている。非凡である。


 端。かたよらない。正しくする。きざし。本源。かたわら。


 初めて、俺を表すのにその言葉を使ったのは小学校の先生だった。


 ――この子には、少し変わった……、異端な才能があるようで。


 三者面談で言いにくそうに言った言葉に、母親は無表情で、「知っています」と返したのだった。


 平凡な、ごく普通の家庭の次男として俺は生まれた。


 父と母、そして兄がいた。下には妹がいる。


 いた、というのは、彼らが生死不明だからだ。海外旅行に行って、帰ってこなかった。


旅行に行かなかった俺と行けなかった妹だけ家族で生き延びた。妹は今も生きているが、ここではない遠いところに住んでいる。










「君は何なんだろうな」




 私は、貴方の従者です。




「従者って、ようは何なんだ。幽霊か」




 幽霊ではありません。




「じゃあ、何なんだ」




 返事はない。


 いや、返事などそもそも存在しない。




「初めて君を感じたのは、幼稚園のころだった」




 おかしい。なんで、お前その鉛筆を持っているんだ。


 兄が言った。


 手につかむものを見た。それは綺麗に塗装されたキラキラ光る鉛筆。欲しいと言ったら、それは芯が固いからかきにくい。それに貴方にそれはまだ必要ない。と言われ、買ってもらえなかったものだ。


 わからない。首を振る。


 兄は母に言いつけた。母は怒り、顔を真っ赤にしてそれを返しに行った。


 そんなことが何度もあった。


 買っていない商品がいつの間にか家にある。持っていなかったものがいつの間にか家にある。鉛筆どころの問題じゃない。気付けば犬が家にいた、猫がいた。生まれるはずのない妹がいた。いくら危険なことをしても怪我ひとつしない。風邪などひいたこともない。それどころじゃない、ただひたすらにありえないことが重なる。そして、




「君の声を聞く」




 耳という器官が捉えるものではない。でも、聞こえる。そんな感覚。


 私は、常に貴方の傍にいます。貴方が、王だから。




「王――」




 両親の諦めは悪かったが、結局、手癖どころか、それ以上に訳がわからない存在として付き合い、向き合い、最後には投げ捨てられた。


 貴方は、王。孤高で、気高く、そして、




「王なんて、何がだよ」




 王なのです。だから、私がいる。貴方のために、なんでもする。それが私です。王であるべきなのです、貴方は。




「べき、か」




 固い感情、動かない心でそれは感じられた。


 欲しいものは必ず手に入る。シンクの上のコップ。――そして、手に入らない手紙。


 人ではない。人以上の貴方に、人のしがらみなど要らない。


 王は孤高、気高き存在。




「――狂ってるんだろうな」




 布団に倒れ伏し、天上を見上げる。電光、人工の光。


 口に出さなければ、欲しいものは現れない。口に出してしまえば、誰かを傷つけてしまってでも、それは起こる。起こることは決して良い結果をもたらすものではない。


 例えば、家族の視線に耐えきれなくなった時。初恋の少女の名を呼んだ時。




「   」




 唇の動きだけで名を呼ぶ。遠く離れた者の名を。


 ――。


 躊躇うような感覚、感覚だ。




「――君は俺に何をして欲しいんだ?」




 貴方が、王であることを。ただ、それだけを私は支えます。




「そうか」




 何処から何処までが自分なのだろう。


 幼馴染の少女は、ふとした瞬間に妹になった。


 彼女の両親を奪ったのは、俺だ。家族が死んだのは、俺が、――何をしたんだろうな。


 たった一言彼女に何か言えば、書けば、伝えれば、――孤高は破れる。


 気高さなんて、どこにもないというのに。




 すべて悪い夢なのかもしれない。寝て起きたら、自分はただの人間で、風邪もひくし、怪我もする。何もかも思いどおりにならないし、彼女も幼馴染のまま。


 でも、そんなことはきっと起こらない。






「――お休み」




 腕を胸の上で組み、瞳を閉じた。


 その瞬間、部屋の明かりが落ちる。






 最初に不安を覚えたのは、何時のことだったんだろう。


 そして、それがすりきれて、その先には、何があるんだろう。




 ――異端は、何処からだったんだろう。

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