帰り道

宮明

それは突然のことだったから、

 ピンポーン




 うす暗いアパートの廊下で、私はそのとびらが開くのを待っている。


 明るい茶色に塗られたそれは、古びてはいるもののとても頑丈そうだ。時には中にいるもののと相まって、私にとってそれが頑丈な要塞に思えることがある。


 けれど今はただのとびらだ。


 暗く狭い廊下に立った私は両手に抱えた荷物を持ち直し、胸を張る。


 何しろ今日の私には、しっかりした大義名分があるのだ。






「ひなたちゃんか」




 人の近付く音、確認するような音、かすかな嘆息とともに聞こえた低い声、すべてに意識を集中して、逃さず感じ取る。


 声ののち、すぐに開いたとびらの前には一人の男の人がいた。




「冬はすぐ暗くなるから危ないよ」




「まだ明るいから大丈夫ですって」




「でも、この季節はすぐ暗くなるから……、気をつけてね」




 少し困ったような顔で心配そうにそう言う彼の身長は高め、痩身の体はVネックの薄手の長そでにおおわれている。マフラーにコート、そして手袋のフル装備で二月の寒い外の空気にさらされている私からしたら、信じられない格好だ。


 春日井悠かすがいはるかさん、私の初恋の人で兄の幼馴染の一人。


 年は私の六つ上の二十二歳。大学では経済を学んでいるそうだ。




 一重の目をもつその顔はすっきりとした、だけど優しげに柔らかい輪郭で、父に似て妙にごつい顔をした兄とは対照的。


 だが、今、悠さんの頬は痛ましく赤くはれている。聞いてはいたものの、実際見ると、思っていたものよりも痛そうで、思わず息を飲みかける。




 でも、そのことに今は触れない。


 関係ないけど、私はごつい兄とは違い母に似てたれ目でぼんやりした顔だ。悠さんと兄と私の三人でいると、よく私と悠さんのほうが兄弟と間違えられるくらい私と兄は似ていなかったりする。




 閑話休題。




 彼が今浮かべている柔和な微笑みは、兄いわく「猫かぶり」なものなのらしいのだが、私はそれ以外の顔を数えるほどしか見たことがない。


 仕切りなおして、




「こんにちは悠さん。ばか兄貴を迎えに来ました」




 特上の微笑みを心がけて私は返事をする。




「あー、わざわざどうも。ってゆうかもしかして友親ともちかの携帯…」




「ええ、まーた充電切れてるっぽいです。ばっちり通じません。あ、あとこれ母から」




 持っていた包みをそっと差し出す。


 一人暮らしの悠さんのために母はいつも何か食べる物を与えようとする。今日はかぼちゃの煮物である。


 ずっと昔、悠さんの母親は悠さんが八才になってすぐのころに亡くなったそうだ、私は覚えていないけど。




 そんな死んだおばさんと私の母は親友だった。そのためか、もしかすると私たち兄妹にかまうのと同じくらい悠さんに気を配る。


 今日のかぼちゃの煮物は生前悠さんのおばさんが、私の母に教えてくれたものらしく、事あるごとに作っているものだ。




 その大切な煮物を包んだ紫の風呂敷は古いもので、使い込んだ柔らかさを手袋ごしに私に伝える。それを悠さんは慣れたようにひょいと受け取り、




「お、ありがとう。おばさんにもありがとって言っておいて」




 如才なく微笑む顔に釣られて私の顔もほころぶのを感じた。




 兄と悠さんは大の仲良し、そんな彼らともう一人の幼馴染はよく一緒にいて、今日も兄は大学に入ってから一人暮らしを始めた悠さんの家に押しかけていた。


 明日は月曜日。もちろん学校はある。なのに遅くなっても(といっても、冬とはいえまだ六時だけど) 帰ってこない兄に、送還命令が出されたのだが、兄は携帯の充電が切れたらしく音信不通。


 悠さんは携帯を持たない派な珍しい大学生なため、独り暮らしの悠さんに母手作りの煮物を届けるというおまけ付きで私が出張った次第だ。




 少々迷惑だが、心が少し躍ったことは否めないけど!




 ていうか、電話も携帯も持たない生活なんてめちゃくちゃ不便な気がするんだけど…、


 兄と連絡とるときとかどうしているんだろう悠さん。




 ちなみに私は最近の女子高生らしくケータイがないと生きていけない身の上である。


 まだ持っていなかった中学のころは、ケータイがないとやっていけないなんてそんなバカな。とか思っていたけど、今となっては、ケータイがなかったあのころどうやって生活していた思い出せないほどだ。


 まだ、一年半しかたっていないのに。




 そんな取りとめもないことを考えていたら、




「友親、意識ないんだけど、どうする?」と、困ったように悠さん。




 突然の疑問符に「はい?」と私は返した。


 どうすると聞かれても、いったい何が。変な顔をした私に悠さんはとびらの中が見えるように右に少し寄り、目を部屋の奥へ投げかける。




 いた。ばか兄貴いた。


 見覚えのある黒に近い藍色の塊がそこにあった。あれはクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントのまとめと言って渡したために、クリスマスが誕生日の兄に不興を買ったブルゾンだ。値段はその分はったのだけれど…。




 ぐったり、というよりむしろべったりという風に床に転がる兄の顔は見えないものの、明かりに照らされた耳、首は妙に赤い。


 さてはやつ、飲んだということか。




「あのばかー…」




 思わずもらす私のつぶやきに悠さんはくすくすと笑う


 兄は二十二歳だから別に飲酒することは悪くはないのだ(とはいえ、高校生のころから父の晩酌に付き合っていたけども!)




 なんというか、兄は非常に酒に弱いのだ。


 調子に乗って飲んでは飲みすぎ、ぶっ倒れるの繰り返しをする。とくに悠さんと飲むときはその傾向が強くなる。最近はさすがに自重するようになったが、今日は自重しきれなかったらしい。


 気づいてみれば、悠さんの顔も赤い気がするし、何より室内から流れてくる生ぬるい空気はやけに酒気を帯びている。


 転がる缶は大半がビールで、申し訳程度にチューハイも混じっていた。




 なんだか、とっても気が重い。


 こっちは寒い思いしてんのにばか兄貴。


 これ見よがしにため息をつくと、視界の端で悠さんがどんまい、と目じりを緩めて軽く言った。






 お酒はね、飲まれちゃいけないのよ。乗ってやるのが一番なのよ。




 恭子きょうこさんはそういってビールの缶をガブリと開ける。おねえさーんもういっぱい!と楽しそうに叫ぶ声に、お前俺らの金だと思ってガッついてんじゃねえよ!と悲鳴のような兄の声が重なる。


 少し煙い店内、色濃く薫る酒気。




 あはは、と楽しそうな笑い声の悠さんも着実に杯をかさね、ただ私と兄だけが焼けた肉をかっさらう。ひなたちゃんもハタチ越えたら一緒にのもーねぇ!!酒臭い恭子さんが隣に座る私の肩に腕を回す。柔らかな長い髪が私の首にかかった。


 楽しみにしていますね!と言ったはいいものの、酒気の強いこの空間にいるだけで頭が痛い私には、それが本当に楽しいことになりうるか不安があった。




 それはいつのことだったろう。私が高校受験に合格してすぐのことだったと思う。恭子さんの誕生日パーティーと私の合格祝いを兼ねて、兄と悠さんが安くて割とおいしいと評判の焼肉屋につれていってくれたのだ。




 幸せっていうのは、誰かにとっての不幸で、私が踏ん切りのつかない状態を今更のように変えたいと思い始めた時のことだろう。兄も恭子さんも悠さんも私も笑っている。


 幸せは一つじゃないのにみんなそれを第一に願ってしまうのはなんでなんだろう。


 そんなことを幸せそうに酒を進める恋人たちと、お冷のグラスに歪んで映る私の顔らしい肌色と、いつも以上に声のでかい兄に想いを寄せた。




 そして、そのわずかな疑問というか、違和感というかそんな名前のつけられないような微妙な気持は募り続け、今この気持ちにつながったのだ。






「悠さん止めてくださいよー、お兄ちゃんが弱いの知ってるでしょ!」




 送って行くよと、兄を背負った悠さんと私は、アパートの外に出た。冬はすぐ暗くなるね、と妙にしみじみとつぶやく悠さんについ文句を言う。今日は曇っているから全く月が見えない。とはいえ、街灯の光でそんなに暗くもないのだけど、室内に比べたら流石に暗いけれど。




「いやいや、俺じゃともちかは止まんないよ、恭子くらいだって、止められるのは」




「そんなこといってー」




 口元は笑っているけど、なにかためらっている。いったい何があってこんなことになったのかきっと理由があるのだろう。いったい何があったのか。顔をしかめる私をちょっと盗み見てから悠さんは「君のせいでもあるよ」とつぶやいた。


 私のせい?




「私何かしましたっけ?」




「したっていうかされたっていうか……。あ、怒られるかもだからおれがこんなこといったなんて言わないでね」




 釘をさす悠さん、こんなに歯切れが悪いなんていったい何が。私の不審そうな顔に気がついた悠さんは、ふっと嘆息した。




「告白されたんだってね、おめでとう」




 付き合うの?傾げた首筋にかかる髪が電灯にすける。


 見上げた顔に一瞬見とれて私、はっとした。




 あぁ、お兄ちゃんのばかやろう。


 なんのつもりであいつ…。一瞬でどんな方法で復讐するか考えて、すぐに我に返った。気づかれないように小さく深呼吸。


 神様仏様お願い、いま私はきれいに微笑むことができていますか?


 不自然に見えないことを願いながら私は返す。




「たぶん。私にもやっと春ですね」




 うん。私はいつだってこの瞬間だって、胸が痛いほど、悠さんが好きだ。


 ずっと、ずっとずっと好きだ。


 けど、限界だってあるのだ。






 ――今日ね、クラスの男子から告白された。


 昨日の夕飯のとき、笑いながら言った、自分の言葉を思い出した。


 クラスの数人で最近話題のハリウッド映画を見に行ったら、いつの間にか二人きりになっていて。


 こんなことが私に起こるなんてびっくりだな、とか少し他人事のように思った私に、彼は頭を下げた。


 二人でいるのは小さな展望台。元から人気が少ないのか、周りに人はいないマンガみたいにうまい状況。思わず目を見開いた私に彼は言った。




 好きです、付き合ってください。




 真っ赤に染まった耳が彼の短い髪からはみ出ている。


 ――ちょっと考えさせてもらっていいかな?


 自分の気持ちは分かっている。わかっているけど、気づいた時にはそう言っていた。


 自分でも思いがけないほど、落ち着いた声だった。






 要するに、弱虫で優柔不断なのだ。私は。


 高校生である、青春である。


 友達に彼氏はできるわ、兄にも彼女(初彼女である)ができるわ、そんな話題はバンバン出てくる。


 ただし、どんな話題にも、私が中心にいないわけだけど。






「恭子さんとは、どうですか?」




 突然の話題の変換に驚いたように悠さんは瞬いたが、すぐに笑いながら、「いつも通りだよ」


といった。


 一瞬止まっていた足取りはすぐにまた調子を取り戻す。悠さんの歩調と私の歩調はちゃんと揃っていて、そんな何気ないことにも悠さんの気配りを感じて切なくなった。


 街灯の光がまた一つ遠のき、私は目を前に見据えた。


 あ、もうさっきより暗くなっているんだ…。






 恭子さんと悠さんとお兄ちゃんは幼馴染だ。


 年はみんな同じ二十二歳。


 兄がバカやって、恭子さんがつっこんで、悠さんがそれを笑う。それが三人のスタイル。


この女一人に男二人の友情というのは恭子さんが悠さんに告白するという形で終焉を迎えた。


 もう、五年も前の話だ。






 覚えている光景がある。


 私はまだ小学生で、悠さんに抱く淡い想いに気付いて浮かれているだけだったころ。


 高校に入って一段ときつくなった部活のせいで帰ってくるのが遅い兄だったけど、その日はいつもよりずっと遅かった。


 夕飯を食べ終わってもまだ帰ってこなくて、母は心配して今にも電話をかけようとしていて、私は確か書き取りをしていた。


 静かな家の中。時計の秒針の音がやけに響いた。




 唐突な玄関でとびらの開く音と、低くかすれた「ただいま」の声が、普段と違う日常になんとなくそわそわしながら待っていた私に届いた。


 私と母がおかえりと言い終える前に、兄は走って自室に向かった。


 いつもと明らかに違う雰囲気の兄に、私はどうしていいかわからず、とりあえず兄の部屋の前へ行った。




 お兄ちゃん、ごはん食べないの?私が呼んでも、兄の部屋のドアは開かない。重苦しい沈黙がドアの下から流れてくるような錯覚。その感覚に押しつぶされそうになりながら、   私は茫然とドアの前にいた。


 母はそんな兄の行動に、静かにため息をついた。


 後日、私は悠さんと恭子さんのことを聞いた。


 ――私たち兄妹が、一度に失恋したことに気がついたのは、その時だった。






 兄は一晩で復活した。




 いつものようにバカをして、大笑いして悠さんに絡んで、恭子さんに怒られた。


 けど、私は知っている。


 三人が一緒に出かけることが来なくなったことを。


 悠さんと兄が一緒に出かけることはあっても、恭子さんと兄が一緒に出かけることがあっても、私をいれて四人で出かけることはあっても、三人で出かけることはなくなった。


 三人で遊園地行ってくる!そう騒いでいたあの三人は、もういなかった。


 見て見て、プリクラとったの!そう言って、三人でうつったプリクラを恭子さんが私に見せてくる事もなくなった。




 相変わらず仲がいいことだけが変わらなかった。


 白々しいまでに、そのままだった。






 大学に入ってから三年目、兄に彼女ができた。






 恭子さんは三人の兄を持っている。なんでひなたちゃんはわたしの妹じゃないんだろー、とよくぼやきながら私をかまってくれるところをみると、きっと妹がほしかったんだと思う。


 そんな恭子さんが久しぶりに私の部屋にやってきた時、ひみつね。と手帳から出したのは兄の彼女さんの写真だった。恭子さんと彼女さんがくっつきながらピースして笑顔で写るそれから、彼女さんと恭子さんの関係がうかがい知れた。




 長身でいかにもスポーツをやっていそうな恭子さんとは違い、小柄でほっそりとしたやさしそうな人。


 写真を私に見せてくれながら、恭子さんは「やっとだね…」とつぶやいた。


 顔をあげてもすぐ隣に座る恭子さんの顔は、彼女の長い黒髪にさえぎられて見えない。


 ただ、五年前に踏み出された一歩が、やっと軌道に乗ったことは、わかった。


 二人で座るベットが私のわずかな動きにそっと軋んだ。


 恭子さんのジーパンに包まれた長い足と黒いレギンスに覆われる自分のそれとを見比べながら、私もその軌道に乗るべきなんだろう、そう思ったんだ。






 私に告白してきた山寺くんは、高校に入ってからの付き合いで、一年も二年も同じクラス。


 坊主頭の野球部員、成績は下の中で、趣味は顔に似合わず読書。とっつきやすい愛嬌のある性格だから先生やほかの男子によく絡まれていて、それで――わかりやすい性格だから、ずっと気づいていたけど。ずっと気づかないふりしていたけど――私のことが好き。


 友達伝いに聞いた話によると、入学式のとき隣の席にいた私に一目ぼれしたらしい。正直平凡も平凡な私にそんなことが起こるなんて思ってもみなかったんだけどね。


それから事あるごとに話しかけてきて、私も、その好意はともかく、性格はあったので今まで仲良くやってきた。




 出会って一目ぼれしてから、一年と半年目の告白。


 それが早いのか遅いのか私にはわからない。


 けど、今を逃したら、いけない気がした。


 気が、したんだ。






 私は悪い女なのかもしれない。


 山寺くん悪い人じゃないし、顔も(いわゆるイケメンじゃないけど)悪くないし、仲良くできるし。だから、かなわない想いを引きずり続けるくらいなら、いま目の前にある可能性にかけてみようだなんて。


 山寺くんのことが好きで好きでしかたがない人が聞いたら、殴りたくなるような、そんな理由で告白を受けようとしているなんて。


 中学のころはろくに男子と話したことがなかったから、高校になって仲良くなった山寺くんは、確かに大切で特別な存在であることは疑いようのない事実なんだけども。






 いつの間にか途切れた会話の合間に、




「着いたよ」




 悠さんの声が私の家に着いたことを知らせた。


 気づけば見慣れた門の前。もう、あたりは真っ暗になっていた。玄関から漏れる光で悠さんの顔が明るく照らされて、赤くはれた頬がちょうどよくわかる。


 はっとして、目を見開いて。なんでだろう、今更になって泣きたくなって、でもなんとか踏みとどまって、そっと悠さんの顔を見上げた。




 今、今じゃなきゃ、だめなんだ。


 悠さん、あなたのことが好きです。ずっといいたかった言葉、でもそんな言葉口になんて絶対に出すもんか。


 心は決まっていた。言葉を紡ぐ唇のふるえに気づかないふりして私、




「幸せになってくださいね、聞きました、恭子さんとのこと」




 そう続けた。一瞬びっくりしたのか目を見開き、悠さんの動きが止まった


 私の家の玄関まで、あと少し。






 恭子さんの妊娠がわかったのはつい三日前。生まれるのは今年の七月。


 その前に、もう二人は結婚する。両方学生であるために結婚式はあげないで、生まれてからあげるそうだから、婚姻届を出すだけらしいけど。


 卒論終わってて良かったー、とは二日前恭子さんからきたメールより抜粋。




 あの頬の傷は恭子さんの家に行ったら、一番上のお兄さんに殴られた時のもの。恭子さんは「お兄ちゃんひどいよね」、とか言ってたけど、まぁ、可愛がっていた年の離れた妹にそんなことした悠さんは文句なんか言えないよなぁ、とか他人事のように(って、私からしたら確かに他人事なわけだけども)思ってしまった。






「行ったか」




 玄関に倒れた兄を動かそうとしたら、そんな声が聞こえた。


 酒臭かった兄の体は、いつの間にか少しかおる程度になっていた。




「…起きたなら自分で動いてよ」




「はいあい」




 兄の顔は見えない。黒くて堅そうな髪で覆われた頭しか見えない。その動きを追いながら、不思議と落ち着いた気持ちを感じた。起き上がろうとする兄の耳はまだあかく、動きもふらついている。


目を、つま先に向けた。 






 ――うん、幸せになるね。




 驚いた顔はすぐに消えて、柔和な笑顔にいろどられた彼の顔に、せつなさが少し見えた気がして、それでも進もうとする、時の流れを意識した。


 ふいに兄がぽつりとつぶやいた。




「…人類は約六十三億人いるわけだろ」




 ぼやけた声、少しろれつが回っていないその声が妙に耳にしみる。




「つまりその半分は女で、もう半分は男なわけだから、確率的に『俺たち』にもあう人もどこかに絶対いるんだよ」




「……おにーちゃん、年の差とか考えようよー」




「じゃあ、一億……、いないか?」




「知らんっ」




 なんてばかな会話。あぁ、私はやっぱりひどい女だ。




 ……すき、なんだって。


 やっぱり大好きなんだって、私。


 届かなかった、届ける前に終わった恋。物心つくころにはもう好きだった。


 けど、もうそれもおしまい。この恋はおしまい、私は新しい恋をするんだから。


 そう自分に言い聞かせている間に、こぼれた涙が頬を伝って床に落ちたけど、声はもうふるえなかった。




 やっと立ち上がった兄が、私の頭をなでながら、




「なぁ、夕飯食べようぜ」




 と、言って歩き出した。




「そうだね、お母さんが待ってる」




 今はちゃんと笑えてる。


 だから明日も笑える。






 山寺くんになんて言おうか考えながら、私は兄の後を追った。

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帰り道 宮明 @myhl

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