だから私は逢いにいく

sandöll

息が出来ない

「物語はここから始まる。」


紙面上の文字を目で追ってからなんて薄っぺらな表現だ、と悪態をついた。


何が“ここから始まる”だ。


もう終わってしまったじゃないか。

終わらせてしまったじゃないか。


その散文的で薄っぺらな言葉の一つ一つを確かめる為に何度頁をすくっただろう。

簡単に皺のつくこの紙を。

簡単に破けるこの紙を。


そんな薄っぺらい紙に記されたお前の言葉を。強い言葉を。

捲られすぎた頁は傷んで擦り切れそうになっている。


静かに物語を閉じ、自分の横に積み上げた本の山をまた高く聳えさせた。

両手で顔を覆い、深く溜息を吐くと手と顔の間で行き場を失った湿気が両目を潤わす。

否、潤んだ両目を誤魔化してくれたというのが正しいが。


またあの手の感覚が生々しく蘇ってくる。



皮膚を押し返す喉仏。


圧迫される事に抵抗する脈。


浮き立つリンパ腺。


そして……体温。



恐ろしい程に鮮明に覚え

ている。

時々、本当に今起きている事のようにふと勘違いをし、既視感があるなどと考えれば、単にあの瞬間を追憶していただけなんて事もしばしばだ。

全く巫山戯ている。


嗚呼、これだから私は好きになれないのだ。

お前も、ミステリも。


お前が書いたミステリだらけのこんな部屋に居てはならない。

何故なら先程述べたように、お前とミステリが好きではないからだ。

それも、その二つが融合されていると来た。

可笑しくて涙が出てしまう。


そう、涙が出ない内に……部屋から出ねば。


ふらふらとまるで酒酔いでもしているかの様な足取りで外へ出る。

頭から出ていかないあいつやその緻密な文面の事を考える度に白濁色に思考と視界が侵されていく。

脳味噌を誰かに抑えつけられた感覚と肺を撫でまわされている感覚とが交わって息が浅くなり始めた。

手足の痺れが苦しさだけを残して危機感さえも奪っていく。

苛立ちを孕んだ二酸化炭素に苛まれながら蹲るしかなかった。

とうとう、海にでも溺れてしまったようだ。

深海のように暗くなってしまった視界の中で肺から希望を零すと、遂に瞼が重たくなった。



鈴の嘶く様な音がした。

私の前で微笑む男を視線で捉える。

雀の巣になっている頭とその和服は……。

嗚呼、なんだ。お前か。

私の嫌いな、お前じゃないか……。




「君も莫迦だねぇ」





汗をぐっしょりとかきながらはっと目を覚ました。

お前はいつだって私の側にいて当然の筈だったのに。

否、いつでもお前はそこに居るのだろう。

そうして私をいつまでも悩ませ続けるのだ。

ミステリ小説の様に。

そうでなければならない。


嗚呼、なんという事だ。

不幸にも、私は気付いてしまった。


私はお前が、ヨコミゾが居なければ息すら出来ないのだ。

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