ミスター・リチャード行状録
東洋 夏
開幕編 非日常はパフェのかたちをしている
思えば、ぼくはずっとがっかりしている。
自分の容姿が平凡であること、頭の出来が並であること、口下手であること、この星に生まれたこと、運の良さにも頼れないこと、夢の中ですらヒーローに変身できないこと、そういった全てに。
誕生日から十七年、ぼくは自分の凡庸さを見せつけられて絶え間なくがっかりしていたと言っても間違いじゃない。
でも正直言ってぼくは少しだけ安心していた。
凡人であることは安全であることと少し似ている。
このまま道を踏み外さなければ平均的な汎銀河系の幸せを受け止めて(ぼくにも人並みに恋愛に対するアオハルな願望がある)、そこそこの年金暮らしをしながら一生を終えることができるだろうな、とぼんやり信じていた。
彼に出会うまでは。
そのぼくのレール、鉄壁の平凡さに向かって1ミクロンの狂いもなくまっしぐらに敷かれていたはずレールの上には予想外にも爆弾があったのである。
置いた男の名前はミスター・リチャード。
爆発させた男の名前もミスター・リチャードという。
つまり同一人物である。
ぼくはここに強調のために赤線を引く。
ぼくが急に振り返りノートなんかつけ始めたのも(しかも紙の上に!)彼という人物を書き残しておきたいからで、ぼくという平凡行き特急を脱線させた彼は少々ヤバいという気がしてるからだ。
ぼくがもし大変なことになったら、この記録が然るべき人の手に渡ることを願う。
たぶんお母さんだとは思うけど。
◇
彼、ミスター・リチャードに会った時の話を、まずは書いておくべきだ。
舞台はニューワイキキのそこそこオシャレなカフェ。
気になったらニュースを調べてもらえばすぐわかるだろう。
カフェは賑わっていたけど、ぼくは幸運にも窓辺のいい感じの席に座ることができた。
うっすらと流れているハワイキアンミュージックのウクレレと、さざめく人々――半分は観光客で、残りの半分はロコのビジネスマンと学生と暇なおばちゃんたち――の会話がBGMだったことも覚えている。
ぼくはその運命のカフェで履歴書を眺めて、午前中いっぱい、そのあまりのつまらなさに絶望していた。
ぼくという人間はこんなにも薄っぺらいのかと。
履歴書の最後に添付された
精一杯インテリ風を醸し出そうとして失敗したメガネモヤシが生えている。
残念ながら書き間違いはない。
別人の立体映像が混入したわけでもない。
それらは都市管理AI<クムリポ>が日々刻々と更新していく確固たるデータから紡ぎ出された、正真正銘のぼく自身だ。
ナンテン・J・D、十七歳。
平凡なハイスクールに在籍し、成績は中の中。
飛び抜けた個性もなく、どちらかといえば陰キャで交友関係は狭め、体力筋力運動神経の類はクラスの最下辺で、どう考えても星民の九割が観光で食べているニューハワイキ星のコミュニティではお呼びでないタイプである。
「おかわりのアイスコーヒーお持ちしましたあ」
目の前に差し出される褐色のコーヒーと、バイトの女の子のすらりと綺麗な指先にどぎまぎした。
こんなカフェでバイトできるってことは、きっと星立大か国際大の一年生か二年生か……とぼくはしょうもないことを考える。
言うまでもないけれど、ぼくたちニューハワイキ星の学生のアルバイト先はアンマッチを防ぐため、賢いAIクムリポが本人の適性を評価した上で斡旋してくれるもの。
観光客の多いニューワイキキのダウンタウンの華やかなエリアのお洒落カフェとなれば、対人コミュニケーションやらテーブルマナーやら、ぼくのお呼びでない項目に好評価が付いている人材が呼び出されているはずだ。
「ご注文は以上でよろしかったでしょーかあ?」
「あ、はい……」
家に居づらいっていうだけの理由で、わざわざ電車に乗ってダウンタウンのカフェまで出てきて、お高いコーヒーを飲みながら、身の丈に合わない雰囲気の中でバイト探しをしていると、
「君の居場所なんて世界のどこにもないだよ、コーヒーの一杯だってまともに飲めないくせに」
と社会から言われているような気がして、ぼくは努めて気配を殺そうとしていた。
ぼくは、路傍の、石。
そうでなければ、机の、一部。
誰もぼくなんか気にしちゃいないよ、と心の冷静な部分が言ってくれているけれど。
「グラスは下げさせていただきますね。ごゆっくりおくつろぎくださーい!」
キラキラした営業スマイルが弾けて消える。
茶色い水滴になってテーブルの上にこぼれているのは、ぼくの劣等感だろうか。
クムリポがぼくの能力と好みに合わせて選んできたバイト募集リストは、死ぬほど退屈そうな内容ばかりだった。
単純作業の繰り返し系。
頭と体力を使わなくてもできちゃう作業。
でも文句は言えない。
機械知性にお願いした方が安上がりなのに、ぼくのような社会不適合的なコミュ障のためにわざわざ枠が開けられているのだろうから。
謹んで、その中でもマシそうなやつを選んで応募するしかない。
三杯目のコーヒーを飲みながら、僕は手に持った端末の画面をスクロールしては、ため息をついていた。
彼が現れたのは、そのとき。
「こちらのお席へどーぞ!」
ぼくの横のテーブルに案内されたその人は、一目で、
(ああ違う世界の住人だな)
ってわかる感じだった。
ファッションモデルばりに整った高身長、豪奢で柔らかそうな金髪が肩口まで無造作にふわふわ落ちていて、若そうなのに(ぱっと見では大卒くらいに感じられた)クラシカルな地球風仕立ての灰色のスーツ、つやつやの黒い革靴。
良いところに勤めてるんだ、自分に自信があるんだってオーラを全身から放射している。
ぼくはそんな人に出会ったら即座に目を逸らすのが常だし、この時もそうしようとした。
でもできなかった。
なぜかと言うと、彼がメニューを見ながらすごくよく通る声で、
「チリドックとエビワンタンライスヌードルとパンケーキとソイナゲットと紅茶、ああ、それからカイザーパフェLサイズのクリームと苺マシで。これは食前に頼む」
というわけのわからん大量注文をしたからである。
それをひとりで食べるのか?
この細っこい人が?
ていうか、パフェ先?
ここのパフェめちゃくちゃでかいけど?
ぼくは思わずポカンとして見てしまい、同じくポカンとしていたに違いないウェイターが下がったタイミングで顔をこちらに向けた彼と目が合ってしまった。
でもって目を逸らせなくなってしまう。
ルビーをはめ込んだような赤い瞳がぼくを見ていた。
地球ヘビみたいな縦の瞳孔がすーっと細まって、獲物の品定めよろしくぼくの目を覗き込んでいた。
「何だ?」
問いかけられて、ぼくは思わず身をすくめる。
「何か変か?」
「いえ、その……」
関わるな、とぼくの正気な部分は言っていた。
だけど、いつもなら固く閉ざされてぶるぶる震えるはずだったぼくの口は、
「面白い注文だなって、それだけです」
ふむ、と彼は微笑む。
てっきり機嫌を損ねると思っていたから、逆に驚いた。
ぼくは逃げ出すため、無意識に端末を鞄に突っ込んで立ち上がろうとすらしていたのに。
「面白いか」
「えっと……、あの、そう、大食いコンテストとか出られてるんですか」
「はは」
思ってもみないことを言われた――、という軽やかな笑いだった。
男の軽く開いた口が血のように赤く見え、ぼくは浮かせかけた腰にかかった重力が急に強くなったのを感じて再び椅子に落ち着けている。
あの客まだ帰らないんだという店員の迷惑そうな視線は黙殺した。
ぼくにとっては勇敢な行為だったけど、それは気持ちが大きくなってたとかじゃなくて、単純に店員よりも横に座ったスーツのお兄さんのが怖そうだったからだと思う。
弱肉強食、食われる方はヤバそうな相手を見定める能力が発達してる。
そういうことだ。
「そちらは随分と小食のようだが」
男は形のいい顎でぼくの空になったコーヒーカップと、それ以外に何もないテーブルを指した。
「これからバイト行こうと思って探してるだけなんで、いや、そんなに食べられないっていうか」
ぼくは精いっぱいの愛想笑いをした。
要するにカネがないんです、察して欲しい。
「バイト。ふむ、私もちょうど人手を探していたのだが」
「そ……んな高級そうな界隈は無理ですよ? ぼくのスコア低いんで」
「左様に堅苦しい内容ではない。旅行会社のモニターだ」
「あの、ごめんなさい旅行会社系はクムリポの検索フィルターで弾くようにしてます」
「サニーデイズ社は求人広告は出しておらん故な。個人経営というのだったか」
「は……、もしかして社長さんなんですか!?」
「いや」
また目を細めて男が笑う。
やはり、どこか背筋にぞくっとしたものが走る笑いだった。
「私は雇われているだけだ。スコアは問わんが、やる気はあるか」
男は懐から取り出した端末を投げて寄越す。
ぼくはあたふたとそれをキャッチして、表示された内容に目を走らせた。
そして、サニーデイズ社という聞いたことも無い名前の旅行会社から示された中々の額のお給料を二度見する。
今までぼくがバイトしてきた「単純作業系」の二倍以上の額が書いてあった。
「モニターって何をするんですか。それに、あの、クムリポを通さないバイトは学校で禁止で」
お待たせしましたー、という独特の語尾が伸びる言い回しで、ちょっと引きつった笑顔の店員がこのカフェ名物のカイザーパフェ(人間だと2~3人でのチャレンジを推奨、他種族の皆様はお問い合わせください)のLサイズでクリームと苺を追加された巨大なそれが盛られたバケツサイズのグラスを男のテーブルに慎重に置く。
周囲の客が流石にざわついた。
端末を向けて写真や
もうそれはぼくが知っている普通のパフェの域をはるかに超えていた。
ぼくの普通だと思うパフェを地上に置いたとすれば、今目の前にあるのは成層圏の上くらいに存在すべきパフェだった。
だから「それ」と呼ぶことにする。
一番下にコーンパフ、そこからクリーム、苺、クリーム、ブラウニー、ベリーソース、クリーム、フルーツ盛り合わせ、クリーム……以下省略。
てっぺんには丸ごとの苺と、カイザー名前に相応しく冠の形のキラキラした飴細工。
「それ、おひとりで」
ぼくの口からアホのような感想が流れ出した。
「モニターだ」
「はあ」
「この店の巨大パフェ挑戦をオプショナルツアーに加えるか否かの」
「そういう、体を張る系のモニターなんですか」
「体を張る? よくわからんが面白かろう」
そう言って隣人はぼくから端末を取り戻すと記録用の画像を撮った。
ついでにぼくも撮らせてもらう。
これは中々、ネットワークに流しても映えるのではなかろうか。
ぼくのパッとしない画像コレクションのなかでは高得点を叩きだしそうだ。
頭よりも高い位置にある苺と飴細工を指でひょいとつまんで、男はためつすがめつ指先で転がして眺める。
愛おしそうに目を細めて。
それからおもむろに口に運んだ。
「ふむ」
「お、美味しいですか」
「新鮮であるな。食すか?」
「ぼくが」
「ヒトの舌の感覚を知っておくのも参考にはなろう。なに、奢りだ。今なら許すぞ」
使われないままテーブルの片隅で眠っていた銀色のスプーンを取り出すと、そっとパフェをひとすくいする。
その間ぼくの脳裏では、男の言ったヒトと言う単語を<他人>と訳すべきか<人類>と訳すべきか会議が起こっていた。
どちらかというと後者の方が優勢で、それは彼がヒト族に似ているけども異種族だから胃袋の構造が、あるいは言葉の端々に出る異質さがあるのだと、納得させたかったのだと思う。
汎銀河系には大量の種族が暮らしているから、まあそういう、ぼくが知らないヒト型種族がいたっておかしくはないはずだ。
ついこないだの試験でヒト型種族名称は全部暗記したはずだけど、それはそれ、優秀な<クムリポ>にもアップデートされない部分はあるのだろう。
きっとそうだ。
「どうだ」
「おいひいです。クリームがふわっとしてて、甘くどくなくて食べやふい」
「うむうむ。お主は恐らくモニターに適任であろう。しょくれぽ……というのだったか、そういうものが上手そうだな。やはり我が目には曇りなし! これで小娘を見返してやれるというものよ。ふっふっふっふっふ」
さらり、と前髪を掻き上げた男の得意満面な様子を見ていると、やっぱり異種族の人なんだなという気がする。
「それで……」
ぼくが言いかけたその時、銃声がひとつ鳴った。
厨房で物が割れる音がして悲鳴が上がる。
客席全体がパフェが届いた時とは別の意味でざわついた。
男はパフェをぱくつくのを止めずにいる。
「あの、ショーの時間でしたっけ?」
「知らぬ」
娯楽を最上とするニューハワイキ星ではあらゆる事象がエンタメに変えられてしまう。
ダウンタウンのカフェの中には強盗ごっこをアトラクションにしている店まであると噂には聞いていた。
強盗パフォーマンスは予告なしに行われる。
そういうドッキリも旅のスパイス、ってこと。
ただぼくは苦手だから、そういうのをやらないこのカフェ・チェーンを選んだのだけれども、店員が普通に接客しているところを見ると、どうやら方針転換をしたみたいだった。
次からは別の店に行こう。
パフェの横に紅茶が置かれる。
ぼくは心臓がいつもよりも激しく打っているのを頑張って抑えようと努力しつつ、コーヒーのお代わりを頼んだ。
そこから先の出来事は、今でもはっきり覚えている。
店員が、コーヒーですねー、と復唱したその時。
隣に座った赤い目のパフェチャレンジャーが、ぼくと彼の間に立っていた店員に目にも止まらぬ速さで体当たりを食らわせたのだ。
そもそも彼がいつ席を立ったのか、そこは未だにぼくにもわからない。
ともかく店員はぼくの方に前のめりに倒れ、ほとんど同時に、体勢を崩して振り上げた店員のメニュー表が粉々になった。
銃弾が当たったのだ。
店員が振り上げた手の高さは、突き飛ばされる前の彼女の心臓の位置とほぼ同じだったと思う。
悲鳴、悲鳴、また悲鳴。
「伏せろ!」
隣人が叫び、ぼくは呆然としている店員の女の子を引っ張って、一緒に机の下に身を潜めた。
めちゃくちゃ高級そうな香水の香りがして(もっともぼくは香水の嗅ぎ分けなんて出来ないけども)、非常事態なのに別の意味でドキドキしてしまう。
「これ、パフォーマンスなんですか。そうなんですよね?」
店員さんは泣きながら、違います、と蚊の鳴くような声で言った。
「えっと、迫真の演技――」
「違います!」
ダダダダッ、と銃撃の音が間近で弾ける。
映画かゲームでしか聞いたことのない、これからも聞く予定なんて無かった暴力の音。
いったん銃声が収まると、店内は地獄みたいに静かだった。
聞こえるのは通路を挟んで向かいの席からもれる小さな子のすすり泣き。
一拍遅れで落ちたグラスが割れる鋭い音。
舞い上がる埃の動きすら、しいんしいんと耳に響くように感じた。
世界に残ったのはそれだけの音。
ぼくは机の下で息を殺し、今にも叫び出しそうな形をした店員さんの口にパーカーをつまんで押し当てていた。
冷静だったわけでも、賢明だったわけでもない。
そうしないとぼくも喚きながら机の外に走り出てしまいそうだったから。
ただそれだけだった。
「ようし、わかったみたいだな! 端末、データキューブ、金になりそうなもの全部出せ! 抵抗したら撃つ!」
がしゃがしゃと荒々しい足音が聞こえる。
ぼくたちの席は入り口から遠くて、まだ猶予がありそうだった。
それでも何が出来るというのだろう。
ポケットに突っ込む指先が震えて震えて、力が入らない。
学校支給のクムリポ端末くらいしか金目のモノなんてなかった。
それでどうか見逃してほしいと願う。
ぼくが過呼吸の一歩手前で酸素と戦っていると、隣の机からもぞもぞ動く気配した。
ぎょっとして顔を上げる。
赤い瞳と目が合う。
そう、我らが隣人は――笑っている。
笑って机の上に片手を伸ばしていた。
(何して)
口の動きだけでぼくはそう言う。
(パフェ)
と、こちらも口の動きだけで男は答える。
(食べたい)
読唇術なんていらない、単純明快な回答だった。
(いや、駄目ですよ駄目)
本物の武装強盗が暴れてる現場で何をしようというのか。
人生最後の食事になるかもしれないが、パフェを食べる場面では絶対にない。
どれだけパフェが好きなんだ。
ぼくの制止にも関わらず彼は大胆なほど腕を伸ばす。
そして、さっと顔色を変えた。
引っ込めてきた腕がクリームまみれになっている。
肘を曲げ伸ばしすると、その拍子にガラスが、パフェの入ってた容器の破片がぱらぱら落ちた。
さっきの掃射の時にパフェは粉砕されてしまったらしい。
それも仕方ない。
何でって、店内で一番目立ってたメニューだろうから。
彼はクリームのついた指先を舐めた。
目の色が変わっている。
同じ赤だけど、今の瞳は妖しい宝石みたいな、焚火の炎の一番深いところみたいな、赤。
ぼくはその色に魅入られて、彼を止め損ねた。
もっともぼくが彼を止められることなんて一生無いのかもしれないと今は思っている。
パフェを奪われた彼は、堂々と机を突き倒しながら立った。
「何だお前!」
と強盗団の誰かが叫ぶ。
「この席にあったパフェを撃った者は挙手せよ」
「はーあ?」
げらげらと複数の男女が嘲って笑った。
なあにあいつ、イカレてるんじゃないの、撃ったらあ、金持ってそうだよお?
「我が食事時を奪った愚劣なる者は――」
はあい、と誰かが含み笑いで返事する。
「諾」
彼の革靴がガラスまみれの床を蹴った。
銃弾がぼくたちの隠れた机のすぐそばをえぐっていく。
「ちょ、まじ、ない」
ぼくと店員さんは身をすくめる。
「何あの人!? 死ぬ気なの!?」
破裂音がひとつふたつ。
悲鳴が上がった。
彼の悲鳴ではなく、強盗団の悲鳴。
恐る恐る顔を出すと、パフェまみれの金髪男がパワードスーツ紛いの本格武装をした強盗団を素手で殴っているのが見えた。
「ど」
……うなってるんでしょうね、という感想は一文字目で喉につかえて出なくなる。
それは不思議な戦いだった。
強盗団はパワードスーツの耐衝撃機能をオンにするのを忘れたのだろうか。
そこまで間抜けだったのだろうか。
厨房のフライパンを引っ掴んで後ろから殴ろうとした強盗の、その凄まじい速さで振り下ろした金属の塊を腕で受け止めると、体を捻って反転、ヘルメットに一撃を加える。
メコッ、という音とともに強盗がふらついて倒れた。
ヘルメットごとぶち抜いたのである。
信じられない。
同士討ちなど最早気にする事も出来なくなった別の強盗が金切り声を上げながら銃を向けると、何故かその銃は破裂して持ち手の指を吹き飛ばした。
無くなった手のひらの先を見つめて絶叫している女の横をすり抜けて、彼は次の獲物に視線を向ける。
「儂のパフェを取り上げるなど万死に値すると知れ!」
赤い目に睨まれた最後のひとりは銃を投げ捨てて店内に走り出ようとして――、
「警察だ、動くな!」
へなへなとその場に崩れ落ちた。
いつの間にか店は駆けつけた警察官に包囲されている。
安心したぼくは、いい香りのする店員さんと一緒に腰を抜かした。
暑い日だった。
警察の事情聴取を終えた僕は、真っすぐ家に帰るような気分にもならず、かといってどこかでお茶をする気分にもならず(それもそうだ)、ダウンタウンを幽霊のように歩く。
クールキャットカフェ襲撃事件の一番の重要人物はぼくの隣に座っていた赤い目の男だったので、ぼくは居合わせた他の客よりも長く絞られることになった。
でも、ぼくが彼について何も知らないこと、そもそも初対面だったこと、アルバイトの話くらいしかしていないこと、それだけしか喋ることが本当にないのだと警察の面々が納得すると、やっと解放された。
足は自然と人の少ない方に向いて、いっそこのままビーチに歩いて行くのもいいかと思う。
その時、ふとある看板が目に飛び込んできた。
<サニーデイズ>
太陽と海とヤシの木の描かれた楽し気な、そして手作り感満載なチープな看板。
あの人から斡旋されようとしていたバイト先の名前も、サニーデイズではなかったか?
ぼくが足を止めて見ていると、背後から肩をポンと叩かれた。
「うひゃっ!」
「あっ、ごめんごめん。呼んでも気づかないから、気分悪いのかと思って」
オーバーオールにポニーテール、いかにも古代地球ハワイの古き良き時代を体現するような女性が心配そうにぼくの顔を覗き込んでいる。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「これ、ほら」
冷たい水の入ったコップを渡された。
「好きなだけ立ってていいけど、水分補給はちゃんとするのよ」
女性は微笑むと、ぼくの背中をばしんと叩いてサニーデイズ社のドアをくぐっていく。
ドアはまさかの手動だった。
……いや、もしかしてもしかすると、あの人の同僚?
俄然興味がわいてきたぼくは酷い目に合ったことを横に置き、冷水を一気飲みすると女性の後を追ってサニーデイズ社に足を踏み入れた。
問題ない、何故ならコップを返すという大義がある。
中はカウンターがひとつだけのシンプルな旅行会社のオフィスだった。
先ほどの女性は奥に入っているのか、今はスタッフの姿は見えない。
奥行きもそれほどないが、壁一面にひしめく様々な観光地のポスターには心が躍った。
向かって左手にはいつかぼくが行ってみたいと願っている余所の星のピンナップが所狭しと飾ってあり、右手にはニューハワイキ星の様々なアクティビティを楽しむ人々の写真が貼り出されている。
その中に飛び切り印象的な、赤い目の金髪の青年がゴージャスなニューハワイキの休日を過ごしているシリーズがあった。
マリンスポーツ、クルージング、スカイダイビング、秘境ツアー、高級ホテルのおもてなし。
「それ、いいでしょ?」
水をくれた女性が、カウンター奥の扉から顔を出すなり言う。
「うちの社員なんだけどね。顔が良いからモデル雇わなくていいので人件費節約になって助かっております。うふふ」
「あの、この人って」
ぼくはそこで口をつぐんだ。
どう聞けばいいというのだろう。
彼は何者ですか?
パフェを食べる予定がありました?
それとも、素手でパワードスーツと殴り合いする趣味をお持ちですか、とでも?
こちらの戸惑いを誤解したのか、
「もしかしてリチャードさんのファンの方だった? 今日はちょっと出かけてて、帰りが遅くなるかもしれなくって」
「ファン?」
「違ったかな? ごめんごめん。このひとほーんとに人間離れしたトラブルメーカーなんだけど、おばさまキラーだし、妙な人たらしなのよねえ。捨て犬を放っておけないタイプというか……、あっ、キミが捨て犬に見えたわけじゃないわよ、念のため言っとく」
「はあ」
「でも知り合いなのね、その感じだと。たいてい一回見たら忘れないタイプだからしょうがないわねこればっかりは」
と言って、女性は人差し指でぐるぐると空中に円を描いた。
「彼に何か言われた?」
「その、アルバイトする気はないかって」
なーんじゃそりゃ、と女性社員さんは天を仰ぐ。
ラジオから流れる気の抜けたハワイキアンミュージックのウクレレの響きが良く似合った。
「あの人も謎ねえ。あ、いけない言い忘れていました」
ごほん、と咳ばらいして居住まいを正すと、カウンターの上に名刺を置く。
今時珍しい紙の名刺。
マース・フォーシュイン、サニーデイズ社代表取締役社長と書かれている。
ぼくの背中がバネ仕掛け並みに急角度で伸びた。
「あっ、あの社長さん、でいらしたんですね」
「そんな緊張しなくていいのよ!」
そこに外から別の社員が駆け込んでくる。
リチャード氏と真逆の、勤続二十年のお堅い公務員みたいな風体の男性。
余程慌てているのだろう、白髪まじりの前髪を汗で額に張り付けていた。
「社長! 大変です!」
「トミー、お客さんがいらしてるの!」
「ああ申し訳ない」
「どうしたの」
「リチャードが」
「――また?」
失礼、と言ってトミーと呼ばれた男性社員はラジオをいじくる。
ニューハワイキ公共ニュースチャンネル(NHPNC)が折よくダウンタウンエリアにおける強盗事件の話をしていた。
「ここで今回大活躍されたリチャード・ガンデさんの談話です。日ごろから鍛錬している合気道が役に立った、食べ物を粗末にされたので腹を立てて行動した、パフェはとても美味しかったのでまた食べに行きたい、とくにクリームがしつこくない甘さで良かったとのことです。いやあとても勇気のある行動でした。素手で武装集団を制圧したんですから! とはいえリスナーの皆様は真似をしないように。しようと思ってもできませんね、ははは! では次のニュースです」
マース社長は親の仇を叩き潰すような調子でラジオの電源を落とす。
トミーは、今まさに胃に穴が開いた人の顔でラジオと社長を見比べていた。
「今、彼はどこに」
「警察だと思いますが」
「ああもう迎えに行かなきゃ。トミー留守番任せていい? まったくもう、どうしてヒーローインタビューで食レポしちゃうのあの人は!」
足音高く出て行った社長の背中を眺めつつ、トミーはぼくにウィンクしてみせる。
それがぼくの嵐のような一日の終わりのピリオドだった。
そして、ぼくの平凡な日々の終止符だったことを、この時はまだ知らなかったのである。
◇
今日の記述はここまでにしておこう。
冒頭に掲げるには壮大な振り返りだったけど、ミスター・リチャードと積み重ねた今現在の思い出(ろくでもない)をこれから記すに際して、まずは出会いを書いておかなくちゃ意味が分からないと思ったから。
小説だって最初の掴みですべてが決まるという。
だったら、この平凡なぼくの物語だって、一文目からドラマチックで悪いはずがないのだ。
(了)
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