ソイル─2 愛娘の知らない想い
狩人が崩壊し、ソイルは養女アイナと共に異世界である日本に居を移した。その土地は、アイナが
また別の土地に移るまでの間、資金稼ぎにと喫茶店を始めた。
しばらく後、ソディールと日本の繋がりが切れた後のこと。突然、その出会いはあった。
―――どさっ
ある日の夕刻、店で光の発生と大きな音がした。定休日としていたために誰かいるはずもない。もしや泥棒か、とソイルとアイナは箒などを手に階下の店舗へと下りた。そこには整然と並んだ食器とコーヒー豆の袋と……少年が倒れていた。
「……え、誰」
「さあ……」
アイナの問いに、ソイルは答えを持たない。
そこにうつ伏せになっていたのは、十代の少年だ。黒髪で、日本人だと思われる。近くの高校の制服を着ているが、鍵をかけた店内にいること自体がおかしい。
何かあるといけないと思い、ソイルはアイナを下がらせた。少年の傍に膝をつき、呼吸を確かめる。きちんと規則正しく寝息をたてていて、ほっとした。
「おい、きみ。起きなさい」
「んん……」
体を揺すり、少年を起こす。彼は眉間にしわを寄せて呻った後、ふと目を覚ました。
「あっれ……? ここは、日本?」
「きみ、何処から来たんだ? 突然現れて、こちらは驚い……」
「ソディールから、戻ってきた!」
突然立ち上がり、少年は両方の拳を天井に向かって突き上げ叫んだ。叫んだこと自体にも驚いたが、ソイルとアイナは彼の言った言葉自体に度肝を抜かれた。
「お前、今、ソディールって……?」
「そう、ソディール。今の今まで唯文たちと」
「銀の華、の?」
「そう! じゃあ、あなたたちはリン団長たちが話していた人たちですか?」
ポンポンと少年の口から出てくる見知った名。それらの言葉が、二人にある推測を立てさせた。
「もしかして」
ソイルは有り得ないと思いつつも、不安と期待を込めて少年に尋ねた。
「ソディールと日本は、再び繋がったのかい?」
「はい。年に一度、五月十日だけですけど。このお店とソディールが繋がるんです!」
「繋がる。晶穂に会え……いや、会ってはいけないな」
興奮している少年と、冷静に
「とりあえず、きみの名を教えてくれるか? 私はソイル。こちらでは塩原の姓を名乗っている」
「私はアイナ。こちらでは、塩原美里の名で呼んでくれると助かる」
ソイルとアイナ──美里が名乗ると、少年はひょいっと立ち上がる。そして、ぺこっと頭を下げた。
「
「───っ」
頭を上げた瞬間に、天也の顔に笑みが広がる。無邪気で、穏やかさを伴う表情だ。
彼の顔を直視した途端、美里が息を詰める。頬が朱に染まり、明らかに狼狽していた。
(……おや?)
娘の変化に、ソイルはわずかに口元を緩めた。基本的にクールな美里だが、そんな風に表情を変えることは珍しい。こちらに来て、心に余裕が生まれたのだろうか。
(これは、見守ってやろう)
ソイルにとってアイナは養女であり、年の離れた妹のような存在だ。戦いや傷つけ合いばかりだった彼女が見せた新たな変化に、ソイルは小さく笑みを溢した。
それから天也は数日に一度の割合で、天也は喫茶店そるとを訪れるようになった。運動部に所属しているらしく、来るのは大抵日が暮れる間際だ。
「また来たのか、いらっしゃい」
「こんばんは、美里さん。ソイルさんもお邪魔します」
「ああ、座って」
ソイルが促すと、天也はいつもカウンター席に座る。そして、ソイルの手元やアイナの仕事ぶりを見ながらお茶を飲むのだ。
最初はメニューに書いてある値段で出していたが、数日を空ければ来て学生であることも考慮して自宅で出すのと同じものを彼には出す。だから、お代は皿洗いだ。
「払いますよ!」
「いや、いい。代わりに、アイナの話し相手になってやって欲しいんだ。大学を辞めて名も変えて、こちらに友人がいないから」
「わかりました。あ、でも皿洗いくらいはさせてくださいね!」
そんなやり取りがソイルと天也の間で行われていたことは、娘には秘密だ。
「また来たのか、天也。……暇なのか?」
「酷いですね、美里さん! これでも次期エースなんですよー」
そんな会話が恒例となり、一年が過ぎた。
喫茶店には固定客もつき、毎日誰かが席に座って何かを飲食している。今日も近所の親子連れが遅いおやつを食べて行った。ほかほかのホットケーキである。
───カランカランッ
「こんにちは」
「今日は早いね、天也」
親子が去って三十分後、天也が一人でドアと開けた。彼は時折友人も連れてくるのだが、今日はいないらしい。
天也は遠慮なくカウンター席に座り、出された茶とクッキーを頬張る。傍には部活用の大きな鞄が置かれていることから、練習を終えて来たのだろう。
「もうすぐ試験期間だから、部活の時間が少ないんですよ」
「成程ね」
納得して頷くとソイルの背後で、少しツンとした声が響いた。
「だったら、家で勉強しろ。こんなところで油売ってて良いの?」
相変わらずのツインテールを結び、両手を腰にあてた美里だ。そろそろお客さんの来ない時間帯にあたるため、片付けをしに来たのだろう。
「うっ」
痛いところを突かれ、天也はそっと目線を逸らした。しかし逃げられるわけもなく、諦めたのか屈託のない笑みを浮かべる。
この顔に、美里は弱い。
「だって、もうすぐ約束の日じゃないですか! 今から楽しみで、勉強に手なんかつきませんよ」
「べっ、勉強しないと、唯文たちに笑われるんじゃないのか」
今度は美里が天也を直視しないようにして、窓の外を見ながら反論する。正論を突き付けられ、天也は渋々といった様子でテーブルの上にテキストとノート、筆記用具を出した。
そして、パチンッと両手を合わせてソイルを拝む。
「ソイルさん、ここで勉強しても良いですか?」
「良いよ。ただし、閉店時間までなら」
「ありがとうございます!」
嬉々として自習を始めた天也の目は真剣だ。ソイルはその場を離れて明日の仕込みを始め、しばらくしてからちらりとカウンターの方を見た。
すると、美里が天也の隣に腰掛けて何かを教えている。彼女はこの前まで大学生をしていたから、記憶に残っているのだろう。
時折天也と美里が話す声が聞こえてきて、ソイルは微笑を浮かべた。
「……まさか、娘の成長をこんなところで実感するなんてな」
狩人の戦士として育て、戦い恨むことしか知らなかったアイナ。彼女を変えたのは、銀の華との出逢いだろう。
更に、アイナはこの喫茶店で変わろうとしている。そのきっかけは、言わずもがなあの少年だ。
狩人として生きていれば知ることのなかった様々な感情が、ソイルとアイナの周りを渦巻く。きっとこれからも、互いに変化していくのだろう。
壁にかけたカレンダーを見れば、五月十日まであと数日だ。
「この汚れた手を抱え、わたしに出来ることをしていかなければ」
幾つもの命を手にかけた過去は消えることなどないが、いつか死んだ時に彼らにきちんと謝ることの出来る人生を送らなければ。決して許されることなどなかろうが、愛娘をその深淵からは送り出したい。
野菜の下ごしらえを終わらせたソイルは、ケーキ等の在庫を確認するためにバックヤードへと足を向けた。
書き忘れていました。
次回は
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