第64話
不機嫌に荒々しくドアを開けるとイザークが驚き振り返った。
「リディア様?どうかなさいましたか?」
いつもは迎えに行くまで図書室にいるはずのリディアが急に不機嫌な顔をして帰ってきたことに心配そうに顔を覗く。
執事になって随分経つがリディアが怒りを露わにするのは初めての事だ。
「ええ、どうかなさったわ!」
バンっと荒々しくドアを閉めると、ツカツカと中に入り椅子にドカッと座る。
「イザーク、お茶!」
「はい、畏まりました」
イザークの用意したお茶を一口飲むとホッと肩を撫で下ろす。
「やはりイザークのお茶は落ち着くわね…」
「お褒め頂きありがとうございます」
そう言うともう一度リディアの顔を伺う。
「心配いらないわ、すぐに落ち着くから」
「そう…ですか」
「ちょっとね、解っていても腹が立っただけよ…」
「‥、これは…?」
イザークがリディアが髪に刺している簪に目を見張る。
「‥‥それは誰に―――――っ誰です!」
イザークがハッとして窓の方を見る。
その言葉に振り返ると窓の所にディーノがニッコリ笑って手を振っていた。
「やぁ!さっきはどうも」
「ディーノ!」
「お知合いですか?」
リディアを伺い見る。
「よっと」
「おいっ」
窓からディーノが入ってくるのを止めようとするイザークをリディアが止める。
「いいの、知り合いよ」
「そうなのですか…」
「そうそう、戦地を一緒に戦った同士よ!」
「一緒に戦った?」
「大袈裟な言い回しはやめて」
「あっはっは、しっかしやっぱりよく似合ってるぜ、それ」
簪を見てディーノが嬉しそうに笑う。
「これ、カミルが作ったの?」
「やっぱり解ったか?ああ、カミル様からお前へのプレゼントだ」
「そう」
「カミルと言うのは?」
「話が長くなるから…また後で話すわ…」
イザークの質問に頭を抱えて告げる。
「それはそうと約束の品持って来たぜ♪」
「え?」
するとディーノが手にした袋から次々と美味しそうな食べ物を机に並べていく。
「これは…」
イザークが瞠目する。
「流石、ローズ家の執事様だ、お目が高い、これはウラヌの珍味特集って奴だ♪」
「っ」
ローズ家と言い当てられ怪訝に睨む。
「まぁそう睨むなって、ローズ家に魔物が生まれたーって知る人にゃ有名な話だ、それで執事で紅い眼と見りゃ、歳を考えてもばっちりだし、そうだと思っただけさ」
「さすが、商売人ね」
「ええ、観察眼がなけりゃ商売やっていけないぜ、それより、執事さんも一緒にウラヌの珍味楽しもうぜ」
「え、あっっ」
ディーノがイザークの肩を抱き込んで椅子に座らす。
「困ります!」
「まぁまぁ、宴会なんだ、突っ立ってちゃ味気ないだろう?な?」
「ええ、そうね、イザークも一緒にウラヌの珍味楽しみましょう、食事の用意もまだでしょ?」
「それは…」
「だったら決まりだ!酒もあるぞ!」
「いいわね!すご――く飲みたかった所よ」
「は、はは、だろうな、さ、飲もう飲もう!」
そこから宴会が始まった。
「うー、もう飲めない…」
「はは、よく飲んだよなぁ~姫さん中々にいい飲みっぷりだったぜ」
「リディア様、ここで寝ては風邪を引きます」
「流石ローズ家執事、最後まで酔わずに頑張ったな」
「当然です、リディア様を置いて酔うなど以ての外」
「はいはい」
「触れるなっ」
イザークに手を掴まれ苦笑いを零す。
「そう睨むなって、ちょっと髪に触れるだけだ」
「リディア様はお前が触れていいようなお方ではない」
「うわっ待て待て!」
紅い瞳がゆらりと揺れディーノが焦る。
「以前は何やら共にしたようですが、もうその時と立場が違う事を忘れないでいただきたい」
「解った解ったって」
「こ~ら、怖い顔しない」
「っ、リディア様…」
イザークの頬に酔っぱらい熱く火照った手を力なく当てる。
「隙あり♪」
「おいっ」
ディーノが阻止する手を可憐にかわしイザークの胸の中に居るリディアの髪に手を当てる。
「この簪はカミル様に通じてる、何かあればすぐに居場所が解るからいつでも呼べ」
「ディーノ?」
「いやぁ、会いに行くと言っても施設に入るわけにも姫の居場所も解らなくて難儀したよ」
ははっと笑う。
「これからはこの簪があればいつでも会いに来れる」
なるほどそれで、あの会場事件の後すぐにここに来たという訳かと酔う頭でも理解する。
「リディア…俺はな」
「?」
「本当はお前が聖女になればいいと思ってた」
「!」
真剣な眼差しに顔を上げる。
「だけどまぁ、そう言う所もいいとも思うけどな」
「ディーノ…」
ニカーッと笑って言う。
「カミル様を助けてくれた恩もあるしな、いつでも頼っていいぜ」
「ありがと」
「じゃ、そろそろ行くわ、長居して見つかってもヤバいしな」
リディアが頷く。
「ああ、そうそう」
「?」
「この前、ナハルに行った行商人仲間がおかしなことを言っててな」
「おかしなこと?」
「ああ、ナハルからアグダスの者が出て行くのを見たというんだ」
「え…?ナハルは今敵国なのでしょう?」
「ああ、言ったろ?疫病も流行ってるって、そんな国にアグダスの者がと見間違いだとそいつも思ったらしいんだが、アグダスの国旗が胸元にしっかり入ってたのを確認したらしい」
「!」
「少しきな臭い、お前も十分に注意しろよ?」
「解ったわ」
「てことで、行くわ」
ディーノが窓に足を掛ける。
「色々ありがとう」
「こっちこそ、楽しかったぜ、じゃ、またな!」
そう言うとディーノは姿を消した。
「リディア様‥、今の話…」
「誰にも言ってはいけないわ」
「はい」
「だけど一体誰がナハルに…」
「そうですね‥」
「あー、今日は考えるのはやめ!」
そこでリディアがバッと両腕を上げる。
「今日は色々あって流石に疲れたわ、魔法の訓練も今日はお休みにして寝るわ」
「では、心地よく寝れるようにお香を焚きましょう」
「いいわね♪」
「ではベットにお連れ致しましょう」
目の前に書類を置いた仕官がサディアスの左前方の机を見る。
「リディア様が居なくなって、またここも殺伐とした風景に戻ってしまいましたね」
懐かしむように口にする。
あの事件以来、リディアはここに来る事を禁じる事になった。
前の様にまた忙しさにボロボロになったヨレヨレの男だらけの殺風景な風景へと戻っていた。
「ホント、折角の癒しが無くなって寂しいですよ!」
「全くメイドめ、こういう事には目敏いのだから…」
レティシアにリディアがサディアスの所に居るというのがバレたのは、たまたまメイドがリディアがサディアスの所から帰る所を見かけた事により噂となったことが原因だった。
「それに仕事もまたいつものペースに…」
「ああ、リディア様が居れば、これもあっという間に終わらせて下さるだろうに」
「こら贅沢を言うな!リディア様がここまでやって下さったから、まだ余裕があるのだぞ」
「そうですね…、ですがつい思ってしまうのです」
リディアのお陰で仕事が捗った分、忙しいながらもまだ余裕があった。
今は前と同じく余裕なく仕事をこなす。
リディアは特別なのだと、こういう事は普通あり得ないのだと、それに聖女候補にそんな事頼めるはずのない立場なのにしてもらえたことこそが奇跡。
そう頭では解っている。
とはいえ、間近であの処理スピードを見て体験してしまうと、人間望んでしまうものだ。
そしてあの聖女の笑みを思い返すと、もう一度一緒にとつい思ってしまう。
「ほら、無駄口叩いてないでさっさと仕事を続けなさい」
「はっ」
仕事に戻る士官達を見、その目の端に映る前までリディアが座ってた席を見る。
確かに仕事どうのこうのは置いておいて、女性がしかもリディアの様に美女がそこに座っているだけで殺伐とした執務室も華やいだ。
士官たちがつい口にしたくなる気持ちも解る。
(動きはやはりないですね…)
リディアに仕掛けた罠も、全く動きはなかった。
(ということは、リディアは白…)
先日のロドリゴ教皇が無理やり開いたレティシアに媚びるための商人たちをたくさん呼び寄せた催し。
この忙しく金の入り用な時期に何を考えているのかと呆れと怒りが混じった心を胸に会場に赴いた。
アナベルや教会を敵に回すわけにもいかず、ジーク様も、呆れたままその成り行きを見ていた。
目の前で、ポンポンと手軽に何も考えず高価な商品を購入していく貴族や聖女候補達。
(これだけの金があれば、もっと良い設備を整えられるというのに…)
相手はロドリゴ教皇にレティシアだ。
下手に口出しも出来ない。
業を煮やしながらも黙って見守っていた所にあの女がやって来た。
そして、我々が思っている言葉を爽快に言い切り、疑問を投げかけた。
彼女の言葉に商人達が彼女こそ聖女になって欲しいという思いに駆られ非売品の一級品を差し出したが「自分は聖女にならない」と言い放ち受け取らなかった。
(ジーク様の仰るように本当にあの女は聖女になるつもりがない…?)
仕掛けた罠も掛からず、あの行動、そして言葉。
ジーク様が彼女を施設に無理やり閉じ込めたのも解らなくもないとも少し思いも始めている。
(もちろん…信用などしませんが…だが…)
国民が願う想いを理解する聖女、あそこに座るジーク様と自分以外誰ひとりとして商人達が彼女に非売品の一級品を差し出した意味を理解などしなかった。
あの後、非売品を売れと貴族やレティシアの抗議はあったが頑として売らなかった商人達。
あの女にはタダでくれてやると言うのに自分達には絶対売らないと言い張った商人達を怒って殺しかねない状況になった所でジーク様がお開きだと言い放ち、その場は収まった。
(結局商品だけはちゃっかり購入してくれて…まったく腹の立つ)
高額の請求書を握りしめる。
「サディアス様」
そこにサディアスの臣下が傍に来ると耳打ちした。
「そう…、動いたか」
ニヤリとサディアスは口元を引く。
「丁度いい鬱憤晴らしになりそうですね」
そういうとすくっと立ち上がった。
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