書物行商人
高麗楼*鶏林書笈
第1話
書笈を背負った男が都大路を急ぎ足で歩く。
“すっかり遅くなってしまったが、日の入り前には着くだろう”
こう呟いた男は或る大臣の屋敷に行き、裏口に回った。ちょうど下働きの者がいたので取り次ぎを頼んだ。すぐに別の男が出て来て書笈の男を屋敷内に案内した。
「頼んでいた書物、手に入ったか?」
男が書斎に通されると、主人がさっそく訊ねた。
「はい、こちらに」
男はこう答えながら書笈から一冊の書物を取り出した。
「おお、このような稀少本をよく探し出したな」
書物を受け取った主人は歓声を上げた。
「恐れいります」
男は謙虚な口調で応じた。
主人は書物を二、三頁捲った後奥側の文机に置くと、その脇にあった書物を手に取り、男に渡した。
「書庫を整理していたところ、これが二冊あった。一冊買取ってくれぬか?」
「分かりました」
こう応えた男はさっと本を見て査定を始める。そして、買取価格を明示し、今回の書籍代の代金を伝え、その差額を受け取った。
「では、今日はこの辺で失礼いたします」
男は暇乞いをして出て行った。
再度、大路に出た男は別の家に入った。書物を届けるためだ。彼の仕事は“書賈”すなわち本の行商人である。彼に頼めば国内外を問わず、あらゆる書籍を持って来てくれる、そのため士人から庶民層に至るまで、愛書家たちに大変人気がある。
いつの間にか、都の外に出た彼は、そこにあった小さな家に入って行った。
粗末な身なりの青年が書賈を出迎えた。
「ご希望の書物が入りましたのでお持ちしました」
男は先ほどの政府高官から買取った本を渡した。
「ありがとう、だが今、懐が寒くて‥」
青年が申し訳なさそうに言うと男は
「次に来た時、お支払い頂ければ結構ですよ」
と答えるのだった。
数ヶ月後、書賈は再び都大路を歩いていた。今度は王宮に向かっている。
王宮の正面に来た彼は塀に沿って裏側の森に向かった。彼は迷うことなく木々の中に入って行った。
まもなく視界が開け小ぶりの建物が現れた。今日の彼の訪問先である。
「お待ちしていました」
入口にいた出迎えの下働きに案内されて部屋に入ると、彼は素早く跪いた。
「挨拶は無用だ、近う参れ。離れていては話し難い」
部屋の主人が言うと彼は「恐れいります」と応じながら、主人の前に座った。
「扶桑国に行ったそうだな」
主人がいきなり本題に入る。
「はい、ちょうど船便があったもので‥。かの地も豊作だったようで世情は落ち着いています」
「そうか」
「曼珠国も同様のようです、馴染みの曼珠人商人がそのように申しておりました」
「それは良いことだ。で国内は?」
「はい、我が国も豊年で皆、喜んでおります。また、大臣たちも妙な動きをする方は見られませんでした」
主人と書賈は国内外の情勢について語り書物の話は全く出なかった。
「ところで家族は元気か?」
話が一段落したところで主人が訊ねた。
「お陰様で無事に過ごしています。父は書堂(私塾)で子供たちを教え、母と妹は針仕事などをして生計を立てております。皆、主上に感謝しています」
「いや汝ら一家は本当に気の毒に思う。親族の企てに巻き込まれただけで、汝ら一家に邪心などないことは分かっているのだが」
遠縁の者が謀反を起こそうとしたため書賈の家族も連座してしまったのである。主上の計らいで刑に服することは無かったが、身分は落とされ財産は剥奪されてしまった。
そして書賈自身は国王直属の諜報員にされたのである。書物の行商人として全国津々浦々を回り、時には国外に出ることもある。鎖国体制をとっているため出入国も容易ではない。また危険に身を晒すこともある。
だが、各地を旅することで得ることもあり、彼にとってはそれなりに楽しい仕事であった。
「今回もご苦労だった。何か希望はあるか?」
聞くべきことを全て聞き終えた王が言うと
「それでは“歴代名文選正編”を頂ければ‥。宰相さまが御所望されているのですが入手出来なかったので」
と書賈は遠慮がちに答えた。
「それはそうだろう。この書物は巷間には出していないからな」
こう言いながら王は側仕えを呼ぶと該当の書を持って来させるのだった。
「そう言えば最近、曼珠国に西域から伝わった邪教が密かに広がり始めているという話を耳にしたが‥」
王が運ばれた書籍を渡しながら言うと
「分かりました。明日にでも発ちましょう」
と書賈は応じた。
「では、こちらもそのように取り計らっておこう」
数日後、書賈は国境の川辺にいた。警備の者は全くいなかった。
「ここから渡れってことか」
王宮から送られた密書に記された場所だった。目の前の浅瀬を彼はゆっくりと曼珠国側に向かって渡って行くのだった。
書物行商人 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu
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