第5話 ディヴェルト・ノベリストンアロウ
その体つきの割にかなり小さめの衣装を纏った裸足の青年は、拝殿の奥の扉を開け異世界へと通じる坑道へ入って行った。
老人はそれを見送ると、口角をあげて呟いた。
「ククッ。ずいぶん張り切って渡りましたね。初期ステータスなど、気休めにすぎないというのに。ククククッ」
すると老人の身体が、サラサラとした砂になって崩れていく。
そして拝殿内に風が吹いて、その砂をすべて吹き飛ばしていった。
クククククク。フヒャヒャヒャヒャハハハハハハ……。
「ククッ。思いのほか良い日となりました。明日には、あの生意気な野良猫もやってきますね。しばらくは、退屈せずに済みそうです」
◇◆◇◆◇◆◇◆
オレは、今、薄暗く長い坑道の中をひとり歩いている。
ゴツゴツとしてひんやりとした坑道の感触が、裸足の足の裏から伝わってくる。
坑道の壁には、ヒカリゴケでも生えているのだろうか?
坑道内は真っ暗ではなく、月明り程度の明るさだ。
いったい、どれだけの距離、どれほどの時間、この坑道の中を歩いているのだろうか?
最初のうちは短時間で結構な距離を歩けた筈だが、だんだんと歩幅が短くなっているように感じた。
ふと、足下を見ると、なんだかいつもより視線が低い。足のサイズも小さい。
両手を広げてみた。
手のひらのサイズも小さい。子供の手だ。
そうか。
オレは、もう、空良也トオル(二七歳)ではなく、アレクサンダー・ドレイク(八歳)になっているのか……。
しばらく歩いて行くと、先の方に扉が見える。扉の隙間から光が漏れているのが判った。
ようやく出口、いや異世界の入り口に辿り着いたようだ。
「やれやれ。やっと着いたみたいだな」
扉の前に立ち、オレは両手で扉を力一杯押してみる。
思いの外、扉は軽くあっさり開いた。
ただ、勢い余って扉はバガーンと凄い音を立てて開き、オレは少し前につんのめった。
……すっかり、忘れていた。腕力100だったわ。
「くーっ。太陽が眩しいなー」
オレは、両腕を上げて伸びをした。
どうやら、ここは山の中腹付近らしい。眼下に川や森、街が見える。
「おい。ガキ。そこの洞窟で、いったい何をしていた?」
下っ端兵士のような身なりをした男が、オレに怒鳴った。
剣を抜いて構えている。
……八歳のガキに剣を向けるとか、やり過ぎだろ?
二人の兵士達の後方には、背の高い立派な身なりをした騎士風の漢が、オレと同じ位の年齢のお姫様みたいな少女を護るようにして立っている。
それにしても、あんな剣で斬られたら絶対死ぬ。いきなり、GAME OVERだ。
まさか、異世界に足を踏み入れた途端、大ピンチに遭遇するとは思わなかった。
「え? ええと、少し雨宿りなどしているうちに、眠ってしまって……」
と、口から出まかせを言ってみた。
「嘘つけ! その姿で、よくそんな出まかせが言えるな。お嬢様の命を狙う暗殺者だろう!」
は? 暗殺者!? オレが?
全くワケ解らず首を傾けていると、兵士達がオレの方に剣を向けてじりじりと近づいてきた。
「あの扉は、大人の力でも開けることができない扉だ。そんな扉を開けて出て来るようなヤツが、タダの子供なわけがないだろ!」
……そういうことか。確かに、怪しすぎる。
だが、ここで捕えられたりしたら、いったいどうなるか。
いくら、オレが身の潔白を主張しても聞いてくれないだろう。
しつこく拷問にかけられて、結局、殺されてしまうのではないか?
どうする?
逃げるか?
ちらっと周りを見たが、逃げられそうな道はなさそうだ。
とりあえず、この二人をぶっ飛ばして正面突破するか?
あまり考えている時間はない。
気は進まなかったが、オレは二人のうち右にいる兵士の方に飛び込んだ。
右手に剣を持っていたので、左側に低い体勢で大きく踏み込む。
彼が焦って剣を振りかぶったところで、脇腹のあたりを突き上げるようにして右ボディーブローを放った。
彼は剣を落とし、腰をくの字に曲げてたたらを踏む。すかさずオレは、顎が下がったところを狙い、彼のこめかみの辺りにフック気味のパンチを当てた。
兵士は崩れるように両膝をついて倒れた。
オレは素早く彼が落とした剣を拾い、もうひとりの兵士に対して正眼に構えた。
兵士はじりじりと後退りして、オレとの間合いを取る。
やがて我慢できなくなったのか、兵士は「ヤァー!」と声をあげてオレに斬りかかってきた。
オレは態勢を低くして兵士の懐に飛び込み、剣の腹で彼の腹部を思い切り殴打した。
殺してはいない。
無傷ということはないだろうが、このくらいは許して欲しい。
「はあっ、はあっ……」
口の中でアドレナリンの味が広がっている。
殺していないとはいえ、生まれて初めて命の取り合いというものを経験した。
だが、まだだ。まだ、終わっていない。
お姫様を護るようにして立っていた騎士風の漢が、剣を抜いてオレの方に近づいてくるのが見えた。
「私は、『セキレイの聖女』カレン様の護衛騎士エイトス。君は?」
「ア、アレクサンダー・ドレイク」
まさか名乗るとは思わなかったのだろう。彼は少し驚いたような表情をみせた。
おそらくどの世界でも、暗殺者が自分の名前を名乗ることなどない筈だ。
だから、オレは敢えて名乗った。暗殺者などではないことを分かってもらうために。
「そうか。アレクサンダー、……良い名だ」
彼は口角を上げて、剣を正眼に構えた。
おい、おい。八歳の子供相手に、それは何だよ!?
とんでもない迫力だった。
彼は、オレに何をしたわけでもない。
なのにオレは、まるで吹き飛ばされるような圧力を感じていた。
こういうモノが本当に存在するのか、と息を呑んだ。
……これ、ガチで殺される!?
怖い。怖い。怖い。
そんな感情がオレの胸の奥から湧き出してくる。
だが、不思議と歯がガチガチ鳴ったり、身体が震えたり動かないというようなことはない。
それどころか、オレは口角をあげて笑みさえ浮かべていた。
笑っている? なぜ、オレは笑っている?
ここで殺されても最初からやり直しになるだけで、実際に死ぬわけじゃない。
確かに、それもあるかもしれない。
けれども、この笑みは全く別の理由によるものだ。
恐怖とは別の感情が、ぶわっと腹の底から湧き上がってくる。
……なんだろう? 楽しい? 嬉しい?
「ふ。その歳で、私と対峙して笑みを浮かべるか……。面白い」
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