マリオネット

大河かつみ

 

 再就職先である、その会社に初出社し、俺はロビーでしばしその光景に見とれた。地上五階建てのそのビルは天井が吹き抜けになっており、二階から五階は縦横無尽に鉄骨が組まれている。そして、二階の鉄骨部分には課長などの中間管理職がすでにスタンバイしており、操り人形用のヒモを垂れ下げていた。三階より上でも部長やその上の役員クラスも課長同様、ヒモを垂れ下げる準備をしている。見えないが最上階には社長、副社長そして会長がいて役員用のヒモを垂れ下げているのだろう。

「おはよう。新入社員の樋口さんですね。同じ課の伊藤です。よろしく。」

急に声をかけられてドキリとしたが慌てて

「おはようございます。樋口です。今日からよろしくお願い致します。」

と挨拶をした。

「早速ですけど、二階にいる坂田課長が垂らしているこの一連のヒモ、ほらここに樋口さんの名前が印字されているでしょう。これが樋口さん用ですから、装着してください。」

上をみると俺の上司であるらしい坂田課長が頭を下げたので、こちらも会釈した。そして垂れ下がっている幾本にもなるヒモを自分の両手、両足、そして口の開閉を司る顎部分に結びつけた。横で伊藤さんも自分用に垂れ下がっているヒモに手足を括り付ける。二階以上にいる方々もそれぞれにヒモを自分の手足に結びつけているのだろう。

「あれ?同じ課なのに伊藤さんのヒモは赤いですね。自分のヒモは黄色。・・・」

「あぁ、これは社内の派閥によるんですよ。僕の赤色は牧田常務。あなたや坂田課長の黄色は石井専務を表します。分かり易いように。」

「派閥?そんなもの入った覚えは・・・。」

「ええ。この会社ではバランス重視で数が均等になるように社長が新入社員を最初から振り分けて決めておくんです。」

「なんですか。それは?」

「私にもよくわかりません。まぁ、私らは単なる操り人形なんですから、何も考えずに気楽にやりましょう。」

伊藤さんがそう言って笑った。


 就業時間がくると俺の手足は坂田課長に操られてあちこちに動いて仕事をこなした。適当に口が開閉され坂田課長のアフレコで会話をした。自らは何もせず考えなくていい。上司の意のままに動かされる人間マリオネットだ。他の社員も同様で上の階でも同じことが行われているはずだ。

 昼休み。この時ばかりはヒモから解放される。伊藤さんと社員食堂で食事した。

「どうです?楽なものでしょう。」

「ええ。でもなんか俺だけ、足がかくかくした変な動きで、みっともないというか。」

「ふふ。坂田さん。まだ課長に成り立てでね。“人の動かし方”にまだ慣れてないから。」

なるほど。そういうことかと納得した。


 その様な感じで初出勤を無難にこなすと後は毎日、決まったように操られている単調な日々が続いた。出世欲はもとより、仕事への意欲もなく、ただ給料が貰えてプライベートが楽しければそれでいい俺にとっては何の問題もない。会社にとっても社員の独断等でミスされるよりもトップダウンで物事を進めた方が都合がいいらしいのだ。


 ある日。いつものようにかくかく動いているとひそかに好意を寄せている、ある女性社員が悲しそうな顔をして操られていた。この会社で表情を見せている人を初めて見た。気になって昼に伊藤さんに聞くと上司のシシド部長と不倫の関係にあり、そのことが他の派閥にばれ、その結果、シシド部長とそれを操る常務の立場が危うくなっているのだそうだ。

やれやれ。派閥のパワーゲームになぞ興味はないが彼女には失望した。そして人形らしく、己の感情を捨てる決意を固めた。


 あってはならないことが起きた。天井から人が降ってきたのだ。三階にいたシシド部長である。操りヒモを上司である常務が部長を見限って手放したようだ。あのヒモは命綱でもあるのだ。部長は死んでおり、その前であの女性社員が泣き崩れた。部長の直系である課長や社員も呆然として立ち尽くしていた。

 しかし翌日、その課長も社員も黄色や赤など別のヒモで操られ何事もなかったかのように動いていた。他の派閥に移動されたのだ。だが、あの女性社員は見当たらなかった。部長の死はあくまで事故ということになったようだ。そして俺はまた考えるのを止めて、まだ人の扱いに慣れていない課長に操られ、かくかく動いていた。

                        

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マリオネット 大河かつみ @ohk0165

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ