12月 14日 ゆいかが記した結末
この物語が書けたら、何をしよう? 何がしたい?
いくら問を積み重ねても、わからない。
これができたら、私は何をしたいんだろう。どうなりたいんだろう。
答えは出ない、いつまでたっても。
そんな不安を、ふうっと息を吐いてゆっくり流した。
自分用の小さなノートパソコンでキーボードを打ち続ける。
これは、私の物語。
きっと、私のこれまでの人生全部の物語。
もし、もしもこれを書ききれたなら。
何ができるかな。何が残るのかな。
どこまで、いけるのかな。
エンターキーを押して、一区切り。
物語はいよいよ、佳境だ。
長くて、苦しかった小さな子どもの旅がようやく終わる。
ねえ、君はなにがしたい? どこに行きたい? 何ができるの? 何を残すの?
私の過去を代わりに背負って歩いた君は、これから一体、何がしたいのかな。
わからない、わからないから。一緒に答えを探しに行こう。
たくさんの人に手を引かれて、ここまで来た。
でも、きっと物語の中の君を救うのは、他の誰でもない私だから。
今を生きる私を救うのは君だから。
私は私が救うんだから。
さ、行こっか。
終わりはもう、すぐそこだよね。
※
ここまでの旅路はふと想えば、すごくすごく長かった。
誰もいない荒野を独り歩きながら、小さな子どもは時々、寄り道しながらだけど長い長い旅をした。
最初は足が痛かった。
おなかが鳴って苦しかった。
喉が渇いて仕方がないし。
石の枕じゃ、上手く眠ることもできなかった。
ずっとずっと、ただただ辛いだけだった。
温かいご飯を想った。
それはもう帰ってこない、逃げたから。
綺麗な水を想いだした。
それももう帰ってこない、逃げたから。
柔らかい布団を想い起こした。
それすらもう帰ってこない、逃げ出してしまったのだから。
自分のことを大事にしてくれる人は、優しく手を握ってくれる人は、もういない。
そんな人たちからすら、子どもは逃げてきたのだから。
握られた手に爪が食い込んで痛かったから、抱きしめられた腕が力いっぱい縛り付けてきて苦しかったから逃げ出した。
そのおかげで子どもはめでたく独りぼっちになっていた。
もう誰かに傷つけられることはないけれど、誰かが癒してくれることもなくなった。
だというのに、朝起きるとふと身体に傷ついていることがあったりした。
誰もいない荒野の真ん中なのに、意地悪な声がどこからともなく聞こえてくる。
もうこの先にはなんにもない。
希望なんてどこにもない。
お前はずっと独りぼっちだ。
これからもずっとずっと逃げ出すような、お前はそんな奴だ。
お前には何もない。
そんな声がずっと遠くから木霊してた。
なんで、どうして。
どれだけ耳を塞いでも木霊は消えない。
どれだけ身を縮こませて眠っても、翌朝にはひっかき傷が身体のどこかに増えていた。
小さな子どもは独り、逃げるように歩いた。歩き続けた。
ある時、小さな獣の足跡を見つけ出した。
木霊の声が、お前にはどうせ狩れやしないと詰ってきた。
子どもは足跡を追うことなく諦めた。
ある時、子どもは小さな川の流れを見つけた。
ひっかき傷が、染みて痛かったから、子どもはその川に入ることはしなかった。
傷が痛んで邪魔をする。嘲りが響いて足を止める。
喉が渇いて仕方ないのに、涙だけはどうしたって止まらなかった。
でもそうやって泣いた夜は、どうしたって眠れなくて。
そんな時は、夜の空を見上げては独りでじっと瞬く星を眺めてた。
いつか見た流れ星が、もう一度落ちてこないかなって、そんなことを考えながら。
そうやって、少しうとうとしかけた頃。
小さな子どもは、がりがり、という音を聴いた。
誰かが何かを、ひっかく音。
小さな子どもを傷つけるそんな音。
子どもは焦って飛び起きた。
いる。
自分を傷つける、そんな誰かが。
こんな
自分を傷つけ続けるそんな人が。
いるはずだ。絶対。いるはず、なんだ。
そう、ずっと想っていた。想いこんでいた。
よくよく考えれば、そんなはずないっていうのに。
だって、ここは、誰もいない
小さな子ども以外、誰一人だって居ないんだから。
気づけば小さな子どもの手は、血みどろだった。
血で真っ黒に濡れていて、爪の間に抉り出した皮膚やかさぶたが詰まっていた。
きっと、ずっと前からそうだった。
それが、ずっとずっと目を逸らし続けていたことだった。
そう。
小さな子どもをひっかき続けていたのは、子ども自身の手だった。
夜な夜な、子どもすら知らぬうちに自分自身を、ひっかき、傷つけ、抉り続けていたのは。
他の誰でもない、子ども自身。
自分の手を、よく見れば気づいていたこと。
そうでなくとも、よくよく考えれば気づくこと。
だって子どもは独りなのだから。自分自身以外、もう誰も自分を傷つける人などいないのだから。
そんな、どうしようもない当たり前なことに。
子どもはようやく気付いたんだ。
※
遠く向こうで誰かの声がする。
どうして逃げたんだ。
なんで立ち向かえなかったんだ。
お前はダメな奴だ。
お前に希望なんてありはしない。
それは最初はお父さんの声をしていて、それはやがてお母さんの声になって。
最後の最後に、小さな子どもの泣き声に変わっていた。
耳を塞いでも聞こえてくる。
どれだけ走っても、追ってくる。
それはそう、だってそれは他の誰でもない子ども自身の声だから。
誰もいない独りの荒野、小さな子どもを傷つけるのは他の誰でもない子ども自身だけだから。
そんな日々に辟易しながら、子どもは相変わらずたった独りで荒野を歩いてた。
流れ星のことはずっと探しているけれど、少し疲れてきていた時だった。
子どもはふと思いつきで、歩きながら絵を描き始めた。
荒野の真ん中にたまたま落ちていた棒を使って。
てくてく歩きながら、自分の歩いた道に跡をつける。
棒を引きずりながらごりごりと、自分の歩いた道に獣が尻尾の跡をつけるみたいに線を引いていく。
時折、腕を揺らして、時折、歩みをじぐざぐに歪めて。
意味なんてきっとない、積み重なても何にもならない。そんな砂の絵を独り歩きながら描き始めた。
最初は、別になんてことはなかった。
歩いて居る後ろに、がりがりと音が鳴る、そんな程度。
でも、ある時ふと振り返って、気付いたんだ。
自分の道に確かに跡がついてることに、途方もないほど長い時間を歩き続けた跡があることに。
別にそれで何かが変わるわけではないけれど。
子どもはそっと前を向いて歩き始めた。
次に振り返る時を少しだけ楽しみにしながら。
小さな子どもは荒野の続きを歩き出した。
※
荒野の真ん中にぽつんと落ちた、希望の星。
自分以外の全部を失くして、初めて欲しいと想った、宝物。
ずっと、ずっときっと生まれてからずっと探し続けてきた、掛け替えのない大事な人。
辛い時も、苦しい時も、嬉しい時も、楽しい時も、きっと何でもない時も。
隣にいたい、そんな人。
ずっと、ずっと探してた。
ずっと、ずっと待っていた。
君との出会いを、誰かと笑えるそんな日を、独りぼっちだった小さな子どもは。
ずっと、ずっと待っていたんだ。
そこは何もない荒野の果て、そこは誰もいるはずのない孤独の場所。
そんな場所で、今日、初めて。
小さな子どもは宝物を見つけたんだ。
※
その人は、凄く眩しくて輝いて見えていた。
夜なのに綺麗に独りでに光ってて、岩の上でぼんやりと座ってた。
自分と同じ小さな子ども。
辺りは不思議とさらさらとした砂が荒野に満ちていて、風が吹くたびにその子の周りをキラキラと舞っていた。
そんな流れ星の子を、小さな子どもはぼんやりと眺めていた。
ずっとずっと出会えることを夢見てた。
あの荒野で夜空を見上げた日から、ずっと、ずっと。
君に出会えたら、そう想って歩いてきた。
でも心のどこかで、そんなもの見つかるわけないって想ってた。
だって、ここは誰もいない独りぼっちの荒野だから。
何度も何度も、希望を抱いて眠りについて、でも、何度も何度も、夢の中の自分がその言葉を踏み潰した、疑ってた。
そんな人いるわけないじゃんって、そんな都合のいいことあるわけないじゃんって。
こんな、こんな自分になんか、そんなことがあるわけないじゃんって。
ずっと心のどこかで、そう想ってた。
想ってたんだけどね。
でも、君は。
君はそこにいてくれた。
独りぼっちの小さな子どもと出会ってくれた。
流れ星の子は、どこか困ったように小さな子どもに笑いかけた。
きっと、小さな子どもがあまりにも泣きそうな顔をしていたから。
自分は最近独りぼっちになったんだ、と流れ星の子は笑って言った。
空に浮かぶ満天の星から、うっかり落っこちてしまったって。
君も独りぼっちなの? と流れ星の子は首を傾げた。
独りぼっち小さな子ども、泣いたまま一生懸命頷いた。
そうしたら、流れ星の子は、小さな子どもの手を取って、そっと笑いかけてくれたんだ。
よかったあ、やっぱり独りだと怖かったから。
これからは、ちょっとだけ寂しくないねって、そう言ってくれたんだ。
小さな子どもは、ただ泣いていた。
流れ星の子が、困るくらい、溢れんばかりに泣いて、いっぱいいっぱい抱きしめた。
そんな子どもを、流れ星の子は優しく抱き留めてくれたんだよ。
本当は、流れ星の子も空から落っこちたばっかりで、傷ついて痛くて辛くて辛くてしかたなかったのに。
それでも、優しく抱き留めてくれたんだよ。
それから、どちらがいうともなく、二人は一緒に旅を始めたんだ。
小さな子どもと流れ星の子、二人ぼっちの子どもの旅が始まったんだ。
※
誰もいない荒野の先を二人で歩く。
何処に向かうともわからない。
何をしたいのかもわからない。
でも、二人ならそれでもよかった。
二人で一緒に、拾った棒で絵を描き始めた。
二人で一緒に、見つけた動物の足跡を追いかけた。
二人で一緒に、見つけた川で水浴びをして遊んだ。
雨が降ったら、二人で一緒に笑って走った。
空が晴れたら、二人で一緒に服を乾かすために寝ころんだ。
風が吹いたら、二人で一緒に飛ばされないように岩陰に隠れた。
時々、流れ星の子を心配して、空の星が話しかけてきたから、小さな子どもも一緒になってで一杯お話をした。
そうやって、荒野を歩いていった。
どれだけ二人の子どもが笑ってそこで過ごしても、そこは結局、荒野でしかないんだけれど。
それでも、笑って歩いて居る間だけは世界が少し鮮やかに見えたんだ。
ずっとずっと逃げ続けた日々から見たら、嘘みたいな毎日だった。
でも本当にそこにある日々だった。
時々、お互いの傷が痛むこともあったけれど、どちらともなく相手の背中を撫でて過ごした。
どちらかが泣いていたら、もう片方が優しく抱きしめた。
どれだけ抱きしめても、二人の抱えていたものはきっと違うけど。
それでも、そうした。ずっと、そうしてた。
相手の痛みなんて、本当の所はわからないのかもしれないけれど。
二人はただ一緒にいた。
抱えた傷があまりに大きすぎて、なんて言ったらいいのかわからない夜が沢山あった。
泣くだけ泣いて、この先どうすればいいのか不安な夜も沢山あった。
それでも、ただ一緒にいた。
それに意味があると、必死に祈って、必死に信じた。
何よりもう、小さな子どもは流れ星の子がいない夜なんて、考えられなくなっていたから。
君がいるなら、どこにでもいくよ。
君がいるなら、いつまでもいるよ。
君といれるなら、きっと私は何だってできるから。
それは小さな子どもが抱くささやかな夢みたいな祈りだけれど。
それでもずっとずっと、離れないように手を握ってた。
そうして、随分と長い月日が経った。
どれだけ歩いたかもわからない、どれだけ過ごしたかもわからない。
気づけば二人は荒野を抜けていて、雑木林の中を歩いて居た。
たくさんの動物とそこで出会った。
気まぐれな猫が、道行く手助けをしてくれた。
明るいホトトギスが、水場まで導いてくれた。
二匹の違った模様のリスが、木の実をわけてくれた。
他にも大らかな犬がいて、ちょっと現金な狸がいて、たくさんの森の仲間がいた。
二人の子どもは歩き続けた。
草を潜って、木を避けて、林を越えて、森を抜けた。
きっと、外の世界の時間にすればそれほど長い間じゃなかったけど。
それでも、これから先、ずっと自分の中に残るような。
そんな時間を過ごしていた。
二人で一緒に、そんな時間を歩いてた。
歩いてたんだ。
※
一つ、息を吐いた。
※
ある時、子どもたちは森を抜けた。
それから、小さな子どもは気が付いたんだ。
そこは、
どう進んだのかはわからない、道がたまたま行き違っていたのか、ただ迷いの荒野を抜けただけなのか。
でも、その小さな子どもは確かにそこに帰ってきた。
帰ってーーーーーーきたんだ。
確かに、ここに。
手が、震えたよ。
息が、詰まったよ。
足は、竦みそうで、まだ怖いままだよ。
でも、でもね。
向き合わなきゃ。
お父さんと、お母さんと。
いつか別れた、両親と。
言うんだよ。ごめんなさいを。
それと、ただいまを。
言うんだよ。
それから、きっと何日もかけて喋るんだ。
ねえ、私、こんな旅をしてきたよ。
こんなにたくさんの出会いをしたよ。
星たちと仲良くなったよ。森の動物たちと仲良くなったよ。
まだまだ下手だけど、ご飯だって自分で作れるし、水場だって自分で探せるよ。
ちょっとは生きていけるようになったんだよ。
ねえ、聞いて。
私ね、大事な人ができたの。
誰よりもね大事な人が出来たの。
いっぱいいっぱい、おしゃべりするね。
その人がどんな人か、私と一緒にどんな時間を過ごしたか、いっぱいいっぱい言うからね。
だからお願い、聞いていてね。
きっと本当に長い話になるけれど、眠っちゃやだよ。聞いていて。
ううん、やっぱり寝てもいいけど、目が覚めたら、また聞いてね。
ねえ、お父さん、お母さん。
私ね、今、幸せになったよ。
こんな私だけど、なれたんだよ。
だから、ね。
ただいま。
できたら、おかえり、って言って欲しいな。
≪二章おわり 三章未定≫
※
ぼーっとした頭のまま、保存ボタンをぽちりと押した。
無くならないように念のため、何回も。出来たのを確認した後、さらにUSBにも保存しておく。
そうしてから、全部のブラウザを一つずつ閉じて、最後にパソコンをシャットダウンした。
ーーーーーーー。
頭が、ぼーっとする。
上手く回らないのに、空気がずっと通り抜けているみたいな、不思議な感覚がずっと脳内を満たしてる。
ふーっと軽く息を吐いた。
まあ、いいや。今はなにも考えなくて。
だからそっと、倒れるみたいにベッドに顔を突っ込んで目を閉じた。
今は、いいや。
全身から力を抜けていくのを感じてた。
息が一つ抜けるたび、身体が一つ一つ電源が落ちるみたいに感覚が抜けていく。
もう、夜だったから、そのまま眠ってしまいそうで。というか、もう眠気がすぐそこまでやって来ていて。
曖昧な意識のまま、私は壁をこんこんと叩いていた。
まるで誰かを呼ぶみたいに。壁の向こうに君に問いかけるみたいに。
こんこんと音が帰ってくる。
その音に満足して、私はゆっくり眼を閉じた。
落ちかける意識の中で、誰かの足音だけが響いてて。
やがて、窓が静かにそっと開けられた。
「おやすみ、ゆいか」
「おやすみ、きりこ」
明日から、何をしようかな。
そんなことを考えながら、私はそっと目を閉じた。
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