第3話 UNDERGROUND
「なんだか強面の人が多い気がするのは気のせいかな」
「大丈夫だよ。顔は怖いけど良い人ばかりだから」
李空の呟きに、アイデーは爽やかな笑みを浮かべながら返した。
さて、李空、セイ、マテナの三人は、トーヤ、アイデーと共に「ミ」の街までやってきていた。
そこは暗いが明るい。夜の街のような雰囲気を纏っていた。聞こえてくる音楽は、テンポが速く早口のものだ。
「さあ、ここが僕の家だよ!」
街に入って暫く歩いた所で、アイデーが立ち止まった。
指差す方向には、街によく馴染んだ一軒家があった。
「さあ、入って入って」と門を潜るアイデーに、一行も続く。
彼らの背中を押した一番の要因は匂いであった。家の外まで漏れる香ばしい匂いが、一行の空腹を刺激したのだ。
「もうお腹ペコペコだよ。あ、そうだ!アイデー、よかったらこれ使ってよ!」
トーヤが鼻を膨らませながらリュックを下ろした。
腕を突っ込みごそごそと中から取り出したのは、立派なキノコであった。
「またキノコ狩りに行ってたのかい。これまた大物だね」
アイデーは受け取ったキノコを眺めながら言った。
「それじゃあ、ちゃちゃっともう一品作ろうかな。皆は先に食べててよ」
アイデーは一行をテーブルに案内した。
そこには洋風の料理がずらりと並んでおり、一層強い匂いが食欲を掻き立てた。
「いただきます!」
席に着くなり、トーヤが次々と料理を口に運んでいく。
その食べっぷりと幸せそうな表情に、李空とセイはゴクリを唾を飲み、同時にフォークを手にした。
「騎士として欲に負けるわけには・・」
家主であるアイデーより先に手をつけることを躊躇っているのか、マテナはギラついた目で料理を睨んでいる。
その様子をキッチンから見たアイデーが、慣れた手つきで調理を進めながら言った。
「遠慮しないで食べてよ。美味しい内に食べてくれた方が僕も嬉しいしね」
「・・そう仰るのなら」
免罪符ができたことで、マテナは食事を始めた。
一度手をつければ最後。その動きが止まることはなかった。
詰まるところ、アイデーの料理はどれも絶品だった。中でもスープは旨味が複雑にかつ完璧に混ざり合い、味の深みを実現していた。
「この香りが匂ってきたから、早く帰りたかったんだ!」
食事の最中、トーヤが雑談ついでに自身の才について語ってくれた。
彼の才は『スメル』。嗅覚に特化した能力らしい。
遠く離れた物の些細な匂いを嗅ぎ分けることも可能であり、キノコ狩りにも活用しているとのことだ。
また、ワープ越しにも匂いが分かるそうで、「ファ」に居ながら、「ミ」の街にあるアイデーの家から香る匂いを嗅ぎつけたらしい。
「ミ」に居ながら、「ファ」に生えたキノコの匂いも分かるのだという。
何とも興味深い話であるが、李空達は食事に夢中で、トーヤの話は軽く聞き流していた。
「はい、できたよ」
程なくして、アイデーが新たな料理を運んできた。
それは噂のキノコを使ったパスタだった。見た目に香り、どちらも満点だ。
「「「「いただきます」」」」
待ちきれないといった様子で四人が同時に口に含む。
幸福が口いっぱいに広がった。
平吉と架純は「ソ」の街に来ていた。
現在地は参ノ国代表将アイ・ソ・ヴァーンの家である。
彼の家は街のほぼ中央にあり、家の中では静かな曲が流れていた。
落ち着いた曲調の静かな曲。ヴァーン曰く、この曲が「ソ」の流行らしい。
「なんだ。デルタの話はまだしてないのか」
「他に説明することが多くて、忘れてたやんなあ」
ヴァーンとルーマが何やら会話している。
机を挟んで向かいに座る平吉と架純は、出されたお茶を啜りながら、聞き耳を立てていた。
ヴァーンは改めて平吉と架純に視線を寄越すと、一人の男について話し始めた。
「テー・シ・デルタ。参ノ国代表の問題児。兼天才児だ」
ヴァーンの話は以下の通りだった。
「ド」から「ラ」の名が付けられた六つの地区。地下三階から地上三階に当たるその地区を貫くように存在する屋敷「三重塔」には、「シ」の名が与えられている。
といっても「シ」に住むのは一族のみ。俗に言う「シ族」は、サイストラグルの名門であった。
中でもテー・シ・デルタは10年に一人の天才と呼ばれており、その強さは言うまでもない。が、性格に少々の難があり、今は「三重塔」の一室に籠っている。
奇しくも、その一室こそが参ノ国の石版が保管されている場所であった。
「そろそろ奴を引っ張り出そうと考えていたところだ。俺も同行することにしよう」
話し終えたヴァーンが腰を上げる。
「デルタ、か。楽しみやな」
平吉はニヤリと笑いながら後に続いた。
李空ら一行は、「ミ」の街で休憩した後、「レ」の街までやって来ていた。
街の至る所から聞こえてくるレゲエ調の音楽は、疲れが出てきた一行の足を自然と早めた。
「三重塔」を目指し歩き始めてから、既に相当の時間が経過していた。
空が見えないため実感は薄いが、途中で日を跨いでいる。
「それじゃあ今日中に「ド」の街を目指すってことで」
そんな言葉を口にしたのは、参ノ国代表ゲー・レ・マーチだ。
一行は「レ」の街にてマーチと合流し、共に次の地区を目指し始めていた。
たった今通り過ぎた街中の時計台は、今が昼であることを示している。
今し方話がまとまったように、次の街に着くのは夜頃になりそうだ。
「それで、『残雪』の性質は父上殿の才を引き継いでいるというわけですか」
「ああ。うちの将の話では、どうやらそういう事らしい」
「レ」を横断しながら、マテナとセイが言葉を交わす。
話題はセイが携帯する刀『残雪』について。武器マニアのマテナは、物珍しいこの刀が気になって仕方がない様子だ。
「俺も訊いて良いか。お前の才について」
「私の才ですか?」
「それは俺も聞きたいな」
二人の会話を聞いていた李空が口を挟む。
「マテナさん。いつも才の一部しか使ってないですよね」
李空は『オートネゴシエーション』にてマテナの才の概要を把握していた。
故に彼女の闘い方に常々疑問を抱いていたのだ。
しかし、そこに如何様な事情が潜んでいるかは既知の範囲外だ。尋ねる機会もなかった為これまで触れてこなかったが、気になっていたのは確かだ。
「そうですね。調査班に加わったことですし、その話もしておきましょう。でも、その前に──」
マテナは澄み切った目で李空の顔を見つめた。
「李空さん。歳はいくつですか」
「歳?15だけど」
「やはり同年代でしたか。それなら敬語は止めてください。ここでは後輩に当たる訳ですし」
「・・わかった。それならマテナもそうしてくれ」
「いえ、私はこれが通常なので」
マテナは頬を緩めて言った。
凛々しい顔に浮かんだ笑みは何とも魅力的で。同年代の李空とセイは思わぬ不意打ちから逃れるように、視線をさっと逸らした。
───イチノクニ学院。第5グラウンドの外れ。
滝壺と太一が見つけた大穴、『アンダーフローホール』の周りには、見覚えのある顔が揃っていた。
「これが『鍵穴』か。大きいのう」
大穴を上から覗き込むようにして言うのは、陸仙人だ。
両隣には、海仙人と空仙人の姿もある。
「全く。急に呼び出しておいて居ないとはどういう了見じゃ」
「すみません。もうじき見えると思いますので」
憤慨する空仙人を宥めるのは、滝壺だった。
彼は依頼されていた『アンダーフローホール』の捜索を完遂したことを六下に報告した。六下の次なる指示は「その場で待機」であったため待っていると、三仙人が姿を見せた。話を聞くと、彼らも六下に呼び出されたと言う。
六下もじきに到着する予定であるが、未だに姿はない。
彼が遅れることは日常茶飯事であるため、滝壺に焦りの色はなかった。
「海千達はしっかりやっとるかのう」
「また弟子の話っすか。随分可愛がってるんっすね」
そんな会話を交わすのは、海仙人と太一だ。
どうやら、海千兄弟は別行動をとっているらしい。事実、この場に姿はない。
「皆、揃ってるようだな」
と、六下が飄々とした態度でやってきた。
悪びれた様子は一切なく、その姿は平吉と重なった。空仙人と滝壺は、揃って呆れの色を覗かせた。
して、その後ろにはもう一人。大柄の男の姿があった。
「ご無沙汰してます。三仙人の皆さん」
その男。剛堂は、仙人たちの姿を認識するなり頭を下げた。
「やっぱり閉まってたね」
肩をすくめてアイデーが言った。
「ド」の街に到着した李空ら一行は、その足で「三重塔」最下層の入り口に向かった。しかし、その門は固く閉ざされており、中に入ることは叶わなかった。
アイデーの話によると、「三重塔」に住む「シ族」は規則を重んじる一族であり、夕刻には門を閉めてしまうらしい。
李空らは、仕方なく「ド」の街で一泊することにした。
「こっちだよ」
マーチの案内で、一行はエドワー・ド・ワニューの家を目指していた。
今日は彼の家に厄介になろう、ということで話が着いたのだ。一つ下の層ということで、マーチは何度かワニューの家を訪ねたことがあるそうだ。
辿り着いた家は、なかなか立派な家であった。なるほど、この広さなら李空ら一行六人が押し掛けても問題はなさそうだ。ワニューが快諾するかは別問題であるが。
「誰だ?」
チャイムを押すと、中からワニューが顔を出した。
代表してアイデーが説明をすると、ワニューは一行が泊まることを快諾した。どうやら随分と面倒見の良い性格らしい。
「部屋を用意するから突き当たりの部屋で待っていてくれ」と残し、ワニューは別の部屋に向かった。
指示に従い、一行は部屋に入った。中は整理されており、ハンガーに掛けられた服などから、ここはワニューの部屋だと推察できた。
「これは・・」
部屋に入るなり、李空はあることが無性に気になった。それというのは、音だ。室内で鳴っているその曲に、李空は聞き覚えがあったのだ。
「何度も聴いた記憶があるんだけどな・・・」
頭を捻っていると、ワニューが部屋に戻ってきた。
「準備ができたぞ・・げっ!」
ワニューは何やら慌てた様子で音楽を切った。その顔は何故か朱に染まっている。
「・・・あ」
その反応がトリガーとなり、李空は思い出した。
ワニューの部屋で鳴っていた音楽は、ルームメイトの卓男が毎日のように聴いていた曲。『2。振り出しに戻るスゴロク生活』通称『2スロ』のオープニングテーマであった。
───再びイチノクニ学院。
第5グラウンドの外れに空いた大穴『アンダーフローホール』には、異様な光景が広がっていた。
「これが繰り上がり解除の儀式か・・・」
「なんというか、ピンと来ないっすね」
大穴の上から、滝壺と太一がそれぞれ感想を漏らす。
すっかり陽が落ちているため見えづらいが、現状は以下の通りであった。
まずは三仙人。彼らは三人で大穴を囲むように陣取り、座禅を組んでいた。
発動中の才に集中するように、目を瞑った状態で両手を合わせている。
次に剛堂。彼もまた座禅を組んでいた。
しかし、その場所は三仙人たちとは違う。大穴の中だ。
すなわち宙に浮いている状態であるわけだが、その状況を生み出しているのは三人の仙人達であった。
剛堂の足場を作っているのは、陸仙人の才『ミラーリング』だ。しかし、「繰り上がり」を繰り返しているため、生み出された足場はひどく脆い。
そのままの状態で体格の良い剛堂が載れば、一瞬で壊れてしまうことだろう。
そこで活躍するのが、海仙人の『フィッシング』と空仙人の『スパイラル』だ。
海仙人が持つ釣竿は剛堂の体を持ち上げ、空仙人が起こす上向きの風がそれをアシストしている。
しかし、二人の才も重ねた年月の分劣化している。3つの力が合わさって初めて、剛堂の体を浮かすことができるのだ。
いずれかの力が欠ければ、剛堂の体は穴底に真っ逆さまだろう。
つまり、三仙人からすれば油断を一切許さない状況。剛堂からすれば、三仙人を信頼して危険に身を晒さなければいけない、過酷な状況であるというわけだ。
それでもこの儀式を行っているのは、剛堂の強い希望があったからだ。
六下曰く、この儀式を終えれば「繰り上がりの法則」を解除することができるかもしれないそうだ。
といっても文献から読み解いた情報だ。必ずしも成功するとは限らない。
(それでも信じる。俺はそう決めたからな)
剛堂は意識を集中した状態で、強い意志を心中で呟いた。
そうしていなければ、この穴から出て行きたいという衝動を抑えられそうになかった。穴の中は何とも不気味な空気が流れており、剛堂の額から流れる冷や汗は止まる気配がなかった。
幻聴だろうか。「出ていけ」という声が、脳内で反芻しているように感じられた。
”よく耐えたな”
儀式開始直前。
用事ができたと『アンダーフローホール』を後にした六下が、去り際に掛けた言葉が剛堂の脳内に蘇った。
闘いたくとも闘えない。それは剛堂にとって何よりも辛いことだった。
それに比べれば、この程度のこと何でもない。剛堂は気合を入れ直すように目をぐっと瞑った。
「よし。俺たちも行くか」
「そうっすね」
大穴の上で、剛堂と太一が踵を返す。
二人の頭には、「サイストラグル部と合流し、闘いに備えろ」という六下の伝言が響いていた。
「なんや架純。もう起きとったんか」
「太陽が懐かしく感じたんでありんすよ」
早朝。平吉と架純は、空の下で顔を合わせた。
彼らもまた、李空らと同じ理由で「ラ」の街に一泊していたのだ。
宿は、参ノ国代表キンペー・ラ・セッシャーの家だ。ヴァーンが事情を説明すると、セッシャーは「良いYO!」と、彼らを招き入れたのだった。
「大事なものは失って初めて気づく、か」
平吉は空を見上げて言った。まるで空を泳ぐかのように、二羽の鳥が優雅に翔んでいた。
「ラ」は最上層であり、参ノ国を大きな建物として捉えるならここは屋上であるため、頭上には大空が広がっているのだ。
「架純。この旅が終わったら結婚しようか」
「そうやね・・・・って、え!?」
突然の申し出に、架純は素っ頓狂な声を上げた。
「どういう風の吹き回しでありんす!?」
「本当は『TEENAGE STRUGGLE』優勝したら言おう思っとったんやけどな。アイツらのせいで無茶苦茶や。結婚の資金は手に入らんし、今度は人類滅亡の危機。敵わんで全く」
平吉は早口で捲し立てるように言った。おそらく照れ隠しと思われる。アイツらとは言うまでもなく、各国の王を名乗る者たちのことだ。
「もしかして、前に訊いた平ちゃんの闘う意味って───」
「こんなところに居たか」
と、二人の元に参ノ国代表の面々が近寄ってきた。
「もうじき門が開く時間やんなあ」
「行くYO!」
ルーマとセッシャーが先陣を切り、石版が眠る「三重塔」を目指して歩きだした。
「どうした?何かあったか」
「何でもない。先を急ごう」
ヴァーンの問いかけに、平吉は曖昧に答えた。
「・・・はっ。待つでありんす!」
放心状態であった架純は、慌てて後に続いた。
李空ら一行は「三重塔」を駆け上っていた。
ここまで来る道程は各地区を横断する必要があったため異様に時間が掛かったが、「三重塔」つまりは屋敷である「シ」の移動は一瞬であった。
屋敷に住む「シ族」への説明には少々手間が掛かったが、顔見知りである参ノ国代表が居たこともあって、最低限のもので済んだ。
「この先が目的の部屋か」
最後の階段を上り切ると、一つの扉が待ち構えていた。分厚く、頑丈そうな扉である。この先に目的の石板は眠っているはずだ。
代表して李空がノブに手をかける。体重をかけると、重々しい音と共に扉がゆっくりと開いた。
「・・平吉さん!」
「おう、李空!丁度良かったで!」
李空が扉を開くのと同時に、向いの扉も開いた。
その先に居たのは平吉ら一行。彼らもまた、「三重塔」を駆け下りてこの部屋までやって来たのだ。
「あれ?マテナちゃん?」
「ん?みちるの姿が見えんなあ」
李空ら一行を眺め、架純と平吉が呟く。
肆ノ国にて調査班のメンバーが入れ替わった時、平吉と架純は闘技場に居なかった。
その後直ぐに大陸が回転。参ノ国は電話が繋がらない環境であったため、これまで報告できていなかったのだ。
李空が事情を説明すると、平吉と架純は納得し、マテナを歓迎した。
みちるとマテナがその道を選ぶことを、二人は何となく予感していたのかもしれない。
「あの。皆さんは・・」
と、弱々しい声が総勢12人となった一行にかけられた。
さっと顔を向ければ、怯えた目で一行を伺う青年の姿があった。大人数の視線が集中したことで、怯えの色が一層濃くなった。
「悪いなデルタ。大勢で押しかけて。取って食うわけじゃないから安心しろ」
ヴァーンは苦笑を浮かべて言った。その言葉に安心したのか、デルタという名の青年は、引きつっていた顔を僅かに緩めた。
「コイツがデルタか。なんや思っとったんとちゃうなあ」
デルタの顔をまじまじと眺め、平吉が感想を口にする。
ヴァーンの話では、サイストラグルの名門「シ族」の中でも10年に一人の天才と呼ばれる程の強者ということだったが、お世辞にもそうは見えない。
筋骨隆々の大男を想像していた平吉であったが、目の前の男は随分と細身である。態度もおどおどとしていて、戦士のイメージとは程遠い風貌だ。
「お前がどんな感想を抱いているかは手を取るように分かるが、デルタは天才だ。強さは俺が保証する」
ヴァーンは、クールな表情でデルタの話を始めた。
デルタは超がつく程の心配性であった。
絶対に勝てる、それがデルタが闘う唯一にして絶対の条件だ。
その昔。一度だけ参ノ国代表として『TEENAGE STRUGGLE』に参加したことがあった。一度出場すれば、相手を必ず負かす。デルタは絶対勝利の切符であった。
しかし、ここ一番という場面で、デルタは逃げ出した。
対戦相手を目にした途端、負ける可能性が頭を過った為だ。
当時の参ノ国代表にしか知り得ない話であるが、その対戦相手というのは、当時の壱ノ国代表将であった剛堂だ。
その翌日から、デルタはこの部屋に籠もるようになり、大会に顔を出すことはなくなったのだった。
「どうだ、デルタ。自信はついたか?」
「才の性質は上がった・・と思う」
デルタは自信なさげに言った。
彼が部屋に籠っていたのは、現実逃避の為ではない。
この部屋は少々特殊で、デルタの才の性質上、特訓場として持ってこいの場所であるのだ。
無響室。それがこの部屋の名前だ。
名の通り音が全く響かない部屋であり、放り込まれると人は45分以内に発狂するといった俗説がある。
デルタはこの部屋に5年も籠っているというのだから驚きだ。
「確かに。言われてみると音の聞こえ方が違うな」
「扉が開いている状態でこれですから、密閉するともっと凄いんでしょうね」
ヴァーンの話を聞いたセイとマテナが、感想を語り合っている。
「ふーん、おもろそうやな。一度闘ってみたいもんやで」
「・・・勝率50パーセント。僕は闘いたくない」
デルタの言葉に苦笑を浮かべ、平吉は視線を後方に移した。
「それよか李空。ほれ、石板や」
顎をしゃくった先には、例の石板があった。
李空は頷き、歩み寄る。途中、慣れた手つきでカチューシャを装着した。
石板の内容を七菜に転送するためのモノである。
あまりに滑らかな動作に、初見の参ノ国代表一行は一瞬呆け、その後で腹を抱えて笑い出した。
李空はこの行為が恥ずかしいものであったことを思い出し、顔を赤らめた。
「七菜。聞こえるか」
「はい。くうにいさま。石板を見つけたのですね」
取り出した携帯電話から七菜の声が聞こえる。
李空が石板を見つめる。この状態で七菜が『コンパイル』を発動すれば、石板の内容を翻訳することができるのだ。
「『象徴ハ心臓。時代ガ変ワレバ真ト偽ハ移ロウ』と書かれています」
これまでの経験から大地が回転を始めることを予期した一行であるが、揺れは起きなかった。
「そうか、ありがとう。美波さんたちにも宜しく伝えておいてくれ」
「はい」
李空は電話を切ると、カチューシャを素早く外して、何食わぬ顔で振り返った。
用を終えた一行は無響室を後にした。向かった先は、地上一階に当たる屋敷の方。デルタも一緒だ。
「デルタ。次は逃げるんじゃないぞ」
彼らを出迎えたのはデルタの父親に当たる男であった。
平吉たちは、ここに来る途中に顔を合わせている。
「・・・はい」
デルタは俯いたままで答えた。
一行はそのまま「三重塔」を上り、屋上までやってきた。すなわち「ラ」の街である。
「眩しい・・」
李空らは、久方ぶりに目にする太陽に目を細めた。
聞こえてくるロック調の音楽が、気持ちの昂りを更に高める役割を担ってくれた。
「・・始まったみたいですね」
マテナが警戒を目に宿す。他の調査班も同様に、神妙な面持ちで首飾を握った。
例の揺れが始まったのだ。どうやら調査班に安息を与える気はないらしい。
「闘いの時は近づいとる。頼りにしとるで参ノ国代表の皆さん」
平吉は挑発するように、参ノ国代表に向けて言い放った。
参ノ国代表一行は、それぞれの表情で頷いた。
「テー・シ・デルタ。お前の力もきっと必要になる。その時には頼むで」
「・・・相手によるよ」
程なくして、大地の回転が始まった。
参ノ国代表一行とトーヤに見送られ、調査班は参ノ国を後にする。
ここが「ラ」の街であり、建物で言うなら地上三階に当たる、高所であることをすっかり忘れたまま。
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