第18話『再生』
『再生』
私はサラジャと初めて出会った池にいた。
なぜここにいるのか理由は分からない。
「ザブッ」
足下に違和感があったので下を見た。
不思議な事に私は陸ではなく池の中央立っていた。要するに水面の上に浮いているという状況だ。
本来なら慌てる所なのだが私の感情には小さな波すら立たなかった。
アランが殺された事を思い出した。そして私もその直後にジンに殺された。
死因は思い出せないが、体に激痛が走って息絶えたのを覚えている。
(いや待てよ…そうだっ…足だ!)
そして私は下を向き自分の下半身を確認した。
だが私の下半身は何ともなかった。
(あれ?たしか下半身に激痛が走った様な記憶があったんだけどなぁ…)
すると正面から気配を感じ、顔を上げた。
そこにはいつもと変わらないサラジャの姿があった。
「旬よ。お前が今置かれている状況が分かるか?」
「私が置かれている状況…?いえ、分かりません。分からないというか、ここに来るまでの記憶がありません」
「ここに来たのはお前はもう死んでいるからだ」
サラジャは哀れむ様な目で私を見た。
「私が死んでいる?バカな。今もこうやって意識は鮮明にあるじゃないですか」
「それはお前の潜在意識であり、植物状態の人間などによく見られる症状だ。残念ではあるがお前の体はもう死んでしまった。そして今の潜在意識もじきに消滅しお前は無に帰する」
「そんなっ…!?まだ死にたくない!何とかなりませんか?やり残した事が多すぎる…」
「やり残した事?何をやり残したのだ?」
私はサラジャの問いに言葉が詰まった。
「えーっと…正直これといってすぐ答えられません。やり残したというか人生に悔いがあります。私はまだ30代ですから…ただアランの仇討ちはやり残した事の1つです」
「お前は考えが甘いな」
そうサラジャは冷たく言い放った。
「この世の中、自分の人生に悔いを残さず死ねる人間がいると思うのか?言っとくがそんな人間はまずいない。死因を問わず人間は少なからず死ぬ直前に己の人生に悔いを残して死ぬ。病死ならもっと健康に気を付けていれば…という具合にだ。はたから見れば順風満帆な人生を送っていようが、死を前にすると後悔の念を抱く。それが人間だ。なのにお前は自分のやり残した事がすぐに浮かばないくせにアランとかいう人間の仇討ちが即答するやり残した事だと?笑わせる」
「そんな…!いくらなんでもっ…」
「残酷だがそれが現実だ。今、お前は若くして死を宣告された事に自分は何て不幸なんだろう。と感じていないか?だがそんな人間はこの世にごまんといる。何も特別な事ではないし驚く事でもない。死と隣り合わせのヒットマンならなおさら普通の事だ。むしろここまで生きられた事に感謝しろ。覚悟が出来ていなかったなどとぬかすなよ。それになぜ自分より他人を優先する?私には到底理解できぬ」
サラジャの言う理屈は理解できる。ヒットマンとしての道を選んだ時点で早死にするかもしれないと覚悟は決めた。だが、実際に死を前にすると拒絶してしまう。何で自分が死ぬのだろう、ついてない。と…
心のどこかで自分は大丈夫だと、たかを括っていたのかもしれない。
それにサラジャの言う、まずは自分を優先しろと言うのも何となく分かる気がする。多分かつての俺ならそうしてただろう。
だんだん意識が遠のくのを感じる。眠くなるというよりは記憶が少しずつ消され、何も思い出せなくなるという感じだ。
(俺の人生はここまでなんだな。今さらだがもっと普通に生きていればもう少し生きられただろうな。何で普通に生きる道を選ばなかったのだろう…駄目だ。思い出せねぇ…)
頭がボーッとし、視界も霞んできた。
するとサラジャがゆっくり私に近付いて来た。この時私は声も発せられなくなっていた。
サラジャは私の眼前まで歩み寄り、顔を近付けて来た。
「これが最後だ。大事にするのだぞ」
そして息を私の顔にフーッと優しく包み込むように吹き掛けると、私の意識はそこで途絶えた。
「ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…」
小気味良く聞こえる機械音のせいで私は目を覚ました。
目の前の天井の柄にはまったく見覚えがなく、少し焦った。
(家…?違う…会社か…?いやそんなことはない)
上半身を起こして辺りを見回す。簡素な部屋にはテレビと花瓶。それに誰かが持ってきたであろう果物の入った篭が置いてあった。
(そうか、ここは病院か…)
首や腕には何かしら機械の配線がくっついており、動き辛かった。私はいっその事この配線を抜き取ってやろうかとも考えたが、ベッドの横にある心拍数を表すモニターを目にし、その気が失せた。
そして病室のスライドドアがゆっくりと開いた。
そこには目を真んまると見開けたまどかがいた。
「旬くん…?意識が戻ったの…?」
するとまどかの目からは大粒の涙が次々と溢れだし、その場にしゃがみこみ泣いていた。
案外すんなりと目を覚ました私は、まどかの驚き具合に少々大げさだと感じたが、私を心配してくれているその姿を見て心が温まった。
「まどか、ありがとう」
私がそう声をかけるとまどかは、「うんっ…うんっ」と頷いた。
するとまた、病室のドアが開いた。
次にそこに立っていたのは中野だった。
私は中野の姿を見ると自然と涙が溢れた。
「中野さ…ん…っ!すみませんっ…!私のせいで…ア…ランがっ!」
中野は表情を変えずに、まどかに向かって
「なぁ?ちょっと席外してくれる?」と言った。
「うん、わかった」とまどかは部屋を後にした。
そして中野は私のベッドまで歩み寄り、横に置いてあった丸イスに腰掛けた。
「アランの件は聞いてるよ。本当に残念に思う。だが俺もアランも殺しを生業としている以上、こうなる事はとうの昔に覚悟を決めていた。だから決して君を責めたりはしない。残酷な言い方になるが、こうなったのはアランの実力不足としか言いようがない」
中野は取り乱す事なく淡々と続ける。
「ちょうど1週間前かな?仲の良い刑事から連絡があってな。まぁアランと神谷くんがとあるビル内で倒れていた所をビル内にいた清掃員が発見したと連絡が入ったんだよ。まぁ相手も刑事だから詳細な情報は省かれていたが、おおよその察しはついたよ」
「はい、アランとジンが潜伏しているであろうビルを見つけたんです。そして2人で潜入しました。最初はもぬけの殻だと思っていたんですけど、あいつは突然現れました」
「そしてアランがやられて、それに激昂した君も重症を負わされてジンにはまんまと逃げられた…てとこか?」
「はい…その通りです」
「なるほどね…」中野は少々うつ向いたまま黙り込んだ。
「渡すべきか悩んだけど」
中野はそう言うと足下に置いていた紙袋を私に差し出した。
袋の中身は覗いても分からない様に、厳重に梱包されていた。
「何ですかこれは?」
「見てみ」
言われるがまま中身を取り出し、厳重にされていた梱包を開いた。するとそこには多額の金が用意されていた。目にした事も触った事もない金額だったので、包みの形だけで金だと判別できなかった。
「このお金…いくらあるんですか?」
「1億だよ」
「1億!?なんでこんな大金をっ」
「実を言うと先日クライアントからこれ以上ジンを追うなとストップが掛かったんだよ。理由は分からないが、恐らく何かしらの圧力が掛かったのかもな。だが、ジンを追うのにかなりの時間と金が掛かっている。だからクライアントは手切れ金という形で大金を用意した。その手元の金はごく一部にすぎない」
「ジン・コリーとはそれほどの人物なのですか?」
「さぁな。だが今までのターゲットとは格が違うのは確かだよ。本来一度始まった任務が中止になる事なんてありえない。不気味でしかたないよ」
「たしかに不気味ですよね…それでこの1億はなぜここに用意したんですか?」
「それは引退金だ。俗に言う退職金だよ」
「退職金?すみません。まったく話が読めないんですけど」
中野は右手を額に添えて申し訳なさそうに話を始めた。
「神谷くん、君はヒットマンとしての筋が良い。こんな仕事だから俺もいつまで生きられるか分からない。だから初めは神谷くんを後継者に育てようとも考えたよ。でも今回の任務に君を加えた事で、俺も心境の変化があってね。君には死んでほしくない。だからヒットマンから足を洗ってくれないか?この金はそういう意味の金だ。悪く思わないでくれ」
「足を洗ってくれないかって…じゃあアランの仇は誰が討つんですか?」
「もうアランの事は忘れろ。言ってる意味分かるよね?」
もちろん中野の言ってる意味は分かっていた。だが目の前で家族同然だった人間が殺されている。そう易々と「はい、そうですか」とはいかない。
「私は絶対にアランの仇を討ちます。ジンを追うなと言われようが必ずあいつを殺す」
「君の気持ちは痛いほど分かる。だけど忘れたか?君の雇い主はあくまで俺だ。俺がジンを追うなと命令している。そして別に払う必要のない1億も厚意で君の為に用意してるんだ。困らせないでくれ」
「困らせないでくれ?」
中野の子供をなだめる様な言い方に無性に腹が立った。
「神谷くんはアランとジンの因縁の話を聞いた事はあるかい?」
「パキスタンの話ですか?」
「そうだ。あの時、アランは自分の身内をジンに殺された。そして復讐を誓い私と組んだ。で、復讐を誓ったアランもジンに殺されてしまった。そして今度はアランを殺された事によって君がジンに復讐をしようとしている。復讐の連鎖はどこかで断ち切らないと終らない。これで仮に君がジンを殺して復讐を成したとしてもジン側の人間が君を狙うだろう」
「だから1億やるから足を洗ってきれいさっぱり忘れろって事ですか?」
「まぁ、そういう事だ。悪い話ではないと思うけど」
「そんなんで金はいりませんよ。復讐の連鎖が続こうがそんなの知ったこっちゃない。私がこの手でジンを葬ります」
私が言い終わると同時に中野が声を荒げた。
「いい加減にしろっ!!」
中野の見た事ない形相にかなりビビったが、私は怯まず黙って中野を見返した。
「ヒットマンになろうと思ったきっかけは何だ!?金だろうが!だから今こうして目の前に金を用意してやってんだ!いくらヒットマンのギャラが良いって言っても億を稼ごうとすればそれなりの回数死線をくぐらねぇと稼げない。だが今回はヒットマンをやめるだけで1億が手に入る。そして今までのギャラの蓄えもあるだろうし、この先適当にサラリーマンをして生きて行っても十分なはずだ。前に言っていた夢も叶えられるだろう?だからもう少し合理的に考えろ。君はヒットマンを金を得る為の手段に選んだにすぎない。魂までヒットマンになろうとするな」
「いえ、何回も言いますが金は受け取れません。私はジンを必ず殺します」
「まだ言うか!?お前はジンに殺されかけてここにいるんだぞ!?せっかく拾った命をもっと大切にしろ。1億貰ってこの先の人生自由にやりたい事やって生きろ!」
「なら私は自分のやりたい様に生きます。だからもう放っておいて下さい。中野さんの下で働くのも今日限りで辞めます。クライアントには上手い事言っておいてもらったら大丈夫ですよ。私は誰の下にもつかず個人で仕事をしていきます」
「てめぇ…!そういう話じゃねぇだろうがっ!」
「何ですか?形の上では私達の専属契約は解消されたと思いますが…なんなら退職届でも書きましょうか?」
私は言い終わってから大げさににやっと笑って見せた。もちろん心の中では全く笑っていない。中野には殴られても良いから愛想を尽かして欲しかった。どうせ中野の事だから身を呈してでも私を守ろうとするはずだ。
それと一刻も早く病室を出てジンを追いたかった。
しばらくの沈黙の後、中野が口を開いた。
「じゃあもう好きにしたらいい。ただ1つだけ言わせてくれ。今まで君がしてきたヒットマンという仕事はどこの世界でもれっきとした犯罪行為だ。殺人、傷害、窃盗とまぁ挙げたらきりがない。もし仮に君がジンを殺して復讐を成し遂げたとしても、一見は美談に聞こえるが捕まれば罪に問われ、懲役は逃れられない。今までの犯行も浮上して15年や20年では利かない懲役が待っているだろう。警察は罪を起こすに至った経緯よりどんな犯罪を犯したか?という結果に着眼する」
「それは重々理解してます」
「俺が病室を出たらすぐに大勢の刑事が病室に雪崩れ込んで来る可能性もある。君の目には俺が怖いもの知らずの男に見えたかも知れないが、実を言うと殺される事や怪我をする事より俺は逮捕される事が一番怖いよ。取り返しがつかないほど人生の時間を奪われてしまうからね。稼いだ金も使えなくなるし全てが無駄になる。残るのは罪人という汚名だけだ」
「今までに逮捕されたヒットマンはかなりいるんですか?」
「正直数えきれないな。テレビのニュースでは猟奇的殺人や通り魔などと伝えられるが、奴らのほとんどは仕事として殺しを行ったヒットマンだ。知っている顔も何人もいた。実際のところヒットマンはアランの様に殺される事はごく希なんだよ。だいたいは逮捕されてムショ行きだ」
「そうなんですね…じゃあ中野さんはなぜヒットマンを辞めないのですか?逮捕されるのが怖かったらなおさら辞めた方が良いんじゃ…」
「もちろん辞めれるもんなら辞めたいさ。ただ俺は業界にいるのが長いせいか変な正義感が生まれちゃってね。この腐った世の中を自分の手で少しずつ変えていきたい。その為には弱者から搾取する腐った野郎を消していかなければならない。その汚れ役を自ら買って出ただけだよ。でも逮捕されるのは嫌ってだいぶ矛盾してるけどな」
私は黙って中野の話に耳を傾けていた。もうこの先中野と会う事は無さそうだと予感していたから。
「俺は使命感や正義感でヒットマンをやっているが君は違うだろ?最初は金欲しさで始め、今は復讐心からヒットマンでいる事を望んでいる。それを一概に悪い事だとは思わないが、一時の感情で人生を棒に振るかもしれないリスクを背負う必要はない。逮捕されてから必ず後悔する。俺が今だに逮捕されないのは長い年月を掛けてサツに賄賂を送っているからだよ。金額は恐らく億超えだろう。それぐらい入念に根回しをしてる。さっきも言ったけど俺がヒットマンをしている理由は金じゃないからね。復讐なんて美談なだけで世間の流れに逆らった最低の犯罪行為だし誰一人と評価してくれない。自己満足だけの愚かな行為だよ」
復讐は最低なのか?それとも復讐内容が倫理に反しているから中野は最低と表現したのか?どちらにせよ私は腑に落ちなかった。
人はみな人生というストーリーを持っている。様々な分岐点を進み、今の自分が形成される。それが価値観や経験値として表れる。だから平等に見えても実は不平等だったりする。
私の人生のストーリーでアランは文章の句読点の様に、無くてはならない存在だった。
親の存在が人生において重要なのと同じで、アランがいてこその人生だった。
それぐらいかけがえのないパートナーであり、友人でもあった。でもそんなアランがある日突然、目の前で殺されてしまうのだ。ここで自分の力の無さを痛感し、復讐を決意する事が最低なのか?中野の指示に従い、ジンを放っておくとまた必ず被害者が出る。何せ相手は快楽で人を殺す様な奴だ。
それと同時にもう中野には何を話しても無駄だとも思い始めた。
「神谷くん?」
どうやら私はぼーっとしていた様で中野がいぶかしげな視線を送っている。
「神谷くん、もう一度言う。復讐なんてやめとけ」
「あぁ、はい。分かりました」
中野と議論する気が失せたので適当に相槌を打ち、この場をやり過ごす事にした。
「ありがとう。不本意だろうが分かってくれて嬉しいよ。もうこれ以上身近な人間が消えていくのが耐えれない…まぁ、今日はそれだけを伝えに来たんだ。分かってくれた様だし俺はそろそろ行くわ。あ、それとついでにまどかも呼んでくるよ。そろそろ怒られそうだ」
「すいません。少し疲れたので今日はもう一人にさせてもらえませんか?ほら、一応病み上がりなんで」
私は自分にできる精一杯の作り笑いを中野にふりまいた。勘の良い中野は気付いていたかもしれないが…
「そうだな。じゃあ外で待ってるまどかには俺から伝えとく。それともし就職に困ったら俺に連絡して来たらいいよ、良い仕事紹介してやるから。まぁ、しばらくはこの1億で優雅に生活したらいい」
中野は札束をバシッと叩いてから席を立った。
「じゃあな!次は病院の外で会おうや」
中野はそう言うと病室を後にし、病室には静寂が戻った。
「ふぅー…さてと」
私は差し入れのケーキの箱を開ける様に金の入った包みを全て開けた。
「これが1億円か」
日々のニュースで起業家や政治家などが絡むとよく耳にする単位だが、実際に手元に来ると驚くほど多い。1億ですらこのボリュームだ。数億、数十億となると想像ができない。
とりあえずこの金で精算すべきものは全て精算してしまおうと思い立った私は、金を布団にくるんで隠してから、ふらつく足で売店へと向かいペンとノートを購入した。
購入したノートにサッとメモを始め、まずは住宅や車のローン、大学の奨学金。それに両親、祖父母への送金と手元に一千万だけ残し、残りは全て振り分けた。
そしてノートの次のページを開き、ジンへの復讐のプランを練り始めた。
やはり私はここで引く訳には行かない。
私はそう思いながらノートにびっちりと計画を書き始めた。
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